沖縄県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【沖縄県編】

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沖縄県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

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原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

原付のご当地ナンバー市町村区別目次はコチラ


石垣市(いしがきし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

沖縄県石垣市 おーりとーり「日本最南端の自然文化都市」へ 人口49,400人

石垣島の朝焼けをモチーフにした背景に、野底マーペー(野底岳)やカンムリワシなどがシルエットで描かれています。市制70周年記念として、2017年にミニバイク50cc以下~125cc以下、小型特殊車両を対象に交付されています。

石垣市は沖縄本島と西表島に次ぐ広さの石垣島ほか魚釣島など尖閣諸島を市域とする市です(尖閣諸島は現在は無人なので、実質的に1市1島)。沖縄本島から南西側に410kmほど離れた場所にあります。この石垣島は南西が頭、北東が尾のおたまじゃくし型の島で、南部のユーグレナ石垣港離島ターミナル周辺と北側の艀海(ふかい)周辺が市街地、北部は於茂登岳やビーチ、マングローブ林といった自然が広がっています。また、島東部には新石垣空港があります。手つかずの自然が残り、観光業が盛んな地域ですが、広大な耕地を有し農業(主として肉用牛・パイナップル・シークワーサー・さとうきびなど)も盛んに行われています。また、国・琉球大学・市、NPO法人などで共同運営される国立天文台石垣島観測鏡があります。

石垣やいま村(旧八重山民俗園、名蔵ドライブイン併設)は石垣島西部の名蔵川北岸にある古民家を主とした野外博物館です。日本最南端かつ最西端のテーマパークであり、ラムサール条約湿地の名蔵アンパルに隣接しています。移築復元された古民家では水牛に木臼を引かせる伝統的なサトウキビの絞り出し法の展示や三線の演奏、サータアンダギー作りの体験などがあります。リスザル園を併設していて、カンムリワシの保護も行う施設です。

バンナ公園は石垣市街から北方4kmにそびえる(標高230mほど)バンナ岳の周辺を整備した県営の広域公園です。熱帯果樹園やお祭り広場、渡り鳥の観測所などを園路で繋いだもので、広さは約290haにも及びます。西口と北口の中間あたりにふれあい子ども広場があり、遊具が揃っています。また、北口駐車場のあたりに世界の昆虫館がはいっています。

石垣島鍾乳洞は石垣市石垣にある鍾乳洞です。石垣島にあるいくつかある鍾乳洞の一つで、全長3.2km(公開されているのは660m)と最大のものです。こちらと伊間原のサビチ洞(全長324mで日本では珍しい「海に抜ける鍾乳洞」として知られる)が観光地として整備されています。また、付近には龍神鍾乳洞・八重山鍾乳洞があります(これらは無人でガイドなどは無し)。

白保海岸は石垣島南東部の海岸線で遠浅のビーチになっています。シュノーケリングの定番スポットとして知られています。同海岸は120種ほどのサンゴが生息するサンゴの楽園で、大規模なアオサンゴの群落があります。グラスボート(底が透明な遊覧船)が島北部の川平湾やユーグレナ石谷島離島ターミナルから出ています。WWFジャパンのサンゴ礁研究センターが運営する施設でしらほサンゴ村という施設があり、サンゴ礁に関する資料の展示などを行っています。

具志堅用高記念館は石垣市新川にある同名のプロボクサーを記念する施設です。氏は元WBAライトフライ級王者で、世界ジュニアフライ級王座を13度防衛(世界記録)し、最優秀選手に5度選ばれています。チャンピオンベルトや当時の新聞の切り抜き、当時のビデオなどの資料が見られますが、以前に盗難にあったため展示品は少なめとなっています。また、通りのはす向いに八重山平和祈念館があります。


北谷町(ちゃたんちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

沖縄県中頭郡北谷町 夢つながる人つながる共に生きる ニライの都市 人口28,227人

「CHATAN TOWN」の文字とご当地キャラ「ちーたん」がサーフィンをしている図柄です。2018年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

北谷町は沖縄本島中部の中頭郡(なかがみぐん)にある町です。沖縄市の西側に隣接し、東シナ海に沿った海岸低地と40m~120mほどの緩やかな丘陵地で構成される町域を有しています。キャンプ・フォスター、キャンプ桑江(キャンプ・レスター)、嘉手納飛行場、陸軍貯油施設の4つの米軍関連施設があり、町域の51.6%を占め、上記の人口に加えて約1万人の米軍居住者が暮らしています。第一次産業はほとんど行われず、卸売・小売業やサービス業、宿泊・飲食業などが主要な産業となっています。沖縄戦以降、住民と米軍が共に自然を切り開いたため植生がほとんど残っておらず、海岸も多くが造成地となっています。泡盛や地ビール、塩、月桃(サンニン)の加工品などを特産品としています。

