長崎県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

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長崎県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

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波佐見町(はさみちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

長崎県東彼杵郡波佐見町 やきものの里 活力と潤いにみちた陶磁と緑のまち・波佐見 人口14,225人

コンプラ瓶と呼ばれる陶器の容れ物のイラストを中心に、左側に登り窯とPRキャラクターの「はちゃまる」、右側に鬼木の棚田が描かれています。町政60周年記念として、2016年にミニバイク50cc以下を対象に100枚が交付されています。

波佐見町は長崎県の中央東側にある町で、東彼杵郡(ひがしそのぎぐん)に属しています。長崎県内では唯一の内陸の自治体で、周囲を100~500mほどの山々に囲まれた盆地の町です。江戸時代前期から「波佐見焼」と呼ばれる焼き物で知られ、この波佐見焼は丈夫な日用品が多く、手頃でしかも良質な食器を造るという姿勢は今も受け継がれています。主要な産業はやはり製造業で陶器の製造を得意としていますが、近年は製造品出荷額が減少傾向にあります。

波佐見焼は波佐見町付近で作られる陶磁器のことで、1592-1593年の文禄・慶長の役から大村藩主が帰国するときに朝鮮の陶工を連れ帰ったことに始まります。丈夫で大量生産に向くことが特徴で、江戸時代には庶民用の茶碗や(木樽では風味が落ちるため)酒や醤油の輸出用の瓶として利用されていました。一般的、庶民的な焼物であり、現在はシェアが低くなりましたが、いまだに全国の焼き物の15%ほどがこの波佐見焼です。当地の特産品かつ主要な産業であり、波佐見町自体が「焼き物の里」として知られるため、商業や観光面でも中心を占めます。余談ですが、同町は県境をまたいで同じく焼き物で有名な佐賀県有田町と隣接しています。

波佐見やきもの公園は波佐見町井石郷にある公園です。「世界の窯広場」といって、古代から近世にかけての窯の野外博物館(12基)がある公園で、絵付けやろくろ体験ができる波佐見陶芸の館(観光交流施設、歴史的資料なども展示)があります。毎年ゴールデンウィークに波佐見陶器まつりという大規模な陶器市が行われています。

鬼木の棚田は波佐見町鬼木郷(おにぎごう)にある棚田です。棚田百選に選ばれているもので、散策路や展望台があります。22haほどの広さに400枚ほどの田んぼがあります。当地を代表する名所・風景で、9月には鬼木棚田まつりとしてウォークラリーや案山子コンテストなどが行われるほか、彼岸花の名所でもあります。

波佐見温泉は波佐見町長野郷の川棚川沿岸にある温泉地です。弘法大師が錫杖を地に立てて湧出させたという伝説が残る温泉で、1200年ほどの歴史があると考えられています。ホテルが1軒、温泉宿2軒のほか、日帰り入浴施設としてはさみ温泉 湯治楼(ゆうじろう)があります。


島原市(しまばらし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

長崎県島原市 有明海にひらく湧水あふれる火山と歴史の田園都市 人口41,881人

PRキャラクターの「しまばらん」と島原城が描かれています。50cc以下と90cc以下・1255cc以下は意匠が異なり、50cc以下では城にかかる虹が描かれています。2017年から交付されています。

島原市は長崎県南東部の島原半島の東側にある市です。江戸時代初期に島原城が築城され、以来島原半島の政治や商業の中心として機能しています。島原城の城下町や湧水群、雲仙・普賢岳の景観や温泉で知られる観光都市で、卸売・小売業やサービス業など観光業を主要な産業としています。市域の西側の一部が雲仙天草国定公園に含まれ、市街は雲仙岳の東麓に海岸沿いまで拓けています。また、有明海を通じて熊本県熊本市・福岡県大牟田市とフェリーや高速船で連絡しています。豚肉やそうめん、海苔・イイダコ・ふぐなどの水産品、かんざらし(白玉団子)などを特産品としています。

島原城(森岳城、高来城とも)跡は島原市城内にある史跡です。島原鉄道島原駅の西側すぐにあり、同駅舎は島原城の大手門をモチーフにしたものです。1624年に当地に入封した松倉重政が築城した城で高い石垣が特徴、もともと本丸と二の丸が廊下橋という木橋一本で繋がれていたそうです。石垣を巡る水濠にはれんこんが根付いており、秋には地元商店街の主催でれんこん掘り大会が行われています。現在みられる天守は復興されたもので、内部はキリシタンや武具などの資料を展示する資料館になっています。この島原城の北西側には武家屋敷群、南側に商業地区があり、こちらは街路脇に湧水が流れ「鯉の泳ぐまち」として観光名所になっています。

https://youtu.be/ZwiieqZywjg

平成新山は島原市と小浜町の境界にある山(溶岩ドーム)です。平成2年から始まった5年にわたり続いた噴火活動では9432回の火砕流が観測され、被災家屋251棟にも及び、大規模火砕流で死者が出るなどしました。これを記念するために同溶岩ドームを「平成新山」と名付けたといいます。この溶岩ドームは普賢岳の主峰よりも高い1,483mで県内最高峰となっています。

雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)は島原市平成町の有明海に面したところにある施設です。火山活動や噴火災害をテーマにした学習施設で、様々な体験学習プログラムを行っています。また、カフェやこどものための遊び場が併設されています。

しまばら火張山公園は島原市上折橋町にある公園です。もともと雲仙普賢岳噴火災害時に市民を守るための防砂指定地を活用したもので、桜・菜の花・ポピーやコスモスなどが植栽されています。2012年につくられたもので、2018年に「しまばら芝桜公園」から現在の名称に変更になっています。また、園内にヤギやポニー、うさぎなどが飼育されています(入園料:維持管理協力金として大人300円、高校生以下無料)。


川棚町(かわたなちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

長崎県東彼杵郡川棚町 自然を愛し くらし輝くまち 人口13,295人

プレート下部に虚空蔵山(こくぞうさん)のシルエット、左上と右下にインドクジャクが描かれています。2014年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

川棚町は長崎県の本土側中央部にある町で、東彼杵郡(ひがしそのぎぐん)に属しています。概ね町域を北から南に流れる川棚川に沿って市街を成しており、南側で長崎の中央を占める大村湾に接しています。この大村湾に突き出た半島部を大崎半島といい、県立大崎自然公園に指定されています。歴史的には一農村または漁村でしたが、太平洋戦争中には海軍工廠が設置され一時的に人口が急増していました。現在の川棚町は食料品加工や石英製品、コンクリートなどの製造業を主要な産業としていますが、ハウステンボスがある佐世保市と隣接しているため、商業やサービス業なども盛んに行われています。平成12年から人口減少が始まっていますが、将来の推計人口の減少は緩やかです。

大崎半島は川棚町の南側、大村湾に突き出た半島です。全域が県立大崎自然公園にしていされています。入場無料のくじゃく園が有名で、約200羽の孔雀やフラミンゴ、ポニーやうさぎなどが飼育されています。ゴーカート乗り場などこどもの遊び場があり、毎年5月5日にくじゃく祭りというイベントが行われています。また大崎半島北西部には川棚大崎海水浴場や温泉(しおさいの湯、オーシャンビューの天然温泉入浴施設)があります。

魚雷発射試験場跡は川棚町三越郷にある戦時遺構です。片島公園という公園の中に魚雷試験場、組み立て工場、空気圧縮ポンプ室などの跡があり廃墟が残っています。佐世保海軍工廠や川棚海軍工廠で作られた魚雷の性能テストが行われていた場所で、トイレ・自販機・駐車場などが整備されています。2015年に公開された映画「バケモノの子」のロケ地として知られているため、周辺に土産屋や飲食店などが出ています。

特攻殉国の碑は川棚町新谷郷にある記念碑です。特攻艇「震洋」(ベニヤ板製のモーターボート)や人間魚雷「回天」、伏龍隊(潜水士に棒付き機雷を持たせて敵を攻撃するもの)などで亡くなった3,511名の名前が刻まれています。また、小さな展示室を併設しており震洋艇の3~4分の1の模型が展示されています。


長崎市(ながさきし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

長崎県長崎市 活力と潤いにあふれ、歴史がいきづく交流拠点都市・長崎 人口395,591人

出島の形状のプレートです。2013年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

長崎市は長崎県南部にある市です。西彼杵半島の南部と長崎半島及び島嶼部で構成される市で、埋立地などを合わせて面積406k㎡となります。五島灘、天草灘、大村湾と三方を海に囲まれており、長崎港に注ぐ浦上川・中島川沿い及び長崎港周辺に市街をなしています。鎖国体制であった江戸時代に出島があったことから、現在に至るも異国情緒が感じられる街として知られています。産業は第三次産業が主体で卸売・小売業やサービス業などが行われるほか、漁業が盛んです。県庁所在地かつ歴史的にも大変価値のある地域ですが、昭和60年頃から人口減少が始まっていて、最盛期50万余の人口が39万人に減っています。

グラバー園は長崎市南山手町にある観光施設です。イギリス商人グラバー、リンガー、オルトの邸宅があった場所に、さらに旧長崎地方裁判所庁舎や旧三菱第2ドッグハウスなどの建造物を移築し、歴史的建造物の野外博物館となっています。同園に隣接して大浦天主堂(国宝建造物及びユネスコ世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一つ)があり、当地の代表的な観光ルートになっています。また、グラバー園北側には端島(軍艦島)の紹介を行う軍艦島デジタルミュージアムがあります。

長崎市出島は長崎港の南側にある地域です。1634年に築造された日本初の本格的な人工島で、幕府が鎖国を行っていた頃の日本で唯一西洋に開かれた貿易の窓口でした。最初はポルトガル人が、ついでオランダ人が当地を訪れて貿易を行っていました。現在の出島は当初の扇形を失っていますが、現在までに16棟の建物が復興されており、内部には当時の生活をしのばせる資料が展示されています。また、沿岸部は商業地区になっていて出島ワーフという複合商業施設があります。

長崎新地中華街は前述の出島の東側にある中華街です。横浜、南京町の中華街とともに日本三大中華街の一つとされるもので、40軒ほどの中華料理店や中華雑貨店が軒を連ねています。長崎は鎖国時代でも対中貿易港として認められていたため、唐人屋敷という中国人の住居がありました。この人々が開国時に沿岸部に移り住み、中華街として発達したといわれています。旧暦の正月にあたる春節期には隣接する湊公園がランタンフェスティバルの会場となり、清朝をイメージした皇帝のパレードや中国雑技団の公演などが行われます。

稲佐山公園は長崎市街の西側、長崎市稲佐町にある公演です。標高333mの稲佐山山頂に長崎の市街と長崎港を見下ろす展望台や猿舎、鹿の放牧場などがあり、当地のランドマークの一つとして親しまれています。山頂までロープウェイとスロープカーが出ており、当地の夜景の名所とされています。

平和公園は長崎市松山町にある公園です。1955年に世界恒久平和を祈念して開設されたもので、長崎原爆の落下中心地の北側の丘を中心に5つのゾーンで構成されています。祈りのゾーン(爆心地公園)には爆弾落下中心地の碑が建ち、旧浦上天主堂の遺壁(原爆により破壊された同天主堂の壁のうち、残った南側の一部)が展示されています。また、同園内に長崎原爆資料館があり「ファットマン」の模型が展示されています。


大村市(おおむらし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

長崎県大村市 花と歴史につつまれた 未来にはばたく 産業・交流都市 人口96,287人

PRキャラクターの「おむらんちゃん」とオオムラザクラが描かれています。また、自治体名がひらがなの「おおむら」になっています。2012年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

大村市は長崎県の中央にある大村湾の東岸、県央地域にある市です。県内では人口第4位の規模のまちで、西側は大村湾、東側で標高1,000m級の多良岳山系を挟んで佐賀県と隣接しています。長崎県の陸・空の玄関口であり、人口が密集する長崎・佐世保市とのアクセスも良いことから高度経済成長期からずっと毎年500~1,000人程度人口が増えていましたが、現在は増加数が鈍化しています。卸売・小売業やサービス業など商業を主要な産業とし、また長崎空港や大村駐屯地がある関係で国の出先機関が多く、公務員が多いです。黒田五寸人参やゆでピーナッツ、ナマコやイイダコなど水産品、三彩焼などを特産品としています。また、大村氏12代当主大村純忠が日本初のキリシタン大名であったため、市内にキリシタン関連の史跡が残っています。

長崎空港は大村市の市街西側、大村湾に浮かぶ空港です。1975年に世界初の海上空港として整備されたもので、もとは箕島(みしま)という有人島でした。地方空港としては珍しく上海と香港への国際線があるほか、対馬や壱岐など県内の離島地域とも連絡しています。本土側には長崎空港以前に使用されていた旧大村空港(防衛省に移管)、森園公園、温泉入浴施設などがあります。

大村公園は大村市玖島(くしま)にある市立の都市公園です。市名の由来でもある大村氏が築いた玖島城跡を整備したもので、野球場・テニスコートなど運動施設のほか、大村神社や大村藩時代の船着き場、花菖蒲園などがあります。とりわけ大村神社のオオムラザクラは国の天然記念物であり、二段咲きで花弁・がく片が多いことが特徴で、多いものでは200枚に達するとされる名桜です。

長崎スコーコーヒーパークは大村市寿古町(すこまち)にある観光コーヒー園です。日本初の観光コーヒー園であり、300坪の温室でコーヒーを栽培しています。温室の見学は無料で、レストランやコーヒーの直売コーナー、資料の展示などありコーヒーのテーマパークとなっています。

旧楠本正隆屋敷は大村市玖島にある旧家です。明治3年に建築されたもので、かつては城下町として栄えた当地の武家屋敷の流れを汲む貴重な遺構となっています。楠本正隆(政治家・男爵)という人は幕末に大久保利通の腹心として活躍し、明治維新後には東京都府知事として道路橋梁の改修などに尽力した人で、大久保から「天下随一の県令」と称されています。屋敷・庭園ともによく整備されて座敷が一般公開されています。


佐世保市(させぼし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

長崎県佐世保市 ひと・まち・育む“キラっ都”佐世保 ~自然とともに 市民の元気で輝くまち~ 人口235,956人

当地を代表する景観 九十九島とカモメが描かれています。自治体名が左上側、右上側に「kujyukushima」の文字が入っています。2013年にミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

佐世保市は長崎県北部にある市です。県内2位の規模を誇る長崎県北部の中心都市で、九十九島やハウステンボスがあることなどで知られています。江戸時代まではひなびた郊外地域でしたが、天然の良港として佐世保湾に目をつけた明治政府が軍港と鎮守府を開いたため、海軍のまちとして大きく発展しました。現在に至るもアメリカ海軍ならびに海上自衛隊の基地が置かれ、日本の海上防衛の要また海上交通の要衝となっています。昭和20年6月の佐世保大空襲により市街が一度失われていますが、現在は造船業や商業、観光業などが盛んに行われています。ただ、全体に人口減少が大きい長崎県において佐世保市も例外ではなく、2040年には21万人程度と推計されています。

ハウステンボスは佐世保市ハウステンボス町にあるテーマパークです。オランダの街並みを再現したもので東京ディズニーランドの1.5倍の敷地を有し、単独のテーマパークとしては日本最大の施設です。アムステルダムの街並みを再現したアムステルダムシティやパレスハウステンボス、アドベンチャーパークといった区画に分かれており、ゴンドラやカナルクルーザー、海上アスレチックなど多数のアトラクションと四季折々の花々で親しまれています。

九十九島(くじゅうくしま)は佐世保市から平戸市にかけて広がるリアス式海岸に点在する島々で、実際には200以上の島が有るとされています(有人島は4つ)。リアス式海岸と大小さまざまの島が織りなす美しい自然景観は観光客・カメラマンに人気があります。西海国立公園内に九十九島パールシーリゾート(遊覧船、九十九島水族館海きらら、商業施設がある市営の複合施設)があります。

九十九島動植物園(愛称:森きらら)は佐世保市船越町にある市営の動物・植物園です。1961年に旧海軍の工員の宿舎跡に開設されたもので、当時は石岳動植物園と呼ばれていました(その後佐世保市亜熱帯動植物園を経て現在にいたる)。動物251点、植物21,000点を有し、ペンギンの足裏や歩く様子を下から観察する極浅水槽やツシマヤマネコの展示があります。また、同園のある地域は九十九島のビューポイントが多く、周辺に石岳展望台園地や船越展望所などがあります。

海上自衛隊佐世保史料館(愛称:セイルタワー)は佐世保市上町にある海上自衛隊及び大日本帝国海軍に関する史料館です。7階建ての施設で、7階から順番に降りていくと長崎海軍伝習所から現在の海上自衛隊の活動までを順番に見ていくことができます(入館無料)。

無窮洞(むきゅうどう)は佐世保市城間町にある第二次世界大戦期の防空壕です。当時の宮村国民学校の教師と小学生が2年にわたり掘ったもので、奥行き20m幅5mほどあります。内部には避難中でも授業ができるように教室やトイレ、炊事場などが設けてあります。


対馬市(つしまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

長崎県対馬市 アジアに発信する歴史海道都市 対馬 !(おっ)な島です。対馬 人口27,854人

対馬海峡に浮かぶ対馬の全景と対馬海流をイメージした水色のライン、海の幸とツシマヤマネコのキャラクター「コージー」が描かれています。2013年に対馬のPRと交通安全の啓発のために、ミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

対馬市は長崎県北部にある市です。2004年に対馬島内の厳原町・美津島町・豊玉町・峰町・上県町・上対馬町が合併(新設合併)し市制施行たもので、九州と朝鮮半島のちょうど中間あたりにある対馬島全域と有人・無人含めて100以上の島を市域としています。古代から本土と大陸を結ぶ国境の島で軍事的な価値が高く、白村江の戦い・元寇・豊臣秀吉の朝鮮出兵など歴史的事実に関連するほか、明治時代から昭和の前期にかけて対馬要塞という一群の砲台・堡塁群が建造されています。産業面では第一次産業の比率が高く、特に漁業が盛んでアナゴの水揚げで全国一を誇ります。そのほかイカ・ブリ・海藻類などの海産物やはちみつ、しいたけなどを特産品としています。観光地としても知られる地域で、土地柄韓国人が主体でしたが、近年は離島や歴史に魅力を見出す日本人観光客が増えています。

厳原港(いずはらこう)は対馬島の南東側にある港で、福岡市博多港・壱岐市とフェリーやジェットフォイルが連絡しています。こちらは対馬市の市街に近い島の表玄関になります。島の北側に比田勝港という港湾があり、厳原港と同じく福岡市博多港や釜山と連絡していますが、こちらはどちらかというと釜山から/釜山行きの利用が多いようです。また、対馬中央部の上島・下島の間には対馬空港(対馬やまねこ空港)という地方管理空港があり、長崎空港や福岡空港と連絡しています。なお厳原港の近くに対馬藩お船江跡という対馬藩時代の船渠が残っており、原型をよく保っています。

対馬博物館は対馬市厳原町にある博物館です。2022年に開館したもので、対馬藩主宗家の関連資料を主として島内の遺跡の出土品や朝鮮通信使の資料、自然に関する資料など対馬全域を網羅する資料11万余を収蔵しています。また、同博物館周辺には宗家の居城であった金石城(厳原城)の庭園や対馬朝鮮通信使歴史館、宗家の菩提である万松院などがあります。

韓国展望所は対馬島北側の上対馬町にある展望台です。韓国まで50kmほどのところにあり、晴れた日には対岸の釜山市が望める人気の観光スポットで、周辺にはヒトツバタゴの自生地(国の天然記念物、ナンジャモンジャの木ともいう)や、1934年に造られた豊砲台跡(対馬要塞の一角を成す。当時世界最大の戦艦主砲40.6cm砲が据えられたという)があります。

和多都美神社(わだづみじんじゃ)は対馬市豊玉町にある神社です。神代の昔、海神であるワタツミ・ワダツミが当地に宮殿を築いたとされる場所で、本殿正面の5つの鳥居のうち2つは海中に立っています。海の満ち引きにより様相を変える幻想的な神社で、当地の観光名所になっています。また、全国的にも珍しい三柱鳥居が2基あります。

ツシマヤマネコは対馬にのみ生息する野生の猫でベンガルヤマネコの亜種とされています。約10万年前に当時は陸続きだった大陸から渡ってきたものとされ、戦前には当地の山に入れば必ず見つかるもので、1971年に国の天然記念物にしていされています。現在は100頭ほどに減少し、絶滅危惧種になっています。数が少ないため、島内でみられることはほとんどありませんが、佐世保市の九十九島動植物園森きららで飼育されているものを見ることができます。


長与町(ながよちょう)

長与町ホームページより

長崎県西彼杵郡長与町 緑・やすらぎ・活力あふれる ながよ 人口39,763人

中尾城公園の「エアロブリッジ」と街並み、PRキャラクターの「ながよミックン」が描かれています。2023年1月から50cc以下のミニバイクを対象に交付されています。

長与町は長崎県長崎市の北側に隣接する町で、西彼杵郡(にしそのぎぐん)に属しています。町域東側は琴ノ尾岳(451.4m)を中心に300~400m級の丘陵地、町域北側で長崎県の中央に位置する大村湾に接し、町域に清水島と二島という島を含みますがこれらは無人島です。1960年代の高度経済成長期から長崎市のベッドタウンとして継続して開発され、町としては県内で最も人口が多い地域となっています。2010年頃まで人口が継続して増加し、一時期4万を超えていましたが現在は減少局面に転じています。主要な産業は卸売・小売業や各種サービス業など第三次産業で、長らく住宅地として開発が進んだため、業種別では不動産業と教育の従事率が高くなっています。みかん・いちじく・ブルーベリーやオリーブオイルなどを特産品としているほか、比率としてはわずかですが漁業も行われています。

中尾城公園は、JR九州長崎本線の長与駅から町内を流れる長与川を渡ったところにある公園です。広さ9.4haの傾斜地にあり、中世~戦国期に渡って築城された山城 中尾城の跡地を利用しています(比高60m)。文化ホールや展望台などがある公園で、エアロブリッジという赤い橋の上をモノレール(往復110円)が走っています。*エアロブリッジ下のスパイラルスライダーは小学生が骨折するなどしたため現在休止中、再運転の見込みは無いようだ。

堂崎ノ鼻(どうざきのはな)は長与町北端の大村湾に突き出た岬です。青い海とゴツゴツした岩肌のコントラストが美しい景勝地で、県立堂崎ノ鼻自然公園として整備されています(駐車場・トイレなど有り)。また、旧石器時代のナイフ・台形石器などが出土した堂崎遺跡があります。堂崎ノ鼻~長与港までは海岸線沿いに国道207号が走り、カフェや公園、長崎温泉 喜道庵(オーシャンビューの温泉)などがあります。

長与港は長与町の北西側、斎藤郷と岡郷にまたがる港です。観光漁港ではありませんが、周辺は長与総合公園や長与シーサイドーパークなど緑地があるほか、大村市のボートレース場までフェリーが出ています。以前は長崎空港まで行く定期船がありました。港近くに岩崎本舗の本社(グラバー園や長崎空港、ハウステンボスなどに店舗を有する食品会社。同社の角煮まんじゅうが長崎名物となっている)があり、工場直売店を出しています。また、同港ではペーロン保存会がペーロンの漕艇の体験(漕手20名~30名ほどのドラゴンボートの一種、長崎ではペーロンと呼ぶ)を行っています。


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唐津市(からつし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

佐賀県唐津市 自然と歴史と文化が織りなす 心の散歩道 唐津 人口116,323人

唐津くんちの曳山が描かれたもので、2017年にミニバイク50cc以下を対象に2,000枚が交付されています。また、2021年には佐賀市・伊万里市・鳥栖市などとともにTVアニメ「ゾンビランドサガ」のオリジナルプレートが交付されています(画像。市公式HPより)。このプレートはミニバイク50cc以下が対象で、500枚の交付となりました。市の歴史民俗資料館の屋根で同アニメのキャラクターがまったりしている様子が描かれています。

唐津市は佐賀県の北西部にある市です。北部と西部で玄界灘に接し、市北部に唐津湾がひらけています。2005年に旧唐津市と東松浦郡浜玉町・厳木町・相知町・北波多村・肥前町・鎮西町・呼子町が合併し、新唐津市となり更に2006年には七山村を編入しています。当地は江戸時代には唐津藩の中心地であり、廃藩置県後には短期的に唐津県が置かれていました。現在の唐津市は就業者や販売額ともに商業が中心となっていて、ついで食料品や化学工業など製造業が盛んです。また、虹の松原(特別名勝)や呼子朝市、唐津くんちなどが有名で、観光資源も豊富です。牛肉・豚肉など畜産物とハウスみかん、イカ・牡蠣・車海老などの海産物、唐津焼などを特産品としています。

唐津城は唐津市東城内にある史跡です。1608年に当地に入封した豊臣秀吉の家臣 寺沢広高が築いたもので、唐津湾に面した砂州が東西に広がる様子が鶴が羽根を広げたようにみえるということから舞鶴城という異名をもちます。現存する遺構は石垣や堀ですが、天守や櫓、門などが復興されています(ただし、築城当初に天守があったかどうかは不明)。城の東側に幅500m、長さ4.5kmに渡って広がる虹の松原は、もともと唐津藩の初代藩主となった寺沢広高が新田開発のため、防砂林/防風林として植樹を行ったものです。また、松原の東側浜玉町のあたりに当地の土産物「けえらん(けいらん)」の発祥地 諏訪神社があります。

屋形石の七ツ釜(国の天然記念物)は唐津市の北西側、唐津市屋形石にあります。東松浦半島を構成する上場大地が玄界灘に落ち込む場所で、7つの海蝕洞があることから「七ツ釜」といいますが、実際にはもっとたくさんありなかには遊覧船がまるごと入れる広さのものがあります。また、岬全体が七ツ釜園地として遊歩道などが整備されており、展望台からは天気の良い日には壱岐や対馬が見えることがあるようです。

唐津くんちは毎年11月2日から11月4日までの3日間、唐津神社で行われる秋季例大祭です。くんちは「おくんち」「宮日」「供日」とも書き、収穫を祝う行事です。当地の祭りは日本三大くんちの一つで、独特の漆の技法で飾られた14台の豪華な曳山が街を巡ります。昭和55年「国の重要無形民俗文化財」に指定され、平成27年には「ユネスコ無形文化遺産」に登録されました。

名護屋城は唐津市鎮西町(ちんぜいちょう)にある史跡です。1591年に豊臣秀吉が朝鮮出兵に際し拠点として築城させたもので、当時8ヶ月の突貫工事で5重7階の天守が築かれたものとされ、近隣からは金箔を施した瓦が出土しています。史跡の近くにある佐賀県立名護屋城博物館では黄金の茶室が復元・公開されているほか、道の駅 桃山天下市があります。

唐津市の産物で全国的に有名なものが唐津焼です。市内に約70ほどの窯元があり、土の素朴さ、力強さから「用の美」を湛え茶器として好まれました。現在では釉薬や技法による種類も豊富で、普段使いのマグカップや茶碗などにも人気があります。


嬉野市(うれしのし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

佐賀県嬉野市 歓声が聞こえる嬉野市 -お茶と温泉のまち、佐賀のほっとスポットうれしの  人口24,912人

嬉野温泉をイメージしたもので、ひらがな表記「ゆ」のナンバープレートです。2013年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。また、2021年にはアニメ作品「ゾンビランドサガ」のオリジナルナンバーも交付されており、同作品の主要キャラが足湯でまったりしている様子が描かれています。こちらのナンバーも50cc以下のミニバイクが対象で、200枚が交付されています。

嬉野市は佐賀県の南西部にある市です。2006年に嬉野町と塩田町が合併してできた市で、県内9番目の市となっています。市域全体を300~800mほどの山に囲まれた盆地のまちで、嬉野温泉や塩田津(しおたつ)の古い町並み、嬉野茶の生産などで知られています。産業は商工業のバランスが取れており、農林業や宿泊・サービス業などが比率としては大きいです。3世紀頃とされる三韓征伐の帰途に神功皇后(天皇14代。各地の八幡宮で祀られる誉田別命の母)が立ち寄り、鶴が湯浴みをして傷を癒やした様子を見て「あなうれしや」と言ったことから「嬉野」になったと言われています(人物の部分は諸説あり)。緑茶、紅茶、温泉豆腐やきゅうりなどを特産品としています。

嬉野温泉は嬉野市嬉野町にある温泉地です。県内では武雄温泉と並ぶ二大温泉地で、塩田川沿いに50軒ほどのホテルや温泉宿が出ています。泉質はナトリウムを含む重曹泉(弱アルカリ性)であり、入浴後にツルツル感があることから「日本三大美肌の湯」のうちの一つとなっています。また、この温泉水を使った湯豆腐を「嬉野温泉湯どうふ」といい、温泉水に含まれる重曹によって豆腐がとろとろになります。また、嬉野温泉南側に九州忍者保存協会の本拠施設で「肥前夢街道」というテーマパークがあり、忍者服のレンタルやアスレチック、手裏剣打ちの体験や忍者ショーなどを行っています。

塩田津は嬉野市塩田町にある街区で、重伝建に指定されています。もともと江戸時代初期に長崎街道の塩田宿として整備されたもので、当時の地割りや水路が残っています。「居蔵屋」と呼ばれる大型の白漆喰の大型町家が特徴で、国の重要文化財 西岡家住宅のほかいくつかの旧家が残ります。また町の各所に当地の石で造られた石像が見られ、どれも重厚な雰囲気があります。

轟の滝は嬉野市嬉野町にある塩田川の滝です。嬉野温泉の温泉街から1kmほどのところにあり、山間ではなく平坦部にある珍しい滝です。平坦部の滝ということで高さは11mくらいと低く、水墨画の滝のような様とはかけ離れていますが、滝壺は2,500㎡ほどあり流量は立派です。周辺が轟の滝公園として整備されており桜の名所とされるほか、近くに嬉野茶交流館「チャオシル」という嬉野茶の広報施設(入館無料で茶の歴史や製造工程など資料を展示、喫茶コーナーや体験コーナーもあり)があります。


白石町(しろいしちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

佐賀県杵島郡白石町 人と大地が うるおい 輝く 豊穣のまち 人口21,138人

白石平野、有明海、杵島山とPRキャラクター「しろいしみのりちゃん」が描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下、ミニカー・小型特殊車両を対象に交付されています(ミニバイクとミニカーは従来様式と選択可、小型特殊はご当地ナンバーのみ)。

白石町は佐賀県の中南部にある町で、杵島郡に属しています。2005年に旧白石町、福富町、有明町が合併して新白石町としています。町域東部から南部にかけて広く有明海に面し、干潟や干拓地で知られています。概ね土壌は粘土質で農業好適地となっており、農業や海苔養殖が盛んに行われています。「ゆといもち」と呼ばれる餅を噛まずに飲み込む風習が残っている(保存会の会員のみ、危険なので一般の参加は不可)ほか、県内のレンコン生産のほとんどを占める名産地でもあります。

肥前犬山城展望台は白石町堤にある展望台です。白石平野の西部に連なる杵島山の犬山岳(標高342m)にあり、城の天守を模した展望台になっています(史跡ではない)。この杵島山は「歌垣」という古代歌を掛け合う集会(老若男女の娯楽や求愛の場であった)が催されていたことで知られているため、周辺は歌垣公園という公園になっており、八重桜やツツジの名所とされています。

道の駅 しろいしは、白石町福富下分にある県道36号の中規模の道の駅です。地場産品を売る「もんごもんご市場」、レストラン、レンタル自転車、加工場などで構成されています。また、隣に「いちごの駅(岸川農園)」という観光農園があり、シーズンにはいちご狩りを行っています。

縫ノ池(ぬいのいけ)は白石町湯崎にある池です。湧水による池で、「金妙水」と呼ばれる湧き水が汲めるようになっています。この池は800年以上当地にあり、住民に親しまれてきた池ですが、1958年に干上がってしまい無くなってしまいました。その後40年以上経た2001年に再び湧出し、水をたたえるようになったといいます。この池の北側に須古城跡、杵島城跡が残っています。


基山町(きやまちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

佐賀県三養基郡基山町 ~集い ふれあい 助け合い~「みんなで創る 人と自然が輝くまち きやま」 人口17,363人

隣接する鳥栖市のものと同じデザインです。基山町イメージキャラクター「きやまん」と鳥栖市イメージキャラクター「とっとちゃん」、「なかよく まちづくり」の文字が描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています(従来様式と選択性)。

基山町は佐賀県の東端にある町で、三養基郡(みやきぐん)に属しています。同町は佐賀県にありますが、福岡都市圏の一角であり福岡市や久留米市のベッドタウンにもなっています。また、九州自動車道と長崎自動車道が通り隣接する鳥栖市とともに九州の自動車交通の要でもあります。おおむね町域の西側は脊振山地(せふりさんち)及び丘陵地帯で、東側の平地に市街を成しています。宝満川の支流がいくつか流れるため水利に恵まれており、戦前までは農業のまちでしたが、戦後には交通の便を活かして工場の誘致をすすめました。現在では第三次産業及び製造業が主要な産業となっています。2014年の日本創成会議において、2010-2040年の若年女性の変化率が-62.1%と推計されたため消滅可能性都市の指摘をされていますが、現在はやや持ち直しているようです。茶・みかん・ぶどう・ハム・エミューの肉や羽根(縁起物とされる)・酒などを特産品としています・

大興善寺は基山町大字園部にある天台宗の寺院です。寺伝によれば、聖武天皇の勅願により717年に行基によって創建されたものとされています。ヒラドツツジを主としてツツジ5万株が植栽されており、春には「つつじ寺」として親しまれる寺院で、木造の広目天・多聞天立像2躯が重要文化財(旧国宝)に指定されています。また、モミジも多いため秋には紅葉の名所となります。

基肄城(きいじょう/きいのき)は福岡県筑紫野市と基山町にまたがる古代山城です。665年、白村江の戦いで敗れた大和朝廷が太宰府の南の守りとして築いたものとされています。当時は長さ4kmにもわたる土塁や石積みがあったようですが、現在は多くが流失しています。このほか水門や通水溝などの遺構が残っており、学術的な価値が高い史跡です。また、史跡の中部は史跡巡りができるよう歩道が整備されています。

基山ラジウム温泉は基山町小倉にある入浴施設です。一般の銭湯にかなり近いレトロかつ小さな施設で、お湯は単純放射能泉で無色透明無臭、温度はぬるめです。関節痛や筋肉痛に効能が高いといわれています。

本福寺(基山町)は基山町宮浦にある真言宗系(光明念佛身語聖宗)の寺院です。前述の基肄城は894年の遣唐使の廃止の後、軍事的な意味合いが薄れ仏教の修行場となっていきました。同寺院はいわゆる観光寺として知られていて、写経や座禅(阿字観)、茶道や生花、滝行といった豊富なお寺体験とお寺カフェがあります。また、同寺院に向かう道路の脇に当地の特産品の一つであるエミューが飼育されている飼育園があります。これは観光施設ではないですが、国内での飼育は珍しいエミューが見られます。