美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジ(デポアイランド)は、北谷町美浜にあるショッピング・エンターテイメントエリアです。1981年に返還された在日米軍施設のキャンプ・フォスターにあったハンビー飛行場と隣接する埋立地に建設されたもので、1997年にオープンしています。名称通りアメリカンな雰囲気の施設で、ホテル、飲食店、イオン北谷店、映画館などがあります。

北谷町運動公園はデポアイランド(アメリカンビレッジ~北谷フィッシャリーナまでをいう)の南側に隣接する公園です。約20haの広さがあり、陸上競技場や野球場、サンセットビーチ(海水浴場)、ちゃたん恵み温泉(テルメヴィラちゅらーゆ)などがあります。また、風力発電施設近くにヤギ小屋や猫の道(野良猫が多い海岸の道)があり、当地の癒やしスポットになっています。

安良波公園(あらはこうえん)は北谷町北谷にある公園です。北谷沖で座礁して沈没した英国の帆船「インディアン・オーク号」を模した複合遊具と、アラハビーチと呼ばれる600mほどの砂浜、バーベキュー施設などがあり、当地の観光名所の一つとなっています。

砂辺馬場公園は北谷町砂辺にある公園です。コンビネーション遊具やスケートパーク、バスケットコートなどがある公園で、砂辺海岸の砂浜に隣接しています。1945年の沖縄戦で米軍が上陸した地点であり、「当時200隻を超える軍艦から艦砲射撃を受け、その後上陸戦が行われた」といった旨が書かれたモニュメントが設置されています。


与那原町(よなばるちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

沖縄県与島尻郡那原町 太陽とみどりと伝統とやさしさを未来へつなぐ海辺の町 人口20,071人

「大綱曳のまち」の文字と大綱曳(おおつなひき)の大綱、旗頭の「花」が描かれています。2018年からミニバイク50cc以下~125cc以下、ミニカーを対象に交付されています。

与那原町は沖縄本島南部の町で、島尻郡に属しています。面積5.18k㎡の沖縄本島では最も小さい自治体で、町の北西の運玉森と南東部の雨乞森という丘陵・森林地に挟まれた平地上に市街をなしています。町の東側に中城湾(なかぐすくわん)があり、波の静かな天然の良港として、第二次世界大戦までは港町・沖縄本島東部の海上交通の要衝となっていました。現在の与那原町は商業が主要な産業で、製造業の窯業(瓦やシーサーなど陶器)を地場産業としています。1980年代から緩やかな人口増加を続け、令和2年に人口2万人を達成しています。

与那原大綱曳まつりは尚永王時代に始まった豊作祈願のまつりであり、現在まで440年ほどの歴史を有するまつりです。旧暦6月26日以後の日曜に行われるまつりで、町内各区でもやわれる綱は重さ5t、長さ90mほどにもなり、県内では那覇綱、糸満綱と並んで三大綱の一つとされています。綱を運ぶ行事「道ジュネー」は観光客でも参加できます。

与那古浜公園は与那原町東浜にある公園です。遊具はありませんが、広い芝生や運動場、陸上競技用のトラックなどがある公園です。周辺はあがり浜市場(農産物直売所)、カインズなどがある商業地で便利がよく、交番もあるので夜間まで利用されています。また、前述与那原大綱曳まつりが行われる期間にはステージのパフォーマンスや出店などが出ています。

与那原町立軽便与那原駅舎・展示資料館は与那原町の市街にある資料館です。戦前に沖縄を走っていた軽便鉄道(沖縄県営鉄道)の与那原駅舎を復元した施設で、内部は鉄道博物館になっています(入館料金100円、町内及び小学生以下は無料。入場券は切符になっている)。周辺の国道331号沿いに昭和博物館~私はレトロ~という個人で運営している資料館があり、アンティーク・レトロ好きに人気があります(入館料:大人500円、小人300円。ドリンク付き)。

奥原製陶所は与那原町上与那原の国道331号沿いにある焼き物の工房です。シーサーの展示販売を行っているほか、シーサー作りの体験を各種行っています。

カトリック与那原教会(聖クララ教会)と聖クララ修道院は与那原町与那原にある教会です。1958年に竣工したもので名建築と評判高く、「DOCOMOMO JAPAN選定日本におけるモダン・ムーブメントの建築」(日本の近代建築100選)に選ばれています。教会の方は信者でなくても見学可能です。


宜野座村(ぎのざそん)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

沖縄県国頭郡宜野座村 水と緑と太陽の里 人口6,227人

ガラマン岳をイメージした緑の縁取りのプレートに、「水と緑と太陽の里」の文字とマスコットキャラクター「ぎーのくん」が描かれています。2014年からミニバイク50cc以下~125以下を対象に交付されています。

宜野座村は沖縄県本当の中央部、国頭郡の太平洋側にある村です。内陸側はキャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブの米軍施設があり、村域の50%強が米軍の中部訓練地域によって占められるため、集落は沿岸部に集中しています。基幹産業は農業で、もともとサトウキビやパイナップル、野菜といった農業と漁業が行われていましたが、1980年ごろから緩やかな人口増加が続いているため、商業も盛んに行われています。大型施設に乏しいため、観光地としてはあまり知られていませんでしたが、近年は観光業も盛んに行われるようになっています。阪神タイガースの一軍のキャンプ地として知られる地域で、グスク時代(琉球王国以前)の遺跡がいくつか残っています。