鳥栖市(とすし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

佐賀県鳥栖市 住みたくなるまち 鳥栖 -“鳥栖スタイルの確立”- 人口74,229人

隣接する基山町と同じデザインです。基山町イメージキャラクター「きやまん」と鳥栖市イメージキャラクター「とっとちゃん」、「なかよく まちづくり」の文字が描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています(従来様式と選択性)。また、2021年からはアニメ「ゾンビランドサガ」のオリジナルプレートも交付されており、こちらは同アニメの主要キャラクターが駅前不動産スタジアムで観戦している様子が描かれています(ミニバイク50cc以下が対象で400枚の交付)。

鳥栖市は佐賀県の東端にある市です。県内3位の規模を誇る自治体で、九州縦貫自動車道、国道3号など南北の交通軸と九州横断自動車道、国道34号など東西の交通軸が交わる交通の要衝にあります。歴史は古く、ヤマト王権時代(2~3世紀頃)には「鳥巣」と呼ばれており、これが現在の地名「鳥栖」になったとされています。現在の鳥栖市は製造業を主な産業としていて、化学工業や食品の加工を得意としています。福岡都市圏との近さや企業立地などを背景に人口が増加していますが現在は鈍化しており、令和12年くらいから減少傾向に転じると推計されています。

駅前不動産スタジアム(略称:駅スタ)は鳥栖市京町にある球技場です。もともとJR鳥栖駅構内にあった機関区や操車場跡に1996年に造られたもので、サッカー・ラグビー・グランドゴルフ等に利用されています。特にサッカーが有名で、当地のサッカークラブ サガン鳥栖のホームグラウンドとなっています。

中冨記念くすり博物館は鳥栖市神辺町にある歴史民俗博物館です。「田代売薬」といって、18世紀中頃には薬売りが当地の産業となっていたようです。当地に本拠をおく製薬会社 久光製薬もこの田代売薬の係累であり、同博物館は久光製薬の創業145周年を記念して建造されたものです。現代の薬と昔の薬に関する展示を行っているほか、年間を通じ350種の薬草がみられる薬草園が併設されています(大人300円、高・大生200円、小・中生100円)。

御手水の滝(おちょうずのたき)は鳥栖市立石町の九千部山南麓にある滝です。高さ22m、幅6mあり、名称は室町時代から霊場として知られ、修験者がこの滝で手を洗い身を清めたという伝説によります。周辺に遊歩道やキャンプ場、無料の河川プールなどが整備されていて、夏場は涼を求めて多くのファミリーが利用しています。

朝日山公園はJR九州新鳥栖駅の南西側にある公園です。高さ133mほどの朝日山城跡(肥前国、14世紀頃の山城)の城郭一帯が公園として整備されたもので、芝生広場や遊具、あずまやなどがあります。当地の桜の名所として知られるほか、サガン鳥栖が階段トレーニングで利用している290段の階段があります。


神埼市(かんざきし)

神埼市ホームページより

佐賀県神埼市 自然と歴史と人が輝く未来都市 人口30,884人

日の隈山と川、七色の虹を背景に吉野ケ里遺跡のやぐらやハンギー(木製のたらい)にのったPRキャラクター「くねんワン・くねんニャン」が描かれています。合併10周年記念の2016年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

神埼市は佐賀県東部にある市です。2006年に神崎町・千代田町・脊振村が合併して発足したもので、佐賀県10番目の市となっています。市域は南北に長く、北部は脊振山(標高1055m)を中心とした山地、南部が佐賀平野で南に行くほど標高が下がります。神埼市と東側で隣接する吉野ヶ里町にまたがる特別史跡 吉野ヶ里遺跡が有名です。小売・卸売業など第三次産業を主要な産業としています。また市域の1/4程度が耕地で、米・菱の実と菱焼酎・そうめん・アスパラガスなどを特産品としています。

吉野ヶ里遺跡は、神埼市と吉野ヶ里町にまたがって存在する弥生時代の大規模な環濠集落(周囲に堀を巡らせた集落)です。およそ117haの広さにわたる遺跡であり、ガラス製の管玉や銅剣、銅鏡、鉄器などが多数出土している遺跡で、1970年代に一部が破壊されましたが(当時はもっと小さい遺跡だと考えられていた)、現在は田手川東岸と西岸に吉野ヶ里歴史公園が整備され環濠・高床倉庫・竪穴建物・物見櫓などが復元されています。

九年庵(国の名勝)は神埼市神崎町にある邸宅及び日本庭園です。1892年に佐賀県佐賀市出身の実業家 伊丹弥太郎が別邸として築いたもので、9年の歳月をかけて完成したことから「九年庵」と称します。現在は佐賀県が管理運営しており、春と秋に期日を設けて公開されています。佐賀県を代表する紅葉の名所とされています。

水車の里遊学館は神埼市神崎町にある水車に関する資料館・観光施設です。明治30年代の同地区にはおよそ60台の水車があったそうで、現在水車5基と水車小屋2棟が復元されています(実際に製粉・精米が可能)。また、近場の観光スポットを紹介する観光案内所の役割があります。

佐賀のエッフェル塔は神崎市神崎町の県道48号沿いにあります。近くの板金塗装会社の社長が20代の頃に訪れたパリのエッフェル塔の景観に惚れ込んで、5年の歳月をかけて建造したものです(ただし高さは22m)。テレビなどで紹介されたため、当地のB級観光スポットになっています。


江北町(こうほくまち)

江北町ホームページより

佐賀県杵島郡江北町 子や孫に誇れる郷土 江北 人口9,575人

PRキャラクターのビッキーファミリーと稲穂が描かれています。2019年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されていましたが、2022年に追加でミニカー用の水色ナンバーが交付されています(画像はミニカー用)。

江北町は佐賀県の中央部にある町です。かつては長崎街道の宿場町、戦後は石炭の町として栄えた歴史を有する地域で、現在は国道34号と207号、JR九州の佐世保線と長崎本線が分岐するあたりで交通の要衝として栄えています。町域の40%が耕地であり全般に田んぼが目立ちますが、町の北部に工業団地を有し、食品加工(切り餅)や電子部品・デバイスなどの製造業を得意としています。全国的に人口減少が続いているなか人口に大きな増減はなく近年はほぼ横ばいとなっています。米・餅・レンコン・佐賀牛・いちごなどを特産品としています。2022年に当地の中心駅の名称が「肥前山口駅」から「江北駅」に変わっています。

白木パノラマ孔園は江北町山口にある公園です。白石平野と有明海を見渡す高台にあり、アスレチックやターザンロープなどの遊具のほか、キャンプ場が併設されています。無料駐車場があり、有料キャンプ場としては料金が安め(デイ300円、宿泊600円、町内は半額)ということもあり、町内・町外問わず憩いの場として利用されています。近くに白木聖廟という孔子廟があり、1700年頃に日本に渡ったとされる孔子像が祀られています(年に一回、4月に行われる祭りで公開されている)。

花祭いちごの谷は江北町山口にある観光農園です。おおむね1月から5月にかけていちご狩りを行っていて、「いちごさん」(果肉が赤いまだ新しい品種)、「さがほのか」「よつぼし」といった品種のいちごが食べられます。このあたりは田園風景が広がるのどかな地域で、近くに約20万本の彼岸花が群生している場所があり、9月下旬に彼岸花祭りが行われています。

カンカン石は江北町惣領分の国道207号沿いにある石です。讃岐岩(サヌカイト)という岩石で、名称通り香川県坂出市周辺や、大阪~奈良間にある二上山あたりで採れる安山岩です。非常に固く、叩くとカンカンと音がするのでこのように呼ばれます。当地のものは江北町がかつて長崎街道の宿場であった頃、旅人が訪れる名所であったそうです。


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福岡県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

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新宮町(しんぐうまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県糟屋郡新宮町 人が輝き 快適に暮らせる 元気なまち 新宮 人口33,317人

合併60周年記念のロゴマークと立花山・みかん・町営渡船「しんぐう」(右側)、めがね岩(左側)が描かれています。新宮町・立花村の合併60週年記念事業の一環として制作されたもので、2015年に50cc以下200枚が交付されています。

新宮町は福岡県北西部にある町で、糟屋郡(かすやぐん)に属しています。福岡市の北東側に隣接し、東部は立花山(標高367.1m)をはじめとする山地で、西に行くほど標高が下がります。また、西部で玄界灘に面し、相島という面積1.25k㎡ほどの有人島を有しています。現在は福岡市のベッドタウンとして発達していますが、1990年代までは人口増加は緩やかでした。2010年代に駅周辺やNTT社宅跡地など大規模な開発を受け、2010年-2015年で人口増加率22.9%を記録しています。小売業・卸売業や運輸といった第三次産業を主要な産業としていて、国道3号沿いや駅周辺にカインズ、IKEA、ニトリなど大型の郊外型店舗が多く立地しているほか、うどん店の激戦区でもあります。

立花山は福岡市東区・久山町・新宮町にまたがる山です。「筑前名山」と呼ばれる山々の一つで、市街地に近くそれほど険しくないことから、南にある三日月山と同様にハイキングコースとして親しまれています。山頂には1330年に立花氏(大友氏6代大友貞宗の3男、大友貞載を祖とする)が築いた立花山城の石垣が残っています。クスノキの原生林があることで知られる山で、国の特別天然記念物に指定されており巨木が多く見られます。

https://youtu.be/3c2kg9JqJcA

横大路家住宅(国の重要文化財)は新宮町上府にある旧家です。17世紀半ばに建造されたという茅ぶき屋根の曲家で、九州では最も古い民家とされています。805年に唐での留学を終えた最澄(天台宗の開祖)が当地に上陸し、法火と毘沙門天像を授けたとされており、これらを長い間守り続けたことから通称を「千年家」といいます。

相島(あいのしま/あいしま)は新宮海岸から約8kmほど沖合にある有人島です。周囲8kmほどの島で、海岸の一部には海食崖が見られます。新宮漁港から町営の渡船「しんぐう」が出ており、約20分ほどで渡ることができます。この途中で鼻栗瀬(通称:めがね岩)と呼ばれる真ん中にポッカリ穴が空いた高さ20mほどの玄武岩が海上に立つ様子が見えます。また、同島は同じく福岡県にある藍島(こちらも「あいのしま」と読む)と同様「猫の島」(海外テレビで「世界6大猫スポット」として紹介された)として知られていて、猫好きが訪れる観光スポットでもあります。


嘉麻市(かまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県嘉麻市 -母なる遠賀川源流の恵みに満ちたふれあいと安心のまちー遠賀川ハートフル嘉麻の里の創造 人口33,722人

プレート上部に嘉穂三山(馬見山、屏山、古処山をいう。嘉穂アルプスとも)、右側にPRキャラクターの「かまししちゃん」と特産のりんごが描かれています。2016年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

嘉麻市は福岡県中部、筑豊地方の南部にある市で、2006年に旧山田市、稲築町、碓井町、嘉穂町の1市3町が合併してできたものです。歴史的には戦国時代後期までは秋月氏の支配を受け、その後秋月藩(福岡藩の支藩)ができると黒田氏の所領となっています。他の地区法地域と同じく明治から昭和前期まで石炭産業で大いに栄えたため、いくつかの炭鉱の遺構が残っています。現在は製造業を主要な産業としていますが、市域の72%程度が山林や耕作地で、比較的に農林業と畜産が盛んな土地柄です。牛肉・牛乳・いちご・ぶどう・りんご・梨などを特産品としています。

道の駅 うすいは嘉麻市上臼井の福岡県道90号穂波嘉穂線沿いにある中型の道の駅です。国道に面しているわけでもなく、登録日も2005年と道の駅としては古い部類ですが、レストラン・菓子屋・パン屋・たこ焼き屋など一通りそろった施設になっています。当地は内陸部なのですが、鮮魚の品揃えが良いようです。周辺に当地出身の画家 織田廣喜(おだ ひろき)の作品を展示する織田廣喜美術館があります。

嘉麻市梅林公園は嘉麻市下山田の安国寺の裏山にある公園です。400本ほどの梅が植栽されていて、鹿児島紅梅・豊後梅・南高梅・林州梅・信濃小梅・信濃大梅・鶯宿梅といった多様な梅が見られます。花期の早春には接待所が出てお茶がふるまわれたり、甘酒や梅もち、梅干しなどが販売されています。

九州りんご村は嘉麻市の南部の馬見山中腹あたりをいいます。当地の農家が減農薬栽培で果樹(梨・りんご)を育てている地域で、りんご狩りを行っている果樹園もあります。カフェや菓子屋も出ていて、当地のちょっとした名所といったところです。


赤村(あかむら)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県田川郡赤村 英彦山の清流と緑豊かな山々に囲まれた村 DO YOU 農? 緑と清流とほたるの里 人口2,627人

夕日を背景に森の主「源じいさん」が運転するトロッコ列車が描かれています。2016年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

赤村は福岡県東部筑豊地域にある村で、田川郡に属しています。福岡市から東40km、北九州市から南30kmほどのところにある村で、英彦山(1,199m)付近を源流とする今川(2級河川)流域や山間部を村域としています。1960年まで筑豊炭田からの石炭積み出しを行った田川線(現:平成筑豊鉄道田川線)が走り、この鉄道は九州最古の鉄道トンネルなど貴重な構造物を有しています。産業は農業が主体ですが、観光鉄道のトロッコ列車や岩石山(=がんじゃくやま、古来からの修験者の修行場で奇岩が多いことで知られる)への登山口であるため、第三次産業も主要な産業となっています。また、春と秋に「DO YOU 農?」という農村体験が行われているほか、ホタルの生息地としても知られています。

源じいの森は赤村赤の平成筑豊鉄道田川線源じいの森駅周辺をいいます。宿泊・研修施設・レストランが入る「ほたる館」にキャンプ場と温泉入浴施設が併設されています(泉質はアルカリ性単純泉)。

赤村のトロッコ列車「赤村トロッコ油須原線」は、炭坑用に建設が開始されたものの、石炭需要の低下により開業することの無かった幻の鉄路を復元したものです。現在は観光鉄道として冬季を除く日曜日に月1回程度運行しています。炭坑時代の面影や赤村に残る大自然を満喫できます


広川町(ひろかわまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県八女郡広川町 古から受け継がれる文化と 豊かな環境が心を癒すまち いまこそ集い 未来へつなごう 人と笑顔とふれあいのまち 広川 人口19,339人

広川町商工会青年部のまちおこしキャラクター「広川まち子ちゃん」が描かれています。また、下側藍色のラインの内側に60周年記念を祝う文言が英語で入っています。2017年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

広川町は福岡県南部にある町で、八女郡(やめぐん)に属しています。同じ書き文字で「広川町」は和歌山県有田郡にも存在しますが、そちらは「ひろがわちょう」と読みます。福岡県と佐賀県にまたがる広大な筑後平野の東端部にあたり、町の東部は山地、西部に国道3号と九州自動車道が南北に走るため西側に市街が集中しています。主要な産業は製造業で、広川中核工業団地や広川IC近くに久留米・広川新産業団地を有しています。また、交通の要衝ということもあり運輸業も多いです。そのほか、町域のおおむね2割弱が耕地でいちご・梨・ぶどう・八女茶やガーベラや電照菊など花卉が生産されています。

太原のイチョウ(たいばるのいちょう)は広川町久泉にあるイチョウ林(いわゆる「イチョウ並木」ではない)です。ぶどう園の周辺に100本ほどのイチョウがあり、県内では非常に有名な紅葉スポットとなっています。当該地区は私有地ということですが、所有者が好意で開放しています。紅葉というとモミジの赤い色合いが思い浮かぶと思いますが、あたりを黄金色に染めるイチョウの紅葉もなかなかのものです。

広川町古墳公園資料館(こふんピア広川)は広川町一條の広川町古墳公園内にある石人山古墳と弘化谷古墳についての資料・遺物を展示、解説する資料館です。この石人山古墳には石人(武装した凝灰岩製の石像)や石棺があります。古くから知られていたようで「石人を撫でると体の痛みがとれる」とされ、長らく撫でたり打ったりされてきたために石人の表情や上半身の装飾などが不鮮明になっています。

逆瀬ゴットン館は広川町水原にある施設です。1995年に「水車と青石垣の里」としてオープンしたもので、直径7mの水車がゆったりと回っています。現在はつき臼4基、挽き臼1基が稼働しておりそばや米をついています。また、この水車で挽いたそばが食べられるそば屋が併設されています。


北九州市(きたきゅうしゅうし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県北九州市 みらい つなぐ 北九州 人口922,762人

市の花のひまわりと環境マスコットキャラクターの「ていたん&ブラックていたん」が描かれています。2018年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

北九州市は福岡県北部にある市です。本州の下関まで約650mまで迫る九州の入り口であり、約93万人が住む九州第2位の規模を誇る市です。歴史的には九州の玄関口として栄えた背景があり、かつては「四大工業地帯」と呼ばれた北九州工業地帯の中核地域です(現在はシェア・出荷額の低下により外れている)。1901年に設置された官営八幡製鉄所を皮切りに製鉄・造船・重化学工業など重厚長大の工業が発達しましたが、同時に公害と長らく戦ってきた歴史をもちます。現在の北九州市は第3次産業が主体の商業都市ですが、いまもなお製造業が比率としては大きな割合を占めます。また、藍島・馬島・白島(男島・女島の両島をいう)などの有人島を有しています。

小倉城(勝山城、続・日本百名城181番)は北九州市小倉北区にある城跡です。1569年に毛利氏によって築かれたもので、その後の江戸時代前期に初代小倉藩主になった細川忠興によって大規模な改修を受けています。現在は復興された天守や庭園に松本清張記念館などがあり、隣接する勝山公園(桜の名所とされるほか図書館がある)ともども市のシンボルとして親しまれています。

旦過市場(たんがいちば)は前述小倉城の東側にある市場です。「北九州の台所」とも呼ばれるほどの大規模な市場で、青果・鮮魚・惣菜・精肉店など200店舗以上が集積しています。もともと大正期に神嶽川(かんたけがわ)の魚の荷揚げ場として成立したもので、昭和30年ごろの木造建築が多く見られます。

門司港レトロは北九州市門司区にある観光スポットです。1995年にオープンしたもので、かつて横浜・神戸と並び国際貿易港として栄えた門司港の周辺を大正時代調に整備したものです。また、実際にJR門司港駅(1914年築、国の重要文化財)や北九州市旧大阪商船(国の登録有形文化財)などが残っています。また、九州鉄道記念館や関門海峡ミュージアムといった文化施設があります。

河内藤園(かわちふじえん)は北九州市八幡東区にある私営の植物園です。春の藤の時期と秋の紅葉期にのみ営業している植物園で、3,000坪の敷地を有し110mの藤のトンネル、藤のドームなどがあります。以前は「多くの観光客が来ると藤を痛める」ということでCMなどは行っておらず知る人ぞ知る名所でしたが、2012年に海外インターネットサイトで「実在する世界の美しい場所10」「世界の絶景10」として紹介され、一躍有名になりました。全22種の藤を有し樹齢100年を越えるものもあるなど、大変貴重な場所です。

藍島(あいのしま)は北九州市小倉北区の北西12kmほどのところに浮かぶ有人島です。小倉北区3丁目にある小倉渡場から小倉航路という市営の渡船(こくら丸、小倉-藍島-馬島)が出ています。主に漁業を中心産業とする島で、ウニやアワビ、サザエなどが水揚げされているほか、多くの地域猫が暮らす「猫の島」としても有名で猫好きや釣り客が訪れる島です。


福津市(ふくつし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県福津市 人を、明日を、誇るまち。福津。 人口68,473人

2017年にユネスコ世界遺産登録された「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産のPRのためのもので、構成遺産である新原・奴山(しんばる・ぬやま)古墳群とPRキャラクターの「ふんちゃん」、「オーロ君」という馬が引く馬車が描かれています。2018年からミニバイク50ccを対象に交付されています。

福津市は福岡県北部の宗像地域にある市です。およそ北九州市と福岡市の中間に位置し、東に山地、西側を玄界灘に挟まれた恰好になっています。もともと1961年に八幡製鐵(現:日本製鉄)の社員団地が建造されて以来、高度経済成長期にベッドタウンとして規模を拡大してきました。2000年あたりに人口減少に一度転じていますが、2012年頃から再び人口が増加傾向を示しています。海岸線に福間海岸や海水浴場を有し、「九州の湘南」といわれるほどの風光明媚な土地柄です。卸売・小売業や運輸、宿泊・飲食サービスなど第三次産業を主要な産業とする一方で、農林業や漁業も行われています。あんずやミニトマトを特産品としています。

宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)は福津市宮司元町にある神社です。およそ1700年前に神功皇后が朝鮮半島に渡る際に当地に祭壇を設け、船旅の安全を祈願したことが始まりとされる神社です。一年に2回、参道の男坂と夕日がまっすぐに並ぶ様子を「光の道」といい、2016年に放送された日本航空のCMで大変有名になりました。現在も光の道が現れる2月下旬・10月下旬に「夕日のまつり」が開催され、年間200万以上の参拝客が訪れています。また、境内に移築した古民家群や菖蒲園を有しています。

新原・奴山古墳群(国の史跡)は福津市奴山にある5世紀後半~6世紀後半の古墳群です。東西800mほどの丘陵地に前方後円墳5基、方墳1基、円墳41基が現存しています(田圃開発によって18基が失われたことが確認されている)。古代の海洋豪族 宗像氏の関係者が埋葬されていると考えられています。観光地としては開発されておらず、だだっ広い丘という様相ですが、菜の花・ひまわり・コスモスなどが植栽されており、当地の花の名所として親しまれています。

大峰山自然公園(東郷公園ともいう)は福津市渡(わたり)にある展望公園です。玄界灘にせり出した渡半島にあり、晴れた日には沖ノ島・小呂島・壱岐の島などの島々を見渡すことができます。また、対馬沖で行われた日本海海戦(1905年、大日本帝国海軍連合軍-ロシア帝国海軍)の記念碑と、戦艦三笠(大日本帝国海軍連合軍の旗艦であった)の砲弾、主砲先端がある東郷神社があります。自然公園北側には恋の浦海岸(県の天然記念物)という海岸があり、動植物の化石が多く埋まっていることで知られています。


糸島市(いとしまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県糸島市 古代都市「伊都国」 人も元気 まちも元気 新鮮都市いとしま 人口98,877人

(左から)市花のハマボウ、桜井二見ケ浦の夫婦岩、国宝の内行花文鏡とPRキャラクター「いとゴン」が描かれています。2015年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

糸島市は福岡県西部にある市です。2006年に前原市、二丈町、志摩町が合併して発足した市で、福岡市の西側、佐賀市の北側に隣接します。北部は玄界灘に突き出た糸島半島、南部は佐賀県との県境となる脊振山地の山塊となっています。2つの県庁所在地に隣接することから住宅地や商業地が開発されており、緩やかに人口増加を続けています。「魏志倭人伝」に登場する「伊都国(いとのくに)」があった場所と考えられており、「万葉集」や「和名抄」に怡土郡(いとぐん)として登場するなど古墳が多い地域です。現在の主要な産業は第三次産業になっていますが、比較的に漁業が盛んで、志摩テクノパークという工業団地も有しています。牡蠣、牛肉・豚肉・鶏肉・卵や生乳といった畜産物、あまおうなどを特産品としています。また、有人島の姫島(人口147人)を有し、市営渡船で連絡しています。

桜井二見ヶ浦の夫婦岩(筑前二見ヶ浦とも)は糸島市志摩の福岡市との境あたりにあるもので、海岸から150mほど離れた位置に高さ11~12mほどの夫婦岩が立っています。これらは当地の櫻井神社の社地であり、イザナギとイザナミを祀るものとされています。三重県伊勢の二見ヶ浦が「朝日の二見ヶ浦」と呼ばれるのに対し、こちらは「夕日の二見ヶ浦」として知られおり、夏至頃になると夫婦岩の間に夕日が沈む光景がみられ、絶景と評されています。

白糸の滝(糸島市)は羽金山の中腹にある滝です。全国にある同名の滝と同じく岩肌を白い糸のように流れる繊細な滝で幅12m、高さ24mあります。周辺には約10万株のあじさいが植栽されており、駐車場・レストラン・トイレなどが整備されているほか、5月~9月にはヤマメ釣りやそうめん流しが行われています。

雷山千如寺大悲王院(せんにょじだいひおういん)は糸島市雷山にある真言宗大覚寺派の寺院です。この寺が建つ雷山(らいざん、標高954.5m)は古来より雷神が鎮座する山と考えられ、最盛期には300もの僧坊が建っていたそうです。同寺は樹齢400年の大楓(県の天然記念物)で知られ、木造千手観音立像と木造清賀上人坐像(ともに国の重要文化財)を有しています。

芥屋海水浴場は糸島市芥屋(けや)にある砂浜です。水の透明度が高く「快水浴場100選」に選ばれているほか、近くに芥屋の大門(けやのおおと、国の天然記念物)と呼ばれる日本最大の玄武岩洞があり、遊覧船も出ています。また、近年では芥屋の大門公園内の遊覧船乗り場北側にある小道の続く樹林地が「糸島トトロの森」と呼ばれて人気が出ています。

伊都国歴史博物館は糸島市井原にある博物館です。市内の平原遺跡をはじめとする8つの遺跡から発掘された出土品を展示しています。平原遺跡の出土品のうち銅鏡40、内行花文鏡2、玉や鉄鍬などは国宝に指定されており、とりわけ直径46.5cmの大型の内行花文鏡が有名で、三種の神器の一つ、八咫鏡(伊勢神宮内宮に奉安されている)との関連性が指摘されています。


岡垣町(おかがきまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県遠賀郡岡垣町 住みたい・住み続けたい みんなが輝く 元気なまち 岡垣 人口30,865人

プレート右側に三里松原の海岸と特産品のびわをモチーフにしたイメージキャラクター「びわりんとびわすけ」やフルーツ、ウミガメが描かれています。2014年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

岡垣町は福岡県北部にある町で、遠賀郡(おんがぐん)に属しています。北九州地域を構成する自治体の一つで、北九州市小倉地区に30km、福岡市に40kmと比較的近い位置にあるため両市のベッドタウンとして開発が進み、昭和初期から平成にかけて人口増加を続けて発展してきましたが、現在は減少傾向に転じています。卸売・小売業など第三次産業を主要な産業としているほか果樹の栽培が盛んで、とくにびわ(「高倉びわ」という)の生産量では県下1位を誇ります。町内の水道の85%ほどを天然の地下水で補っていることが自慢です。

三里松原は岡垣町と隣接する芦屋町にまたがる海岸線にある松原で、玄海国定公園内にあります。全長6km、幅は最大で1.3km(430ha)に及ぶ広大な松原で、江戸時代前期から砂や塩から農作物を守るために植樹が続けられてきたと考えられています。砂浜にはアカウミガメが産卵に訪れることがあるほか、ハマグリの生息地(現在ハマグリが住む海岸は減少しつつあり、流通する3/4ほどがチョウセンハマグリ)でもあります。

ゆうれい坂は岡垣町内浦にある成田山不動寺の桜並木の間にある坂です。全国各地にある同名ないし「お化け坂」などといわれるものの一つで、実際は上り坂ですが奥に急勾配の上り坂があるため、目の錯覚により下り坂のように見えるという現象が起きます。

波津港は岡垣市波津にある漁港です。いわゆる「観光漁港」というものではないのですが、キス、チヌ、メバルなど豊富な魚種が釣れ、足場も良いため宗像地域では人気の釣りスポットとなっています。波津海水浴場に隣接しており、フェミリー向けの釣りスポットとして利用されることが多いです。


みやこ町(みやこまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県京都郡みやこ町 交流と連携により ともに夢を描く 共生・協働のまち 京都地域の明るい未来を目指して 人口17,869人

桃色の丘を背景にPRキャラクターの「みやっこ君」と町花のサクラ(右側)が描かれています。2013年からミニバイク50cc以下を対象に2,000枚が交付されています。

みやこ町は福岡県北東部にある町で、京都郡(みやこぐん)に属しています。2006年に豊津町・犀川町・勝山町が合併したもので、北は北九州市小倉南区、南は大分県と接する南北に細長い町域を有しています。およそ京都平野と呼ばれる平野部と山地で構成されており、筑豊地域(福岡県の中央部)と京都地域を結ぶ峠が2つあるため、交通の要衝となっています。製造業を主要な産業とするほか、平野部では農業が盛んに行われており、勝山米やたけのこを特産品としています。律令時代の豊前国の国府ならびに国分寺・国分尼寺があった地域とされています。

豊前国分寺三重塔はみやこ町国分にある三重塔です。律令時代に全国の国府に建設された国立寺院のシンボルであり、このような三重塔は現在日本に13塔が残ります。当地のものは戦国時代に戦火によって失われ、現在建っているのは明治29年に再建されたものです。高さ23.5mと三重塔としては奈良法起寺に次ぐ高さを誇る大きな塔で、外壁面には12星座が彫刻されています。

みやこ町国府跡公園はみやこ町国作(こくさく)にある公園です。奈良時代に置かれた国の役所跡を歴史公園としたもので、遊具のほかに復元した講堂基壇跡(僧侶が行事を行ったり、経典を講義するための場所の基となる部分)があります。また、周辺にみやこ町国分の郷という農産物直売所があり、地場産品を販売しています。

よってこ四季犀館はみやこ町犀川生立(さいがわおいたつ)にある農産物直売所です。四季折々の果実、野菜(赤村と旧犀川町柳瀬でとれる柳瀬ごぼうが有名)、高冷地米のほかイノシシ肉や鹿肉といったジビエの加工品(レトルトカレーなど)を販売しています。


宗像市(むなかたし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県宗像市 海・山・川に育まれ、教育・文化と歴史がいきるコミュニティのまち宗像 人口97,079人

プレート上部に水平線と沖ノ島、右下側に宗像大社の屋根が描かれています。2013年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

宗像市は福岡県北部宗像地域にある市です。おおむね福岡市と北九州市の中間に位置し、交通アクセスが良いため両市のベッドタウンとして発展してきた地域です。古代には宗像氏という海洋豪族が統治した地域で、朝鮮半島や中国との貿易で栄えたといいます。また、九州本土から60kmほど離れた沖ノ島(ユネスコ世界文化遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産の構成要素の一つ)、2005年に編入した大島といった島嶼部を有します。おおむね卸売・小売業など第三次産業を主要な産業としていますが、釣川(二級河川、藁人形が河童に変じたという伝説があり、「まんが日本昔ばなし」で紹介された)周辺では農業が盛んに行われています。

宗像大社は宗像市にある宗像三女神(『古事記』や『日本書紀』に登場する航海の安全や交通安全などを祈願する神様)を祀る神社です。沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮で構成されています(沖津宮と辺津宮は直線で49km離れている)。主に本土側にある辺津宮が知られており、周辺にレストランや海の道むなかた館(世界遺産「沖ノ島」宗像と関連遺産群のガイダンス施設)などがあります。

沖ノ島は九州本土から北北西60kmほど離れた場所に浮かぶ周囲4kmほどの島です。島全体が神領とされており女人禁制、男性でも一般人は5月27日の大祭以外は基本的に上陸が認められていません。古墳時代前期の4世紀頃からヤマト国の国家的な祭祀が行われてきたとされており、古代の祭祀跡22箇所から約8万点と大量の出土品があったため、「海の正倉院」とも呼ばれています。

道の駅 むなかたは宗像氏江口にある国道495号の道の駅です。2008年に開業したもので、駐車場500台と超大規模の施設になっており、九州の道の駅では最大の売上を誇ります(2017年時点)。物産館・レストラン・ソフトクリームやからあげなどを提供するテイクアウトの店・パン屋・観光案内所・展望デッキなどで構成されていて、「ここしかない」という施設は有していません。玄界灘の海産物や野菜など純粋に地場産品の良さで業績をあげていると考えられます。

大島(「筑前大島」とも)は宗像氏神湊港から北西6.5kmに浮かぶ有人島です。神湊港からフェリーが出ています。宗像大社中津宮や展望所、牧場、御嶽山展望台、沖津宮遥拝所、海洋体験施設うみんぐ大島(釣り用の防波堤やヨット・クルーザーなどの停泊所、釣り堀を有する)などがあります。


芦屋町(あしやまち)

芦屋町

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県遠賀郡芦屋町 魅力を活かし みんなでつくる 元気なあしや 人口12,987人

背景に洞山、右部に芦屋釜をモチーフにしたPRキャラクター「アッシー」が描かれています。2015年からミニバイク50cc以下~125cc以下、ミニカー・小型特殊車両を対象に交付されています。

芦屋町は福岡県北部にある町で、遠賀郡(おんがぐん)に属しています。一級河川 遠賀川の河口に位置し、町域の真ん中をこの川が通るため、町の東部と西部がなみかけ大橋や芦屋橋によって繋がれています。また、航空自衛隊の芦屋基地が町域の大部分を占めます。卸売・小売業など第3次産業を主要な産業とする町で、比率としては低いものの農業や漁業も行われています。2002年に過疎地域に指定されていますが、近年は北九州市若松区と隣接する遠賀川東岸で宅地開発が行われつつ、商業地区や公園なども整備されてベッドタウンの様相を強めています。一方で、交通の便が悪い西岸地区では人口減少が続いています。

芦屋海浜公園は遠賀川西岸の芦屋海水浴場に隣接する総合公園です。遊具や水泳用のプール、バーベキュー場などがある公園で、毎年砂像展が行われています。また、観光協会の建物が園内にあり、自転車のレンタルを行っています。

洞山(どうやま)は芦屋町山鹿の海岸にある島です。芦屋町山鹿の沿岸部から堂山(どうやま)>洞山と2つの島が陸続きになっていて(満潮時以外は歩いて渡れる)、全体に半島のようになっています。この洞山には高さ10m、幅12m、奥行き30mの穴がポッカリとあいており、神功皇后(14代天皇)が戦の折に必勝を祈願して矢を射ると島を貫通し、これが長年のうちに大きな穴となったとされています。また、手前の堂山に平家一門の追悼のため造られたとされる石塔群が残っています。

芦屋釜は、14世紀頃から16世紀にかけて遠賀川河口付近で造られた鋳鉄製の茶の湯の釜です。端整な形と優美な文様が特徴で、現在国の重要文化財指定されている茶の湯釜9点のうち8点が芦屋釜です。江戸時代初期に一度製作が途絶えましたが、当地に芦屋釜の復興に取り組む施設「芦屋釜の里」があり、芦屋釜復興工房、芦屋釜の資料館のほか、日本庭園や大小の茶室が設けられています(入園料大人200円、呈茶300円)


大任町(おおとうまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県田川郡大任町 花としじみの里 人口4,911人

町の中心部を流れる彦山川と桜、町花の椿と菜の花、しじみをモチーフにしたPRキャラクター「しじみの大ちゃん」が描かれています。2016年からミニバイク50cc以下と90cc以下を対象に交付されています。

大任町は福岡県中央部にある町で、田川郡に属しています。筑豊地域を構成する自治体の一つでかつては石炭の産出地として栄えていましたが、現在では過疎化が進行しています。彦山川で採れるしじみや町おこしの一環として整備されている桜並木で知られています。国道や鉄道からは離れた全体に田んぼが目立つ田園地域で、おおむね商業が主要な産業になっています。また近年、町政の場において不祥事がたびたび発生しています。