道の駅ぎのざは、宜野座村漢那にある国道329号沿いの小規模の道の駅です。漢那ダムの人造湖 かんな湖から流れる漢那福地川の河口部にあります。もともと物産館「未来ぎのざ」として運営していたもので、2014年に道の駅として登録されています。周辺にぎ~のくんランド(大型アスレチックと親水施設がある公園)、園芸センター、阪神タイガースのグッズショップ、コンビニやレストランなどがあります。

宜野座村農村公園は宜野座総合運動公園(阪神タイガースの春季キャンプが行われる宜野座球場がある)の中にある公園です。2016に複合遊具などが設置されています。また、同公園内に村立博物館(郷土の芸能・歴史・考古を主に扱う博物館で、村立としては充実している)があります。

漢那漁港は前述の道の駅ぎのざから東300mくらいのところにある漁港です。第1種漁港(地元の漁業での利用を主とする。漁港は第1>第3と数字が大きいほど規模が大きい)なので、小さい施設ですが、牡蠣や伊勢海老など海鮮が網焼きで食べられる施設があります。また、児童公園を挟んで漢那ビーチに隣接しています。

松田鍾乳洞は宜野座村松田にある鍾乳洞群をいいます。メーガー洞、ウーヌメー洞、イヌジー洞などがあり、周辺の松田地区体験交流センターで各鍾乳洞のツアーが予約できます。メーガー洞の入り口付近では、ツアーに参加しなくてもつらら石や石柱が見られます。

宜野座村にはいちご狩りを行っているいちご農園がいくつかあり、収穫体験で観光客を集めています(県内では宜野座村に集中している)。たくさんありますし所在地も分散しているので、興味のある方はリンク先でご確認ください。


西原町(にしはらちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

沖縄県中頭郡西原町 文教のまち 人口35,582人

左側に町花のブーゲンビリアと右側に町の花木サワフジ(サガリバナ)が描かれています。2013年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています(従来様式の選択可)。

西原町は沖縄県本島南部にある町で中頭郡に属しています。那覇市の北東10kmほどのところにあり、漢字では「西原」と書きますが、沖縄の言葉でニシは「北」を指すため、かつての琉球王国の首里の北に位置していたことに由来します。全域が緩やかな丘陵地、ないし海岸沿いの低地で占められています。戦後サトウキビの栽培が盛んに行われましたが、現在の西原町は卸売・小売業を主な産業ですが、一方で県内の製造業の中核を担う工業都市でもあります。また、町内に琉球大学・沖縄キリスト教学院大学・沖縄キリスト教短期大学があるため、教育・学習支援業も比率としては高めです。第二次世界大戦末期に行われた沖縄戦では住民の47%が死亡するなど甚大な被害を受けた地域とされています。

クリード西原マリンパークは西原町東崎にある海浜公園です。中城湾の埋立地に設置された施設で、長さ550mにも及ぶ西原きらきらビーチやバーベキュー施設、遊具、バナナボートの貸出や水上バイクの体験などを行う施設などがあります。周辺にはイルカ公園やあがりはまティーダ公園(こちらもビーチ)、隣接する与那原町川に与那原マリーナや与那古浜公園などがあり、中城湾を見渡す景勝地・観光地となっています。

西原さわふじマルシェは西原町小波津にある複合商業施設です。2020年にオープンしたもので、地場産の野菜や果物、惣菜などを扱うJAおきなわファーマーズマーケット西原うんたま市場や、地域の歴史文化・観光情報の発信を行う西原劇場、軽食やテイクアウトができるまちスタンドなどがあります。

空手博物館は西原町上原にある空手の資料館・道場です。黄色と青のとかく目立つ外観の施設で、館長の外間哲弘(ほかま てつひろ)氏は空手学博士、沖縄の剛柔流・琉球古武術を伝える達人でもあります。館内の博物館には琉球古武術で用いる武器や修行用の石や鉄下駄、書やポスターなど空手関係の資料が所狭しと並んでいます(入館料300円)。

内間御殿(うちまうどぅん)は西原町嘉手苅(かでかる)にある史跡・祭祀場です。1666年に国相・向象賢(羽地朝秀)の進言によって創建されたもので、後に尚円王(琉球王国の国王)となる金丸が当地の地頭に任ぜられた際の旧宅跡地に建っています。国の史跡に指定され、沖縄戦で損害を受けたものの石垣が良く残っています。樹齢400年といわれるサワフジと周辺のコスモス畑で知られており、花の名所でもあります。


南風原町(はえばるちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

沖縄県島尻郡南風原町 ともにつくる黄金南風(こがねはえ)の平和郷(さと) 人口40,808人

南風原の「H」を模したプレートに沖縄の石造りの伝統をモチーフとした「南風原高架橋」のシルエット、PRキャラクターの「はえるん」、琉球かすりでよく使われる「トゥイグワー(鳥柄)」が描かれています。2013年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