道の駅 おおとう桜街道は大任町今任原(いまとうばる)にある県道52号沿いの道の駅です。37,000㎡の敷地面積を有する大型の道の駅で、物産館、温泉入浴施設(薬石湯や直径3ミクロンの気泡の浴槽が自慢、含弱放射能-ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉)、レストランで構成されています。また、「一億円トイレ」と呼ばれる豪奢なトイレがあります。

https://youtu.be/1pGj1KmHsVE

サボテンハウスは大任町今任原にある温室・植物園です。規模は大きなものではないですが、サボテンなど多肉植物が約100種・500点ほどが展示されており、希少種を含みます(入館無料)。また、同施設の向かいが公園になっており「レインボーの滝」という人工の滝があります。

彦山川にはシジミが自生しており、同町では「しじみ育成保護条例」が制定されています。毎年10月の最終日曜日に彦山川河川敷の水辺公園で「しじみ祭り」が開催され、この日のみシジミを採ることが出来ます。


大野城市(おおのじょうし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県大野城市 歴史を受け継ぎ 未来へつなげる まどかな市 人口102,796人

市名の由来でもある大野城の石垣とPRキャラクターの「大野ジョー」、「古代の歴史息づく町」の文字、市花のキキョウが描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

大野城市は福岡県中西部にある市です。福岡市の南側に隣接し、同市のベッドタウンとして人口増加が続いています。市域は市としてはあまり大きなものではなく、南北に細長いひょうたん型で東西の幅1kmほどしかありません。近代においては県の養蚕産業の指導の中核であり、第2次世界大戦中に博多から疎開する人が増えて、博多の下町や米軍の町として大きく発展しました。現在でも第3次産業、とりわけ卸売・小売業の比率が高く商業都市の様相が強いです。

大野城(おおのじょう/おおのき、日本100名城86番)は大野城市・宇美町・太宰府市にまたがる全長約8kmに及ぶ広大な古代山城で、665年に白村江の戦いで大敗した大和朝廷が、唐・新羅連合軍の日本侵攻に備えて築いたものです。現在でも土塁や石垣、城門跡などが残り、国指定の特別史跡に指定されています。この史跡は現在残っているものとしては日本最古の山城といわれています。

大野城市心のふるさと館は大野城市曙町にある地域歴史博物館です。「歴史・こども・にぎわい」をテーマに、大野城跡の百間石垣の高さを体感できる7mのウォールクライミングや滑り台、ボールプール、昭和の暮らしコーナーといった設備があります。また、体験工房では折り紙や昔の遊びのワークショップを行っています。「ミュージアム」という括りになりますが、こどもの遊び場としての機能が充実しています(入館無料、企画展は有料)。

牛頸ダム(うしくびだむ)は市内を流れる牛頸川(2級河川)に設置された県営のダム(ロックフィルダム)です。ダム周辺に豊かな自然が残されおり、ダムを囲むように「大野城いこいの森 」(キャンプ場併設の公園)があり、夏季にはゲンジボタルの名所とされています。周辺の福岡都市圏は水資源に恵まれておらず、同ダムが水源の一つとして大きな役割を果たしています。


遠賀町(おんがちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県遠賀郡遠賀町 水と緑の町 おんが の~んびり遠賀 ~豊かな故郷をめざして~ 人口18,587人

豊かな水と緑をイメージした背景に、虹とPRキャラクターの「おんがっぴー」が描かれています。2014年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

遠賀町は福岡県北部にある町で、遠賀郡に属しています。九州北部を流れる一級河川 遠賀川の河口に近いところにあり、北九州市と福岡市の中間辺りになります。かつては「古遠賀潟」と呼ばれる内海が川の沖積により干潟となり、さらには江戸時代に盛んに埋め立てが行われたたことで、町域は肥沃な田園地帯となっています。現在でも比較的に農業が盛んではありますが、主要な産業は製造業と商業に移っています。夢れんげ(米)・ふき・いちじく・赤しそといった農産物を特産品とし、おおむね国道3号沿い沿いにあるゆめタウン遠賀(ショッピングモール)を中心に発展していますが、近年は人口増加はなくほぼ横ばいとなっています。

遠賀川温泉は遠賀町浅木にある温泉です(塩化物泉)。九州八十八湯めぐりのひとつで、遠賀川にほど近い田んぼの中に入浴施設があります。湯は赤茶色でやや鉄の臭いがするもので、鉄分・ナトリウム・マンガンなどを豊富に含んでいます。

九州北部は弥生時代に本格的な水田による稲作が始まった場所です。このとき貯蔵道具として使われていた「遠賀川式土器」も全国へと伝播します。この土器の出土した場所や年代を調べることにより水田稲作の広がりの様子がわかります。当地には古墳も多く残されていて、島津・丸山古墳群という5基の古墳群があり、史跡公園「島津・丸山歴史自然公園」として整備されています。


添田町(そえだまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県田川郡添田町 豊かな自然と歴史のこころがつくる活力のあるまち 自然と文化の融合 悠久の時の流れる中で 人口8,121人

PRキャラクターの「ひこちゃん・ゆずちゃん」と町花のシャクナゲ、「歴史と文化の町」の文字が描かれています。2014年から50cc以下のミニバイクを対象に500枚が交付されています。

添田町は福岡県の中央東部にある町で、田川郡に属しています。北部九州の最高峰 英彦山(ひこさん、標高1,199m)を境に大分県と接し、森林が83%ほどを占める山間部の町です。他の筑豊地域の例に漏れず、石炭産業が栄えた1955年ごろには28,000人ほどが住んでいましたが、現在は過疎化が進行しています。このため、農業など第一次産業はもとより木材・食品の加工など第二次、第三次産業の全面で就業者が減少しつつあり活気を失いつつあります。ゆず胡椒・こんにゃく・いちじく・飲料水(英彦山サイダー)などを特産品としています。

英彦山は、山形県の羽黒山、奈良県の大峰山と共に日本三大修験山に数えられる山です。古来から山伏が修行を行う霊場で、勾配がきつく300段以上の石階段が続きますが、スロープカーがあり英彦山神宮まで気軽に参拝できるようになっています。

道の駅 歓遊舎ひこさん(かんゆうしゃひこさん)は、添田町野田にある県道52号の小規模の道の駅です。JR九州の歓遊舎ひこさん駅に隣接するもので、レストラン(和食・韓国料理)・物産館・餅屋と駐車場のシンプルな構成です。また、「こどもわくわくパーク」という遊具が多い公園を有しています。

岩石城(がんじゃくじょう)は添田町と隣接する赤村の境あたりにある城跡です。平清盛が1158年に大庭景親に築かせたとされる城で、石垣や堀、井戸の跡などが残っています。この城は「豊前一の堅城」「難攻不落」といわれるほどの堅守の城であったようですが、菊池氏・大友氏・大内氏・秋月氏・豊臣秀吉に攻め落とされています。山麓には模擬天守が建築されており(実際の史跡とは位置が異なる)、一階が美術館になっています(入館無料)。


筑後市(ちくごし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県筑後市 みどりと文化の市民都市、市民が主役のまち 緑に恵まれ、活力と笑顔あふれる協働のまち 筑後市 人口48,535人

九州新幹線とPRキャラクター「はね丸」(電車先頭)と、「パネコ・ポネコ」姉妹が描かれています。また、市名の左側に市政60周年記念と「恋のくに」の文字が入っています。このデザインプレートは2014年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付され、現在は交付が終了しています。

筑後市は福岡県南部にある市です。筑後平野の中央に位置する田園都市・平野の都市であり、市域の5割弱が耕地です。また、当地には羽根の生えた犬(豊臣秀吉の愛犬とも、天下統一を目指す秀吉の道行きを阻んだともいわれる)の伝説が残ることから、JR九州羽犬塚駅(はいぬづかえき)が市の中心部となります。河川が多く、水利に恵まれているため古くから米・麦・い草などが生産されています。また、交通の利便性を活かして製造業が盛んに行われており、現在の主要な産業となっています。戦後~1970年まで人口減少を続け、それ以降は人口が増加しています。現在はほぼ横ばいとなっており、将来の推計も大きな減少は予測されていません。

筑後広域公園は筑後市とみやま市の矢部川右岸にある県営の公園です。192.8haと広大な敷地を有し、ホテル・芸術文化交流施設・バーベキュー広場・プールやテニスコートなど運動施設・水路などを有しています。また、公園内に九州新幹線筑後船小屋駅、HAWKSベースボールパーク筑後(福岡ソフトバンクホークスの二軍・三軍が利用)が開設されています。

水田天満宮は筑後市水田にある神社です。当地に太宰府天満宮の荘園で菅原一族の大鳥居氏が支配する水田荘があったことから、1226年に鎮守として創建されたものとされています。境内末社に恋木神社(こいのきじんじゃ)という全国では唯一恋命(こいのみこと)という神様を祀るものがあり、縁結びの神様として有名です。

船小屋温泉は矢部川の右岸と対岸のみやま市にあるもので、筑後市側を船小屋温泉郷、みやま市側を新船小屋温泉と呼びます。全体でホテル・旅館など10軒ほどがあり、温泉とはいうものの冷鉱泉(含鉄炭酸泉)であるため加温して浴場としています。また、飲泉にも向くため飲泉場があります(鉄臭くてあんまり美味しくないとのこと)。


那珂川市(なかがわし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県 筑紫郡那珂川町 水と緑、暮らしがとけあう町 なかがわ~キラリと光るまちづくり~  人口49,561人

那珂川の流れに町の花・木・鳥をあしらったもので、筑紫シャクナゲ、ヤマモモ、カワセミが描かれています。那珂川町時代に交付されたもので2013年から2018年にミニバイク50cc以下を対象に交付されました。

那珂川市は福岡県中西部、筑紫地域にある市です。もともと那珂川町という筑紫郡に属する町でしたが、2010年に人口5万を突破し、2018年に市に格上げとなりました。福岡市の南側、春日市の西側に隣接し、福岡都市圏を構成する自治体の一つです。市の中心を市名の由来にもなった那珂川(二級河川、那珂川水系の本流)が南北に貫流し、「筑紫耶馬溪」と呼ばれる南畑ダム周辺や中之島公園があるなど水に恵まれた土地柄です。産業は卸売・小売業など商業が中心ですが個人店舗が主体であり、大型複合商業施設と呼べるものはありません。また、工業もさほど盛んではないうえ耕地面積・農業従事者も一貫して減少傾向にあります。おおむね福岡市のベッドタウン化が進んでいる地域と考えられます。ヤーコン(「アンデス・ポテト」などともいう。健康食品として知られる野菜だが、調理法はあまり知られていない)という根菜とその加工品を特産品としています。

中ノ島公園は那珂川市市ノ瀬の国道385号沿いにある公園です。那珂川上流の川辺、及び中洲を整備したもので、周辺地域では川遊びや森林浴などで大変有名な公園となっています。「かわせみの里」という農産物直売所、農産物加工所、コミュニティスペースを有し、夏場はホタルの名所とされるなどたくさんの観光客が訪れます。

裂田の溝(さくたのうなで、疏水百選)は那珂川市にある灌漑用の用水路です。日本最古の農業用水路として知られるもので、長さ5.6kmにわたって水路が続きます(現在でも農業用水が取水されている)。いつ頃のものかは判然としませんが、「日本書紀」に記載されており最低でも1300年以上前のものであろうとされています。用水路周辺に散策路や裂田溝公園が整備されており、11月中旬に夜間ライトアップが行われています。

源泉野天風呂 那珂川清滝は那珂川市南面里(なめり)にある日帰り温泉施設です。那珂川上流に湧き出る温泉(単純温泉)であり、滝見露天風呂や備長炭風呂、桧風呂など高規格の浴槽を多数有しています(その分お値段高め)。


みやま市

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県みやま市 幸せ創る晴れのまち みやま 人口34,482人

みやま市の四季をイメージした桜・紅葉・山並みとPRキャラクターの「くすっぴー」が描かれています。2012年から50cc以下のミニバイクを対象に交付されています。

みやま市は福岡県南部にある市です。2007年に瀬高町、高田町、山川町の3町が合併してできた市で、面積105,21k㎡、市の南西部は有明海に面しており、このあたりは干拓によってできた土地です。また、北部~西部を矢部川が流れており、古くはこの流れを用いた舟運で発展した地域で、現在でも酒造りが行われています。農業を基幹産業とし市域の4割弱が耕地ですが、人口減少が続いているため耕地の維持が難しくなってきています。2013年に市内の商工業者に呼びかけ、自治体自ら出資をすることで自治体新電力の会社を初めて設置した自治体で、ゼロ・ウェイスト、ゼロカーボン宣言を行っています。

清水寺(きよみずでら)はみやま市の山手、瀬高町本吉にある天台宗の寺院です。平安時代の初め頃、唐から帰国して間もない最澄が一羽の雉に導かれて合歓(ねむ)の霊木を見つけ、千手観音の木像を作ったことから開山したとされています。また、周辺ではこの故事にちなんだ郷土玩具 きじ車が作られています。室町時代に雪舟によって作庭されたとされる本坊庭園があり、紅葉の名所とされています。

道の駅 みやまは国道443号の中~大型の道の駅です。海苔・野菜(セロリが特産)・みかん・牛肉・酒・鮮魚など地物が販売されています。観光案内所を併設していてフードコートもカレーやピザ、ソフトクリームや鯛焼きなど選ぶ程度には店舗があります。

大力うどんは、みやま市瀬高町坂田の国道209号沿いにあるうどん屋です。とかく安いことで有名な店舗で、肉うどんで390円、月見やきつねうどんは260円という安さです(これでも2020年に値上げした)。大人気店舗なので平日でも行列ができますが、回転がよいためさほど長く待たされず、「安い・早い・うまい」を実現しています。

新船小屋温泉はみやま市瀬高町長田にある冷鉱泉です。おおむね矢部川対岸の船小屋温泉と同じもので、長田鉱泉場という施設があり、鉱泉を汲むことができます。20円で5リットル程度の冷泉が汲めます(施設の様子がわかる動画)。これは炭酸水であり、焼酎やカルピスなどを割るのに用います。週末には鉱泉の駅という販売所が出ています。


宇美町(うみまち)

宇美町ホームページより

福岡県糟屋郡宇美町 いきいき のびのび 誇れるまちづくり 自然と歴史をまもり、みんなが安心して暮らせるまち・宇美町 人口37,403人

町制百周年記念のデザインナンバープレートです。町章と百周年記念ロゴ、宇美八幡宮と大野城跡の百間石垣、町花ツクシシャクナゲが描かれています。2021年にミニバイク50cc以下を対象に300枚が交付されており、うち245枚が交付済みとなっています(2023年1月6日時点)。

宇美町は福岡県中西部にある町で、糟屋郡(かすやぐん)に属しています。福岡市に近く同市のベッドタウンとして開発が進んだため、1990年に人口3万人を越えるなど人口増加が続いていましたが、現在はほぼ横ばいで推移しています。かなり歴史が古い地域で、「魏志倭人伝」に「不弥国(ふみこく)」として記載された地ではないかという説や、日本最古の古代山城 大野城(665年)などがあります。おおむね製造業と卸売・小売業など商業のバランスがとれた町ですが、第一次産業は従事者数や耕地面積など減少傾向にあります。また、都市開発が盛んに行われた経緯から建設業が比率としては多いです。

宇美八幡宮(うみはちまんぐう)は宇美町宇美にある神社で、神功皇后(第14代天皇 仲哀天皇の正妃)が三韓征伐の帰途にこの地で応仁天皇を産んだことから、「うみ」という地名になったようです。その後の鎌倉時代初期あたりから安産の神として信仰されるようになりました。境内には応神天皇が浸かったという「産湯の水」や「子安の石」と呼ばれる安産祈願の石、湯蓋の森(ゆふたのもり、国の天然記念物)という樹齢二千年以上と推定される大楠や、「子安の木」として知られる槐(エンジュ)があります。また、周辺に宇美町立歴史民族資料館や醤油や日本酒の醸造所などがあります。

大野城は福岡県宇美町、太宰府市、大野城市にまたがる全長8kmにも及ぶ古代山城です。近世の天守を持つ城と違い山を土塁や石垣で囲んだもので、石垣のなかでも最大の百間石垣(長さ150m以上)は大野城を代表する遺構です。

一本松公園(昭和の森)は宇美町の東部一本松林道沿いにある公園です。一本松池と池にそそぐ宇美川の支流を中心に川遊び場やアスレチック・キャンプ場などがあります。春~夏はバーベキューや川遊びに、冬は河原谷(難所ヶ滝)の大つららを見るための登山道の拠点となっています。


大牟田市(おおむたし)

大牟田市ホームページより

福岡県大牟田市 やさしさとエネルギーあふれるまち・おおむた 人口106,660人

三井三池炭鉱の宮原立坑の櫓とPRキャラクター「ジャー坊」が描かれています。2017年の市制100周年を記念したもので、同年からミニバイク50cc以下を対象に1,000枚が交付されました。現在は交付終了となっています。

大牟田市は福岡県の南端にある市です。東部に三池山・大間山など200~300mほどの小高い山々が並び、西部で有明海に面しています。かつては三井三池炭鉱の石炭資源を背景にした石炭化学工業の都市として栄えましたが、1997年に同炭鉱が閉山したため現在は往時の半分程度の10万人都市となっています。現在の産業は卸売・小売業や観光業などに推移しつつありますが、主要な産業は製造業となっています。また、夏祭りの「おおむた『大蛇山』まつり」という催事が有名で、毎年40万人ほどが観覧に訪れています。

三井三池炭鉱と三池港は、当時の石炭産業を代表するものとしてUNESCOの世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成要素になっています。三池炭鉱は1997年に閉山しましたが、宮原(みやのはら)立坑の櫓は国の重要文化財及び史跡として残っており、ビデオやボランティアの方々による当時の解説が行われています。

大牟田市石炭産業科学館は大牟田市岬町のイオンモール大牟田の隣接地にある、エネルギー資源に関する科学館です。当地が石炭産業で栄えた歴史をもつため、概ね石炭の炭鉱や暮らしに関する石炭化学製品といった展示を行っています。また、屋外展示場で石炭や作業員を運搬した貨車や電車も展示されています(観覧料:高校生以上420円、中学生以下無料)。

大牟田市動物園は大牟田市昭和町にある動物園です。「動物福祉を伝える動物園」というテーマの動物園で、2019年の映画「いのちスケッチ」のロケ地であることから、「延命動物園(映画に登場した動物園の名)」という呼び方をされることが多いです(入園料:高校生以上500円 小・中学生100円)。園内に大牟田市ともだちや絵本美術館や子供向けの遊園地などがあります。

大牟田市天然温泉 最高の湯は大牟田市新勝立町(しんかつだちまち)にある温泉入浴施設です。市内初となる100%天然温泉の入浴施設で、館外にトレーラーハウスの宿泊施設を有しています。泉質はPH9.8のアルカリ性単純温泉で無色透明、16種類の浴槽とサウナがあります。


太宰府市(だざいふし)

太宰府市ホームページより

福岡県太宰府市 歴史とみどり豊かな文化のまち 人口72,580人

「令和発祥の都」の文字と市花の梅、PRキャラクター「旅人たびと、れいわ姫、おとものタビット」のイラストが描かれています。2021年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

太宰府市は福岡県中西部筑紫地域にある市です。福岡市の南東16kmほどのところにあり、市域北部に四王寺山脈、東部に愛嶽山~宝満山に連なる三郡山地、南西に大佐野山などがあり起伏豊かな地域です。7世紀後半に九州一円の統治・軍事・外交機関として大宰府が置かれていたあたりで、その後は大宰府天満宮の門前町として発達、戦後の高度経済成長期には福岡都市圏のベッドタウンとして開発されたため人口が増加しています。現在の太宰府市は卸売・小売など商業・サービス業が主要な産業であり、太宰府天満宮や大宰府政庁跡など特別史跡・史跡を有するため、年間に800~1000万人の観光客が訪れる観光都市/福岡都市圏のベッドタウンとなっています。

太宰府天満宮は太宰府市宰府(さいふ)にある神社です。903年に大宰府で没した菅原道真を祀るために創建されたもので、神仏分離までは安楽寺天満宮といいました。現在は京都の北野天満宮とともに全国の天満社の総本社・菅原道真の霊廟として親しまれています。菅原道真が梅を好んだ人であったことで、当地も梅の名所とされ神木の飛梅は樹齢1000年を超えるといわれています。周辺は門前町が発達し、梅ヶ枝餅など菓子やファーストフードが販売されているほか、境内東側にだざいふ遊園地があります。

九州国立博物館(九博)は太宰府市石坂にある博物館です。前述の太宰府天満宮裏の丘陵地に建っています。2005年に開館した歴史系博物館で、30,085㎡の延床面積をもつ九州最大の博物館です。旧石器時代から近世末期までの歴史資料を幅広くあつかうほか、アジア地方各地との文化交流を推進する拠点としての役割をもっています。

大宰府政庁跡は太宰府市観世音寺にある特別史跡です。大宰府は奈良・平安時代には九州全体の統治機関として機能していたようで、現在の太宰府市・筑紫野市あたりが想定されています。この大宰府(筑紫大宰府)の中心的な場所として都の宮殿のような政庁が建っていたと考えられています。公園入口に大宰府展示館、正殿跡の北西側に元号の「令和」の発祥の地となった坂本八幡宮があります。

宝満宮竈門神社(かまどじんじゃ)は上宮は宝満山の山頂(829.6m)、下宮は宝満山の麓にある神社です。673年に創建されたと伝えられる神社で、大宰府の東北にあることから大宰府の鬼門封じとして崇敬を受けていました。また、神仏習合が進んだ平安期以降は西国の天台宗寺院を代表するものとなり、宝満山全体が修験の道場であったようです。紅葉の名所でもあり、もみじが色づく時期になると境内のライトアップが行われています。


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高知県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【高知県編】

全47都道府県を網羅 掲載市町村区630以上


四輪自動車の地方版図柄入りナンバープレートはコチラ「地方版図柄入りナンバープレート 一覧 (四輪自動車)」または 地方版図柄入りナンバープレート 四国 (四輪自動車)

高知県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

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土佐清水市(とさしみずし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県土佐清水市 愛と自然に満ちた活力あるまち 人口11,506人

自治体名上に「さかなのまち」の文字、足摺岬灯台とサバを釣り上げる漁師が描かれています。2016年から50cc以下のミニバイクを対象に400枚が交付されています。

土佐清水市は高知県南西部にある市です。高速道路や鉄道が通っておらず、移住キャッチフレーズに「遠いだけのことはある!」を採用するなど大消費地からは遠く、東京から移動に最も時間がかかる場所とされていします。市域は東部から南部にかけて広く太平洋に接し、南東部に足摺岬があります。土地柄漁業が盛んですが、近年は海岸線の風景や歴史を背景に宿泊・飲食サービス業など観光業も行われており、産業は第3次産業が主体になっています。交通の便が悪いことから急速に少子高齢化が進んでおり、現時点では高齢者が半数以上を占めます。ぽんかんや小夏など柑橘と鮮魚を特産品としており、特に清水サバが有名です。

足摺岬は土佐清水市の南東部の太平洋に突き出た岬です。足摺宇和海国立公園の一部で、太平洋に落ち込む断崖は高さおよそ80mほどです。足摺岬灯台周辺は公園として整備されていて、中浜万次郎(ジョン万次郎)の銅像があるほかレストランや鮮魚店などが出ています。また、周辺に四国八十八ヶ所38番の金剛福寺や白山洞門(海蝕洞)があるほか、温泉地でもあり万次郎足湯や「足摺温泉郷」と呼ばれるホテル・温泉宿群ながあります。

足摺海洋館SATOUMIは土佐清水市三崎の竜串海岸近くにある県立の水族館です。「土佐の海と黒潮の魚たち」をテーマに1975年に開館したもので、2020年にリニューアルされています。周辺の竜串海岸は砂岩や泥岩が重なったものが波や風に洗われたことによってできた景勝地で、底面がガラスで珊瑚や魚が見れるグラスボートや観光汽船などが出ているほか、足摺海底館があります。

道の駅 めじかの里 土佐清水は土佐清水市三崎にある国道321号の小規模の道の駅です。駐車場とトイレに鮮魚店・レストラン・カフェといった施設で構成されています。また、公園と水産加工の工場を有しています。2023年4月29日に指定管理者が変わり、新店舗でリニューアルオープンしています。

ジョン万次郎資料館は土佐清水市養老にある資料館です。当地で生まれたジョン万次郎(日本人としては初めて米国を訪れたうちの一人で、通訳・土佐藩藩校の教授などを通じ、日米の通商や坂本龍馬など多くの藩士に影響を与えた)の生涯や捕鯨に関する資料などを展示しています。また、土佐清水市中浜にジョン万次郎生家(茅葺き木造平屋)が復元されています。


越知町(おちちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県高岡郡越知町 コスモスのまちへようこそ 人口4,819人

自治体名上に「コスモスと仁淀ブルーのまち」の文字、横倉山と仁淀川、PRキャラクターの「よこジロー」が描かれています。2016年からミニバイク50cc以下を対象に300枚が交付されました。

越知町は高知県中西部にある町で、高岡郡に属しています。標高300m~1,000mほどの石鎚山系(四国最高峰の石槌山を主要な峰とする山脈)に囲まれた中山間の地域で、愛媛県と高知県を流れる1級河川 仁淀川が町域の中央北よりを流れています。農業や林業を基幹産業とする町ですが、過疎化が深刻であるため活気を失いつつあります(平均年齢62.9歳で町民の5割弱が高齢者)。「仁淀ブルー」と呼ばれる仁淀川の滝壺や淵、牧野富太郎(植物学者)がよく訪れたといわれる横倉山県立自然公園など豊かな自然が残るほか、「壇ノ浦の戦いから当地に安徳天皇が逃れてきた」という伝説があります。

仁淀川は愛媛県・高知県を流れる1級河川で、流域面積1,560km、日本一の水質を誇る川です。その水の青さを「仁淀ブルー」と呼びます。ラフティングやカヌー、キャンプなど夏場の水遊び場として知られる川です。また、この川には多くの沈下橋が架かっており、越知町には浅尾沈下橋・片岡沈下橋・中仁淀橋があり、観光スポットになっています。

宮の前公園は越知町越知丙にある公園です。キャンプ場を併設した施設で、夏には当地の夏祭り/花火大会の「によどかあにばる」が行われるほか、町花のコスモス150万株が植栽されているため、秋にはコスモスの名所となります。また、西側に横倉山自然博物館という博物館があり、横倉山の地質・歴史・植生など生態系についての展示を行っています。


梼原町(ゆすはらちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県高岡郡梼原町 雲の上の町 人口3,233人

ナンバープレートの白地を雲に見立て、雲海に浮かぶ山なみと風力発電の風車が描かれています。また、ひらがなの「ゆすはら町」を採用しています。町制50周年を記念したもので、2016年から50cc以下のミニバイクを対象に交付されています。

梼原町は高知県西部にある町で、高岡郡に属しています。町北部に日本三大カルストの一つ四国カルスト高原を有し、町域全体が標高220m~1,455mと高地の町で、町域の9割強が森林地、残りを居住地や耕地としています。主要な産業は農業と林業で、牧場や棚田が目立ちます。米・しいたけ、鮎・アメゴといった川魚を特産品とし、近年ではイタドリの葉を茶などに加工してこれも特産品としているようです。また、文化的景観として「四万十川流域の文化的景観 上流域の山村と棚田」に神在居(かんざいこ)の千枚田が選ばれています(日本の棚田百選)。

梼原町は建築家/デザイナーの隈 研吾氏(くま けんご、木材を多く利用し「和の大家」として知られる)が設計した建築物が多く建っています。梼原町総合庁舎・まちの駅ゆすはら・雲の上のギャラリー・雲の上のホテル ・雲の上のレストランなどです。どの建物も木の温もりを重視した建築となっています。

道の駅 ゆすはらは国道197号沿いにある中型の道の駅です。レストランや売店など通常の道の駅の施設のほか、温泉の入浴施設やホテル、温水プール、ギャラリーなどが併設されたものとなっています。レストランにキジ肉やイノシシ肉といったジビエを使ったメニューがあります。

維新の門(群像)は梼原町川西路の和田城跡近くにある銅像群です。梼原町にゆかりのある6名の志士の像に坂本龍馬と沢村惣之丞の二名をあわせた8つの銅像が建っています。当地の中心地にある観光交流案内所・町立歴史民族資料館から歩いて5分ほどのところにあります。


芸西村(げいせいむら)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県安芸郡芸西村 小さくても元気で輝くむら・園芸の村 人口3,603人

「小さくても元気で輝く村」の文字とPRキャラクターの「よカッパ」、「COCOROちゃん」などが描かれています。2016年から50cc以下のミニバイクを対象に交付されています(下一桁4,9下二桁42番は欠番)。

芸西村は高知県南東部にある村で、安芸郡に属しています。北部が山地、南部で土佐湾に面する村で、主要な産業は農林漁業といった第一次産業ですが、林業や漁業は過疎や高齢化が激しく衰退傾向にあります。ピーマンやナス、華みょうがなどを特産とするほか、花卉園芸が盛んで、スターチス、ブルースターの品種「ピュアブルー」、トルコギキョウといった主に切り花用の花が生産されています。2002年に土佐くろしお鉄道のごめん・なはり線が開業し、当地には西分駅・和食駅が開設されました。

琴ヶ浜(芸西村)は当地の太平洋沿岸、西分駅-和食駅の間あたりにある長さ4kmほどの白砂青松の海岸です。同名の砂浜では島根県の鳴き砂の琴ヶ浜が有名で、こちらはあまり知られていませんが、夏場は海水浴場が設置されたり和食川河口部に「琴ヶ浜かっぱ市」という直売所があったりします。また、琴ヶ浜西側の西分海岸周辺に太平洋を一望できる「シーハウス」というレストランがあり、四国八十八景の一つとなっています。

よさこい温泉は芸西村西分甲にある温泉です。一軒宿の「ロイヤルホテル土佐」で利用されています(日帰り入浴可)。地下1,000mから湧出するナトリウムー塩化物泉(無色透明)で、洞窟湯やつぼ湯、海洋深層水を利用した露天風呂などがあります。


室戸市(むろとし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県室戸市 うるおいと活力に満ちた海洋文化都市 土佐の東の最先端、光輝く海の恵み。空海、海洋深層水の町 人口10,853人

室戸岬灯台とだるま太陽、海と特産品のビワが描かれています。2018年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています(下一桁4は欠番)。

室戸市は高知県の東側にある市です。53kmに及ぶ海岸線を有し、市全域が室戸ユネスコ世界ジオパークであり、室戸岬(室戸半島)やホエールウォッチング、水産業などで知られる自治体です。漁業の衰退とともに人口流出に歯止めがかかっておらず、昭和30年代には3万を越えていた人口が現在は1万強と大幅に減少しています。また、黒耳地区は日本一早い露地びわが採れるビワの産地として知られており、このビワを「黒耳びわ」といいます。

室戸岬は室戸市岬町の室戸半島の先端部をいいます。紀伊水道と土佐湾を分ける岬で、小高い海岸段丘と海食によって生じた様々な奇岩があるため、観光名所になっています。この岬に室戸岬灯台という白亜の鉄製灯台があり、これは明治32年に初点灯し現在も現役の灯台で、11月上旬に室戸岬灯台まつりというイベントが行われています。

むろと廃校水族館は室戸市岬町にある水族館です。名称通り廃校になった椎名小学校を水族館としたもので、屋外プールや各教室に当地の定置網などにかかった魚やウミガメを展示しています。規模の大きい水族館とはいえませんし辺鄙な場所にありますが、跳び箱やAEDのケースなどを水槽に改造したものなどがあり独特の雰囲気があるため、当地の名所の一つになっています(入館料:大人600円 小中学生300円)。

室戸世界ジオパークセンターは室戸市岬町にあるビジターセンターです。2015年に設置されたもので、室戸ユネスコ世界ジオパークの紹介をするシアターのほかカフェやおみやげ・ソフトクリームなどを売るショップを有する施設で、自転車の貸出も行っています。

道の駅 キラメッセ室戸は室戸市吉良川町丙にある国道55号の小規模の道の駅です。物産館・レストランといった通常の施設のほか「キラメッセ室戸鯨館」という捕鯨に関する資料館を併設しています(入館料:大人500円、小~高校生100円)。また、当地は広く海に接することもあり室戸ドルフィンセンターの近くに海の駅 とろむという船舶係留所・レストランなどを備える施設があります(2021年に一旦閉店したが、市が買い取って再開している)。


黒潮町(くろしおちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県幡多郡黒潮町 人が元気、自然が元気、地域が元気 -黒潮町- 人口10,322人

自治体名上に町のキャッチフレーズの文字が入り、背景に入野海岸をプリントしたものです。2018年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

黒潮町は高知県南西部にある町で、幡多郡(はたぐん)に属しています。自治体名通り広く太平洋に面した地域で、塩屋の浜・入野海岸・浮津海水浴場など海岸の景観やマリンアクティビティで知られています。町域の3/4ほどを林野が占め、おおむね海岸線沿いに市街をなしています。第一次産業を基幹産業としており、農業・漁業ともに盛んに行われています。1980年をピークに人口が減少傾向にありますが、交通の便を考慮すると比較的緩やかといっていいでしょう。カツオとその加工品である缶詰、らっきょう、黒砂糖や天日塩などを特産品としています。

入野海岸(いりのかいがん)は黒潮町入野の海岸をいいます。長さ4kmほどの砂浜で「月見ヶ浜」という別名でも呼ばれています。海水が砂の上に薄く膜のように広がるため、水が鏡のように空を映す「リフレクション(リンク先はリフレクション写真の撮り方の動画)」などと呼ばれる写真が撮れることで知られています。また、5月上旬にはTシャツアート展という全国から送られたTシャツを風にはためかせる催し、9月にはキルト展が行われています。

道の駅 なぶら土佐佐賀は黒潮町佐賀にある国道56号の小~中規模の道の駅です。海岸線ではなく伊与木川の河畔にある道の駅で、当地ではカツオの一本釣りが盛んに行われているためカツオのたたきが名物です。また、同道の駅から北側2kmほどの旧中村街道沿いに熊井隧道(選奨土木遺産)という1905年開通の延長95.6mの自然石とレンガでできたトンネルがあります。

道の駅 ビオスおおがたは黒潮町浮鞭(うきぶち)にある国道56号の小規模の道の駅です。物産館/レストランと周辺の土佐西南大規模公園(前述の入野海岸・入野松原なども含む)の情報を発信する情報館で構成されています。こちらの道の駅もやはりカツオを使った料理で知られていて、メニューにカツオバーガーなどがあります。


南国市(なんこくし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県南国市 土佐のまほろば/土佐の玄関交流都市 みんなで築く 健康で安心な いきいき文化交流・産業拠点のまち 人口45,921人

市鳥の長尾鶏(オナガドリ)をあしらったものです。市制60周年記念として2019年にミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に300枚が交付されています(下一桁4,9は欠番)。