南風原町は沖縄本島南部にある町で、島尻郡に属しています。那覇市の東側に隣接し、沖縄では唯一海に接していない自治体です。町域全体が緩やかな丘陵地と低地で構成され、字新川あたりでは標高100mを超えます。国道329号、507号、那覇空港自動車道と県道が走る交通の便が良い地域で、近年は人口増加が目立ちます(県内の町では一番人口が多い)。戦前戦後ともに米やサトウキビの栽培など農業を基幹産業としていましたが、現在は卸売・小売業、サービス業など第三次産業中心の産業構造ににシフトしています。また、本部・照屋・喜屋武(きゃん)地区は琉球王国時代から琉球絣の産地として知られています。国道沿いを中心にロードサイド店舗や個人の飲食店が多く見られ、全体としてベッドタウンの様相を呈しています。

黄金森公園(こがねもりこうえん。那覇市のものとは別)は南風原町喜屋武にある公園です。陸上競技場や野球場、散歩ができる遊歩道などがあります。公民館や文化センターの裏手の森林・丘陵地を公園としたもので、旧陸軍病院壕など戦跡のほか拝所があります。

沖縄県公文書館は南風原町新川にある公文書館です。1995年に開設されたもので、沖縄県の公文書だけでなく琉球王国や琉球王国米国民政府の文書を扱っています。カフェなどは併設されておらず、観光目的で行くような施設ではないですが、沖縄県の歴史に興味のある方にとっては宝の山であるほか、時折企画展もやっています。

琉球かすり会館は南風原町元部にある琉球絣事業協同組合の施設です。織り機や琉球絣製品の販売などがあり、体験コーナーでは手織り体験も行っています。

金城哲夫資料館は南風原町津嘉山にある資料館です。脚本家・金城哲夫は第一期ウルトラシリーズを企画し、円谷プロ初期の特撮番組のメインライターとして知られる人です。料亭の松風苑の敷地内にあり、当時利用された金城哲夫の書斎が公開されています(入館無料)。


沖縄市(おきなわし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

沖縄県沖縄市 国際文化観光都市 人口142,678人

「エイサーのまち」の文字とPRキャラクターの「エイ坊」が描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

沖縄市は沖縄本島中部に位置する市です。1974年にコザ市と美里村が合併して生まれた市で、那覇市に次いで第二位の人口を誇ります。地勢市北部から北西部の丘陵地から市南東部の中城湾いたるまで緩やかな傾斜地となり、概ね標高100m以下の地域です。嘉手納基地の飛行場と弾薬庫地区、キャンプ・シールズなどの米軍基地によって市域の17.3%が占められているため、国際色豊かな地域です。主要な産業は卸売・小売業やサービス業で、農業や漁業も行われています。コザゲート通りからコザ十字路(国道329号・330号・県道75号の十字路)にかけて商店街や繁華街が発達していますが、近年は国道330号沿いに商業の中心が移動したため、コザ十字路付近のの活性化の試みが行われています。

コザゲート通り(旧称:空港通り)は米軍基地のゲートを起点とする通りで、県道20号が国道330号と交差する交差点までをいいます。外国人向けの店が多く並び、異国情緒がある通りで、国道330号交差点付近にコザミュージックタウン(館内にエイサー会館を含む)があります。

沖縄こどもの国は沖縄市胡屋と北中城村にまたがるこどもの国(児童厚生施設)です。県内で初めて設置された動物園、子供向けのミュージアム「ワンダーミュージアム」、ボランティアの活動拠点及びレストラン・沖縄県環境センターなどを含むチルドレンズセンターで構成されています。ほかに古民家の展示やつりぼり、ミニカーやミニSLなどのアクティビティがあります。

美らヤシパークオキナワ・東南植物楽園は沖縄市知花にある植物園(博物館相当施設)です。1968年に大林農園として開設されたもので、ヒスイカズラ・ハイビスカス・トックリヤシの並木などがある日本最大級の屋外植物園で、約45,000坪(東京ドーム3個)の広さに熱帯~亜熱帯植物1,300種類が植栽されています。また、ヤギやカピバラなども飼育されており、エサを与えることができます。

泡瀬漁港は沖縄市泡瀬にある第一種漁港(地域の小漁港)です。沖縄市漁業協同組合パヤオ直売店という店舗が出ています。パヤオというのは浮魚礁のことでブイのように海に浮かべる漁礁です。同漁港から片道2時間ほどのところにあるこの漁礁で採れた魚や料理が販売されているほか、観光用に中城湾の沖合に浮かぶ津堅島まで行く遊覧船も出ています。漁港の南側の海は泡瀬干潟という南西諸島では最大級の浅海域で、潮干狩りや釣り、バードウォッチングなどに利用されています。

沖縄県総合運動公園は沖縄市比屋根と北中城村にまたがる運動公園です。東側すぐに前述の泡瀬干潟をのぞむ公園で、70.4haの敷地を有し、県内最大の陸上競技場やプール、キャンプ場、ドッグランなどがあります。園内にレストランがあったり、キッチンカーが出ていたりするほか、周辺に入浴・サウナ施設(沖縄健康サウナ)もあり、地域のレクリエーション施設として親しまれています。


南城市(なんじょうし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

沖縄県南城市 海と緑と光あふれる 人口45,207人

ハートを模した形状のプレートに公認キャラクターの「なんじぃ」が描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています(50cc以下のみ下部の左右両端が水色、ハート部の背景色で種別を表す)。

南城市は沖縄県本島南部にある市です。2006年に島尻郡佐敷町、知念村、玉城村、大里村が合併して生まれた市で、沖縄本島南東部の一部と久高島・奥武島で構成されます。起伏に富んだ地形で、海岸部の低地と内陸部の丘陵地がはっきりと分かれています。沖縄の歴史・信仰に深く関わる地域で、琉球で初の統一王朝を建てた尚巴志王(しょうはしおう)の出生地、及び沖合に浮かぶ久高島(くだかじま)は琉球神話のくにづくりの地とされます。卸売・小売業やサービス業など第三次産業が主要な産業ですが、農業の割合が多く畜産風景や畑が見られます。玉城の玉泉洞とガンガラーの谷、知念岬公園や斎場御嶽(せーふぁうたき)などの自然景観、史跡が観光資源となっています。

おきなわワールドは南城市玉城前川にあるテーマパークです。鍾乳洞の玉泉洞を中心にハブの博物館、琉球王国時代の古民家、熱帯フルーツ園などがあります。また、西側にガンガラーの谷(こちらも元は鍾乳洞で、今は崩壊して森林になっている)があり、人気の観光スポットとなっています(カフェを併設)。

斎場御嶽は南城市知念久手堅にある御嶽(祭祀場)です。15-16世紀の琉球王国尚真王時代に用いられたもので、琉球創生の神アマミキヨが作ったとされる沖縄七御嶽の中でも最高の御嶽とされました。2000年に首里城跡などとともにユネスコの世界遺産に登録されています。周囲の森林は沖縄県でも優れた植生をもつされ、シダ植物やラン科植物などに珍しいものがあります。また、艦砲弾の着弾跡がありうち一つは見学可能です。

知念岬公園は南城市知念久手堅にある公園です。景観で知られる公園で、高所から海と彼方の久高島・コマカ島を見渡すことができます。遊具などはないものの、多くの観光客が訪れるためがんじゅう駅・南城(観光案内所)、南城市地域物産館が併設されています。

久高島は知念岬の東5.3kmの海上にある島です。世帯数150ほど、人口200人強が住む島で、安座真港からフェリーが出ています。観光施設は無く、農業と漁業が行われるだけの島ですが、琉球神話の創世神アマミキヨがこの地に降りてくにづくりを始めたとされる聖地です。イラブウミヘビの燻製を煮たイラブー汁やノニ(ヤエヤマアオキ)の葉を用いたぷっかかー茶などが名物です。また、日本における鰹節の歴史とも深い関わりがある地域です。

天然温泉さしき猿人の湯はユインチホテル南城に併設されている入浴施設です。日帰り入浴が可能で、源泉かけ流しの温泉であり、オーシャンビューの景観もあって人気があります。値段は高いですが、沖縄には温泉入浴施設が少ないため希少な施設です。泉質は海水の8割程度の塩分を含むアルカリ性単純温泉で、明るい褐色をしています。※現在はタオル持ち込みで入浴料の割引があるようだ。


浦添市(うらそえし)

浦添市ホームページより

 沖縄県浦添市 太陽とみどりにあふれた国際性ゆたかな文化都市 人口115,703人

丸みを帯びたプレートに市の花オオバナアリアケカズラ(右上)と「てだこのまちURASOE」の文字、太陽をイメージしたロゴマークが描かれています。市制施行50周年記念として、2020年にミニバイク50cc以下500枚、90cc以下50枚、125cc以下300枚が交付されています。

浦添市は沖縄本島南部と中部の境目にある市です。那覇市の北東側に隣接し、県内では那覇、沖縄、うるま市に次ぐ4番目の規模のまちです。市域の東側を標高60~140mほどの丘陵が走り、西側は段丘面が海岸の低地まで続いています。琉球王国成立以前の三山時代にそのうちの一国、中山王国の首都として栄えた地域です。現在の浦添市は商業・サービス業が多い沖縄県内でもひときわ卸売・小売業が盛んで県内の第3次産業の核の一つであるほか、那覇市に次ぐ県下第2位の製造品出荷額を誇ります。一方、農業・漁業はわずかに行われるのみで山林や海岸を含めて自然はほとんど残っていません。沖縄方言では「ウラシー」と呼ばれ、ハンドボールが盛んな地域です。海岸沿いに米軍の平坦施設 牧港補給地区(キャンプ・キンザー)があります。