南国市は高知県中東部にある市です。高知市の東に隣接する自治体で、県内では2番めの規模を誇ります。もともと律令時代の土佐国府が置かれていたあたりで、かつては土佐の中心地でした。現在の南国市は卸売・小売業など第3次産業を主要な産業としていますが、県庁所在地に隣接する地域としては農業が盛んに行われています。高知空港(高知龍馬空港)を有するほか、国道32号・55号・195号や鉄道が通り、高知県内の交通の要衝となっています。シャモ・葉ニンニク・トマト・ナス・四方竹(切り口が四角形の筍)などを特産品としています。

高知空港(高知龍馬空港)は南国市の南東部、物部川河口周辺の田園の中にある地方空港です。1944年に旧日本海軍の高知海軍航空隊の基地として建設されたもので、戦後の接収と接収解除を受けて1954年から民間機が就航しています。年間利用客数140~150万人(全国27位くらい)ほど、滑走路(2,500m)一本の小規模な空港ですが、高知県は全体として交通アクセスに恵まれていないことがあり、同県の空の玄関口として親しまれています。

道の駅南国風良里(なんこくふらり)は南国市左右山にある国道32号の中規模の道の駅です。レストランやJA高知の直売所のほか、観光案内所やシンボルのからくり時計などで構成されています。おおむね地場産品だけでなく、四国全体ないし高知県全体の土産物を販売しているほか、土地柄カツオのたたきやたこ焼きなどが人気のようです。

西島園芸団地は南国市廿枝(はたえだ)にある果樹園です。600坪の規模を誇る施設で、いちご・トマト・メロンといった作物のほか、熱帯植物・多肉植物類・洋蘭・ハーブ類など200種ほどの花が育てられており、いちご狩りなど観光農園としての機能と植物園としての機能を併せ持っています。また、園内にカフェや園芸店を併設しています。

土佐国分寺(国の史跡)は南国市国府にある真言宗智山派の寺院です。四国八十八ヶ所霊場の二十九番札所であり、奈良時代に聖武天皇の勅令で、全国の国分寺の一つとして建立されたもので、こけら葺の金堂と梵鐘や木像薬師如来立像などが重要文化財に指定されています。また、美しく手入れされた庭園を有し、桜や紫陽花、牡丹、萩といった四季折々の花が見られるため「土佐の苔寺」とも呼ばれています。


日高村(ひだかむら)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県高岡郡日高村 日本の高知のほどよい田舎/歴史とメダカの里 人口4,632人

右側にPRキャラクターの「もへいくん」、左側に山並みとコスモスが描かれています。当地出身の漫画家がデザインしたもので、2013年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

日高村は高知県の中央部にある村で、高岡郡に属しています。高知市から西に16kmほどのところにあり、水質の良さで知られる四国の1級水系 仁淀川の右岸にあります。山がちな高知県全体からすると比較的傾斜が緩やかな地域で、農業が盛んに行われておりフルーツトマトや茶、米、しょうが、芋けんぴなどを特産品としています。仁淀川観光の屋形船が出ているほか、日下川調整池(めだかが多いことから「めだか池」ともいう)という県内最大となる湿地帯があるため、水生植物や渡り鳥の宝庫として知られています。

村の駅ひだかは日高村本郷にあるサービスエリアです。「村の駅さんさん市」、カフェ、レストラン、観光案内所などで構成される道の駅的施設で、国道33号沿いにあります。大規模な道の駅と比べると小さく感じますが、リニューアル時に物販スペースを2倍近くに広げたこともあり商品は豊富です。また、併設のレストランではトマトが特産品ということでオムライスを提供しています。

猿田洞は日高村沖名にある洞窟です。全長1,420mあり、そのうち200mほどがケイビング用に開放されています。村のPRキャラのモデルとなった日下茂平(豪商・豪農から金品や米を盗んで貧しい人に分け与えたため「土佐のねずみ小僧」ともいう)という人物がここで修行を行い、法術を会得したという伝説が残っています。


香美市(かみし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県香美市 輝き・やすらぎ・賑わいをみんなで築くまちづくり 人口25,236人

全て故やなせたかし(アンパンマンの生みの親)が描いたもので、㊤龍河洞と「龍河洞リューくん」㊥特産品のゆずと「ゆずぼうや」㊦桜と「さくらてんし」のデザインになっています。2014年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

香美市は高知県北東部にある市です。2006年に香美郡香北町・土佐山田町・物部村が合併して発足した自治体で、県内の市としては唯一海に面していない内陸の自治体です。高知県の7.6%に及ぶ広い市域を有しますが、土地の9割弱が森林であるため南西部の南国市側にある平野部に人口が集中しています。農林業を基幹産業として発展し、木材の加工や土佐打刃物と呼ばれる鍛造品の製作、「フラフ」という鯉のぼりと共に揚げる幟(のぼり)の製作が地場産業として根付いています。また、アンパンマンの生みの親として知られる故やなせたかしの父方の実家があることから、市立やなせたかし記念館(アンパンマンミュージアム)があります。

龍河洞(国の天然記念物、史跡)は香美市土佐山田町にある鍾乳洞です。日本三大鍾乳洞の一つとして知られるもので、全長4kmのうち約1kmが開放されています。約1億7500万年の歳月が多くの鍾乳石を作り出しているほか、弥生土器や炉端跡などが発見されて考古学的にも重要な洞窟です。とくに「神の壺」と呼ばれる2000年の歳月により弥生土器と鍾乳洞が一体化した景観が知られています。また、周辺に龍河洞博物館や珍鳥センター、龍河洞情報館(案内所)が併設されています。

香美市立やなせたかし記念館は香美市香北町美良布にある美術館です。1996年に開館したもので、アンパンマンミュージアム、詩とメルヘン絵本館、別館で構成されるアンパンマンの世界や絵本・漫画、おもちゃなどを展示/紹介する施設です。おおむね当地の中心市街地にあり、道の駅 美良布(国道195号沿い)とやなせたかし記念公園が隣接しています。

べふ峡温泉は香美市物部町にある温泉です。一軒宿の「べふ峡温泉」があり、日帰り入浴もやっています(一般800円 小人400円、香美市民は半額)。泉質は炭酸水素塩泉で、冷鉱泉を沸かしたものになります。また、剣山国定公園内にあり近くに景勝地として知られるべふ峡があります。


高知市(こうちし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県高知市 森・里・海と人の環 自由と創造の共生都市 高知 人口318,859人

㊤鳴子とはりまや橋が描かれたもの。㊦桂浜と坂本龍馬のイラスト。共に2013年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

高知市は高知県中部にある市です。市域は北側で急峻な四国山地、南側で浦戸湾、土佐湾など太平洋に面しています。高知県では人口の一極集中化が起きており、同市が県全体の半分弱の人口を占めます。2005年に土佐山村・鏡村、2008年に春野町を併合しているものの、現在は人口が減少傾向にあります。歴史的には江戸時代に土佐藩の藩庁であった高知城の城下町として発展した地域で、現在も城下に中心市街地や商業地区がありますが、商業は郊外化が進んでいます。県庁所在地としては野菜や果樹など農業が盛んに行われる地域です。

高知城(鷹城)は高知市丸の内にある日本の城・史跡です(日本百名城、現存天守十二城の一つ)。高知平野の中心にある大高坂山(標高45m)の上に築かれた典型的な平山城であり、長曾我部元親、山内一豊、山内豊敷らによって改修を受けています。明治維新まで土佐藩の藩庁として機能していました。域内は高知公園として整備されており無料で見学できますが、天守及び本丸御殿の入館は有料です。また、濠の外側に高知県立高知城歴史博物館が隣接しています。

はりまや橋(播磨屋橋)は高知市はりまや町にある長さ20mほどの桁橋です。前述の高知城の東側にある橋で、高知市内の観光名所として知られている一方あまり立派なものではないため「日本三大がっかり名所」の一つなどとされています。この橋は何度も架け変わっていることから、明治・大正期を再現したものなど同名の橋が市内に合計4つあります。「よさこい節」に「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た」とあり、悲恋の物語で知られています。

ひろめ市場は高知市帯屋町にある屋台村です。60店舗ほどの店舗数を有し、和食にとどまらず中華・イタリアン・インド料理といった店舗もあり、「お酒が飲めるフードコート」や「酒呑みの楽園」といった呼び方をされる施設で、当地を代表する観光名所の一つでとなっています。

高知市立坂本龍馬の生まれたまち記念館は高知市上町にある博物館です。幕末の英傑坂本龍馬の生涯や彼が生まれ育った当地の歴史と文化、高知城についての資料を展示しています(入館料:一般300円、高校生以下無料)。また、同記念館の近くに坂本龍馬誕生地の記念碑があります。


四万十市(しまんとし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県四万十市 川とともに生きるまち 人口31,501人

四万十川に架かる沈下橋とサイクリングを楽しむ人のシルエット、うなぎが描かれています。このうなぎは汗をかいており、これは2013年に当地が「暑さ日本一」となったことを表しています。市制施行・合併10周年を記念して作られたもので、2015年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

四万十市は高知県南西部にある市です。2005年に中村市・西土佐村が合併して発足した自治体で、もともと高知県の南西部を占める幡多郡の中心地域です。また、旧中村市は550年ほど前に一条教房(室町~戦国時代の公卿)によって京都を模した町づくりが行われたため、「土佐の小京都」とも呼ばれます。卸売・小売業など商業と農林業を主要な産業としていて、第2次産業の方はあまり元気がありません。また、市域を流れる四万十川の水産と沿岸部に漁港を有していますが、水産業は比率としては少ないです。米・ヒノキ・栗・鮎・川えび、文旦等柑橘などを特産品とするほか、四万十川にそって屋形船など遊覧船の乗り場があります。

道の駅 よって西土佐は四万十市西土佐江川崎にある国道441号の小規模の道の駅です。2015年に道の駅に登録、2016年に開駅となった比較的新しい道の駅で、食堂と地場産品の売り場、ケーキ屋のほか、当地の漁協が「鮎市場」という鮎・うなぎ・つがに・川えびといった水産物を売るスペースを有しています。また、四万十川を挟んで四万十・川の駅 カヌー館(カヌーツアーや体験などを行う施設でキャンプ場を併設)があります。

佐田沈下橋(今成橋)は四万十市佐多にある四万十川に架かる沈下橋です。沈下橋(全国的には「潜水橋」という)とは、あえて増水時に水に浸かることで流木などの衝突によって橋が破壊されないように工夫されたもので、欄干をもたないか非常に低いものになっています。四万十川流域でよく見られ、当地では佐田沈下橋以外に市内に8つの沈下橋を有しています。

安並水車の里は四万十市安並にある水車群です。「四ヶ村溝」(しかむらみぞ)という4つの村に水を分ける目的で堰や溝が造られており、かつては多数の水車が働くさまが見られたといいます。現在15基が復元されており、周辺に公園を整備、また水路に沿って紫陽花が植栽されています。

四万十市トンボ自然公園は四万十市具同にある自然公園です。1985年に開設されたもので、世界初のトンボ保護区として社団法人トンボと自然を考える会が休耕田を利用しています。昔ながらの田園風景を模した園内では、ギンヤンマやチョウトンボといった様々なトンボが見られるほか、「四万十川遊学館 あきついお」という四万十川流域の昆虫や川魚を展示する昆虫館/水族館があります。


土佐市(とさし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県土佐市 自然と文化が息づくまち 人口25,134人

背景に弧を描く水平線、PRキャラクターの「とさごん」と「お竜」が、当地の大綱まつりをイメージした綱を引き合うイラストが描かれています。2015年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています(画像は50cc以下、水平線と空の間の色で種別を表す)。

土佐市は高知県の中部にある市です。愛媛県・高知県を流れる一級河川 仁淀川河口部にある自治体で、同河川の右岸に市街を成しています。また、高知市とは仁淀川を挟んで隣接しています。おおむね第3次産業が主要な産業となっていますが、比率としては農林業が多いです。一方で、漁業は浦戸湾や沖合での海面と仁淀川の内水面にわたりますが、共に衰退傾向にあり現在では川漁師はみられません。和紙・鰹節・竹細工作りなどが伝統的な地場産業となっていおり、特に鰹節(改良土佐節)は土佐市宇佐町が発祥の地と言われています。2023年5月に、市が管理する観光交流施設「南風」において同施設を管理するNPO法人理事が施設内のカフェのオーナーに退去を迫り、市が部分的に責任を認めるなど不祥事が発覚しています。

ドラゴン広場は土佐市高岡にある複合施設(ファーマーズマーケット)です。名称から公園のようなものを連想しがちですが商業施設であり、JAの農産物直売所や鮮魚屋、そば屋、食堂に観光案内所が併設されたまちの駅的な施設になっています。

新居緑地公園は仁淀川河口にある公園です。県内最大のふわふわドームなど遊具が充実した公園で、ヤシやハイビスカスが植栽されているため全体に南国ムードが漂っています。道路を挟んで新居海岸があり、公園側がちょっとした高台になっているため土佐湾が一望できます。また、周辺に海鮮BBQができる店やカフェなどがあります。

青龍寺(しょうりゅうじ、独鈷山伊舎那院青龍寺と称す)は土佐市宇佐町竜にある真言宗豊山派の寺院です。寺伝によれば弘仁年間(810-824年)に空海によって創建されたもので、本尊の波切不動明王は空海の入唐時に遣唐使船が暴風雨に遭った際に、不動明王が現れ波を切って船を救ったとされ、その後空海がその姿を刻んだものであると伝えられています。四国八十八ヶ所霊場の第三十六番札所であり、大相撲力士 朝青龍の四股名の由来にもなっています。

酔鯨酒造(株)土佐蔵は2018年に竣工した同名の日本酒メーカーの製造工場・酒蔵です(土佐市甲原にある)。同社は高知県の酒造メーカーで「酔鯨(すいげい)」などを生産しています。試飲付きの酒蔵見学(一名500円、無料試飲二杯つき)を行っていて、カフェも併設しています。


土佐町(とさちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県土佐郡土佐町 おいでよ、森と水の早明浦へ 人口3,517人

特産品の土佐あかうしのイラストと自治体名上にオレンジ色の文字で「土佐あかうし」と描かれています。2015年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

土佐町は高知県中央北部(嶺北地域)にある町です。森林が86.7%を占める山間部の町で、徳島県と高知県を流れる1級水系 吉野川の源流域にあります。農林業を主要な産業とし、特に畜産が盛んに行われています。また、「四国のみずがめ」と呼ばれる早明浦ダム(さめうらだむ)を有しています。米、杉、土佐あか牛、ゆずの加工品や日本酒などを特産品としており、特に土佐あかうし(土佐褐毛牛)は和牛4品種のうち高知県でしか改良されていないもので、年間300~400頭(肉牛全体の0.1%)ほどしか出荷されていません。

早明浦ダムは土佐町と本山町にまたがる高さ106mの多目的ダムです。吉野川の治水や四国全域にわたる利水を目的に建設されたもので、四国地方最大のダムであり「四国のいのち」とも呼ばれます。右岸・左岸にそれぞれ展望台を有し、土佐町側にキャンプ場が開設されています。もともと記念碑に「四国はひとつ」と刻まれる予定でしたが、当時の高知県知事が「水は一つになったが、他のことはまだ一つになっていない」として「四国のいのち」に変えたというエピソードが残っています。

道の駅 土佐さめうらは国道439号沿いにある小規模の道の駅です。辣油、土佐酒造「桂月」、土佐あかうしを用いたハンバーグ、コロッケ、アイスクリームなどの販売のほか、3月~11月にかけて土佐あかうしのBBQが楽しめるテラスがあります。また、近くに高知の地酒「桂月」を生産する土佐酒造株式会社があります(直売所を併設)。


須崎市(すさきし)

須崎市ホームページより

高知県須崎市 安心で住み心地のよい海洋都市 人口19,505人

かまぼこ型のプレートに、新荘川(しんじょうがわ)をイメージした波とPRキャラクターの「しんじょう君」が描かれています。2018年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています(末尾4,9が欠番)。

須崎市は高知県中央部西側よりにある市です。高知市からは西方37kmほどのところにある太平洋に面した地域で、市内を流れる新荘川はニホンカワウソ(絶滅指定)が最後に確認された川として知られています。製造業や建設業など第2次産業を主要な産業とする一方で、温暖で雨量も多いため農業従事者の比率が多いです。また、市域の3/4ほどが森林ですが人工林が多く林業が盛んに行われています。木製品・竹細工・かまぼこ・ししとう・ピーマン・魚貝類などを特産品としています。沿岸部にリアス式海岸を有し、なかなかに風光明媚な地域ですが観光地としてはあまり知られていません。

道の駅 かわうその里すさきは須崎市下分甲にある国道56号の中規模の道の駅です。レストラン・地場産品の販売所・観光案内所のほか、新荘川河川公園で構成される複合施設で、施設内にあるレストランではカツオのたたきやウツボ料理などを提供しています。また、近くにローソン須崎かわうその里店があり、しんじょう君の巨大なバルーンが立っています。

鳴無神社(おとなしじんじゃ)は須崎市浦ノ内東分にある神社です。ヒトコトヌシを祀る神社で、浦ノ内湾の最奥部にあり、参道が海に向かって伸びているため「土佐の宮島」などと呼ばれることがあります。本殿・幣殿・拝殿が国の重要文化財に指定されています。

高知県水産試験場は須崎市浦ノ内灰方にある水産試験場です。魚類・貝類などの養殖実験を行ったり、指導を行っている施設ですが、一般見学が可能なエリアがあり、海洋ジオラマやパネルの展示を行っている展示コーナーがあります。

土佐黒潮牧場は須崎市浦ノ内出見にある牧場です。中央または地方競馬で功労のあった競走馬を繁養する施設で、現役競走馬の休養も受け入れています。この施設は競馬ファンの個人により開設されたもので、現在は一般の小口支援を受けながら牧場を続けています。午前9~12時まで一般の見学を受け付けており、間近で競走馬を見ることができます。


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愛媛県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【愛媛県編】

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愛媛県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

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松野町(まつのちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県北宇和郡松野町 森の国 人口3,659人

町のロゴマーク(左上)と桃のイラストが散りばめられたデザインです。2016年から50cc以下のミニバイクを対象に交付されています。

松野町は愛媛県南部の南予地域にある町で、北宇和郡に属しています。周辺地域の中心市街である宇和島市街までおよそ30kmほどのところにある、山林・原野が84%を占める自治体です。町域中心部を広見川、南部を目黒川(双方とも四万十川の支流)が流れ、河岸段丘と渓谷が形成されています。愛媛県の自治体のなかでも少子高齢化が著しい地域で、第1次産業・第2次産業共に衰退傾向にありますが、桃やゆずなどの特産物や足摺宇和海国立公園の滑床渓谷、温泉など観光資源はそこそこあるため観光業が営まれています。

虹の森公園は松野町延野々にある公園です。広見川沿いにある公園を中心に、四万十川学習センターおさかな館、地域物産センターや軽食などがあり、全体が「道の駅 虹の森公園まつの」として国道381合の道の駅に認定されています。また、同公園内にパン屋やガラス製品の体験ができる工房があります。

滑床渓谷(なめとこけいこく)は四万十川の支流 目黒川の渓谷で、愛媛県宇和島市と松野町にまたがっています。12kmにもおよぶ長大な渓谷のうちほとんどは宇和島市になりますが、松野町が観光資源として開発を主導しています。名称通り侵食によるなめらかな川床が特徴の渓谷で、足摺宇和海国立公園の一角を成しています。同渓谷内にある雪輪の滝(ゆきわのたき)が日本の滝100選に選ばれています。

森の国ぽっぽ温泉はJR予土線松丸駅にある温泉施設です。全国でも珍しい鉄道駅舎内にある温泉入浴施設で、足湯や大樽形の露天風呂を有しています(大人520円、中学生320円、小学生160円、65歳以上420円)。泉質は単純温泉(低張性弱アルカリ性冷鉱泉)で、冷鉱泉を地元で採った間伐材をボイラーで燃やして沸かしています。


八幡浜市(やわたはまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県八幡浜市 いま共に育む進取のまちづくり 風とらえ風おこす 人口30,887人

みかんと魚が大きく描かれたデザインプレートです。2016年にからミニバイク50cc以下を対象に各500枚が交付されています(下一桁4,9及び下二桁42が欠番)。

八幡浜市は愛媛県西部にある市です。2005年に旧八幡浜市・保内町が合併して新八幡浜市としています。豊後水道に大きくせり出す佐田岬半島の基部にあたる地域で、北部は瀬戸内海、西部で豊後水道に面し、温暖で斜面が多いことから温州みかんの全国有数の産地となっています。また、フェリーによって大分県別府市・臼杵市と結ばれており、愛媛県の水上交通の玄関口でもあります。耕地面積率25%程度と農業が盛んですが土地柄田んぼは少なく、ほとんどが果樹園です。かつては一大トロール漁業の基地であり、漁業とともに水産加工業が発達しましたが現在は2隻のみが操業しています。また、西部の真穴地区は座敷雛の発祥地とされています。

道の駅 八幡浜みなっとは八幡浜市沖新田にある県道27号沿いにある大規模の道の駅です。みなとオアシスとしても登録されており、地域特産品販売所、鮮魚店、フードコート、パン屋、カフェなど様々な店舗と交流館で構成されています。フェリーターミナルのある八幡浜港と隣接しており、ここから眺める「向灘の段々畑」が四国八十八景に選定されています。

八幡浜黒湯温泉 みなと湯は八幡浜市北浜の北浜公園に隣接する温泉です。名称通り黒褐色のモール泉(低張性アルカリ性冷鉱泉)で、露天風呂・サウナ・檜風呂・岩風呂など多彩な浴槽を有しています。露天風呂の方は塩分を含んだ地下水を利用した塩湯となっています。

八幡浜市は日本での飛行機開発の祖である二宮忠八(明治-昭和期の軍人・飛行研究者)という人の故郷です。この人は陸軍従事中の1889年にゴム動力による「模型飛行器」を製作し、ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物として紹介される人物です。当地に記念館などはありませんが、矢野町に「二宮忠八翁生誕の地」の標石が立っているほか、4月に二宮忠八翁飛行記念大会という飛行機にちなんだ催しが行われています。また、京都府八幡市には二宮忠八が建てた飛行神社があります。


鬼北町(きほくちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県北宇和郡鬼北町 鬼の棲むまち 人口9,162人

PRキャラクターの「鬼王丸」が右側に描かれています。2017年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

鬼北町は愛媛県南部南予地域にある町で、北宇和郡に属しています。2005年に広見町・日吉村が合併して発足した自治体で、鬼ヶ城山系(おにがじょうやま、愛媛県)の北にあることから全国で唯一「鬼」を冠する名称の自治体となっています。農林業を主要な産業とする山間の町ですが、林業は衰退傾向にあります。域内では四万十川の最大の支流 広見川はじめ多くの川が流れるため渓谷が多くみられます。ゆず・きじ・しいたけなどを特産品としています。

道の駅 広見森の三角ぼうしは鬼北町永野市にある国道320号の道の駅です(国道320号と国道381号の交差点付近にある)。小~中規模の道の駅であり、特産品販売所と食堂、青空市で構成されるシンプルな道の駅ですが、海洋堂が制作した鬼王丸像という高さ5mほどの鬼のモニュメントがシンボルとなっています。また、当地はきじ肉が特産ということもあり食堂では熟成きじ肉入りのきじカレーがメニューにあったりします。

道の駅 日吉夢産地は鬼北町下鍵山にある国道320号の道の駅です。前述の広見森の三角ぼうしから20kmほどのところにある道の駅で、規模もおおよそ同じです。また、こちらは柚鬼媛(ゆきひめ)母子像という母子像がシンボルになっています。

安森洞は鬼北町小松にある洞窟です。昔から風穴として知られていた小規模な鍾乳洞で、昭和34年に調査が行われ、30万年前のニホンムカシジカや新種のタヌキの化石など31種の動物の化石が発見されました。現在は観光スポットとなっており、この洞窟から湧き出る水を利用したそうめん流しやニジマスの釣り堀などがあります。


松前町(まさきちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県伊予郡松前町 生きる喜び あふれる まち まさき 人口29,489人

特産品のはだか麦のイラストが描かれています。また、漢字の「松前町」の表記と同時にひらがなで「まさき」と表示しています。2019年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

松前町(愛媛県)は愛媛県西部にある町で、伊予郡に属しています。西側で伊予灘に接し、愛媛県内では唯一山がない全域が平野部の自治体です。かつては漁業が中心的な産業でしたが現在は廃れており、化学繊維や水産加工など加工・製造業が主要な産業となっています。また、農業も盛んではだか麦、たまねぎ、レタス、いちごなどが生産されています。隣接する松山市のベッドタウンとして開発を受けて2005年まで人口が増加傾向にありましたが、現在は減少傾向に転じています。とはいえ、面積が狭い一方で高度に都市化しているため人口密度は四国内では非常に高い水準となっています。義農 作兵衛(伊予の三農とされる農民のうちの一人)の出身地であるため、町内では「義農」とつく事物がいろいろとみられます(義農味噌など)。

エミフルMASAKIは松前町大字筒井にあるショッピングセンターです。2008年に開業した施設で204店舗のテナントを誇り、映画館・銀行・託児所・郵便局なども含まれています(当初の計画では温浴施設が建設される予定だったが、現時点では存在しない)。隣接地に多目的グラウンドや多くの遊具を備える松前公園があります。

塩谷海岸は松前町北川原にある海岸です。松前市と松前町の間を流れる重信川の河口にある干潟から続く海岸線で、従来は2km近くの長さがあったようですが、現在は埋め立てによって半分ほどが消滅し、長さ900mほどになっています。工業団地に隣接していますが、塩性湿地植物やシオマネキなどのカニ、渡り鳥や一年草・多年草の宝庫であるため保全活動が行われています。

ひょこたん池公園は松前町中川原にある公園です。重信川の堤防の下を通る伏流水を利用したひょうたん型の池を中心に屋根付きベンチや遊具などを整備したもので、水生植物を積極的に取り入れています。鯉や鴨、亀などがいるほか桜やひまわりが植栽されており、地域住民に親しまれています。


四国中央市(しこくちゅうおうし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県四国中央市 日本一の紙のまち 人口82,898人

PRキャラクターの「しこちゅ~」(左下)のほか、山、川、花など当地の自然を表すイラストが描かれています。2014年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

四国中央市は愛媛県の東部にある市です。2004年に川之江市・伊予三島市・土居町・新宮村が合併して発足したもので、四国の他の3県と接する地域にあたり交通の要衝となっています。もともと江戸時代から和紙の生産が地場産業として根付いていましたが、篠原朔太郎(1865-1952年。和紙製造功労者。機械製紙の第一人者)の出身地となり、現在でも全国1~2の紙の産出量を誇ります(静岡県富士市がライバルで、この2自治体の産出量は飛び抜けている)。しかしながら人口減少が顕著であり、基幹産業の製紙業においても働き手不足が懸念されています。水引細工など紙加工品とともに里芋・煮干しいりこ・みかん・茶などを特産品としています。

川之江城(仏殿城)は四国中央市川之江町にある日本の城です。遺構として石垣や堀切が残っていますが、現在みられる天守や櫓、塀などは昭和59年に旧川之江市市制施行30周年記念として復元されたもので、江戸時代初期に廃城になっていることから、当時の資料に乏しいため正確な復元とはいいがたいものになっていると思われます。周辺が城山公園として桜やつつじなどが植栽されているほか、模擬天守内部は資料館になっています(入館料:100円)。

紙のまち資料館は四国中央市川之江町にある資料館です。当地が「紙幣、切手、収入印紙以外ならなんでも作れる」と言われるに至った当地の製紙の歴史や製造工程をわかりやすく紹介しているほか、紙製の工芸品を展示しています。また、手すき和紙が作れる体験コーナーがあったり、旧日本陸軍が開発した風船爆弾が保管されていたりします(入館無料)。

道の駅 霧の森は四国中央市新宮町馬立にある県道5号の小~中規模の道の駅です。国道に面しているわけではありませんが、2004年に通信販売で霧の森大福(中心が生クリームとこしあん、皮は抹茶を練り込んだ餅)という商品が通信販売で全国1位となり、全国ネットのテレビ番組で取り上げられたため一躍有名になりました。レストランや地場産品を売る売店のほかに、「新宮茶」と呼ばれる当地の茶を洋菓子などに加工する工場があり、ガラス越しに見学できます。また、「霧の森交湯~館」という温泉入浴施設を併設しています。

新宮あじさいの里は四国中央市新宮町上山にあるあじさいの名所です。約4haの山の斜面に2万株ほどのアジサイが植栽されており、6月中旬~下旬にはあじさい祭りが開かれています。あじさい祭りの期間中はモノレールが運行されていて、乗車しながらアジサイを観覧できます。


砥部町(とべちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県伊予郡砥部町 清流とほたる 砥部焼とみかんの町 人口20,191人

どんぶり鉢の形をしたプレートで、自治体名左に「陶街道」の文字とPRキャラクター「とべっち」のイラスト、下に坂村真民の詩「念ずれば花ひらく」と文字が入っています。2012年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

砥部町は愛媛県中部にある町で、伊予郡に属しています。町内に80以上の窯元を有し、「砥部焼」と呼ばれる焼き物で知られる町で、隣接する松山市のベッドタウンとして発展しています。町域北部が平野、南部は山で傾斜地が多く、焼き物に適した土と大量に採れる燃料としての赤松があり、焼き物づくりに適した環境になっています。現在では卸売業・小売業など第3次産業が主要な産業になっていますが、一方で農業も盛んであり、柑橘類や七折小梅、高原野菜などを特産品としています。

とべ動物園は砥部町上原町にある県立の動物園です。170種1,000頭ほどの動物を飼育しており、敷地面積・飼育数ともに西日本有数の規模を誇る施設です。ゾウの餌やり、小動物やヤギとのふれあい体験、ポニーの乗馬などができます。また、通谷池を挟んでえひめこどもの城(児童館、こどもの遊び場)があります(入園料:大人500円、高齢者・高校生200円、小中学生100円)。

道の駅 ひろた 峡の館は砥部町総津にある国道379号の中規模の道の駅です。物産館・工芸館・研修センターなどで構成されています。道の駅登録が1994年と作りは古いのですが、自然薯や薪など林産物、アマゴの塩焼きなどを販売しており、ご当地感があります。近くに吊り橋があります。

権現山休憩所は砥部町総津にある施設です。権現山(ごんげんさん、標高440m)の麓にあり、毎年7月~9月にかけて流しそうめんが行われており、30年以上続く当地の恒例行事となっています。


今治市(いまばりし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県今治市 サイクリストの聖地 人口145,544人

しまなみ海道の波と島をモチーフにした形状のプレートで、自治体名右に青文字で「しまなみ」と書かれています。2011年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

今治市は愛媛県北東部にある市です。高縄半島の北東部を占める陸地と島嶼地域からなる自治体で、古くから瀬戸内海の海上交通の要衝となっています。また、市の中心部は江戸時代に今治藩今治城の城下町として発展してきた地域です。現在は造船やタオルといった製造業が盛んな工業都市であり、日本最大の海事都市でもあります。また、ご当地名物としては焼き鳥が有名で、日本三大焼き鳥のうち一つ「今治焼き鳥」などといいます。愛媛県内では県庁所在地の松山市に次いで2位の規模を誇りますが、人口減少が顕著であり2045年あたりで約10万人になると推計されています。

今治城(吹揚城、日本百名城、日本三大水城の一つ)今治市通町にある日本の城・県指定史跡です。1602年に藤堂高虎によって築城されたものとされています。いわゆる海城というもので、海水を堀に引き込んだ構造です。遺構として石垣や堀が残っているほか、5層6階の天守(そもそも天守が存在していたことを示す一次資料がないため、これは模擬天守)や東櫓が復元されており、模擬天守の内部は甲冑や武具、今治城の調度や過去の写真などを展示する資料館/展望台、多門櫓の内部が自然科学館(牧野富太郎コーナーや生物の標本などを展示)になっています。

亀老山展望公園は吉海町南浦にある公園です。来島海峡大橋(世界初の三連吊橋)や来島海峡が望めるしまなみ海道随一のビュースポットとして知られています。また、周辺の沿岸部に道の駅 よしうみいきいき館(地場産品の販売のほか、海鮮BBQができる)があります。

来島海峡展望館は今治市小浦町(四国本土側)にある展望台です。瀬戸内海の島々や往来する船舶などが展望できる施設で、観光案内のほか来島大橋の架橋技術や村上海賊に関する資料の展示があります。また、観光協会直営の土産屋や軽食の売店を有しています。

村上海賊ミュージアムは今治市宮窪町にある博物館です。中世に芸予諸島周辺の制海権を握り、通行料を徴収や海上警護、水先案内などを行っていた村上水軍(村上海賊、2016年に日本遺産に指定)に関する資料を展示しています。また、カフェやお土産のコーナーなどもあるほか同博物館前から潮流の体験船が出ています。


宇和島市(うわじまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県宇和島市 ココロまじわうトコロ 人口69,186人

当地の牛鬼まつりの主役 牛鬼が描かれています。2012年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています(下一桁4,9及び下二桁42が欠番)。

宇和島市は愛媛県南部の南予地域にある市です。2005年に旧宇和島市・宇和郡吉田町・三間町・対馬町が合併して新宇和島市としています。南予地域の中心都市であり、真珠や柑橘類の生産や、日本では珍しく闘牛がみられる地域として知られています。また、市域西側は宇和海に面したリアス式海岸と離島になっており、多数の漁港と宇和島港(重要港湾)を有しています。当地の和霊神社で行われる夏祭りは同神社の例祭とうわじまガイヤカーニバル、牛鬼パレード、花火大会などが一挙に行われる大規模なもので、3日に渡って行われてており、知名度も高いです。しかしながら、人口減少と高齢化が顕著であり2045年に人口4万を下回ると推計されています。

宇和島城(鶴島城)は宇和島市丸之内にある日本の城(国の史跡)です。天守が現存しており、国内の現存十二天守の一つ、また日本百名城にも選定されています。戦国時代から江戸時代の初期にかけて藤堂高虎らによって築城されたいわゆる海城で、水濠には海水を引き込んでいます。周囲は城山公園として整備されており、城山郷土館という資料館があります(入館無料だが、刀剣甲冑類の展示は無し)。

天赦園(てんしゃえん)は宇和島市天赦公園にある日本庭園です。宇和島城の南西側にあり、宇和島藩7代藩主の伊達宗紀(宇和島伊達家)が隠居の場として作庭したものとされています。伊達家の家紋「笹に雀」にちなんで竹・笹が多数植栽されていることが特徴です。また、周辺に宇和島市立伊達博物館があります。

遊子水荷浦の段畑は宇和島市遊子(ゆす)にある階段状の畑です(国の重要文化的景観)。高さおよそ80mほどの非常な急斜面に積み石をして土を留め、一段の幅1~2mの畑としたもので、多いところでは60段もの石積みが連なっています。このような極めて珍しい景観となった理由として、江戸時代に領民にイワシ漁を強制する代わりに山の開墾は勝手次第としたため、耕地の少ない当地ではこのような開墾が行われてきたとされています。