浦添大公園は浦添市伊祖にある公園です。面積は37.4ha、芝生や多目的広場、遊具といった通常の公園の施設のほかに、浦添城跡や浦添ようどれ(琉球王国の陵墓)、ハクソー・リッジなどがある公園で日本の歴史公園100選に選ばれています。第二次世界大戦末期の沖縄戦において激戦地となった場所で、浦添グスク・ようどれ館というガイダンス施設・資料館があります。

浦添カルチャーパークは前述の浦添大公園の西側にある総合公園です。コンサートホールや図書館、プールや市民球場などがある公園で、八角形のドーム屋根と塔が印象的な浦添市美術館(漆芸品を専門とする。ほかに絵画、焼き物などを所蔵)がはいっています。また、美術館の近くにオオゴマダラ(沖縄県の蝶)が飼育されています。

バークレーズコートは浦添市当山にあるショッピングセンターです。2002年に返還された米陸軍工兵隊事務所跡地にできたもので、2005年にオープンしています。ゲオやダイソー、スタバ、ほっともっと、スシローなど約20店舗ほどがはいっています。在沖縄アメリカ総領事館が同地にはいっているため、バス停も「総領事館前」になっています。

国立劇場おきなわは浦添市勢理客にある組踊公園内にある国立劇場です。国立劇場としては国内5番目の施設で、1972年に国の重要無形文化財に指定された組踊(音楽・踊り・せりふなどによって構成される琉球王国の宮廷芸能)や琉球舞踊などを保存し、上演しています。


那覇市(なはし)

那覇市ホームページより

沖縄県那覇市 夢をかたちに、笑顔をくらしに、元気をまちに。 なはが好き!みんなで創ろう 子どもの笑顔が輝くまち 人口316,771人

市制100周年記念のロゴと市の花ブーゲンビリア、市の蝶オオゴマダラが描かれています。ナンバーは「78」から始まります。2021年2月から12月にかけて市制施行100周年記念として交付されたもので、ミニバイク50cc以下190枚、90cc以下10枚、125cc以下100枚が交付されています。

那覇市は沖縄本島南部にある市で沖縄県の県庁所在地です。市域西側で東シナ海と接し、東側は小高い丘陵が市街を取り巻いています。39.98k㎡の面積は全国の県庁所在地のなかで最も小さく、海岸線に沖縄県の玄関口として那覇空港と那覇港があり、国内有数の人口密集地域となっています。卸売業・小売業や宿泊・飲食サービス業が産業従事者の90%を占める商業・観光都市である一方で、沖縄県の工業の主要な部分を担っています(食料品加工・石油製品など)。水産業の従事率は0.1%程度に過ぎませんが、マグロの水揚げ量は全国の10%ほどを占めるため、市の魚としてマグロが制定されています。

首里城公園は那覇市首里にある公園・史跡です。首里城は琉球王国の王城で、14世紀末(推定)に築城されたものと考えられています。1945年の沖縄戦と琉球大学の建造によってほとんどが破壊されましたが、1980年代から正殿などが復元されて沖縄観光には欠かせない名所となりました。2019年の大規模火災を受け歴史上5度目の消失となりましたが、2021年11月には2026年の完成を目指して再興が進められています。また、近くに第二尚氏王統が葬られた陵墓 玉陵(たまうどぅん。国宝、世界遺産)があります。

国際通りは沖縄県町北口交差点から安里三叉路までの長さ1.6kmの通りをいいます。那覇市最大の繁華街であり、全国的にも有名な商店街です。1933年に県道の一部として整備されたもので、当時は周辺に人は少なかったようです。沖縄戦で周辺が焦土になったものの、この通りやガープ川一帯に闇市がたち、1948年には「アーニー・パイル国際劇場」という映画館ができて大変な賑わいをみせたといいます。現在も飲食店、衣料品店、土産屋などが立ち並ぶ活気ある商店街で、沖縄復興のシンボルになっています。

沖縄県立博物館・美術館(愛称:おきみゅー)は那覇市おもろまちにある複合文化施設です。2007年に博物館と美術館の両機能をあわせ持つ施設として開館したもので、博物館では沖縄の歴史・風俗やリュウキュウジカ、ヤンバルクイナなどの化石、万国津梁の鐘(重要文化財。首里城正殿前に掛けられていたもの)などが展示されています。また、屋外展示では彫刻のほか古民家も展示されています。

壺屋やちむん通りは那覇市壺屋1丁目にある通りです。「やちむん」は焼き物のことで、同地や読谷村(やちむんの里)で作られる焼き物 壺屋焼を主として45ほどの窯元が店舗を出しています。また、陶器の店のほかにカフェや那覇市立壺屋焼博物館があります。