当地の道の駅は3つあります。①道の駅 うわじまさきいや広場は、国道320号沿いにある大型の道の駅です。宇和島内港と隣接しておりみなとオアシスでもあります。②道の駅 みまは愛媛県道31号沿いの中規模の道の駅です(畦地梅太郎記念美術館・井関邦三郎記念館を併設)。③道の駅 津島やすらぎの里は、愛媛県道4号沿いの小規模の道の駅です。こちらは日帰り温泉施設の熱田温泉が核となっていましたが、2020年から閉鎖されています。


西条市(さいじょうし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県西条市 人がつどい、まちが輝く 快適環境実感都市 人口101,384人

楕円形のプレートに、川の流れをイメージした青いラインと西条まつりのだんじり(右部)が描かれています。2014年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

西条市は愛媛県東部の東予地方にある市です。2004年に旧西条市・東予市・小松町・丹原町が合併して新西条市としています。臨海部に四国最大規模の工業地帯を有する製造業のまちで、鉄鋼・生産用機械器具・輸送用機械器具といった重厚長大の工業が発達しており、かつては四国最大の製造品出荷額を誇っていましたが、現在は今治市や坂出市に抜かれています。一方で、市中央部の西条平野は穀倉地帯としても知られています。被圧地下水が市域の地下の広範囲を流れており、「うちぬき」と呼ばれる自噴水(名水百選)が当地のシンボルです。七草・あたご柿・バラ・ほうれん草・海苔などを特産品としています。

石鎚山は西条市と久万高原町にまたがる四国山地西部の山です。標高1,982mあり、西日本最高峰です。古くから修験道の修行場として知られており、日本百名山ならびに日本七霊山の一つとなっています。山麓の石槌山温泉からロープウェイが出ており、最高地点の天狗岳に多人数がとどまることができるスペースが無いこともあって、弥山にある石鎚神社頂上社までの登山コースを利用する人が多いようです。

石鎚山サービスエリア(上り下り)は西条市小松新屋敷乙にある松山自動車道のサービスエリアです。同自動車道のサービスエリアとしては最大級のものであり、高速道路と一般道路のどちらからでも利用可能な石鎚山ハイウェイオアシス(道の駅 小松オアシス、国道11号の道の駅)を併設しています。この道の駅はモンベルストアを中心にキャンプ場・特産物販売所・カフェレスト・温泉入浴施設などで構成されています。

鉄道歴史パーク in SAIJOは西条市大町にある鉄道保存展示施設です。JR四国伊予西条駅の周辺に北館・南館・十河信二記念館(第四代の日本国有鉄道総裁で「新幹線の父」と呼ばれる人物の記念館)に分かれてある施設で、日本ナショナルトラストがJR四国で利用されていた車両や新幹線0系やディーゼル機関車などを保存・展示しています(入館料:大人300円、小中学生100円)。


新居浜市(にいはまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県新居浜市 ーあかがねのまち、笑顔輝く― 産業・環境共生都市 人口114,675人

ふるさと観光大使の近藤勝也氏のデザインで、新居浜太鼓祭りの太鼓の幕に刺繍されている竜や太鼓房が描かれています。2015年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。夜間の安全対策としてライトを反射する加工が施されています。

新居浜市は愛媛県東部の東予地方にある市です。江戸時代に住友家が別子銅山(べっしどうざん)を開き、その後の住友財閥発展の礎となった地域であり、現在も瀬戸内有数の工業都市となっています。造船と鉄鋼を得意とする今治市とは対照的に、化学・非鉄金属製品の製造、加工を得意としています。同市は臨海工業都市である一方で、四国三大祭りや日本三大喧嘩祭りの一つとして知られる新居浜太鼓祭りやマイントピア別子など近代化産業遺産群、世界第2位の規模を誇るプラネタリウムがある愛媛県総合科学博物館など観光資源も豊富に有しています。また、沖合1.5kmのところに大島という有人島を有しています。

マイントピア別子は新居浜市立川町にある鉱山のテーマパークです。1973年に閉山した別子銅山の跡地を利用した施設で、観光坑道や砂金採り場、季節の花園、温泉入浴施設などを有し「東洋のマチュピチュ」を謳い文句にしています。また、道の駅 マイントピア別子(温泉入浴施設やキッズパーク、レストランなどがある)が併設されています。

愛媛県総合科学博物館は新居浜市大生院にある博物館です。1994年に開設されたもので当時世界最大となる直径30mプラネタリウムのドームを有しています(2010年に名古屋市科学館に抜かれ第2位になった)。常設展示は自然・科学技術・産業に分かれており、伊予鉄道1号機関車の複製やタオル自動織り機などが展示されています。

別子銅山記念館は新居浜市角野新田町の山根公園の近くにある博物館です。別子銅山や住友の歴史、地質や当時の生活などを紹介する施設で、マイントピア別子とはまた違った角度から別子銅山を知ることができるようになっています。また、同施設は半地下構造で屋上には約1万株のサツキが植栽されています(入館無料)。

あかがねミュージアムは、新居浜市坂井町のJR四国新居浜駅近くにある総合文化施設です。外壁に銅板を使用した特徴的な建物で、多目的ホール・美術館とギャラリー・カフェなどのほか、当地の太鼓祭りの太鼓台を展示しています(現役の太鼓台と昔の太鼓台があり、現役のものは2ヶ月ごとに入れ替えている)。


松山市(まつやまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県松山市 いで湯と城と文学のまち 人口503,432人

司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」をイメージしたプレートで、自治体名左に「道後」の文字が入っています。2007年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されており、原動機付自転車のデザインプレートとしては最初のものです。

松山市は愛媛県中部にある市です。愛媛県の県庁所在地であり、また四国最大の都市でもあります。松山城の旧城下町として発展した地域で、松山空港や港湾周辺には臨海工業地帯が広がっており、みかんの産地としても知られていますが、主要な産業は第3次産業でおおむね松山城の南側に松山三越・いよてつ高島屋・松山中央商店街など広い面積にわたり商業地域が広がっています。一方で日本最古の温泉として知られる道後温泉と石手寺(ミシュランガイド日本編のおいて一つ星に認定)などを有し、観光業も盛んに行われています。愛媛県と山口県の間にある忽那諸島(くつなしょとう)は2005年に松山市に編入されています。

松山城(伊予松山城、金亀城とも)は松山市丸の内にある日本の城・国の史跡です。現存十二天守の一つで、江戸時代後期に再建されたことから現存天守のなかでは最も新しいものとなっています。周辺は城山公園として整備されており、堀之内地区には美術館・図書館・市民会館といった地域住民のための施設、天守東側からは松山城ロープウェイが天守近くの長者ヶ平まで出ています。二之丸史跡庭園が「恋人の聖地」に認定されているほか、周辺に萬翠荘(国重要文化財)や坂の上の雲ミュージアムがあります。

道後温泉は松山市道後湯之町にある温泉です。よく知られるところでは夏目漱石の「坊つちゃん」のほか、「日本書紀」「万葉集」「源氏物語」といった日本の書籍に登場する日本三古湯の一つです。市営の道後温泉本館と別館、椿の湯(いずれも共同浴場)のほか多数のホテル・旅館からなる温泉街となっており、愛媛県を代表する観光地です。温泉街周辺には道後商店街、湯築城跡、寺社やセキ美術館、道後ぎやまんガラスミュージアムなどがあるほか、人力車での移動が可能です。

石手寺は松山市石手にある真言宗豊山派の寺院です。四国八十八ヶ所の51番札所であり、728年に熊野十二社権現を祀るものとして創建された後、空海が訪れて真言宗に改めたとされています。山門(仁王門)が国宝、本堂や三重塔などが重要文化財に指定されています。道後温泉から近いこともあり観光地としても有名で、本堂裏の山にマントラ洞窟と呼ばれる洞窟があります。観光色が強くややごちゃごちゃした印象ですが、見どころの多い寺です。


上島町(かみじまちょう)

上島町ホームページより

 

愛媛県越智郡上島町 海と緑と太陽と・笑顔でつながる上島町 新たな交流による人も自然も輝くまち・上島 人口6,190人

町内に架かる橋を背景に町花の桜の花と特産のレモン、PRキャラクターの「かみりん」が描かれています。2019年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています(ピンクっぽく見えるが、画像は50cc以下のもの)。

上島町は愛媛県北部の瀬戸内海の25の島々(うち有人7、無人島18)で構成される町で、越智郡に属しています。2004年に弓削町・生名村・岩城村・魚島村が合併して発足した自治体です。もともとこのあたりは瀬戸内海でもとりわけ島が多く多数の村や町がありましたが、2004年~2005にかけて今治市・上島町・尾道市がそれぞれ編入・合併しています。柑橘類中心の農業、漁業、造船業を基幹産業とする地域で、海苔の養殖も盛んです。愛媛県内唯一の離島自治体ですが、ゆめしま海道(弓削大橋・生名橋・岩城橋)が架橋されたことで現在は主要な4島が繋がっています。今治市の今治港、広島県三原市の三原港から当地に向けてフェリーが出ています。

ゆめしま海道は岩城島・生名島・佐島・弓削島を結ぶ弓削大橋・生名橋・岩城橋の総称です。1996年に完成した弓削大橋と2011年に供用開始した生名橋に加えて、岩城橋が2022年に供用開始されたことで、観光誘致や自治体としてのアイデンティティの確立に一役買っています。地元では将来的に岩城島から伯方島まで架橋し、瀬戸内しまなみ海道との連絡が望まれているようです。地域住民の移動のほか、瀬戸内海の島々が望める絶景のサイクリングロードとしても知られており、観光客を集めています。

ゆげ海の駅舎ふらっとは上島町弓削にある海の駅舎です。全国初の海の駅であり、プレジャーボートやヨットなどの停泊スペースとシャワー・コインランドリー・トイレ・セルフのコーヒーやキッチンなどの共用スペースがあります。また、サイクリスト向けに自転車の空気入れが置いてあります。


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香川県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【香川県編】

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坂出市(さかいでし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

香川県坂出市 瀬戸内の交流拠点 活力とふれあいの坂出 人口48,938人

瀬戸内海と瀬戸大橋、おにぎり山とため池、カモメが描かれており、その風景を灯台からPRキャラクターの「さかいでまろ」が眺めるといったデザインです。2016年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

坂出市は香川県の中部にある市です。市域北側が干拓地、南側が丘陵地で塩飽諸島(しわくしょとう)の与島、櫃石島などが含まれます。市域は北側が干拓によって埋め立てられた低地、南側が丘陵地帯となっています。かつて塩の製造とその塩を運ぶための積み出し港として栄えた地域で、塩田は無くなったものの、現在でも塩の名産地であり続けています。また、瀬戸大橋の四国側の玄関口にあたる交通の要衝であるため製造業が盛んであり、石炭・石油製品の加工など四国内第3位の製造品出荷額を誇っています。三金時(みかん・さつまいも・人参)や和菓子「かまど」などを特産としています。

瀬戸大橋記念公園は、坂出市番の州緑町にある県営の公園です。1988年に瀬戸大橋の完成を記念して開催された瀬戸大橋架橋記念博覧会の会場跡地を整備したもので、面積は10.3haあります。道の駅 瀬戸大橋記念公園と瀬戸大橋の架橋工事・技術を紹介した瀬戸大橋記念館、展望館などがはいっています。また、東山魁夷せとうち美術館が隣接しています。

白峯寺(しろみねじ)は坂出市の五色台の中腹にある真言宗御室派の寺院です。四国八十八ヶ所の霊場のうち81番札所となっています。おもに紅葉やイチョウといった紅葉の名所とされるほか、四国では唯一の御陵である白峯陵(崇徳天皇の墓所)が隣接しています。

坂出市塩業資料館は坂出市大谷富町にある博物館/・資料館です。このあたりはかつて「十州塩田」といわれた塩の産地の一つで、江戸時代には全国の塩の1/3程度を生産していたといいます。坂出の塩作りの製法(久米栄左衛門という高松藩の藩士が塩作りを主導したため、「久米式塩田」という)・歴史的文献・道具などを保存、展示しています。

香風園(こうふうえん)はJR予讃線坂出駅から徒歩5分くらいのところにある庭園です。もともとは坂出市出身の実業家 鎌田勝太郎の別邸(敷地面積5.7ha)に作庭されたもので、池泉回遊式の日本庭園と芝生広場を中心とした洋風庭園の両方が楽しめます(入場無料)。


綾川町(あやがわちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

香川県綾歌郡綾川町 いきいきと 笑顔あふれる 定住のまち あやがわ 人口22,077人

右側に讃岐うどん、プレート下部に川と堤山、滝宮天満宮の梅などが描かれています。また、自治体名の下に「豊かな自然がいきづく讃岐うどん発祥のまち」と文字が入っています。合併10周年記念として2016年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

綾川町は香川県中央部にある町で、綾歌郡に属しています。2006年に綾上町と綾南町が合併して発足した自治体で、町域南部に標高800mほどの讃岐山脈を臨み、北部はおおむね丘陵地です。また、自治体名の由来でもある綾川が町域中央部を東西に貫流しています。ため池や田んぼなど田園風景が広がるのどかな地域で、琴平町と並び「讃岐うどん」の発祥地であるとされています。また、香川県の県庁所在地である高松市に隣接しており、高松空港の一部が町域東部に入っています。讃岐うどん・地酒・いちご・柿などを特産品としています。

滝宮天満宮(たきのみやてんまんぐう)は綾川町滝宮にある神社です。もともと讃岐国国司の官舎が置かれていたとされる場所にあり、かつて讃岐守として当地に赴任していた頃の菅原道真が住んでいたようです。滝宮の念仏踊(重要無形民俗文化財)やうそかえ祭(木でできた鳥の人形を交換し合う神事で、全国の天満社で行われている。県内では唯一)で知られる神社で、この神事と同時期にうどんの献麺式が行われています。また、同神社は梅や桜の名所ともされており、西側の綾川対岸に滝宮公園や道の駅 滝宮があります。

高山航空公園は綾川町東分乙の高松空港から西4kmぐらいの所にある公園です。高松空港の開港を記念して整備されたもので、航空自衛隊の練習機「T-2超音速高等練習機」とセスナ170B、ヘリコプターが展示されています。園内には高山航空神社もあり、もち麦うどんや地場産品の販売を行うパークセンターもありますが、山の上にあるため周辺の道はかなり細いです。

高鉢山風穴は綾川町西分にある風穴(風の流れが生じる洞窟)です。もともと大正時代のはじめに蚕の卵やウド・みかん・豆などの種子を保存するために造られたものだそうで、山梨県河口湖町の富岳風穴、山口県美祢市の秋芳洞・風穴と並んで日本三大風穴に入っていたりします。


まんのう町(まんのうちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

香川県仲多度郡まんのう町 元気まんまん まんのう町 ~改革と協働、輝きのまち~ 人口17,466人

まんのう町出身の漫画家 寺嶋裕二氏が描く漫画/アニメ「ダイヤのA」のキャラクターのイラストが入っています。また、自治体名上に「manno town」の文字が入っています。合併10周年記念として製作されたもので、ミニバイク50cc以下500枚、50~90cc以下10枚、90~125cc以下100枚、小型特殊200枚、ミニカー用20枚が交付されています(下一桁4,9は欠番)。

まんのう町は香川県南部にある町で、仲多度郡に属しています。2006年に満濃町・琴南町・仲南町が合併して新たにまんのう町となっています。ため池が多い香川県のなかでも特に多い地域で、約900のため池が存在しています。特に自治体名の由来でもある日本最大のため池、満濃池が有名で周辺が国営公園・県営公園になっています。土地柄農業が盛んでひまわり、カリン、梅、牛肉などを特産品としており、製造業もひまわりオイルや石鹸など特産品に由来するものが多いです。

国営讃岐まんのう公園はまんのう町吉野にある公園です(四国唯一の国営公園)。国の名勝のほかダム湖百選・ため池百選などに指定されている満濃池の東側にあります。展望台・広場・サイクリングコース・バーベキュー場などで構成される大規模な施設で、350haの面積を誇ります。また、園内にカフェ、レストラン、売店とともに体験学習館などの施設を有しています。満濃池には龍神が住むという伝説があり、園内の「昇竜の滝」が四国八十八景の一つとなっています。

道の駅 ことなみはまんのう町川東にある国道438号の中規模の道の駅です。レストランや売店のほか「エピアみかど」という温泉入浴施設があります。この美霞洞温泉(みかどおんせん)は1000年以上前からいで湯として知られており、平家の落人が傷を癒やしたという伝説が残っています。平賀源内が火傷の妙薬として江戸の薬品会に出品したということから平賀源内絶賛の湯として知られています。また、道の駅周辺が美霞洞渓谷となっています。

道の駅 空の夢もみの木パークはまんのう町追上にある国道32号の小規模の道の駅です。道の駅としてはかなり小規模のもので、食堂と特産品と土産物の販売コーナーで構成されています。樅ノ木峠は「日本の航空機/航空工学の父」とされる二宮忠八ゆかりの地であるため、隣接地に二宮忠八飛行館があります。


直島町(なおしまちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

香川県香川郡直島町 瀬戸内海から世界へ 自然と文化と環境の島 明日を拓く直島町 人口3,010人

下部に海の波をイメージした水色の波型、町花のヤマツツジと直島町を構成する27の島々が描かれています。2017年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

名島町は香川県北部の直島諸島の島々で構成される町で、香川郡(直島町一町のみ)に属しています。瀬戸内海に浮かぶ27の島々で構成されており、中心島の直島を含む4島が有人、残りは無人島です。戦前に三菱の銅の精錬所を受け入れたことで県内では裕福な自治体になった一方で、亜硫酸ガスの煙害によって多くの木々が無くなってしまいました。現在は植樹によって緑が戻り、近年はベネッセコーポレーションの進出によって観光産業が発達し、白砂青松の観光地や現代アートの聖地として知られています。漁業や観光、金属製連を主要な産業としており、塩・海苔・金箔入りの焼酎などを特産品としているほか、トラウトサーモンが「讃岐サーモン」として養殖されています。

地中美術館は直島の南側にあるオンライン予約制の美術館です。ウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレル、クロード・モネの作品を展示するもので、建築と展示空間が一体化しているところが特徴です。また、このあたりはベネッセアートサイト直島というプロジェクトが行われている地域で、李禹煥美術館(リ・ウーファン美術館)やヴァレーギャラリーといった美術館やベネッセハウス(ホテル)、屋外展示作品などが多く見られます。また、直島東部の直島港周辺では「家プロジェクト」という古民家を改装し、作品化した展示が見られます。

海の駅 なおしまは直島の西部沿岸にある施設です。直島の玄関口の宮浦港のフェリーターミナルにあたり、岡山県玉野市の宇野港や高松港などからフェリーでこちらに来ることができます。敷地の殆どを大きな屋根で覆いガラス壁で支える斬新な構造で、朝市による海産物の販売やカフェ、お土産コーナーがあります。また、近くに「I♡湯」という銭湯があり「アートの湯」として知られています。

直島女文楽(県の無形文化財)は女性によって行われる人形浄瑠璃です。江戸時代に淡路島から文楽の一座を招いて興行を行ったことに端を発し、当地では文楽が盛んに行われるようになりました。その後の明治期・大正・昭和前期と途絶えていましたが、戦後の昭和23年に女性3人によって復興し、以来女性のみの上演が行われており全国的にも珍しい文化といえます。


琴平町(ことひらちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

香川県仲多度郡琴平町 門前町の風情漂う古のまち 心のまち・琴平町 人口7,974人

左側に桜と旧金毘羅大芝居(金丸座)、右下にPRキャラクターの「こんぴーくん」が描かれています。2018年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

琴平町は香川県西部にある町で、仲多度郡(なかたどぐん)に属しています。「こんぴらさん」の総本山であり、香川県有数の観光名所でもある金刀比羅宮(ことひらぐう)という神社があり、同神社の門前町(鳥居前町)として発達してきた地域で、県内では面積が宇多津町と並ぶ小さな町です。現在でも観光業が主要な産業で、金刀比羅宮の表参道から中心市街にかけて様々な商店やホテル、飲食店などがみられます。また、にんにくの一大産地としても知られており、醤油やふりかけなどに加工して特産品としています。当地はうどん屋の発祥地とされており大変有名ですが、昨今は特産のにんにくを使ったラーメン店なども出ています。

金刀比羅宮は琴平町の西部、象頭山(ぞうずさん)の山裾にある単立神社です。もともと真言宗の象頭山松尾寺の堂宇の一つとして金毘羅権現(明治の神仏分離以降はオオモノヌシが主祭神となっている)を祀ったもので、特に江戸時代の中期ごろに隆盛を極めた神仏習合の信仰です。もともとヒンズー教の川神「クンビーラ」に由来することでもあり水上交通の神様として親しまれています。また、1,368段と非常に長い石段を有しており毎年「こんぴら石段マラソン」が行われています。

旧金毘羅大芝居(金丸座、国の重要文化財)は前述金比羅宮の麓にある現存する日本最古の芝居小屋です。1835年に建造されたもので、「小屋」といっても客席数730の規模を誇る大掛かりなものです。現在でも改修・補修を重ねて年に一回「こんぴら歌舞伎」の上演が行われているほか、内部は見学できます(見学料:大人500円、中高生:300円、小学生200円)。

金陵の郷は金刀比羅宮の表参道にある酒蔵です。江戸時代から金刀比羅宮の御神酒として知られる「金陵」を製造している場所で、試飲ができるほか酒造庫を利用した酒造りに関する資料館を併設しています。

琴平海洋博物館は金刀比羅宮の表参道の脇、前述旧金毘羅大芝居の北側200mほどのところにある博物館です。水族館ではなく、江戸時代の高松藩の船やラジコンボートといった船舶がテーマの博物館になっています。また、同館の前に日本初のオールアルミ合金製の船舶「あらかぜ」(海上保安庁で使用されていた港内艇)が展示されています。


三木町(みきちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

香川県木田郡三木町 人と自然にやさしいまち・三木 人口26,331人

讃岐七富士の白山・嶽山(だけやま)を背景に、PRキャラクターのミッキーくん(右下)が描かれています。また、PRキャラクターのイラストの下に「獅子たちの里」の文字が入っています。2013年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

三木町は香川県東部にある町で、木田郡に属しています(現在は実質木田郡=三木町)。西側で高松市と接する南北に細長い町で、「三木」という地名は全国各地にあるため「讃岐三木」などと呼ばれています。中心市街は高松市のベッドタウンとして開発が進んでおり、同時に香川大学農学部・医学部の学生街でもあります。高松市から切れ目なく市街が続いているため、商業もよく発達していますが、郊外の山間部では農業が行われておりいちごやアスパラガス、桶や椅子といった木製品などを特産品としています。獅子舞文化が根づいており、特に「大獅子」と呼ばれる全長10mを超えるような獅子が保存されています。

獅子たちの里 三木町まんで願。は当地で10月末に行われているイベントです。「まんでがん」は「全部」といった意味で、その名の通り町内の獅子が一斉に集うものです。上で紹介した通り、通常の獅子とはまた異なる巨大な獅子が登場することで知られるほか、当日は物販や花火などが同時に行われてお祭りムードを盛り上げています。

太古の森は三木町上高岡にある山大寺池周辺の公園です。当地出身の植物学者 三木茂を記念するもので、メタセコイアが植樹されています。このメタセコイアという木は「生きている化石」と呼ばれる生物の一つで、氏が和歌山県の植物遺体(化石の一種)から発見し、1941年に命名しました。当時は絶滅したと考えられていましたが、その後中国湖北省に自生している木が同種であることがわかり、現在並木などで見られるようになったのです。いくつかの丘が散策路で繋がれており、各所に恐竜の形の遊具があります。

虹の滝(こうのたき)は三木町小蓑にある滝です。讃岐百景の一つとして数えられるもので、雄滝・雌滝からなっており、上方の雄滝は落差11m、幅5m、雌滝は落差8m、幅6mあります。周辺に散策路やキャンプ場があり、紅葉の名所とされています。


三豊市(みとよし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

香川県三豊市 “豊かさを”みんなで育む市民力都市・三豊 人口59,228人

瀬戸内海に沈む夕日と市花のマーガレット、五重塔(本山寺)が描かれています。2015年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

三豊市は香川県西部にある市です。2006年に 三豊郡仁尾町、高瀬町、豊中町、山本町、財田町、詫間町、三野町の7町が合併して発足した市で、高松市と丸亀市に続いて香川県第3位の規模を誇ります。主な産業は農業でマーガレットの生産量が日本一、そのほかぶどう・桃・みかん、茶(高瀬茶。県内算出の8割ほどを占める)などが生産されています。一方で詫間港周辺では臨海工業地域を形成し、浦島太郎の伝説が残る紫雲出山(しうでやま)や四国八十八霊場の大興寺・本山寺・弥谷寺を有しており観光資源も豊富です。とはいえ人口減少が顕著であり、2021年に7町のうち3町が過疎地域に指定されています。瀬戸内海に浮かぶ志々島や粟島をはじめ8島を有しています。

道の駅 たからだの里 さいたは三豊市財田町財田上(さいたちょうさいたかみ)にある県道5号の中規模の道の駅です。物産館、宿泊・入浴施設、レストラン、パークゴルフ場のほかふるさと伝承館で構成されており、県道沿いの道の駅としては施設が充実しています。特に温泉入浴施設の「環の湯」は、鉄分を含む黄金の湯と無色の炭酸水素ナトリウム泉の2つが楽しめ、循環式ながら高い評価をうけています。

父母ヶ浜(ちちぶがはま)は三豊市仁尾町にある約1kmほどの海岸です。古くから海水浴場として知られる砂浜で、四国八十八景に「父母ヶ浜の夕日」として選定されています。近年は水面が鏡面上に見えるリフレクションの写真が撮影できるとして話題になり、いわゆる「日本国内のウユニ塩湖」の一つとなっています。

道の駅 ふれあいパークみのは三豊市三野町大見にある県道48号の大規模の道の駅です。レストランと物販コーナーのほか宿泊施設、天然温泉「大師の湯」、屋内プール、公園などで構成されています。こちらの道の駅は県道を挟んで向かい側が弥谷寺(いやだにじ、四国八十八霊場71番札所)となっています。

フラワーパーク浦島は三豊市詫間町積にある海辺の花畑です。広大な農地にマーガレットやポピーなどが植えられており、当地の花の名所になっています。このあたりは瀬戸内海に突き出た荘内半島になりますが、一帯が浦島太郎の出生地や伝説の地であるとされており、「紫雲出山(玉手箱から煙が出たことから)」、「箱浦」といった伝説にちなむ地名や浦島太郎の墓とされる墓などが残っています。


宇多津町(うたづちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

香川県綾歌郡宇多津町 調和がつなぐ、夢創造のまち うたづ 人口18,668人

宇多津ならびに宇多津ウミホタルのPRキャラクター「うーみん」の形をしたプレートで、自治体名左にもイラストで描かれています。2011年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています(下一桁4,9及び下二桁42は欠番)。

宇多津町は香川県北西部にある町で、綾歌郡に属しています。この地域は古代から港町として瀬戸内海の流通を担い、裕福であったため鎌倉時代には多数の寺院が建立されたといいます。現在の宇多津町は坂出市と丸亀市に挟まれた格好で、県内で最も小さい自治体です。近年人口増加が続いたため県内では最も活気がある地域ですが、現在は伸びておらず今後減少傾向に転ずると考えられています。瀬戸大橋のたもとに番の州工業地帯を有しおおむね製造業を主要な産業とする一方で、人口密度が高いため商業も盛んに行われています。

宇多津臨海公園は宇多津町浜一番丁にある都市公園です。塩田跡地を利用したもので、面積3.6haの瀬戸大橋を望む臨海部の公園となっています。園内に道の駅 恋人の聖地うたづ臨海公園四国水族館、「うたづ海ホタル」という塩作りの産業資料館、カフェなどの複合施設を有しており、同時に宇多津港のみなとオアシスでもあります。また、公園周辺に高さ158mのゴールドタワーという各種遊具の集積場(プレイパーク・ボウリング場)があり、瀬戸内海を広く見渡す展望デッキを有して当地のシンボル的存在となっています。

郷照寺は宇多津町山下にある時宗・真言宗の寺院です。四国八十八霊場の78番札所であり、住宅街の狭い道を超えたところにあります。725年に創建されたとされる古刹であり、空海が同寺の伽藍を整備したことから「厄除けうたづ大師」と呼ばれて親しまれています。周辺は「古街(こまち)」と呼ばれるエリアで、重伝建ではないですが三角屋根の洋館や遷座1200年とされる宇夫階神社(うぶしなじんじゃ)など古い建物がよく残っています。


小豆島町(しょうどしまちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

香川県小豆郡小豆島町 煌(きらめ)く海、瞳輝く、実りのまち しょうどしま 人口13,064人

瀬戸内海に浮かぶ島とオリーブが描かれています。また、プレートの下部は波型になっており「shodoshima」と文字が入っています。2011年にミニバイク50cc以下を対象に交付され、翌年からミニバイク90cc以下・125cc以下・小型特殊・ミニカーの4種が追加で交付されました。

小豆島町は瀬戸内海に浮かぶ小豆島の南東側にある町で、小豆郡(しょうずぐん)に属しています。小豆島は国内19番目の広さを有する島で、およそ2万5千人が暮らしています。小豆島町はそのうち南東側、島全体の人口の半数を占める町で、「日本でのオリーブ栽培の発祥地」ないし映画「二十四の瞳」のロケ地として知られています(最近だと映画版の「魔女の宅急便」のロケ地)。主な産業は製造業であり、醤油やオリーブ製品、そうめんなど食品の加工が主として行われています。また一方で、瀬戸内海を望む風光明媚な観光地として知られており、3年毎に行われる瀬戸内国際芸術祭の開催地の一つでもあるため、宿泊や飲食業など観光業も行われています。

小豆島オリーブ公園は小豆島地西村にあるオリーブとハーブをテーマにした公園です。ギリシア風車やオリーブに関する資料館、ホテルと温泉入浴施設などが園内にあり、道の駅 小豆島オリーブ公園とオリーブ園が併設されています。

寒霞渓(かんかけい)は小豆島町神懸通(かんかけどおり)にある渓谷です(国の指定名勝)。小豆島の最高峰星ヶ城山と美しの原の間、東西7km南北4kmにもなる大きな渓谷で、「日本三大渓谷美」の一つです。ロープウェイで展望台まで登ることができ、このロープウェイは日本で唯一空と海と渓谷美が同時に見られるものです。

マルキン醤油記念館は小豆島町苗羽にある施設です。当地はマルキン醤油の発祥地・本拠地であり、マルキンの「キン」は香川県琴平町の金毘羅宮にちなみます。大正時代の初期に建てられた工場の一つ(国の有形文化財)を資料館として開放しており、醤油づくりの道具や圧搾の様子を工場見学することができます。また、土産屋やしょうゆ味のソフトクリームなどを売る売店を併設しています。

小豆島ふるさと村は小豆島町室生にある観光レクリエーション施設です。レンタサイクル・マリーナ・釣り桟橋・宿泊施設・プールなど運動施設・キャンプ場などで構成されており、滞在型の観光交流施設となっています。また、海の駅・道の駅 小豆島ふるさと村という小規模の道の駅を併設しています。


高松市(たかまつし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

香川県高松市 文化の風かおり 光りかがやく 瀬戸の都・高松 人口411,876人

高松市のランドマークである屋島と「瀬戸の都」の文字が描かれたナンバープレートです。地域振興・観光振興を目的に、2013年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されていましたが、現在はR2年より交付開始となった自動車・軽自動車用の図柄入プレートに役目を引きつぎ、交付終了となっています。

高松市は香川県中部にある市です。香川県の県庁所在地ならびに最大人口の都市であり、平成の大合併時期の2005-2006年に塩江町・香川町・香南町・庵治町・牟礼町・国分寺町などを編入し、現在は四国内では愛媛県松山市に次ぐ第2位の規模となっています。もともと港町として発展し、江戸時代に高松藩(高松松平家)の城下町として栄えた地域で、海や山によって都市展開が限定されるため、とくに市北部にある市街の人口密度が高いことが特徴的です。高松港と高松空港を有し、瀬戸内国際芸術祭(瀬戸内海の島々で行われる現代アートの祭典)が3年に一度行われるなど四国の海・空の玄関口でもあります。高度に都市化しており、第3次産業を主要な産業としていますが、香川漆器や保多織(ぼたおり)といった伝統工芸が残っており、また盆栽の産地としても知られています。

栗林公園(国の特別名勝)は高松市栗林町にある県立の都市公園です。江戸時代に造られたいわゆる大名庭園であり、面積16ha(紫雲出山を含むと76ha)を有します。三名園には入っておりませんが、文化財庭園としては国内最大規模のものであり、紫雲出山を借景に6つの池と13の築山を巧みに配置した庭は木石の雅趣に富むと評されています。当地最大の観光名所であり、園内の水路を和船で巡ることができます。

高松城(玉藻城とも)は高松市玉藻町にある史跡/日本の城です。現在見られる遺構(堀・石垣・一部建物)は江戸時代初期に主に松平頼重(水戸光圀の兄)によって築かれたもので、海水を濠に引き込んでいるため日本三大水城の一つに数えられています。周辺は市立玉藻公園として整備されており、天守台が復元されています。前述した通り、堀に海水を引き込んでいるため牡蠣や養殖の鯛などが生息しており、鯛のえさやりができるというちょっと変わった公園になっています。

四国村(四国村ミウゼアム)は高松市屋島中町にある野外博物館です。高松市や瀬戸内海の海上交通のランドマークである屋島(高松市北東に存在する広い台地)の東麓にある施設で、江戸時代から明治時代の古民家・橋・灯台・灯籠・伝統産業施設などの建築物を展示しています。野外博物館としてはかなり展示が多く、よく整備されていますが入園料もお高いです(大人1,600円、大学生1,000円、中高生600円)。また、施設周辺に徳川家康を祀った讃岐東照宮屋島神社があります。

高松盆栽の郷は高松市国分寺町国分にある施設です。国分寺・鬼無地区は盆栽屋60軒ほどが集う松盆栽の日本一の生産地(国内生産の8割ほどを占める)となっています。同施設は2020年にオープンしたもので、盆栽の展示販売のほか盆栽の手入れや苔玉づくりのワークショップを行うカルチャースクールを併設しています。


丸亀市(まるがめし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

香川県丸亀市 自然と歴史が調和し 人が輝く田園文化都市 ~協創でつながるまち 丸亀~ 人口108,069人

㊤丸亀城㊦丸亀うちわが描かれています。どちらも2012年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

丸亀市は香川県の中西部にある市です。県内では県庁所在地の高松市に次ぐ第2位の規模を誇るまちで、2005年に旧丸亀市・綾歌郡綾歌町・飯山町が合併し新丸亀市としており、丸亀平野北東部と塩飽諸島(しわくしょとう)の一部を市域としています。江戸時代に丸亀城の城下町また金比羅宮の参拝口として発展し、塩やうちわ作りが盛んに行われていたようです。戦後になると臨海部に電気機械や輸送機械などの工業地が発達し、県内4位の産出を誇る工業のまちになりましたが、近年は第3次産業の方が優勢になりつつあります。うちわ作りは現在も全国シェアの8割~9割ほどを占めますが、プラスチック製が主で伝統的な竹うちわを制作する工房はほとんど残っていません。