識名園(しきなえん)は那覇市真地にある琉球庭園です。首里城の南にあることから南苑ともいい、琉球の第二尚氏王朝尚穆王(しょうぼくおう、1752-1794年)の頃に冊封使(中国の使節)を歓待するために造園されたとされています(完成は1799年頃)。また、那覇市久米に福州園という中国式庭園がありますが、こちらは那覇市70周年と中国福州市との友好都市締結10周年を記念して造園されたもので、1992年に開園した庭園です。

波の上ビーチは那覇市若狭にある人口のビーチです。海岸線の少し先に道路の高架がかかり、長さ300mほどとあまり開放感がありませんが、同市の海岸線は那覇空港・那覇港が殆どを占めるため唯一の海水浴場となっています。周辺は波の上うみそら公園(海浜公園)、旭ヶ丘公園(対馬丸記念館)、波上宮(岬に建つ神社、琉球八社の一つ)などがあります。


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志布志市(しぶしし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

鹿児島県志布志市 やすらぎとにぎわいの輪が協奏するまち 人口28,384人

「志のあふれるまち」の文字と公式キャラクターの「志武士ししまるとトン助」、特産品の鰻と景勝地のダグリ岬、枇榔島(びろうじま)が描かれています。市制施行10周年記念として、2016年からミニバイク50cc以下844枚、90cc以下78枚、125cc以下78枚が交付されています。

志布志市は鹿児島県東部の大隅地域にある市です。2006年に曽於郡志布志町・有明町・松山町が合併してできた市で、大隅半島の付け根、宮崎県と接するあたりにあります。おおむね市域南側の志布志港周辺に市街を成し、市域北部から東部にかけては市域の50%強を占める傾斜の多い森林地となっています。古代から漁業が盛んだったらしく、平安時代にはすでに日向・大隅・薩摩国にまたがる島津荘の水門(水運の玄関口)として機能していたようです。現在の志布志市は卸売・小売業や運輸業など第三次産業を主要な産業とする一方で、農業が盛んに行われており、茶・焼酎・黒豚・メロン・いちご・ちりめんじゃこなどを特産品としています。

志布志港は志布志市の南側にある重要港湾・中核国際港湾です。南九州エリア一円の流通にかかわる港で、国内および中国・台湾・韓国など外国ともつながりがあります。国内の原木の輸出量のうち3割を占め、海外からは主に畜産用の飼料が輸入されています。また、「さんふらわぁ さつま」「さんふらわぁ きりしま」が定期航路として大阪南港と連絡しています。

ダグリ岬遊園地は志布志市志布志町夏井にある遊園地です。観覧車や子供向けの定番乗り物などがあるレトロな施設で、鹿児島県唯一の遊園地です。周辺にダグリ岬展望台や国民宿舎 ボルベリアダグリ、ダグリ岬海水浴場や志布志湾大黒イルカランド(宮崎県串間市)などがあり観光地になっています。

うなぎの駅は志布志市志布志町志布志にある鰻専門のレストランです。当地で鰻の養殖を行う山田水産株式会社が運営するもので、普通車90台・大型バス10台対応の駐車場がある大規模の店舗となっています。「オーガニックうな重」や「うなぎカレー」、「うなぎラーメン」などを提供するほか、直売店では鰻の加工品やししゃも、さんまなどが販売されています。

かごしま黒豚は土着の豚とイギリス産バークシャー種をかけ合わせ改良を重ねた豚で、口当たりが柔らかくアミノ酸含有量が高い(旨みが強い)のが特徴です。かごしま黒豚を使った志布志市のご当地グルメ「志布志発かごしま黒豚三昧」は、全国ご当地どんぶり選手権で、2016年・2017年に2年連続準グランプリを獲得、2018年「グランプリ・観光庁長官賞」に輝きました。


鹿児島市(かごしまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

鹿児島県鹿児島市 人・まち・みどり みんなで創る“豊かさ”実感都市・かごしま 人口597,115人

桜島とその火口から上る噴煙を「薩摩切子」(薩摩ビードロ)風に表しています。2018年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています(従来様式と選択性)。

鹿児島市は鹿児島県の中部にある市です。同県の県庁所在地であり、南九州の政治や文化、経済の主要都市です。薩摩半島と大隅半島に挟まれた鹿児島湾(錦江湾)の薩摩半島側に市街を成し、対岸には活火山の桜島があります。薩摩・日向・大隅の3国を治めた島津氏の居城 鹿児島城の城下町として発達した地域です。現在の鹿児島市は卸売・小売業やサービス業など第三次産業が主要な産業となっていて、観光都市(年間観光客入込数1千万ほど)の特徴を示しています。また、沿岸部に南北20kmに及ぶ鹿児島港(重要港湾)を有し、奄美大島・屋久島などの離島部や対岸の桜島や垂水市の垂水港にフェリーが出ています。火山が近いため市内に200以上の温泉の泉源を有し、公衆浴場の殆どが温泉です。