丸亀城(亀山城・蓬莱城とも)は丸亀市一番町にある史跡/日本の城です。4層の石垣を有し、合計の高さは60mと日本一の高さを誇ります(一層では大阪城が優る)。もともと室町時代に管領・細川頼之重臣の奈良元安が亀山に築いた砦をもとに1602年に生駒親正(織田信長の従兄弟にあたる)が築いたとされる城です。日本百名城、また現存十二天守の一つであり、石垣や堀のほかに大手門・御殿表門・長屋・番所などが現存しています。周辺は亀山公園として整備されており、丸亀市立資料館があります。

https://youtu.be/vhxaBjlq2hg

中津万象園・丸亀美術館は丸亀市中津町にある庭園と美術館です。万象園は1688年に時の丸亀藩主 京極高豊によって作庭された大名庭園で、面積は5haあります。京極氏の故郷である近江国の琵琶湖をかたどった八景池が設けられ、それぞれ名前のついた島々を橋で巡ることができるようにしたものです。またバルビゾン派の絵画、紀元前から13世紀の間の陶器などを展示する丸亀美術館が園内にあります。また、丸亀市港町にあった「うちわの港ミュージアム」が園内に移転・リニューアルしています。

ニューレオマワールドは丸亀市綾歌町にある遊園地です。かつて「レオマワールド」という名称でゴルフ場運営大手の日本ゴルフ振興によって運営されていましたが、2010年に無期限休園となったものを加ト吉、マルナカ、おもちゃ王国など複数の事業者が買い取って現在の名称になっています。中国・四国地方最大のテーマパークであり、全22種のアトラクションやパレード、花火などが行われています。


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徳島県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【徳島県編】

全47都道府県を網羅 掲載市町村区630以上


四輪自動車の地方版図柄入りナンバープレートはコチラ「地方版図柄入りナンバープレート 一覧 (四輪自動車)」または 地方版図柄入りナンバープレート 四国 (四輪自動車)

徳島県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

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鳴門市(なるとし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

徳島県鳴門市 いきいき 未来に輝く 交流拠点都市 なると 人口54,315人

鳴門の渦潮を背景に徳島ヴォルティス(サッカーJリーグ)と徳島インディゴソックス(プロ野球四国アイランドリーグ)のキャラクターやロゴをあしらったデザインです。2019年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付開始、2022年に交付終了しました。ナンバーはSが先頭に付き、その後の数字1,2,3で種別(排気量50cc以下なら1、90cc以下は2、125cc以下なら3)を表します。

鳴門市は徳島県の北東部にある市です。名称通り鳴門海峡を望むまちで、神戸自動車道の四国側の玄関口にあたります。鳴門の渦潮が有名であり、鳴門公園の渦の道、大塚国際美術館や観光汽船などで観光地として知られる一方で、主要な産業は製造業であり大塚製薬の企業城下町でもあります。また、第1次産業も全国平均からみると就業者が多く、畑や樹園地などが随所にみられ、海からはブリ・鯛・タコなどが水揚げされています。第一次世界大戦期に置かれた坂東俘虜収容所があった地域であり、ドイツ帝国ならびにオーストリア=ハンガリー帝国将兵1,000人ほどを収容していた歴史があります。

鳴門海峡は鳴門市の大毛島孫崎と淡路島の門崎の間にある海峡です(国指定名勝)。世界三大潮流の一つとされる非常に潮の流れが速い海峡で、この潮流が形成する渦潮が全国的に知られています。神戸自動車道の淡路-鳴門間には大鳴門橋が架かっており、鳴門市側は鳴門公園という公園になっています。同公園は大鳴戸橋架橋記念館(エディ)、鳴門山展望台、エスカヒル・鳴門(展望台、建設当時日本最長のエスカレーターがある)、大塚国際美術館(陶板複製画を中心とした美術館)、渦の道(大鳴門橋の橋桁内にある遊歩道)、観潮船などが発着する亀浦港などで構成されています。

大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は鳴門市大麻町板東にある神社です。阿波忌部氏の祖とされている大麻比古神を祀ったもので、阿波国・淡路国両国の総鎮守、現在は徳島県の総鎮守(阿波国一宮)とされるものです。境内は県立自然公園となっているほか、境内の裏手にドイツ人捕虜が建造したドイツ橋(日本百名橋・徳島88景)やめがね橋があります。

道の駅くるくるなるとは鳴門市大津町備前島にある国道11号の中~大規模の道の駅です。2022年4月に開駅したまだ新しい施設で、「(体験型)食のテーマパーク」というコンセプトのもと鳴門金時や鮮魚、わかめなどの地場産品が販売されています。

ドイツ館は鳴門市大麻町桧東山田(前述の大麻比古神社の南側)にある資料館です。板東俘虜収容所で過ごしたドイツ兵たちの活動の様子や、地域の人々との交流の様子を展示しています。当時はドイツ人捕虜を「ドイツさん」と呼び、スポーツや音楽など文化の交流があったようです。周辺には道の駅 第九の里や坂東俘虜収容所跡地、鳴門市賀川豊彦記念館(ドイツ館との共通券あり)などがあります。


石井町(いしいちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

徳島県名西郡石井町 太陽と緑の田園都市 人口24,973人

自治体名の左にPRキャラクターの「ふじっこちゃん」が描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下、ミニカーを対象に交付されています。

石井町は徳島県北東部の徳島市の西側にある町で、名西郡に属しています。おおむね吉野川が流れる平野部と丘陵地で構成されており、全面積のうち4割程度が耕地という農業が盛んなまちとなっています。町の中心部は徳島市のベッドタウンとして発展した経緯があり、フジグラン石井という大型のショッピングモールが出店しています。町花になっている地福寺の藤や藤まつりで知られる地域ですが、ほかにも社寺や古民家など歴史的建造物が多数残っています。土地柄、白菜やほうれん草など野菜や漬物などを特産品としているほか、「ふぢ餅」という紫芋を練り込んで藤の色合いを出した餅で柚子餡を包んだ餅が名物です。

地福寺は石井町石井にある真言宗大覚寺派の寺院です。JR四国石井駅から徒歩2~3分のところにある寺で、阿波六地蔵霊場の一つです。同寺には樹齢200年ほどの紫と白の藤が植わっており、毎年4月上旬~5月中旬に藤まつりが行われています。また、隣接する神山町の神光寺ののぼり藤も有名で、シーズンには当地と両方を巡る方が多いようです。

童学寺は石井町石井にある真言宗善通寺派の寺院です。飛鳥時代に行基によって創建されたとされる寺で、空海が7歳から15歳まで当寺で学び当地でいろは四十八文字を創作したと伝わっていることから童学寺というそうです。逍遙園(室町時代作庭の庭園。町指定名勝)や木像薬師如来坐像(重要文化財)、藤棚などがあります。

阿波食ミュージアムは石井町高原にある産地直売所です。2015年にオープンした店舗で、カフェや食堂のほか駐車場とトイレがあり小規模の道の駅のような施設となっています。当地は農業イメージの強い土地柄であることもあり、大変人気があります。

田中家住宅武知家住宅は石井町の高川原/藍畑にある住宅です。どちらも当地が藍(青色の染料)の製造や取引で栄えた頃の藍商人の家であり、母屋のほかに藍を発酵させる室などが残っています。国の重要文化財に指定されおり、また日本遺産「藍のふるさと 阿波」の構成要素でもあります。


徳島市(とくしまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

徳島県徳島市 心おどる水都・とくしま 人口247,974人

阿波おどりに使われる高張提灯の形をしたナンバープレートに、男踊りと女踊りが描かれています。2012年から50cc以下~125cc以下のミニバイクを対象に交付されています。

徳島市は徳島県東部にある市で徳島県の県庁所在地です。徳島県最大、四国内では高知市に次ぐ第4位の規模の都市となります。江戸時代に徳島藩(蜂須賀氏)の城下町として発展した地域で、吉野川河口の三角州上に位置するため市域を無数の川が流れています。現在は徳島県全体の人口の1/3が集中する政治・経済の中心地である一方、吉野川によって形成される徳島平野は肥沃な土地でもあり、県庁所在地としては耕地が多く農業が盛んです。また、大規模な漁港はありませんが、吉野川河口の汽水域は漁場として良好であるため、150隻程度の漁船を有しておりアオノリなどの養殖が盛んに行われています。

徳島城は徳島市徳島町城内にある日本の城・史跡・国指定名勝です(日本百名城)。JR徳島駅の北側にあり、1585年に当地に入封した蜂須賀家政が築城したもので石垣と堀のほか表御殿庭園が残っています。周辺は徳島中央公園(旧称:徳島公園)として整備されており、市立徳島城博物館やバラ園などがありほか、蜂須賀桜というカンザクラ系の栽培品種(2月下旬から3月上旬に咲く)が植栽されています。

阿波おどりは日本の著名な伝統芸能で、約400年の歴史をもっています。徳島市阿波おどりは8月に4日間開催され、総計100万人を超える人出がある全国的にも大きなイベントです。また、徳島市新町橋には阿波おどり会館という施設があり、時期でなくとも踊り方や阿波踊りの歴史について学べるようになっています。

眉山(びざん)は徳島市街に隣接する山(標高290m)で、徳島市のシンボル的存在です。山麓に眉山公園という公園があり、前述の阿波おどり会館のあたりからロープウェイで登ることができます。桜や夜景の名所とされており、また公園内のパゴダ(ミャンマー式の仏塔)は太平洋戦争の戦没者を慰霊するものです。

徳島県文化の森総合公園(八万町向寺山)は置県100周年を記念した文化公園で、面積40.6haを有します。県立図書館・県立博物館・県立近代美術館などがはいる三館棟があり、当地の文化・交流施設となっています。公園ゾーンには落差30mのカスケード(階段状の人口滝)があります。森林ゾーンにある王子神社は「猫神さん」の名で親しまれる神社です。


松茂町(まつしげちょう)

松茂町ホームページより

徳島県板野郡松茂町 夢フライト21・松茂-空と海が輝く緑の臨空都市をめざして 人口14,253人

PRキャラクターの「松茂係長」が描かれています。2019年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

松茂町徳島県北東部にある町です。鳴門市と徳島市に挟まれた臨海部のベッドタウンであり、徳島空港(愛称:徳島阿波おどり空港)を擁するため徳島県の空の玄関口でもあります。町域は大部分が旧吉野川の三角州として形成された低地や、干拓によって新田開発された農業地帯ですが、さほど広くない町域の中央部~東側にかけて徳島空港の滑走路が走っています。現在の松茂町は第3次産業が主要な産業となっていますが、漁業も盛んであり梨やさつまいものほか、海苔やちりめんじゃこを特産品としています。1940年から継続して人口増加を続けていましたが、2015年あたりから減少傾向に転じています。

月見ヶ丘海浜公園は徳島空港の南側にある公園です。かなり広い公園でアスレチックやキャンプ場、バーベキュー設備やビジターセンターなどを有し、水遊びができるじゃぶじゃぶ池があります。また、ハマニガナやハマヒルガオといった海浜植物の宝庫となっています。

松茂町歴史民俗資料館・人形浄瑠璃芝居資料館は入館料無料の施設(体験や研修室は有料)で、第3土曜日14時から人形浄瑠璃の公演があります。向かいが「マツシゲート」というカフェを併設した交流拠点施設になっており、藍染や木工のワークショップを行っていたり、毎週土曜日に朝市、毎月第二日曜日にマルシェが行われています。

ハレルヤスイーツキッチンは和菓子・洋菓子を製造する製菓企業です。民話の「阿波狸合戦」にちなんだ徳島銘菓の「金長まんじゅう」やたぬきケーキで知られているメーカーで、本社・本店が松茂町広島にあります。カフェを併設しているほか、金長まんじゅうの工場を見学することができます。


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山口県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【山口県編】

全47都道府県を網羅 掲載市町村区630以上


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下松市(くだまつし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

山口県下松市 笑いと花と童謡のまち 人口55,437人

市のPRキャラクター「くだまる」と流れ星、松を描いたナンバープレートです。市制施行80周年記念として、2019年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

下松市は山口県の南東部、周南地域(周南・下松・光地区)にある市です。北に中国山地、南に瀬戸内海を臨む地域で、島嶼部として瀬戸内海に浮かぶ笠戸島と古島を有しています。同市は鉄鋼や輸送用機械器具といった製造業を主要な産業としている工業のまちで、臨海部に大規模な工場群があります。下松という地名は「推古天皇の頃に松の木に大星が降り、7日7夜光輝き続けた」という言い伝えから「星が下った松」ということで「下松」になったという説があり、くだんの松がJR下松駅前の金輪神社に「鼎の松五代目」として残っています。近年は山口県内で唯一人口が増加している自治体でしたが、現在は減少傾向に転じています。笠戸島(かさどしま)のとらふぐ・ひらめ養殖が有名で、これらを特産品としています。

笠戸島は下松市街から見て南にある三日月型の島で、面積11.77k㎡と瀬戸内海の島としては大きい方です。古くから造船業で栄えた島で現在は本土と笠戸大橋という橋で繋がっており、レジャー/レクリエーションの地となっています。具体的にははなぐり海水浴場、潮風ガーデン、大城温泉(おおじょうおんせん、国民宿舎 大城)などがあり、キャンプ場も整備されています。また、8月には手作りの筏でタイムを競うくだまつ笠戸島マリンイカダレース大会が開催されています。

下松スポーツ公園は下松市河内にある公園です。球技場や体育館、温水プール、全周660mのウォーキングコースなど運動施設が主体の公園ですが、複合アスレチックや遊具などもあり、しだれ桜・ポピー・コスモスなど四季折々の花の名所としても親しまれています。

ひらめきパーク笠戸島(下松市栽培漁業センター)は、笠戸島の北部にある漁業センターです。2020年にリニューアルされた施設で、日本最大規模のタッチングプールを有しています。魚とのふれあい体験や餌やり、魚の捌きかた教室などを行うほか、館内で笠戸ひらめを販売しています。また、保護した猫を職員として飼育しているため猫好きに人気がある施設です。毎月第1・第3日曜日にプチ海の駅として鮮魚や野菜など地場産品を販売しています。


岩国市(いわくにし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

山口県岩国市 豊かな自然と都市が共生した活力と交流にあふれる県東部の中核都市 人口124,294人

特産の岩国レンコンの形のプレートに、錦帯橋と岩国錦帯橋空港のPRキャラクター「ソラッピー」が描かれています。2014年に岩国錦帯橋空港開港一周年を記念して交付されたもので、ミニバイク50c以下800枚、90cc以下と125cc以下が100枚の計1,000枚が交付されました。

岩国市は山口県の北東部にある市です。2006年、旧岩国市と玖珂郡由宇町・玖珂町・本郷村・周東町・錦町・美川町・美和町が合併して発足した自治体で、873.72k㎡と山口市に次ぐ県下2位の広さを有しています。市域北側から西側にかけては中国山地の山や丘陵地が広がるため約8割が森林となっており、2級水系の錦川流域とこの川が分かれる今津川・門前川の三角州周辺に市街があります。歴史的には吉川氏がおさめる岩国藩(吉川藩)の城下町や山陽道の宿場町として発達した地域であり、現在は化学工業、パルプ・紙、繊維工業といった製造業を主要な産業とする工業のまちとなっています。また、沿岸部に海上自衛隊と米海兵隊、民間が共用する岩国飛行場(岩国錦帯橋空港)があります。岩国れんこん、地酒(「獺祭」、「雁木」など)、高森牛、鮎などを特産品としています。

錦帯橋(きんたいきょう)は、岩国市岩国にある5連の木造アーチ橋(全長193.3m、幅5m)です。日本三名橋・日本三大奇橋に数えられる橋で、元は1673年に岩国藩三代目藩主 吉川広嘉によって作られたとされる橋で、補修や架け替えなどを行い続けて現在見られるものは3代目です。伝統的な木造建築の技法の「木組み(釘を使わない工法)」と石積みにこだわった橋梁です。また、桜の名所でもあり周辺の吉香公園(吉川氏の居館跡を整備したもの。菖蒲園やシロヘビの館などがある)とともに日本のさくら名所100選に選定されています(入橋料:中学生以上310円、小学生150円)。春・秋には錦帯橋が架かる錦川に観光船が出ています。

岩国城は岩国市横山にある史跡(山城)です。1601年に岩国藩初代藩主の吉川広家によって築城が開始され1608年に完成、もともと4重6階の天守を有していたそうですが1615年の一国一城令によりこれは破却されました。その後は城の麓に陣屋が置かれて長らく当地の政治の中心となっていたようです。1962年に当時の絵図をもとに天守が復興されており、山上と麓の吉香公園がロープウェーで結ばれています。

地底王国美川ムーバレーは岩国市美川町にある体験型のテーマパークです。玖珂鉱山(くがこうざん)というタングステン鉱石などを採掘していた鉱山の跡地を、「超古代文明」をテーマにレジャー施設としたものです。歴史的資料や記念施設というよりは地域おこしのためのテーマパークとなっており、全長1kmに及ぶ洞窟内でライトと地図を持って謎解きをするアトラクションなどが行われています。入浴施設やレストラン、土産屋なども併設されており、本格的な観光地になっています。

道の駅 ピュアラインにしきは、岩国市錦町府谷にある国道187号沿いの小規模の道の駅です。錦川に注ぐ中ノ瀬川の屈曲部にあり、清流のイメージと道の駅裏手にある明治38年創業の錦町農産加工のこんにゃく製品がウリです。鮎・わさび・イノシシ肉などが人気です。


下関市(しものせきし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

山口県下関市 自然と歴史と人が織りなす交流都市 人口248,193人

波をイメージした背景にフグとクジラが描かれています。合併10周年記念として2015年にミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

下関市は山口県西部にある市です。2005年に旧下関市・豊浦郡菊川町・豊田町・豊浦町・豊北町が合併して新下関市となり、同日に豊浦郡が消滅しています。関門海峡に面し、本州最西端となる地域で県庁所在地の山口市を凌ぐ県内最大の都市となっています。日本最大のフグの集積地として全国的に知名度が高く、ほかにも市立しものせき水族館「海響館」や宮本武蔵と佐々木小次郎が対決した巌流島(船島)が有名です。古くから海運・貿易・金融に関する産業が盛んな地域であり、現在でも山口県の経済的中心となっているほか、飲食・宿泊など観光業も行われています。また、捕鯨発祥の地とされていることがあり、現在でも日本の調査捕鯨などを支援しています。

市立しものせき水族館「海響館」は下関市あるかぽーとにある水族館です。長府地区にあった下関市立水族館の後継として2001年に開館したもので、ペンギンやイルカ・アシカ・スナメリといった大型水生動物や、土地柄フグが100種以上展示されています。地元下関の海にこだわった展示や日本で唯一となるシロナガスクジラの全身骨格標本が特徴です。また、周辺には「はい!からっと横丁」(遊園地)、あるかぽーとテラス(飲食・物販を行う)があり、少し西へ行くとやまぎん資料館(山口銀行旧本店、無料で見学可)があります。

赤間神宮(あかまじんぐう)は下関市阿弥陀寺町にある神社です。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀るもので、明治の神仏分離まで阿弥陀寺という仏式の寺であり怪談「耳なし芳一」の舞台がこちらです。龍宮城を模したという朱塗りの門(水天門・国の登錄有形文化財)が非常に印象的です。安徳天皇の命日である5月の2~4日に先帝祭という大規模な祭事が行われています。

下関市には道の駅が3つあります。①道の駅 北浦街道 豊北は下関市豊北町にある国道191号の道の駅です。海岸沿いにあり海鮮を推しています。同施設は2016年および2018年に行われた道の駅ランキングで1位になっています。②道の駅 きくがわは下関市菊川町にある国道491号の道の駅です。併設のレストランでは名産のそうめんを推しています。③道の駅  蛍街道 西ノ市は下関市豊田町にある県道34号の道の駅です。温泉の日帰り入浴施設があり、長門鉄道を走っていた蒸気機関車が展示されています。

火の山公園は下関市火の山山頂にある都市公園です。「火の山」とはもともと都に敵の襲来を知らせるための狼煙台が築かれていたことに由来した名称で、明治時代から戦後までは砲台が置かれ、下関要塞の一部であったため民間人の入山が禁止されていました。現在は関門海峡を一望でき桜やツツジ、チューリップの名所とされる公園となっており、ロープウェイで簡単に山頂部までアクセスすることができます。また、屋外に戦艦大和の46センチ砲弾が展示されています。


防府市(ほうふし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

山口県防府市 人・まち元気 誇り高き文化産業都市 防府 人口114,826人

防府ブランドの「幸せます」のロゴとPRキャラクター「ぶっちー」が描かれています。また、自治体名がひらがなの「ほうふ市」になっています。2015年からミニバイク50cc以下1,000枚、90cc以下100枚(交付終了)、125cc以下100枚が交付されています。

防府市は山口県中央南部にある市です。県庁所在地の山口市と周南市に挟まれた格好の沿岸部のまちで、本土側に加えて向島や佐波島など瀬戸内海に浮かぶ5島を有しています。中国・四国地方にまたがる瀬戸内工業地域の一角をなす工業のまちであり、臨海部に工業地域が発達しています。自動車やゴム製品の加工・製造などを得意とする一方、航空自衛隊の基地を有する軍事のまちでもあります。かつてこのあたりは周防国(すおうのくに)の中心地であり、国府や国分寺などが置かれていました。現在の防府市は県庁所在地の山口市、コンビナートの周南市が近いこと、東西に新幹線停車駅があるため交通の便がよいことなどから、県内の自治体としては人口減少が緩やかです。陶器や鱧、水産練り製品やういろうなどを特産品・名物としています。

防府天満宮は防府市松崎町にある神社です。菅原道真が宮中で失脚し、九州の太宰府に流されたおりに当地が宿泊地となったようで、道真が亡くなった翌年の904年に開かれた我が国最初の天満宮です。日本三大天神の一つとされており、防府市一帯は同神社の門前町として発展してきた歴史があります。全国の天満宮ではうそ替え神事という神事が行われていますが、同神社では節分祭に牛替え神事という神事が行われており、これはくじにより秋の御神幸祭で神牛を務める(生きた)牛が当たるという全国的にも珍しい行事です。

毛利博物館は防府市多々良にある博物館です。旧長州藩藩主、明治維新後に公爵となった毛利元昭が建てた本邸を博物館としたもので、雪舟の四季山水図(国宝)や三子教訓状(毛利元就が3人の子に書いた文書。いわゆる「三本の矢」の書状)・甲冑・刀剣・茶道具など美術工芸品が展示されています。また、本邸に付帯している庭園があり、こちらも国指定名勝となっています。

阿弥陀寺(防府市)は防府市牟礼(むれ)にある華厳宗の寺院です。名称通り阿弥陀如来を本尊とし、東大寺の周防別所として創建されたとされています。1180年に焼き討ちされた奈良の東大寺の再建に関わる寺院で、当時は周防国から木材を供出したため、木材切り出し人夫のための石風呂が設けられており、これが文化財となっています。同寺はあじさい寺として知られるほかに、毎月第1日曜日には前述の石風呂に入ることができます(お湯の風呂ではなくサウナに近い)。

道の駅 潮彩市場 防府は防府市新築地町にある市道の道の駅です。同時に三田尻港(商用港だが野島と連絡する旅客航路がある)と隣接するみなとオアシスでもあります。臨海部の工業地帯の奥にあるため道の駅としてはかなり観光地感が薄い施設で、主に防府市で水揚げされた水産物を販売しています。


和木町(わきちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

山口県玖珂郡和木町 「元気・やる気・日本一」のまちづくり みんなでつくろう!! 助け合いのまちづくり 人口5,749人

町制施行40周年を記念して制作されたデザインプレートで、町の花ツツジが描かれています。自治体名がひらがなの「わき」になっているほか、番号は40しか無く先頭部の仮名二文字で区別します。2013年からミニバイク50cc以下80枚、90cc以下5枚、125cc以下10枚が交付されています。

和気町は山口県の北東部にある町です。玖珂郡(くがぐん)に唯一残る町で、岩国市と広島県大竹市に取り囲まれた県内で最も小さい自治体です。町域のだいたい50%が山林ですが、残りは宅地化されており田畑はあまり見当たりません。瀬戸内海に面し、かつては農業と海苔の養殖が盛んに行われていたようですが、現在は臨海部に石油コンビナートが発達しており、重化学工業を得意とする工業のまちになっています。昔からヤマモモが自生していたようでこれを町木とするほか、ジャムやアイスクリームなどに加工して特産品としています。また、小瀬川河口部は周防国(現在の山口県)と安芸国(現在の広島県)の間で長く国境争いが起こっていた地域でもあります。

蜂ヶ峯総合公園は、和気町瀬田紺屋作にある都市公園です。バラ園・ミニ動物園・遊具・アスレチック・キャンプ場などを有し、観覧車やミニSLなどがあったりポニーやうさぎが飼育されていたりと人口6千の町としてはかなり大がかりな施設となっています。


周防大島町(すおうおおしまちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

山口県大島郡周防大島町 ひと・まち★きらり 元気 にこにこ 安心で 21世紀にはばたく先進の島 人口13,513人

PRキャラクターの「みかトトとみかキン」が描かれています。合併10周年記念として、2014年にミニバイク50cc以下を対象に500枚が交付されています。

周防大島町は山口県南東部の屋代島を中心に、周囲の5つの有人島、25の無人島からなる島嶼部のまちです。2004年に大島郡久賀町・大島町・東和町・橘町が合併して発足しています。同地域の中心となる屋代島はその形状から「金魚島」ともいわれる島で(単に「大島」と呼ぶ場合も多い)、瀬戸内海では淡路島と小豆島に次ぐ3番めの大きさとなります。島嶼部ではありますが、本土とは1~2kmほどの距離ですので対岸の柳井市神代と大島大橋によって繋がっています。農業と漁業が盛んな土地柄であり、県内のみかん生産の8割程度を占めることから「みかんの島」として知られる一方で、瀬戸内海の自然的景観や海水浴場など観光資源があり宿泊・飲食業などの観光関連の事業も行われています。しかしながら、人口減少が顕著であり県内2番目に大きい減少率となっています。

なぎさ水族館は当地の伊保田港と松山・柳井をつなぐフェリー乗り場の近くにある水族館です。敷地面積約400㎡と小さめの施設ですが、タッチングプールや沖合の海域公園地区に群生地があるニホンアワサンゴの展示などがあります。水族館の向かいに「陸奥記念館」という町立の博物館があり、これは当地の沖合3kmで沈んだ同名の旧日本海軍戦艦の遺品や構造物をサルベージして展示しているものです。

道の駅 サザンセトとうわは周防大島町西方にある国道437号の道の駅です。レストランや売店のほか、公園や博物館「服部屋敷」(古民家)、鮮魚店などで構成されています。当地はハワイ州カウアイ郡との姉妹都市提携を行っていることもあり、ハワイアンムードが漂っています。

日本ハワイ移民資料館は周防大島町西屋代にある資料館です。1860年に日本の遣米使節がハワイに寄港したおりに、カメハメハ4世から労働者の供給を懇願する信書を託されたことで日本人労働者のハワイ移民計画が始まりました。その後の1885年~1894年の間に全国で3万、当地からは4千人弱の人員がハワイに移民しています(これは官約移民の統計によるので、自由移民やその後の移民を加えると5千を超えるといわれている)。


田布施町(たぶせちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

山口県熊毛郡田布施町 笑顔と元気あふれる 住みよいまち田布施 人口13,877人

田布施町合併60周年記念の60年を還暦になぞらえて、町章が赤い頭巾とちゃんちゃんこを着たロゴマークが描かれています。2015年にミニバイク50cc以下を対象に500枚が交付されています。

田布施町は山口県南東部の室津半島(熊毛半島)の付け根にある町で、熊毛郡に属しています。瀬戸内海にそそぐ2級河川の田布施川の河口部に市街を成すほか、北側の岩国市に囲まれた場所に飛び地(小行司地区)を有し、また瀬戸内海に浮かぶ馬島(山口県側)を有しています。岸信介・佐藤栄作の二人の元総理大臣の故郷として知られる地域です。瀬戸内工業地域の一角を成す光市や岩国市のベッドタウンとして発展してきた歴史を有し、町内の沿岸部にも工場があるため製造業の従事者が割合としては多いです。

ふるさと詩情公園は田布施町下田布施の田布施川南岸にある公園です。童謡や唱歌の碑30基が並んでいます。一部はミュージックボックスが設置してあり、実際に歌を聴くことができます。また、同公園の田布施川沿いに約4kmほど桜並木が続いており、春には桜の名所となっています。周辺に田布施地域交流館があり、野菜・果実・鮮魚・惣菜などを販売しています。

田布施町大岩は田布施町麻郷奥にある岩です。外周20mほどの大岩で、広場にぽつんとあります。「源義経が石城山(光市)の岩を蹴飛ばし、ここまで転がってきた」というような民話が残る岩で、周辺の道路に「謎の大岩」という看板が出ています。

馬島は尾津漁港から南1kmほどのところに浮かぶ島です。海水浴場やキャンプ場(のんびらんど うましま)などがあり、公営渡船で10分ほどで行けるため気軽に訪れることができるレジャー地として人気があります。


美祢市(みねし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

山口県美祢市 市民が夢・希望・誇りをもって暮らす交流拠点都市 美祢市 人口21,615人

秋吉台と当地で出土するアンモナイト、桜の花びらが描かれています。2013年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

美祢市は山口県中央西よりにある市です。2008年に旧美祢市・美祢郡美東町・秋芳町が合併して新美祢市としています。中・東部に日本最大のカルスト台地である秋吉台が広がり、市域全域がMine秋吉台ジオパークとして認定されており、様々な化石が出土することで知られる地域です。国内有数の石灰石の産出拠点としてセメントなど製造業が発達する一方で、市の東部では秋吉台国定公園を中心に観光業が行われています。梨・ごぼう・栗などを特産品としておりとくに秋芳梨が有名です。

秋吉台国定公園は美祢市の中・東部に広がるカルスト台地を国定公園としたもので、面積は45.02k㎡あります。石灰岩の地質が雨水によって侵食されたもので、丘陵地に白い石灰岩が林立する様相を呈し、ドリーネと呼ばれる窪地がたくさんあります。園内には展望台や散策路、秋芳洞(日本最大規模の鍾乳洞)、美祢市立秋吉台科学博物館(入館無料)などがあります。

道の駅 おふくは美祢市於福町にある国道316号の小規模の道の駅です。レストラン・売店のほかに温泉入浴施設と手作りシャーベット工房を有しています。また、同施設から北側300mくらいのところに昔使われていた石灰窯の跡が残っています。

別府弁天池は美祢市秋芳町にある湧水です。別府厳島神社という神社の境内にあり、水深約4mほどの池になっています。Mine秋吉台ジオパークのジオサイト(ジオパークの見どころ・名所)並びに名水百選に選定されているもので、日差しによりコバルトブルーないしターコイズブルーの色合いに見えます。生活用水・灌漑用水のほか魚の養殖に利用されています。また、町内には白水の池と水神池(青池)という湧水があり、それぞれ色合いが異なります。

道の駅 みとうは美祢市美東町にある国道435号の小規模の道の駅です(国道からかなり離れたところにある)。近くを流れる大田川の河川公園と一体的に整備されたもので、水遊びができる道の駅になっています。美東町はごぼうが特産で、コロッケやかき揚げのほかお菓子やお茶などに加工して販売しています。


柳井市(やないし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

山口県柳井市 人が輝く・夢が生まれる 瀬戸内のふれあい元気都市 人口29,840人

プレート右側に民芸品の金魚ちょうちんが描かれています。2012年からミニバイク50cc以下を対象に500枚が交付されています。

柳井市は山口県南東部にある市です。2005年に旧柳井市と玖珂郡大畠町が合併して新柳井市としています。瀬戸内海に突き出た室津半島(熊毛半島)の付け根と半島の東岸、島嶼部からなり、当地と屋代島(周防大島)、愛媛県松山市の三津浜港を結ぶ柳井港を有しています。かつては水陸交通の要衝として農産物などが集積され、瀬戸内海屈指の商港として栄えた地域であり、柳井駅北側に当時の面影をうかがわせる白壁の町並みが残っています。甘露醤油(再仕込み醤油)の発祥の地として知られますが、近年は自然薯栽培の発祥地としても知られるようになってきています。

柳井市古市金屋伝統的建造物保存地区は柳井市柳井津にある伝統的建造物保存地区(伝建)です。約1.7haが指定されており、かつて「岩国藩の御納戸」と呼ばれた往時をしのばせる町家が並んでいます。当地の観光名所として古い家屋が博物館として公開されていたり、金魚ちょうちんの手作り体験ができたりします。また、柳井市町並み資料館という資料館があり、この建造物は周防銀行の本店として明治時代に造られたものです。

やまぐちフラワーランドは柳井市新庄にある花とみどりの公園です。県内の花卉栽培の振興を目的に県が整備したもので、100種12万本の花と21のテーマ別ガーデン、観覧車などを有しています。

余田臥龍梅(よたがりゅうばい)は柳井市余田にある梅の巨木です。同地区の赤子山の斜面にある野生の梅で龍が伏せたような姿から「臥龍梅」の名を冠しており、国の天然記念物となっています。この木のほかに梅70本ほどが植えられて梅園となっています。


周南市(しゅうなんし)

周南市ホームページより

山口県周南市 ここから、こころつながる 人口136,886人

愛称の「しゅうニャン市」を取り入れ、猫をモチーフにしたデザインです。数字が無い「・」の部分は猫の足跡になっています。2018年にミニバイク50cc以下を対象に400枚が交付されています。

周南市は山口県の南東部にある市です。2003年に徳山市・新南陽市・熊毛町・鹿野町の2市2町が合併して発足した自治体で、市域北側に1,000mの山地とそれに続く丘陵地、南部では瀬戸内海に面し狭い平地を有します。そのほか大津島や黒髪島といった島嶼部を有しており、一部は定期航路が設定されています。沿岸部に周南コンビナートを有しており、化学製品・石油・石炭製品・窯業・土石といった製造業を得意とする工業のまちです。一方で、周南市徳山動物園やこ工場群の夜景(日本夜景遺産)、郊外の丘陵地では温泉を主とする飲食・宿泊業が行われるなど観光資源も豊富です。

周南市徳山動物園は周南市徳山にある動物園です。1960年に徳山市立動物園として開園したもので、130種500点ほどの動物が飼育されています。この動物園一帯はかつて徳山藩主毛利氏の屋敷があった場所で、園内に毛利氏ゆかりの史跡が残っていることが特徴的です。近年は2027年の全園リニューアル完了を目指し、施設などのリニューアルが段階的に行われています。

道の駅 ソレーネ周南は周南市戸田にある国道2号の道の駅です。2014年に開業したもので、地域住民によって設立された一般社団法人が運営しています(のわりにかなり広い)。野菜や鮮魚などを扱う市場、レストラン、ベーカリー、土産屋など一般的な構成ですが、「福祉型の道の駅」というテーマで高齢者が栽培する野菜の集荷や高齢社宅の見守り、医療等の相談などを行っています。

回天記念館は周南市の本土側から10kmほどの沖合に浮かぶ大津島(おおづしま)にあります。当地の小学校跡を利用して特攻兵器「回天」に関する記念館としたものです。大津島は太平洋戦争中に使用された特攻兵器(人間魚雷)「回天」の訓練基地の一つが置かれていた場所で、現在も記念館周辺には整備工場の跡や運搬用のトンネルなどが残っています。


萩市(はぎし)

萩市ホームページより

山口県萩市 誇るべき歴史と美しい自然が織りなすふるさとを愛し、心のよりどころとなる、あたたかいまち 人口42,052人

左側に松下村塾、右側に萩ジオパークの須佐ホルンフェルスを背景にカヌーを楽しむPRキャラクターの「萩にゃん」が描かれています。萩反射炉や城下町など市内の5点が「明治日本の産業革命遺産」に世界遺産登錄された5周年記念として、2020年からミニバイク50cc以下を対象に500枚が交付されています。

萩市は山口県北部にある市です。2005年に旧萩市・阿武郡川上村・田万川町・むつみ村・須佐町・旭村・福栄村が合併して新萩市としています。当地の中心市街はもともと長州藩の拠点であった萩城の城下町として発達したもので、吉田松陰が指導し幕末から明治期に日本を主導した人材を多く輩出したことで知られる松下村塾や、藩校であった明倫館など多数の旧跡を有しています。知名度が高いため飲食・宿泊といった観光関連の産業が盛んです。一方で農業・漁業の比率も高く、夏みかんやフグ・剣先イカ(須佐命イカ)・かまぼこなど練り物のほか、萩焼という焼き物が有名です。

松陰神社は萩市椿東および東京都世田谷区にある神社です。1907年に松下村塾出身の伊藤博文と野村靖が中心となって創建された神社で、幕末の思想家・教育者である吉田松陰とその門人の木戸孝允、山縣有朋ら53柱を祀っています。境内に松下村塾が現存しており、松蔭幽囚の旧宅や歴史館、宝物殿などがあります。

萩城(指月城)は萩市街の北西側、日本海にぽっかり突き出した形の指月山にある日本の城/国の史跡です(日本100名城)。関ヶ原の戦いで敗軍の将となった毛利輝元が同地に築城したもので、石垣と堀のほかに長屋が残っています。周辺は萩城跡指月公園として整備されており桜の名所とされていますが、とりわけ「ミドリヨシノ」という全国でも萩市でしか見られない希少な桜(ガクは緑、花弁は白)のうち1樹が志都岐山神社の狛犬の脇にあり、山口県の天然記念物となっています。

萩・明倫学舎は萩市江向にある史跡/ビジターセンターです。江戸時代に全国に300ほど置かれた藩学の一つであり、当時では最大級のもので水戸藩の弘道館や岡山藩の閑谷学校と並び日本三大学府の一つとされていました。現在では明倫小学校(国の史跡)が残るほか、明治日本の産業革命遺産や萩ジオパークを紹介するビジターセンターとなっています。

道の駅 萩往還は萩市椿にある主要地方道萩秋芳線の道の駅です。幕末の偉人像や吉田松陰記念館(無料)などを有する道の駅で、見蘭牛(けんらんぎゅう、または見島牛。萩市の見島という島嶼部で飼育される牛。外国種との交配を全くしていない希少な種)を食べさせるダイニングがあります。萩市にはほかにも道の駅が点在しており、萩しーまーと、萩・さんさん三見、ハピネスふくえ、ゆとりパークたまがわ、うり坊の郷 katamataがあります。


山陽小野田市(さんようおのだし)

山陽小野田市ホームページより

山口県山陽小野田市 スマイルシティ山陽小野田 人口58,335人

レノファ山口FCのマスコットキャラクター「レノ丸」と市のPRキャッチフレーズ「スマイルシティ」のコラボデザインです。2020年にミニバイク50cc以下を対象に200枚が交付されています。

山陽小野田市は山口県の南東部にある市です。2005年に小野田市と山陽町が合併して発足した自治体で、瀬戸内海に広く接する扇形の市域を有しています。明治期からセメントや化学工業を中心とした工業都市として発達した経緯があり、現在も製造業を主な産業としています。市としては厚狭駅周辺を中心市街と位置づけていますが居住区は分散しており、小野田駅周辺・公園通り周辺(南小野田駅周辺)・羽生漁港周辺などにも市街が発達しています。かまぼこなど水産加工品やかぼちゃなどを特産品とするほか、民話「三年寝太郎」の伝承が残る地域として知られており、これが焼酎や菓子などの名称として使用されています。

江汐公園(えじおこうえん)は山陽小野田市高畑にある公園です。江汐池という池を中心に整備されたかなり広い公園で、5万株のミツバツツジのほかバラ園やあじさい園を有するほかキャンプ場が整備されています。

きらら交流館は山陽小野田市焼野海岸にある研修宿泊施設です。焼野海岸(日本の夕日100選)を望む展望風呂(トロン温泉)があり日帰り入浴も可能な施設ですが、令和5年3月よりリニューアル工事のため長期休館に入っています。

ドライブインみちしおは、山陽小野田市埴生にある24時間営業の国道190号沿いのドライブインです。あさりがたっぷり入った貝汁(380円)やホルモンうどんが有名で、レストランのほかに2つの源泉を有する温泉入浴施設があります。山陽小野田市は道の駅といった大規模な観光交流施設がないため、こちらの商業施設が「当地の顔」になっています。


原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

広島県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【広島県編】

全47都道府県を網羅 掲載市町村区630以上


四輪自動車の地方版図柄入りナンバープレートはコチラ「地方版図柄入りナンバープレート 一覧 (四輪自動車)」または 地方版図柄入りナンバープレート 中国 (四輪自動車)

広島県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

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原付のご当地ナンバー市町村区別目次はコチラ


大崎上島町(おおさきかみじまちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

広島県豊田郡大崎上島町 瀬戸内の元気島 大崎上島 海景色が映えるまち~地域資源を活かした理想郷の実現~ 人口6,778人

右側にみかん、左側にブルーベリーが描かれています。合併10周年記念として、2015年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

大崎上島町は広島県の南部にある町で、豊田郡に属しています。2003年に大崎町・木江町・東野町が合併して発足した自治体です。町名の大崎上島を中心に生野島、長島など芸予諸島の島々で構成されており、竹原港や安芸津港からフェリーで30分くらいのところにあります。柑橘類やいちご、しいたけの生産などの農業と漁業、造船業が主な産業で、「ミカンと造船の島」として知られています。本土と道路が繋がっているわけではなく、もともと観光地としても知名度は高くありませんが、近年は観光案内所やみなとオアシスができて町外との交流を進めています。

海と島の歴史資料館は大崎上島町東のにある歴史民俗資料館です。1881年に建造された旧家を利用したもので、当地の人々が「大崎衆」と呼ばれる海賊衆であった頃の小早船にルーツを持つといわれる櫂伝馬競漕や、島の北側にある国の天然記念物 スナメリ回遊面の資料展示、当時の船乗りが見聞きして書いたとされる桜田門外の変の図などの資料が展示されています。

きのえ温泉は大崎上島町沖浦にある温泉(冷鉱泉)です。岬の丘の上に一軒宿の「ホテル清風館」があり、日帰り入浴も可能です。泉質はナトリウム・カルシウムを含む塩化物冷鉱泉で、瀬戸内海を見下ろす(ときには渦潮も見られる)展望露天風呂が自慢です。このホテルの東側に中ノ鼻灯台という背が低い白亜の灯台があります。また、島内には大崎上島町ふれあいの館(薬研谷温泉)という銭湯があり、こちらは大人310円、小学生160円で入浴できます。


庄原市(しょうばらし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

広島県庄原市 美しく輝く 里山共生都市~みんなが“好き”と実感できる“しょうばら”~ 人口33,292人

かまぼこ型のプレートに庄原上野公園の桜(日本さくら名所100選)と太鼓橋が描かれています。合併10周年記念として、2015年にミニバイク50cc以下200枚、ミニカー用100枚が交付されています。

庄原市は広島県の北東部にある市です。2005年に旧庄原市・東城町・高野町・比和町・甲奴郡惣領町が合併して新庄原市としています。面積1246.49k㎡と全国の自治体で13番目の広さ、県内だと最も広い自治体で、島根県・岡山県・鳥取県に隣接する県境のまちとなっています。市域は山がちで84%が森林ですが、昔から農業と畜産が盛んで、比婆牛という和牛の産地として知られるほか、ろう石・カオリナイト・石灰石といった鉱物を産出する鉱業が発達しています。そのほかスキー場や温泉、国営備北丘陵公園など観光資源があり、飲食・宿泊業など観光関連の産業も行われています。市域北部は豪雪地帯に指定されており、ときおり1mを超えるような積雪がみられます。

国営備北丘陵公園は庄原市三日市町にある公園です。国土交通省中国地方整備局が1991年から整備を続けてきたもので、国兼池という江戸時代に造られた非常に大きいため池周辺の面積340haが整備されており、中国地方唯一の国営公園となっています。インフォメーション・売店・食堂などがある「中の広場」、里山風景を再現した「ひばの里」、約1.5haの花畑「花の広場」など様々なエリアに分かれています。

帝釈峡(たいしゃくきょう)は、庄原市と神石高原町にまたがる全長18kmの峡谷です(国の名勝)。高梁川支流の帝釈川がつくる渓谷で、広島県を代表する景勝地として知られています。見どころとして雄橋(おんばし。日本百名橋の一つで川が石灰岩をくり抜いて橋の形になったもの)や白雲洞(鍾乳洞)、約3億年前にできた断魚渓などがあります。紅葉の名所とされており、神龍湖周辺には遊覧船が出ています。

道の駅 たかのは庄原市高野町にある県道39号の道の駅です。大きな施設ではなくレストランや売店などでシンプルに構成されていますが、中国横断自動車道(松江自動車道)高野ICのそばにあるため、当地では当地では最も人気のある道の駅です。りんごが名産で、雪室という雪を使った冷蔵庫があります。ほかに市内には道の駅 YOUサロン東城(国道182号)と道の駅 リストアステーション(国道432号、県内初の道の駅)があります。


三原市(みはらし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

広島県三原市 海・山・空 夢ひらくまち 人口88,472人

広島空港から離陸する旅客機と瀬戸内の島々、三原城天守台の石垣が描かれています。合併10周年記念として2、015年からミニバイク50cc以下1,500枚、50~90cc以下150枚、90~125cc以下350枚が交付されており、2021年に在庫がなくなったため交付終了となっています。

三原市は広島県南部にある市です。2005年に旧三原市・本郷町・久井町・大和町が合併して新三原市としています。歴史的には1567年頃に建造された三原城の城下町と軍港を起源とし、旧三原市街地の後背にそびえる桜山の谷間の湧原、駒ケ原、小西原の3つの「原」から「三原」と称するようになったとされています。市域北西側に広島空港、市街に山陽新幹線・山陽本線・呉線が乗り入れるJR三原駅、瀬戸内海側に尾道糸崎港があり陸・海・空の交通の要衝となっているほか、島しょ部として佐木島・小佐木島などを有しており、一部はフェリーで連絡しています。もともと臨海部の工業集積地として発展してきた経緯があり、製造業の従事者が比率としては多いです。

三原城(浮城)は、1567年に小早川隆景によって沼田川の河口に築城された城(海城)です(続日本100名城)。現在は石垣や堀を残すのみですが、JR三原駅北口側すぐに天守台があり、当地を代表的する名所になっています。この城は海側に開けた造りになっていて、満潮時には海に浮かぶように見えることから別名を「浮城」といいます。往時は瀬戸内海の交易の拠点、また水軍の軍港としての役割を担っていました。現在は毎年11月に三原浮城祭りが行われています。

三原市すなみ海浜公園は三原市須波西にある公園です。海岸線を走る国道185号と呉線から海岸の砂浜までにスロープ、ビーチ、幼児用プール、トイレなどが整備されています。砂浜用の車椅子の貸出があるなどバリアフリー化されているビーチで、週末にはキッチンカーが出ています。

広島市立中央森林公園は1993年に開港した広島空港の周辺に整備された公園です。空港の開港を記念して整備された面積267haのもので、空港を一周する12.3kmの国際規格のサイクリングコースと日本庭園「三景園」(広さ6haの回遊式庭園)を主な施設とした公園です。ほかに運動広場やゴルフコース、展望広場などがあります。

佛通寺(ぶっつうじ)は三原市高坂町にある臨済宗佛通寺派大本山の寺院です。中国三十三観音霊場の第十二番札、また山陽花の寺二十四か寺の第二十一番札所となっています。県内屈指の紅葉の名所とされる寺で、秋には多くの参拝客や観光客を集めます。


廿日市市(はつかいちし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

広島県廿日市市 世界遺産を未来につなぎ、多彩な暮らしと文化を育む都市・はつかいち 人口116,067人

日本三景「安芸の宮島」を象徴する厳島神社の大鳥居が描かれたナンバープレートです。市制施行25周年を記念したもので、2014年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています(従来型と選択式)。

廿日市市は広島県の南西部にある市です。東で広島市、西で山口県大竹市、南側は瀬戸内海に接していて市街の南側に「安芸の宮島」の名で知られる厳島が浮かんでいます。市域の北側は山がちですので、おおむね沿岸部に市街を形成しています。宮島の厳島神社が日本三景及びユネスコ世界遺産になっている関係で、観光地として知られる地域です。もともと中国山地の木材を活かした木材産業のまちとして発展しましたが、現在は広島市のベッドタウンとなっており、市の主要な産業は製造業・サービス業・不動産業です。また、現在の形のけん玉の発祥の地で、「ウッドワンけん玉ワールドカップ廿日市」という世界大会が行われています。

厳島(安芸の宮島)は瀬戸内海西部に浮かぶ面積30.39k㎡の島です。古代から島そのものが信仰の対象になっていたようで、島内に厳島神社(全国に500ほどある同名の神社の総本社)が建ち、平安時代頃から歴史に登場するようになります。同神社は非常に有名であり、国宝の平舞台や重要文化財の大鳥居などを有するため、コロナ禍以前は年間300~400万ほどの観光客が訪れています。JR宮島口駅か広電宮島口駅からフェリーで約10分ほどの船旅で島に渡ることができます。厳島は人口1,670ほどの島ですが、表参道商店街を代表に東リには商店が並んでおり、観光客向けの商売が行われています。また、厳島神社のほかに獅子岩展望台、宮島歴史民俗資料館、宮島水族館などの見どころがあります。

紅葉谷公園は宮島の商店街とロープウェイ乗り場(紅葉谷駅)の間にある公園です。弥山の麓にあるモミジを主体とした公園としては日本有数のもので、イロハモミジ560本、オオモミジ100本、ウリハダカエデやヤマモミジなどが40本ほどあります。鹿や猿が住み着いており、同公園のマスコットとなっています。

道の駅 スパ羅漢は、廿日市市飯山にある国道186号の小規模の道の駅です。日帰り入浴施設を有し、道の駅としては小さめですが内風呂、露天、打たせ湯、サウナといった入浴施設に産直市、レストランと一通り設備が揃っています(入浴料大人700円、小人350円、幼児150円)。周辺に小瀬川温泉や羅漢渓谷(景勝地)などがあり、国道沿いにカフェやレストランなどが出ています。

まちの駅 ADOA大野は廿日市市大野にあるまちの駅です。地場産品の売り場とフードコートが一体になった施設で、市内にあるまちの駅の拠点施設として2021年に開設しています。まちの駅としてはかなり大きな施設で、フードコートもお好み焼き・和食・カフェがあり、選べる程度には種類があります。


東広島市(ひがしひろしまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

広島県東広島市 未来に挑戦する自然豊かな国際学術研究都市 人口190,230人

左上に市花のツツジ、右上側に赤瓦と白壁の酒蔵など町並みが描かれています。2014年からミニバイク50cc以下3,000枚、90cc以下150枚、125cc以下520枚、ミニカー30枚、小型特殊300枚が交付されています。

東広島市は広島県中央部にある市です。1974年に発足した自治体で、2005年に賀茂郡黒瀬町・河内町・豊栄町・福富町・豊田郡安芸津町を編入して新たに東広島市としています。名称通り広島市の東側に隣接しており、同市のベッドタウン及び広島大学の学園都市、高度技術の集積都市(テクノポリス)といった性格を有しています。自治体の発足以来開発が進み、人口も増加していましたが、近年は鈍化してきておりほぼ横ばいとなっています。我が国有数の日本酒の産地であり「酒都」と呼ばれる西条の酒、吟醸酒発祥地である安芸津の酒が有名です。主な産業は製造業で、携帯電話や半導体メモリといった高度産業と酒・味噌づくりなど伝統的な産業がともにみられます。県下有数の稲作地帯でもあり、耕地のほとんどが水田ですが近年は農家が減少し、水田も畑に変わりつつあります。

西条酒蔵通りは東広島市西条本町にある通りです。7社の酒蔵が集っており、兵庫県灘、京都伏見とともに日本三大銘醸地として知られる地域で、煙突と赤レンガ、白壁やなまこ壁、「西条格子」と呼ばれる格子窓など酒蔵のレトロな景観が残っています。各酒蔵では有料試飲や見学、販売などを行っているほか、各酒蔵の仕込み水が無料で汲める場所が点在しているためペットボトルや水筒持参で水汲みにくる人も多いです。

鏡山公園は東広島市鏡山にある公園です。市内では最も広い公園で、国の史跡である鏡山城跡の麓を公園として整備しています。30種500本あまりの桜が植栽されており、当地を代表する桜の名所として親しまれています。

道の駅 湖畔の里福富は、東広島市福富町久芳にある国道375号の道の駅です。名称通り福富ダムのダム湖に隣接する道の駅でかなり大規模なものです。レストランやイートインスペース、売店などの商業施設のほか公園やデイキャンプ場を有しています。また、2022年には市内の西条町寺家に道の駅 西条のん太の酒蔵がオープンしています。こちらもかなり大掛かりな施設で、子供用の屋内遊戯場やドッグランを有するほか、貯水槽や備蓄倉庫など防災道の駅として機能するように造られています。

仙石庭園(せんせきていえん)は、東広島市高屋町高屋堀にある日本庭園です。大名庭園の形式をとっている石庭(石や岩が主体の庭)で、2020年に日本初の「庭石の博物館」として登録されています。同園は当地在住の医師・造園家が20年以上かけて全国から銘石を収集して庭園としたもので、様々な風景とともに石の良さを楽しむことができます。


広島市(ひろしまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

広島市ホームページより

広島県広島市 国際平和文化都市 人口1,186,900人

㊤平和のシンボルとして鳩が描かれています。2014年からミニバイク50cc以下~125cc以下とミニカーを対象に交付されています。㊦広島東洋カープ&サンフレッチェ広島のデザインです。こちらは2017年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています(選択には2,000円以上の寄付が必要)。

広島市は広島県の西部にある市で、中国・四国地方の最大都市ならびに広島県の県庁所在地・政令指定都市となっています。おおむね北部の丘陵地と瀬戸内海に面する狭い平野部からなり、市街地は室町時代に姿を表しはじめたとされる太田川の三角州上に築かれています。安土桃山時代に毛利輝元が広島城を築き当地を「広島」と名付けた後も干拓が進み、江戸時代にはすでに人口7~8万人を擁する大都市であったようです。中国地方の中心地として栄え、戦前は軍事都市でありましたが、1945年8月6日に原子爆弾が投下され中心市街に甚大な被害を受けています。現在の広島市は都市全体が平和の象徴として知られており、平和首長会議(地方自治体で構成される反核運動の国際機構)の発案・設立の地です。産業は第3次産業が主体で商業都市となっています。

平和記念公園は広島市中区中島町の太田川の三角州北端にある公園です。12haほどの面積の公園であり、1945年の原爆投下の後に世界の高級平和を祈って爆心地に近い位置に整備されました。広島平和記念資料館や原爆死没者慰霊碑、原爆ドーム、広島国際会議場といった施設があります。現在は国内外問わず有名な公園ですが、原爆投下前は当地を代表する繁華街・娯楽街だったそうです。

広島城は広島市中区基町にある日本の城・国の史跡です。1589年に毛利輝元によって太田川の河口に築かれたもので、太田川には鯉が多く生息することから「鯉城」とも呼ばれています。遺構は石垣と堀くらいで、旧来の天守は原爆投下時に倒壊しています。現在みられる天守は1958年に鉄骨鉄筋コンクリート構造で復元されたもので、現在は歴史博物館として歴史資料を展示しています。場内に大本営の跡地(日清戦争時、日本初の施設)やお茶屋さんがあります。

縮景園(しゅっけいえん)は広島市中区上幟町にある庭園です(国の名勝、日本の歴史公園100選)。広島藩浅野氏の初代藩主 浅野長晟が命じて造らせた別邸の庭園(大名庭園)が元になっています。こちらの庭園も原爆投下で被害を受け一度は荒廃しましたが、その後の1970年あたりまで20年以上をかけて復興しています。

おりづるタワーは原爆ドームの東に100mくらいのところにある複合商業施設です。世界遺産となっている原爆ドームや平和記念公園を望む14階建ての高層のビルでカフェや物産館、展望台などを有しています。


三次市(みよしし)

 

出典元「日経研調べ ご当地プレート

広島県三次市 みよし 人よし 元気よし 人口49,037人

中国山地の山々と霧の海、巴橋、川、PRキャラクターの「きりこちゃん」が描かれています。合併10周年記念として2014年にミニバイク50cc以下~125cc以下、ミニカーを対象に計500枚が交付されました。その後2023年4月に交付が再開されています。

三次市は広島県北部にある市です。現在の三次市は二代目で、2004年に双三郡君田村・布野村・作木村・吉舎町・三良坂町・三和町、甲奴郡甲奴町と合併して新三次市としています。中国山地と吉備山地の間、江の川(ごうのかわ)流域の三次盆地に位置し、市域の3/4が森林です。かつては広島藩の支藩、三次藩の城下町として栄える一方で、江の川支流が三次盆地で合流するためかつては舟運が発達していたようです。現在の三次市は農林業と製造業(電子部品、輸送用機械器具・金属製品)を基幹産業とする地域で、第三次産業は従業者の比率が少ない傾向にあります。米のほかに大根・白菜・たまねぎなど野菜が生産され、畜産は肉用牛の飼育が盛んです。ぶどうとワイン、鮎などを特産品とするほか、ワニ料理(サメ)を郷土料理としています。秋から早春にかけて濃い霧が市街地を覆うことがあり、「霧の海」として知られています。また、2015年に広島県と島根県を南北に縦貫する尾道松江線が当地を起点に開通しています。

広島三次ワイナリーは三次市東酒屋町にある ワイナリーです。当地は県内随一のぶどうの産地であり、ワイン工場の見学や試飲ができるほか、物産館やカフェ、BBQ設備も併設されています。ワイナリー周辺は観光エリアとして整備されていて、奥田元栄・小由女美術館(レストランあり)、みよし遊びの王国、トレッタみよし(バイキング・レストラン、パン工房などある農業交流施設/直売所)などの施設が固まっています。

道の駅ゆめらんどは布野は、三次市布野町下布野にある国道54号沿いの小規模の道の駅です。開駅が古いためややくたびれた印象ですが、物産館・レストランのほか食品加工場、体験農園、カフェ、屋外芝生ステージなどがあり、駅の裏手は布野川の親水公園を兼ねています。バイキング形式の郷土料理とダチョウ料理が人気のようです。

湯本豪一記念三次もののけミュージアムは三次市三次町にある博物館です。日本の風俗史家・妖怪研究家の湯本豪一氏が収集した資料や作品を展示する施設で、2019年に当地の市街地に開館しています。常設展として三次を舞台にした「稲生物怪録」(江戸時代の絵巻・物語で妖怪や怪異についてまとめたもの)の再現、書籍・日用品・玩具にみられる妖怪の展示がなされています。この施設の西側200mくらいのところに尾関山公園という都市公園があり、かつては尾関山城という三吉氏の出城が置かれていたそうです。


尾道市(おのみちし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

広島県尾道市 活力あふれ感性息づく芸術文化のまち 尾道 ~ともに高めあう尾道文化の創造~ 人口129,990人

瀬戸内海と船をイメージしたもので、船の船尾の形をしたプレートに波が描かれています。2009年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

尾道市は広島県南東部にある市です。現在では福山市に譲っていますが、かつては広島県東部第1位の規模を誇る自治体でした。2005年に御調郡御調町(みつぎちょう)・向島町、2006年に因島市・豊田郡瀬戸田町を編入して新尾道市としています。映画のロケ地や文学の舞台としてよく使用されるほかに、尾道ラーメンや本土と向島の間幅200~300mほどの尾道水道が有名で、知名度が高い地域です。海事都市として水運で栄え、北前船・対明貿易船・内航船の寄港地として発展した歴史があるため、多くの寺社仏閣を有しています。尾道と今治を結ぶしまなみ海道の開通、尾道水道・村上海賊・北前船の日本遺産登錄、尾道-松江間を結ぶやまなみ街道の開通によって近年(コロナ禍までは)観光客数を伸ばしています。また、市域の島しょ部である因島は本因坊秀策(伝統的に「棋聖」と尊称する本因坊道策・本因坊丈和に並び、史上最強の棋士に挙げる人が多い)が生まれた土地であるため、囲碁の島として知られています。

千光寺公園は尾道市西土堂町にある公園です。千光寺がある千光寺山の山頂から中腹にかけて広がる公園で、日本さくら名所100選・日本の夜景100選・日本夜景遺産・恋人の聖地などに選定されています。山頂までは尾道駅からロープウェイで登ることができ、山頂には「PEAK」という全長63mの吊り橋型の展望台があります。

耕三寺(こうさんじ)は尾道市瀬戸田町にある浄土真宗本願寺派の寺院です。1936年から伽藍の建設が始められたまだ新しい寺院ですが、山門・本堂など15点が国の登錄有形文化財となっており、当地を代表する観光地になっています。また、仏像・書画・茶道具など美術品や文化財を多数所有するため博物館として登録されています。

招き猫美術館in尾道は尾道市東土堂町にある美術館です。大正時代の古民家を改装したもので、約3,000の大小の招き猫を展示しています。大きな施設ではないですが、近隣には猫の細道や福石猫神社などがあり、猫好きが必ずと行っていいほど訪れる猫スポットになっています。

因島水軍城は尾道市因島中庄町にある村上水軍に関する資料館です。本丸・二の丸・隅櫓などがあるいわゆる城郭風建築物で、それぞれ鎧や文書などを展示しています。また、資料館麓の金蓮寺には村上一族の墓と伝えられる墓石群がまとまっています。


呉市(くれし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

広島県呉市 つなぐ手に海・技・人が光るまち 人口203,210人

船の球状艦首をイメージしたプレートに大和ミュージアム名誉館長 松本零士氏が考案した錨のキャラクターが描かれています。自治体名上に「大和のふるさと」の文字が入ります。2013年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

呉市は広島県南部にある市です。2003年~2005年に安芸郡音戸町・倉橋町・蒲刈町・下蒲刈町並びに豊田郡川尻町・安浦町・豊浜町・豊町を編入して新呉市としています。天然の良港を抱え、明治時代に呉鎮守府と呉海軍工廠が設置された歴史があり、海軍のまちや造船・鉄鋼のまちとして知られています。本土側は山がちで平坦部が少なく、市街が山塊で分断される特異な形状をしています。そのほか大崎下島・上蒲刈島・下蒲刈島など島しょ部を有し、298.3kmの海岸線をもつ複雑な地形となっています。上述の編入で一時期人口25万を超え、2016年に中核市に昇格していますが、その後は人口減少が顕著で5年間で16,000人ほど減少しています。主要な産業は製造業ですが、近年は海軍・海事都市としての歴史を観光資源に観光関連の産業も行われています。

大和ミュージアムは呉市宝町にある科学館です。正式には呉市海事歴史科学館といいます。2005年に開館した施設で、名称通り旧日本海軍の超大型戦艦「大和」建造と軍事活動にスポットを当てるほか、戦艦陸奥や重巡洋艦青葉(戦艦陸奥は瀬戸内海周防大島沖で爆沈、重巡青葉は当地で着底)の砲身などが展示されています。地方都市の博物館としては他に類がないほどの人気があり、年間80~90万人ほどが訪れます。同施設の隣接地に海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)という海上自衛隊の広報施設があり、こちらの展示は無料で見られます。

アレイからすこじまは呉市昭和町にある公園です。むかし「烏小島」という小さい島があったあたりの路地というような意味合いの施設で、大きい公園ではないものの海上自衛隊第1潜水隊群司令部のすぐそばにあるため、日本で唯一潜水艦を間近で見ることができる施設となっています。旧海軍が用いた魚雷積載用のクレーンや係船柱がある細長い公園で、向かいが「昭和町レンガ倉庫群」という、明治時代に造られた旧呉海軍工廠電気部の建物を残しており、内部は商業テナントになっています。

呉市豊町御手洗伝統的建造物保存地区は呉市の島しょ部、大崎下島の東端あたりにあります。江戸時代から昭和初期にかけて建造された町並みで、潮待ちや風待ちのため中継港として発展した同地の歴史の面影を残しています。

呉ポートピアパークは呉市天応にある市民公園です。呉ポートピアランド(スペインの「コスタ・デル・ソル」をテーマにしたテーマパーク。1998年に休園)の跡地を整備したもので、フリーマーケット会場などイベント会場や市民ギャラリーとして利用されています。かなり広い公園で、多目的広場やじゃぶじゃぶ池、絵本館などを有しており、市民の憩いの場となっています。


府中市(ふちゅうし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

広島県府中市 しあわせ実感!“力強さ”と“やさしさ”のある未来を創造するまち府中市 人口35,546人

「ものづくりのまち」の文字と府中家具の蟻組み(板同士の継ぎ手)、国蝶のオオムラサキが描かれています。2012年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています(従来型と選択性)。

府中市は広島県の南東部にある市です。東京都府中市や県内の府中町(安芸府中)と区別するため「備後府中」と呼ばれることがあります。福山市から18km、広島市から90kmほどの場所にあり、概ね山に囲まれた芦田川の沖積平野上、または江の川水系の上下川の流域に市街を成しています。もともと福山藩10万石の手工業地帯として発達した経緯があり、現在も内陸型の工業都市として家具・非鉄製品・ドローンなど様々なモノが製造されています。2004年に甲奴郡上下町(人口約6,000人、当時)を編入していますが、高齢化に苦しんでおり生産年齢人口の減少が顕著にみられます。

道の駅 びんご府中は、府中市府川町にある市道府川11号線と国道486号の小規模の道の駅です。JR府中駅の近くの市街地の中にあります。農産物や地場産品を売るスペースやカフェレストラン、交流テラスなどを備えるまちの駅的な施設となっています。

府中上下歴史文化資料館は府中市上下町上下にあります。旧上下町は石見銀山街道の宿場町として発展した地域であり、両替商など金融で栄えたといいます。上下出身の作家 岡田美智代(田山花袋と関係が深い。「蒲団」のモデルとなった人物)の生家を改装したものです。


竹原市(たけはらし)

「広島ニュース 食べタインジャー」より引用

広島県竹原市 元気と笑顔が織りなす 暮らし誇らし、竹原市 人口22,600人

市の木であり当地を代表する素材の竹と大久野島のうさぎが描かれたデザインです。2021年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています(従来様式の在庫がある限りは選択性)。

竹原市は広島県の沿岸部のほぼ中央にある市です。市街はおおむね瀬戸内海に向かって開くような形になっており、古くから交通の要衝として栄えた地域です。かつては製塩業や廻船業で発展し盛んに行われていました。現在は非鉄金属・電力・食品といった製造業が主要な産業になっていますが、伝統的な地場産業として酒造業やレンガ作りなども行われています。竹細工が有名ですがこちらは歴史が浅く、昭和末期に職業訓練校で日本初の竹工芸科を設置し、平成になって老化防止・医療対策として見直されたものです。たけのこ・ぶどう・じゃがいもなどを特産品とするほか、アヲハタジャムの本社があります。

たけはらまちなみ保存地区は竹原市本町にある国指定の重要伝統的建造物群保存地区です。もともと京都下鴨神社の荘園として栄えたことから、「安芸の小京都」と呼ばれたようです。ノスタルジックな木造家屋が立ち並ぶ街並みは、映画「時をかける少女」「るろうに剣心 最終章 The Final」、テレビドラマ「マッサン」といった作品のロケ地になりました。

道の駅 たけはらは竹原市本町にある国道185号の道の駅です。前述の町並み保存地区の近くにあり、竹原の町並み散策の拠点して利用されています。1階がレストランと売店、休憩スペース、2階が観光情報コーナーとなっています。

大久野島(おおくのしま)は忠海地区から3kmほど沖合にある島です。忠海地区の港からフェリーが出ています。第二次世界大戦中に毒ガスを開発していた歴史があります(当時の住人は強制退去となり、現在は定住者無し)。現在は1,000羽を超えるウサギが生息するため「うさぎ島」として知られており、休暇村やビジターセンター、毒ガス資料館などがあります。コロナ禍以前には年間36万人が訪問する観光地となっています。

たけはら 海の駅は竹原市港町の竹原港にある複合施設です。竹原港は大崎上島・大崎下島・契島(関係者以外立ち入り禁止。全島が工場のため「瀬戸内の軍艦島」などという。日本の鉛の4割を生産している)といった島々と連絡しており、みなとオアシスになっています。


海田町(かいたちょう)

海田町ホームページより

広島県安芸郡海田町 ひと輝く・四季彩のまち かいた~海田らしさがきらりと光る,支え合う豊かさづくり~ 人口30,105人

㊤自治体名上に「日本人初の金メダリスト生誕のまち」の文字、左側に1928年アムステルダムオリンピック三段跳の金メダリスト織田幹雄。㊥旧千葉家住宅 江戸時代中期の建築様式を伝える県の重要文化財㊦PRキャラクター「ヒマ太君」と町の花ひまわり。2020年からそれぞれミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されている。

海田町は広島県南西部にある町で、安芸郡に属しています。広島市安芸区と熊野町に隣接する県内2番めに小さい町です。もともと広島市のベッドタウンとして発達した経緯があり、広島市安芸区・西区・南区とのつながり深い地域です。県庁所在地の広島市より人口密度が高い町として知られています。主な産業は第3次産業で大型の商業施設が多く、農業はほとんど行われていません。また、マツダの工場が多く立地しています。江戸時代には「海田牡蠣」といって牡蠣、明治~昭和期にはぶどうの名産地でしたが現在はほとんど生産されていません。広島市・呉市・東広島市の間にあり、広島都市圏の東側の交通の結節点として渋滞が起きやすい場所でもあります。

海田総合公園は海田町東海田にある総合公園です。町域東側の傾斜地を利用し、公園として整備されているもので、現在2021年から2026年春までの拡張工事が続けられています。野球場やテニスコートといった運動施設、県内有数の大型遊具を備える遊具広場、果樹が植栽されたフルーツガーデン、カフェなどがあり、少し離れたところにキャンプ場があります。

織田幹雄スクエアは、海田町中店(安芸山陽道沿い)にある公民館と織田幹雄記念館が一体化した施設です。県の文化財で近世山陽道(西国街道)の宿場町だった頃の趣を残す旧千葉家住宅が隣接しています。


原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

岡山県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【岡山県編】

全47都道府県を網羅 掲載市町村区630以上


四輪自動車の地方版図柄入りナンバープレートはコチラ「地方版図柄入りナンバープレート 一覧 (四輪自動車)」または 地方版図柄入りナンバープレート 中国 (四輪自動車)

岡山県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

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原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

原付のご当地ナンバー市町村区別目次はコチラ


岡山市(おかやまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

岡山県岡山市 水と緑が魅せる心豊かな庭園都市 人口716,128人

㊤「晴れの国おかやま」(岡山県のキャッチフレーズ)にちなんだ太陽と桃太郎の登場キャラクター㊥岡山城と後楽園のタンチョウ㊦プロサッカークラブ「ファジアーノ岡山」(右側)と女子バレーボールクラブチーム「岡山シーガルズ」(左側)のキャラクターとロゴ。㊤㊥は2016年からミニバイク50cc以下を対象に交付、㊦は2019年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されている。

岡山市は岡山県南東部にある市です。岡山県の県庁所在地並びに東瀬戸経済圏最大の都市であり、2009年に政令指定都市に移行し4つの区に分かれています。岡山平野の中央に位置し、北側の中国山地、南側の四国山地に雲が阻まれるため晴れの日が多く、日照時間が長いです。おおむね北部は吉備高原まで丘陵地が続き、南部は岡山平野の中心市街から児島湾を挟んで児島半島の北部までが市域になっています。卸売・小売業、飲食・サービス業など第3次産業が主要な産業で、表町・岡山駅周辺が商業地区として大規模な集客力を有するほか、製造業も盛んで瀬戸内工業地域の一角を成しています。マスカットやピオーネといったぶどう、白桃、あたご梨などフルーツが特産品として有名ですが、備前焼や烏城彫(うじょうぼり。漆器)など伝統工芸も行われています。

岡山後楽園は岡山市北区にある日本庭園(大名庭園)です(国の特別名勝)。旭川を挟んで岡山城の対岸にある面積14.4haの庭園で、岡山県を代表する観光名所・日本三名園の一つとなっています。1700年に当時の岡山藩主 池田綱政によって作庭されたもので、戦中には芋畑に転用されたり、空襲で施設が焼けたり戦後には進駐軍の宿舎として25mプールが造られたりしました。現在は県の所有になり往時の姿を取り戻しています。また、江戸時代から伝統的にタンチョウが飼育されており、戦後の一時期はいなくなっていましたが現在は8羽が飼育されています。

岡山城は岡山市北区にある日本の城・国の史跡です。もともと備前東部に興り、備中まで支配を伸ばした宇喜多氏が旭川流域の「岡山」という丘に築いたもので、その後小早川秀秋や池田氏によって改修を受けて今に至ります。城壁が板張りで黒く塗られていることから「烏城」(うじょう)と呼ばれていて、周辺は烏城公園として整備されています。戦時中に空襲によって天守(国宝であった)が消失したため、現在の天守は復元されたもので内部は博物館になっています。

吉備津神社(きびつじんじゃ)・吉備津彦神社は岡山市北区にある神社です。どちらも崇神天皇10年(紀元前88年頃)に派遣された四道将軍のうち、吉備津彦(吉備の国を平定し、桃太郎のモデルになったとされる)を主祭神として祀る神社です。吉備津神社は備中一宮、吉備津彦神社は備前一宮です。だいたい1kmくらいの距離にあり一日で両方見て回ることができます。

池田動物園は岡山市北区にある動物園です。1953年に元岡山藩主 池田詮政の孫にあたる池田隆政・厚子(昭和天皇の第4皇女)夫妻により開設された日本初の民間経営の動物園であり、生体100種450頭ほどが展示されています。設立の経緯からして大きな施設ではなく、老朽化も目立ちますが、その由緒から近隣の人々に愛されている施設です。


笠岡市(かさおかし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

岡山県笠岡市 元気・快適・ときめき 進化するまち笠岡 人口45,065人

プレート右側に豊かな大地と瀬戸内の海をイメージした黄緑と水色のライン、PRキャラクターの「カブニくん」が描かれています。2016年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

笠岡市は岡山県南西部にある市です。市域の南部は江戸時代から1989年まで行われた大規模な干拓によってできたもので、市域北部や西部にいくつかの丘陵を含みますが全体になだらかです。おおむね田園地帯に市街が挟まるような形で発展しており、JR笠岡駅周辺及び西部の広島県福山市に隣接するあたりが市街になっています。また、30ほどの有人・無人島からなる笠岡諸島を有しています。主要な産業は製造業で、化学工業・電子部品・プラスチックといった製品の加工と製造を得意としています。歴史的に福山藩の一部であったこと、市西部の県境が日本の県境としてはなだらかなことから広島県福山市と強い結びつきがあります。歴史的には良質な港である笠岡港を有し、海上交通の要衝として栄えた当地ですが、人口減少が顕著で1995年-2015年の間に1万人程度減少しています。

笠岡市立カブトガニ博物館は笠岡市横島にある博物館です。世界で唯一カブトガニをテーマにした施設で、生きたカブトガニやオウムガイを展示しています。笠岡湾と神島水道は古くからカブトガニの繁殖地として知られる場所ですが、1989年まで国営事業によって干拓が行われており、絶滅が危惧されたことからできた施設です。施設近くの浜辺はカブトガニの繁殖地となっており、幼生の放流が行われています。また、カブトガニ博物館公園という公園が隣接しており、こちらはティラノサウルスなど恐竜の実物大オブジェがあります。

古城山公園は笠岡市笠岡にある公園です。笠岡湾を望む標高60mの高台にある公園で県内有数の桜の名所として知られています。ここはもともと笠岡城という村上水軍の要害が築かれていた場所ですが、干拓埋め立て事業により山を切り崩したために遺構の9割ほどが消失しています。

道の駅 笠岡ベイファームは笠岡市カブト南町にある国道2号の中規模の道の駅です。レストラン・直売所・カフェ・観光情報コーナーといったごく普通の構成の道の駅ですが、周辺が花畑になっており、菜の花>ひまわり>ポピー>コスモスと四季折々の花が咲きます。地場産品やひじき・灰干しなど笠岡諸島の特産品を扱っています。


勝央町(しょうおうちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

岡山県勝田郡勝央町 ほどヨイ!田舎 えーがん!勝央 人口10,895人

雲と青空を背景に町のPRキャラクター「きんとくん」が描かれています。2016年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています(下一桁4,9は欠番)。

勝央町は岡山県北東部にある町で、勝田郡に属しています。美作市と津山市に東西を挟まれた格好の地域で坂田公時終焉の地として知られています。また、中心となる勝間田地区はかつて姫路と松江を結ぶ出雲街道の宿場町として栄えたといいます。現在の勝央町は勝央工業団地を中心に内陸型の製造業のまちとなっており、製薬・香料・塗料などの化学工業が発達しています。また、農業の方も盛んで黒大豆・ピオーネ・梨・栗などを特産品としています。

おかやまファーマーズ・マーケット ノースヴィレッジは勝央町岡にある農業公園です。畜舎と放牧場・地場産品の販売所・パン工房・キャンプ場とバーベキュー場などがあり、アイスクリームやバターの手作り体験ができます。施設は林業が盛んな北欧の建築物を参考にしており、木をふんだんに使ったログハウス調となっています。

栗柄神社(くりがらじんじゃ)は勝央町平にある神社です。坂田公時(幼名を金太郎といった。酒吞童子退治で知られる源頼光の郎党)が当地で熱病にかかり亡くなった(とされる)ため、手厚く葬りこれを祀ったものです。公時の勇敢さを称える小さな社が残っています。

勝央美術文学館は、勝央町勝間田にある勝央町ゆかりの画家や文学者の作品資料を紹介する施設です。木造の施設で洋画などの美術品や文学資料を展示しています。


早島町(はやしまちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

岡山県都窪郡早島町 はやしま夢織る町 人口12,746人

上部背景に文化交流施設の「いかしの舎(や)」、右側に早島公園のソメイヨシノが描かれています。町制120周年記念として、2017年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

早島町は岡山県南部にある町で、都窪郡(つくぼぐん)に属しています(現在は早島町1町のみ)。干拓によって内陸部の町となっていますが、もともと室町時代までは島であり周囲の海域は流れが早く、航行の難所とされたことから「早島」といいます。県下第1位・2位の規模の岡山市と倉敷市に挟まれた位置にあるため、両市のベッドタウンとなっています。岡山県内では最小の自治体となる7.62k㎡の面積に多くの人が暮らすため、県内では人口密度が最大です。産業は卸売業が主体であり、流通の要衝であるため当地と岡山市にまたがって岡山県総合流通センターとコンベックス岡山(総合展示場)が存在します。い草を特産品としており、毎年「花ござまつり」というい草製品の展示販売会が行われています。

フォレスタ!早島町ふれあいの森公園は早島町矢尾にある公園です。池やアスレチック、桜並木などがある公園で、キャンプ場が整備されています。岡山市・倉敷の市街から車で30分ほどのアウトドア施設として親しまれています。

いかしの舎は早島町早島にある観光交流施設です。当地はかつてい草の生産で栄えた歴史があり、この施設も古い畳表・経糸問屋を改修したものです。町家の雰囲気を楽しみながらお茶ができるカフェや日本庭園、展示室などがあります。

早島公園は早島町の中央部にある公園です。丘陵地を活かした公園で、多種多様な桜が植栽されているため地元の花見スポットとなっています。園内に国鉾神社という神社があり、境内がツツジや藤の名所として知られています。また、近くに戸川家記念館という資料館があり、代々早島村を治めた旗本である戸川家に伝わる甲冑や蔵、指物、島左近の兜の緒(関ケ原の戦いで戸川家が討ち取ったという)などが展示されています。


津山市(つやまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

岡山県津山市 暮らし、ほんもの。 人口96,550人

㊤津山まなびの鉄道館にある旧津山扇形機関庫㊦桜と津山城址鶴山公園の備中櫓。どちらも2017年からミニバイク50cc以下を対象に交付されている(従来様式との選択制、下一桁4,9及び下二桁42は欠番)。

津山市は岡山県北部にある市です。県内3位の規模を誇る都市で、岡山県北の中心都市となっています。もともとは越前松平家津山藩の城下町として発達したものであり、津山城と鶴山公園、城東の重伝建、旧津山藩別邸庭園(衆楽園)、旧市庁舎、中山神社(美作国一宮)や美作国分寺跡など古い史跡や文化財などが数多く残っています。現在の津山市は概ね第3次産業が主体の商業都市となっていますが、紙漉き・鍛冶・酒造・織物(作州絣)といった伝統的なモノづくりも継承されています。産物では米・地酒・ピオーネ・ジャンボピーマン・和菓子・和紙などを特産品としています。

津山城(鶴山城とも)は津山市山下にある日本の城・国の史跡です(日本百名城)。日本三大平山城の一つで、往時は広島城76棟・姫路城61棟をしのぐ77棟の櫓が立ち並んでいたといいます。本能寺の変で討死にした森蘭丸(森成利)の弟、森忠政によって築かれたものです。明治の廃城令によって天守や櫓など構造物のほとんどを失っていますが、備中櫓や太鼓塀など一部が復元されています。周辺は鶴山公園という公園として整備されており(日本さくら名所100選)、城の東側には城東の町並み保存地区として城下町の風景が残っています。

津山自然のふしぎ館(津山科学教育博物館)は津山市山下にある博物館です。旧津山基督教図書館高校夜間部の校舎を改装したもので、世界各地の動物の剥製800種を中心に、化石や人間の臓器(ホルマリン漬け)などが展示されている自然史の博物館となっています。また、道路を挟んで歴史民俗館(旧基督教図書館)が隣接しています。

道の駅 久米の里は津山市宮尾にある国道181号の道の駅です。地場産品やお土産を売る直売所にレストランを併設しており、ホルモンうどんやさば寿司、ジャンボピーマンなどを販売しています。隣接地に1/3スケールのZガンダムの模型があり、これは個人が7年かけて制作し、市に寄贈したものです。模型には胸部にコクピットが設けられており、毎年4月の最終日曜日に搭乗体験が行われています。

津山まなびの鉄道館は津山市大谷にある博物館(鉄道保存展示施設)です。JR津山駅の構内にあり、こちらの扇形機関車庫は現存する施設としては京都梅小路の扇形庫に次いで国内2番目の規模です。また、日本で1両だけ製造された「DE50形ディーゼル機関車」や人気の「D51形蒸気機関車」など車両13両が展示されています。月に数回転車台回転の実演が行われています。


倉敷市(くらしきし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

岡山県倉敷市 ひと、輝くまち 倉敷  人口469,494人

全面ジーンズのデザインです。まるでデニム生地ように見え、ステッチやパッチ、タブが印象的です。また、リベット風のオリジナルビスを採用しています。2017年からミニバイク50cc以下を対象に5,000枚が交付されています。

倉敷市は岡山県南部にある市です。県下第2位の規模の都市で、岡山市や周辺自治体とともに岡山都市圏の一角を成し、臨海部に水島工業地帯を有するため瀬戸内工業地域の中核都市でもあります。江戸時代には商人の町、近世には繊維産業をはじめ様々な工業が発達した地域ですが、現在は知名度の高い文化観光都市となっており、特に倉敷美観地区の町並みや瀬戸大橋が有名です。産業は卸売・小売業や観光関連の事業など第3次産業が主体ですが、製造業の比率も高めです。美術館や博物館など文化的な施設が多いことが特徴の一つで、大原美術館やライフパーク倉敷科学センターといった大型の施設のほか、いがらしゆみこ美術館(キャンディ・キャンディの作者)や郷土玩具の博物館など小さめのギャラリー的な施設がたくさんあります。

倉敷美観地区は倉敷市にある町並み保存・観光地区です。本町全域と中央・東町の一部を含み、全体で広さ21haとかなり広いです。倉敷川の畔から街道沿いに白壁なまこ壁の蔵が並んでおり、天領時代の景観をよく残しています。中国地方を代表する街歩き観光の王道であり、飲食店や当地の産物を取り扱うショップのほか、倉敷民藝館や日本郷土玩具館、桃太郎のからくり博物館といった博物館、考古学博物館などがあります。美観地区の南東側はアイビースクエアという倉敷紡績の工場跡を改修した複合観光施設になっています。また、倉敷川の西側は倉敷デニムストリートといって、倉敷の児島地区が国産デニム発祥の地であることにちなんだ衣料品・小物・装飾品などを販売する店が軒を連ねています。

児島ジーンズストリートは倉敷市児島地区にある旧野崎家住宅から400mほど続く通りで、当地のジーンズメーカーが軒を連ねています。同地域は干拓地で、古くから米作りには不適とされたために木綿が栽培されるようになりました。現在は「国産ジーンズの聖地」や国内生産の7割ほどを占める帆布(キャンパス地)の生産地として知られており、バッグなどに加工して販売しています。

大原美術館は前述の倉敷美観地区にある美術館です。1930年開館、日本最古の私立西洋美術館ですが、その展示内容は本館(西洋絵画)、別館(日本の近代~現代アート)、工芸・東洋館(陶器や版画、東洋の古美術)など多様です。おおむねエル・グレコの『受胎告知』やモネ『睡蓮』といった作品の所蔵で知られています。

下津井は倉敷市児島地域の地区です。瀬戸内海に突き出た児島半島の西南端にあたる地区で、瀬戸大橋の本州側のたもとにあたります。古くから港町として栄えた地域で、古い町並みが残る下津井町並み保存地区や下津井城跡(県指定の史跡)があるほか、県内有数の漁港として知られており、タコやママカリが有名です。瀬戸内海を一望できる風光明媚な地域であるため、鷲羽山近隣に宿泊施設、鷲羽山ハイランド(遊園地)といった観光業も行われています。


和気町(わけちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

岡山県和気郡和気町 「元気・やる気・日本一」のまちづくり 人口12,995人

㊤和気町のPRキャラクター「タンタン」(自治体名左)「わけまろくん」「フジコちゃん」(右)と藤公園の藤が描かれた可愛らしいデザイン。㊦木立と水辺を背景に国の特別天然記念物タンチョウが描かれている。右下に「タンチョウの里」のロゴ。ともに2017年からミニバイク50ccを対象に交付されている。

和気町は岡山県南東部にある町で、和気郡に属しています(和気町のみ)。2006年に旧和気町と佐伯町が合併して新たに和気町としています。町域の大半が山林であり、吉井川と金剛川の流域に市街を形成しています。全国的には和気清麻呂(奈良~平安時代初期の貴族で、戦前の10円札に肖像画が印刷されていた)の生誕地として知られる地域で、和気神社や藤公園、鵜飼谷温泉、岡山県自然保護センターなどの観光資源を有しています。主な産業は農業と製造業で、果樹栽培が盛んに行われる一方で製造業従事者も多いです。ぶどう・もも・りんご・茄子・白ねぎ・こんにゃくなどを特産品としています。

和気町藤公園は和気町藤野にある公園です。地域おこしを目的に昭和60年に開園したもので、日本最多の100種を超える藤が植栽されています。毎年藤まつりが行われており、地域を代表する花の名所として人気があります。公園周辺に和気氏の氏神を祀る和気神社があり、安産や子供の守り神として親しまれているほか、この神社の参道に歴史民俗資料館があります。

岡山県自然保護センターは和気町田賀にある自然保護・自然学習施設です。面積100haの敷地にアカマツ林や池、人工の湿地などを有し、日本一のタンチョウ飼育頭数で知られる施設で、四季を通じて様々な野鳥・昆虫・野草などを観察することができます。

和気鵜飼谷温泉は和気町益原にある温泉です。「和気鵜飼谷温泉」というそのままの名称のホテル・入浴施設があり、温水プールもあります(湯量150トン/日、ph9.5のアルカリ性単純温泉)。この施設の近くに和気鵜飼谷交通公園があり、遊具やミニSL、ゴーカートといった子供の遊び場になっているほか、鵜飼川沿いに桜並木があるため春には花見が行われています。


吉備中央町(きびちゅうおうちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

加賀郡吉備中央町 おっへぇそう! 人口10,407人

吉備中央町の位置を示した岡山県の地図とPRキャラクターの「へそっぴー」が描かれています。また、自治体名上にキャッチフレーズの「おっへぇそぅ!」の文字が入ります。2017年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

吉備中央町は岡山市の北西側、ちょうど岡山県の中央部にある町で加賀郡(吉備中央町のみ)に属しています。2004年に上房郡賀陽町と御津郡加茂川町が合併してできた町で、同時に加賀郡(旧地名の加茂川と賀陽から一字ずつとった)が新設されました。吉備高原と呼ばれる標高200~697mほどの丘陵地に位置し、旭川・宇甘川(うかいがわ)・加茂川が町域を流れ、渓谷と多くのため池が特徴的な地形となっています。基幹産業は農業で水稲・高原野菜・黒大豆・ぶどうやブルーベリーなどが生産されるほか、林業や畜産も行われています。また、宇甘渓の渓谷美や小森温泉・湯の瀬温泉といった観光資源を有しています。白菜と白菜キムチ・ピオーネ(ぶどう)・ブルーベリー・チーズなどを特産品としていますが、近年は耕地面積・店舗数ともに減少しつつあり活力を失いつつあります。

宇甘渓(うかんけい)は旭川の支流、宇甘川(うかいがわ、うかんがわともいう)がつくる渓谷です。吉備中央町下賀茂あたりは川幅が極度に狭まり、奇岩とそそり立つ岩肌や激流がみられます。シンボルの赤い橋「あかばし」の周辺には遊歩道が整備されており、モミジ・ケヤキ・ウルシなどの紅葉の名所とされています。また、同町内の豊岡川流域にもホタルの名所や滝や奇岩・岩肌を見るにはもってこいの鳴滝森林公園(キャンプ場併設)があります。

湯の瀬温泉(岡山県)は吉備中央町豊岡下にある温泉です。湯の瀬温泉旅館という宿泊・入浴施設とキャンプ場があります。源泉はアルカリ性単純温泉(ph9.7)で、温度29度と低いため加温して用利用しています。豊岡川を下流の方へ下っていくと国道429号あたりに小森温泉があります。

吉備中央町には道の駅が2つあります。①道の駅かようは、吉備中央町北にある国道484号沿いの小規模の道の駅です。直売所・和風レストラン・ドッグラン・コンビニ・体験実習室などを備える施設で、規模は小さいながら一通り設備が整っています。②道の駅 かもがわ円城は吉備中央町上田西にある国道429号の道の駅です(前述の道の駅 かようよりやや大きい)。こちらはバイカーの聖地として親しまれていて、円城白菜を使ったキムチが人気です。

重森三玲記念館は吉備中央町吉川公民館の隣にあります。当地で生まれた重森三玲(昭和を代表する造園家・庭園史研究家)を顕彰する施設です。氏の作品や氏が復元を手掛けた庭は全国各地にあり、京都だと東福寺の方丈庭園、大阪だと大阪城内の秀石庭が有名でしょうか。この記念館に隣接して天籟庵(てんらいあん)という茶室とコンクリートでできた庭があります。

癒しの散歩道 裕園は吉備中央町吉川にある私設公園です。県道72号周辺にあるもので、個人が15年かけて整備したものです。丘を切り開いて遊歩道の石畳やイベント会場などが整備されているほか食事処があり、蕎麦・うどんやジュースなどを販売しています(入園無料、火・水・木曜日は休園)。


赤磐市(あかいわし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

岡山県赤磐市 人“いきいき”まち“きらり” 人口43,730人

市のPRキャラクター「あかいわモモ」と特産物の桃・ぶどうをあしらったデザインです。2018年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています(下一桁4,9及び下二桁42は欠番)。

赤磐市は岡山県中央からやや東寄りにある市です。2005年に赤磐郡山陽町・赤坂町・熊山町・吉井町が合併して新設された市で全域が吉備高原に含まれています。南部の平野が住宅など市街地、中央~北部はなだらかな丘陵地となっています。南西側に隣接する岡山市のベッドタウンおよび、果樹栽培が盛んなことから岡山県のフルーツ王国として知られる地域です。おおむね金属製品やプラスチック製品など製造業を主要な産業としているほか、中央~北部の丘陵地はレジャー地としても利用されており、観光関連の事業も行われています。白桃やぶどう、朝日米という米を特産品としています。

岡山フォレストパーク ドイツの森は赤磐市仁堀中にある農業公園です。ドイツの町並みを再現した町並み広場・動物ふれあい広場・石窯ピザ工房・ワイナリー・クラフト工房・ゴーカートやミニSL、貸しボートといった様々なアトラクションで構成されており、農業公園としてはかなり充実しています。西日本最大となるドッグラン(無料)を有しており、小型犬専用エリアが2つ、大型犬専用エリア1つのほか、犬用のアスレチックがあるアジリティーエリアと貸し切りのオフ会専用エリアがあります。

熊山英国庭園は赤磐市殿谷にある庭園です。小学校の跡地を整備して西日本初の本格的イングリッシュガーデンとしたもので、250種800本のバラをはじめ四季折々の花が咲いています(入園無料)。ハーブ苗や花苗、バラの苗木などを販売しており、週末にはマルシェが立っていることもあります。

熊山遺跡は赤磐市と岡山市・備前市の市境あたりにある遺跡です。熊山山頂から南西方向の熊山神社の裏手にある遺跡で33箇所に石積みの遺構が残っており、その中でも最大のものを国指定の史跡「熊山遺跡」と呼んでいます。この遺跡は基壇の上に方形に3段の石積みをしたピラミッド状の遺構で「岡山のピラミッド」の異名で知られており、地元の定番ハイキングコースとなっています。


浅口市(あさくちし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

岡山県浅口市 星と海のまち 人口31,805人

天文台と星空が描かれています。合併10周年記念として、2016年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています(下二桁・4、・9、04、09、42、44、49は欠番)。

浅口市は岡山県の南西部にある市です。2006年に鴨方町・金光町・寄島町が合併して発足した自治体で倉敷市の西隣りにあります。公式には「あさくち」と読みますが「あさぐち」も使われています。県内では最小の市ですが、植木・帽子・ストロー製造など多くの地場産業を抱えています。温暖で安定した気候であることから天体観測に適した場所とされており、古くは平安時代の陰陽師・天文博士の安倍晴明が安部山で天体観測を行ったとされています。また、旧金光町周辺は金光教(江戸時代末期に生まれた新宗教)の発祥地であり、本部が置かれています。現在の浅口市は製造業を主要な産業とするまちで、農業や漁業も行われており未開発の土地も少ないのですが、人口減少により生産年齢人口自体が減少し続けているため活気を失いつつあります。

岡山天文博物館は浅口市鴨方町本庄と小田郡矢掛町の境あたりにある科学館です。隣接する国立天文台ハワイ観測所岡山分室(旧岡山天体物理観測所)や京都大学の岡山天文台ドームなどを紹介する施設で、展示のほかにプラネタリウムや太陽の観測ができる設備があります。

かもがた町家公園は浅口市鴨方町鴨方にある公園です(日本の歴史公園100選)。江戸時代この辺りは岡山藩の支藩鴨方藩の中心地であったようで、県内最古の町家を含む2棟の古民家や土蔵などを改修し、当時の暮らしを紹介しています。

金光教本部は金光町大谷にあります。正月や祭事には多くの参拝客で賑わうため、周辺は門前町になっています。周辺に古い商店街があり、そのノスタルジックな雰囲気から映画「とんび」のロケ地になりました。


総社市(そうじゃし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

岡山県総社市 地域・文化・自然が支える心豊かな生活交流都市 人口約69,207人

㊤備中国分寺の五重塔(国指定文化財)とプレート下部に「吉備のくに」の文字。㊦修行中の雪舟が涙でネズミを描いたとされる伝説から、ネズミの形のプレートに水墨画風の尻尾。自治体名上に「雪舟の里」の文字が入る。どちらも2011年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されている。

総社市は岡山県南西部の内陸にある市です。2005年に旧総社市と都窪郡山出村・清音村が合併して新たに総社市としています。もともと古代王国・吉備国の中心地域であり、吉備国分国後は備中国の国府が置かれていました。平安時代に備中国内の神々を合祀する総社宮が建てられてこれが地名の由来になっています。現在の総社市は自動車部品・繊維・食品加工などの製造業が主要な産業となっていますが、高梁川の扇状地にあたり市域中~南部では田・水路・ため池などの田園風景もみられます。岡山県全体の人口減少が厳しいなか、2011年以降人口増加を続けています。

鬼ノ城(きのじょう)は総社市の市街の北側、鬼城山にある古代山城です(国指定史跡、日本100名城)。7世紀後半に大和朝廷によって築かれたものとされています。石塁や土塁、敷石などが遺構として残っているほか、城門や角楼が復元されています。未完のものが多い古代の城のなかでは稀な完成した城とみなされており、見学路や展望台、鬼ノ城山ビジターセンターなどが整備されています。

備中国総社宮は総社市総社にある神社です。正式な名称を「總社」といい、備中の神々324柱の神々を合祀するものです。古代の国司は一宮から巡拝を行っていましたが、国府近くに総社を設けてこれを効率化したものです。長い回廊が印象的な神社で、前庭の三島式庭園は後楽園造園の際に参考にされたものとされています。また、南鳥居のそばに明治時代に建てられた警察署を改装したまちかど郷土館があります。

備中国分寺は総社市上林にある真言宗御室派の寺院です。奈良時代、聖武天皇の詔によって各地に建てられた国分寺の一つで、現在のものは江戸時代中期に再建されたものとされてです。また、近くには史跡としての国分寺跡と国分尼寺跡が残っています。岡山県内では唯一となる五重塔を有し、田園風景に立つ五重塔の景観は吉備路のシンボルとなっています。


玉野市(たまのし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

岡山県玉野市 たまたまたまのを、またまたたまのに。 人口55,174人

瀬戸内海の波と魚、いしいひさいち氏の4コマ漫画のキャラクター「ののちゃん」が描かれています。また、下部に「ふるさとたまの!ののちゃんの街」の文字が入ります。2010年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

https://youtu.be/3VLyxMm-VFs?si=8A4DkE0LZv_0W6lq

玉野市は岡山県南部にある市です。岡山市の南東側、吉備の穴海を隔てて瀬戸内海にせり出す児島半島とその付け根にあたる市で、宇野港(重要港湾)を中心とする港湾都市となっています。三井造船の企業城下町として発展した経緯があり(現在同企業は艦艇事業から撤退、代わりに三菱重工が事業を引き継ぐ)、造船・化学・金属といった重厚長大型の製造業が産業の主体です。瀬戸内海の多島美と複雑な海岸線が特徴的で、四国とフェリーによって結ばれているため観光関連の事業も行われています。柑橘類・紫いも・タコやタラ、唐辛子などを特産品としています。

おもちゃ王国は玉野市滝にあるテーマパークです。「世代を超えた世界中の玩具を集めたおもちゃの博物館」というテーマで、たくさんのおもちゃがあります。玉野市のものは軽井沢や東条湖などでテーマパークを運営する同社の総本部です。多数のアトラクション、プールやイベント会場等があり、おおむね0歳児から小学生くらいまでの子どもが楽しめるようになっています。また、近くに渋川動物公園というふれあい重視の動物園があります。個人経営の動物園で、大型の動物は馬くらいですが飼育されているほとんどの動物に触れることができ、こちらも子どもたちに人気のスポットとなっています。

みやま公園(深山公園)は玉野市田井にある風致公園です。国道30号に面した丘陵地200haが公園として整備されており、7,000本の桜のほか梅やツツジ、モミジなど15万の木々が植栽されています。園内に「深山イギリス庭園」という本格的なイングリッシュガーデンがあるほか、道の駅 みやま公園があります。

渋川マリン水族館(玉野海洋博物館)は玉野市渋川にある水族館です。魚や海獣など180種を展示する水族館と海に関する展示を行う陳列館に分かれています(入館料:大人500円、小人250円)。あまり大きな施設ではありませんが子供と行くにはちょうどいい規模で料金もお手頃です。同施設の前は渋川海岸(快水浴場百選、日本の渚百選、日本の白砂青松100選)となっていて、全長1kmほどの砂浜が広がっています。


矢掛町(やかげちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

岡山県小田郡矢掛町 歴史かおる文化の町 人口12,768人

自治体名左にPRキャラクター・観光大使の「やかっぴー」が描かれています。プレート下部に宿場の町並みのイラストと「歴史かおる文化の町」の文字が入ります。2016年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

矢掛町は岡山県南西部にある町で、小田郡に属しています(矢掛町1町のみ)。高梁川水系小田川流域の平野部に開けた盆地で、周囲をぐるっと500m級の丘陵に囲まれています。江戸時代に旧山陽道の宿場町として発展した歴史があり、現在も往時の町並みが残ることで知られています。現在の矢掛町の主な産業は製造業ですが近年は勢いが無く、一方で観光業の進展がみられます。また、耕地面積も多くいちご・梨・にんにくなどを特産品としています。2010年に、長らく栽培が途絶えたとされていたニホンハッカが町内に大量に自生していることがわかり、栽培や蒸留の復興が試みられています。

旧山陽道 矢掛宿は矢掛町矢掛の一部と小林の一部、11.5haの重要伝統的建造物群保存地区です。2020年に選定されたもので、小田川に沿うように900mほどの古い町並みが残っています。とりわけ江戸時代の宿舎本陣「旧矢掛本陣石井家住宅」、脇本陣「旧矢掛脇本陣高草家住宅」は国内では唯一の本陣と脇本陣が現存するものであり、国の重要文化財に指定されています。

道の駅 山陽道やかげ宿は矢掛町矢掛にある国道35号の道の駅です。2021年にオープンした施設で前述の矢掛宿近くにあります。駐車場やトイレ、無線LANといった共用施設と観光案内コーナーがありますが、飲食や物販は行っていません。近くの商店街(旧山陽道沿い)に客を誘引するための施設という位置づけのユニークな道の駅です。


高梁市(たかはしし)

高梁市ホームページより

岡山県高梁市 ひと・まち・自然にやさしい高梁 人口27,149人

備中松山城で飼育されている猫城主の「さんじゅーろー」、背景に特産品のシャインマスカット、ピオーネ、ベンガラを表す3本線(左側)、右側にはベンガラ染めされた布地が風に靡く様を描いています。2020年にミニバイク50cc以下1,700枚、50~90cc以下100枚、90~125cc以下200枚が交付されています。また、ナンバーの「・」が猫の足跡になります。

高梁市は岡山県西部にある市です。2004年に旧高梁市・上房郡上漢町・川上郡成羽町・川上町・備中町が合併して新高梁市としています。もともと備中松山城の城下町として発展した地域で、高梁川・成羽川流域に沿って市街を形成しています。面積のうち8割弱ほどが林野で高梁川の東西には吉備高原の自然が広がっています。江戸時代後期~大正にかけて、銅山とベンガラ(赤色の顔料)の一大産地として栄え、現在でも赤銅色の町並みが残っています。ピオーネなどのぶどうやトマト、高原野菜のほか中国地方最大のシャクヤクの産地として知られていますが、人口減少の割合・高齢化率が共に高く基幹産業の農業は活気を失いつつあります。

備中松山城は高梁市内山下にある臥牛山(標高487m)の山頂付近に建つ日本の城(山城)です(日本100名城、日本三大山城の一つ)。現存十二天守の一つであり、山城としては唯一天守が現存しているものです。天守、二重櫓・土塀などが重要文化財に指定されています。明治時代の廃城令によって山麓にあった御根小屋(備中松山藩の政庁)は取り壊されたのですが、城自体は不便な山の上にあることが幸いして残ったといいます。現在は櫓や門、展望台などが復元・整備されていたり、夜間にライトアップされたりして当地のシンボルになっており、「雲海に浮かぶ天空の城」や「猫城主のいる城」として知られています。

吹屋ふるさと村は高梁市成羽町吹屋にある6.4haの重伝建です。石州瓦とベンガラ壁漆喰の赤い町並みで知られる地域で、現在は街歩きができる観光地になっており、旧片山家住宅(国の重要文化財)、ふるさと村郷土館や商業施設があります。また、周辺には旧吹屋小学校(日本最古の木造校舎)や笹畝坑道(銅山の坑道で観光用になっている)があります。

広兼邸は高梁市成羽町中野にある歴史的建造物です。前述の吹屋ふるさと村に含まれていますが、3kmほど南にあります。江戸時代後期に小泉銅山とローハ(緑礬=ベンガラの原料)で財を成した庄屋の巨大な邸宅で、映画「八ツ墓村」など映画のロケ地として知られています(入館料:大人400円 小人200円)。


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