天文館は鹿児島市の市街中心にある繁華街・歓楽街をいいます(「ここからここまで」といった明確な規定は無い)。この名称は島津家第25代当主の島津重豪が天体観測や暦の研究施設として建設した明時館(天文館)に由来し、多くのアーケード商店街が網の目状に広がっています。地元有力百貨店の山形屋、センテラス天文館(ショッピングモール)などがあり、南西側の鹿児島中央駅の間に流れる甲突川(こうつきがわ)の畔に鹿児島市ふるさと維新館があります。

仙巌園(せんがんえん、別名磯庭園)は鹿児島市吉野町にある大名庭園です。350年ほど前に島津家19代当主 島津光久によって別邸の庭として造園されたもので、5haほどの広さを有し、奇岩と灯籠が特徴の庭と明治時代には迎賓館としても利用された御殿、薩摩切子の工房などがあります。また、同地区は集成館というアジア初の近代的西洋式工場群が設置された場所であり、集成館機械工場(現在は尚古集成館という博物館・観光案内所になっている)や反射炉跡などが世界文化遺産に認定されています。

いおワールドかごしま水族館は、鹿児島市本港新町の桜島フェリーターミナル・北埠頭フェリーターミナルの近くにある市立の水族館です。1997年に開館したもので、鹿児島湾・鹿児島沿岸の海洋生物をメインに、ジンベイザメ(代々「ユウユウ」と呼ばれている)・サツマハオリムシ・マンボウやピラルクーなどの生物が展示されています。イルカや電気ウナギの放電ショーがあるほか、希少種の鯨 タイヘイヨウアカボウモドキの全身骨格標本があります。

鹿児島城(鶴丸城)は鹿児島市城山町にある城跡です。江戸時代が始まる直前の1601-1602年に築かれたもので、石垣・堀などの遺構があるほか、2階建ての御楼門が復元されています。本丸や二の丸跡などは城山公園として整備されており、本丸跡には鹿児島県歴史・美術センター黎明館、二の丸跡には県立図書館・県立博物館、市立美術館などが建っています。周辺に西郷隆盛洞窟(1877年の西南戦争で西郷隆盛が最後の指揮をとった洞窟)や西郷隆盛終焉の地、天然温泉湯乃山(入浴施設)などがあります。

桜島は東西約12km、南北約10km、標高1,117mの火山です。桜「島」といいますが、1914年の大正大噴火で大隅半島と陸続きになっています。島の北西部と南西部には平らな土地があり、農地や港などとして利用されています。鹿児島港からフェリーで3.5km、約15分ほどで桜島に渡ることができます。島内には道の駅 桜島や桜島ビジターセンター(火山のミニ博物館)、湯之平展望所、桜島溶岩なぎさ公園&足湯、入浴施設などがあり、登山や温泉目当ての観光客が訪れる観光地となっています。また、桜島小みかん(世界一小さいみかんで、袋は堅いが甘みが強い)や桜島大根、ビワなどが島の特産品となっています。


奄美市(あまみし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

鹿児島県奄美市 自然・ひと・文化が共につくるきょらの郷(しま)~太陽(てぃだ)の恵みのもとで、ゆったりとくらす人々が、自然の声を伝えていくまち~ 人口41,543人

「世界自然遺産へGO!!」の文字とてぃだ(太陽)と海、アマミノクロウサギとヘゴ(木性のシダ植物)が描かれています。2013年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

奄美市は九州の南方、沖縄県と九州の中間あたりにある奄美大島にある市です(2006年に名瀬市・笠利町・住用村が合併して発足)。奄美大島は奄美群島の主要な島で面積712.35k㎡(本土4島を除く離島で国内5位)、奄美市・龍郷町・大和村・宇検村・瀬戸内町の一部からなり、奄美市が人口・経済規模で最大の自治体となっています。また、市域中央北側には名瀬港(鹿児島港からトカラ列島、沖縄県の本島と離島地域などを結ぶ)、市域北東側に奄美空港があり、奄美大島の海・空の玄関口になっています。主要な産業は卸売・小売業など第三次産業で、サトウキビやたんかんなど柑橘類を主とする農業や漁業も行われています。黒糖と黒糖焼酎などその加工品、大島紬、たんかん・びわ・パッションフルーツなど果実類などを特産品としています。※一般に「島唄」というとTHE BOOMのイメージが強く琉球民謡と思われがちだが、奄美群島が発祥。奄美市街の酒場に演奏がある店舗がいくつかある。

奄美空港は奄美市笠利町にある地方管理空港で、年間およそ60万~80万人が利用しています。1988年に旧奄美空港から現在の形になり、2016年に奄美大島・徳之島・沖縄北部及び西表島の世界自然遺産登録に対応した形でターミナルビルが増設され、コロナ禍以前には利用客数が伸びていました。周辺に奄美パーク(観光拠点施設、美術館・展示ホール・イベント広場などを有す)、あやまる岬観光公園などがあり、奄美大島観光の玄関口となっています。

住用(すみよう)マングローブ林は奄美市住用町の住用川・役勝川の河口付近にあります。奄美群島国立公園のなかでも大変人気がある場所で、マングローブ林としては国内で2位の広さを誇ります。周辺に黒潮の森マングローブパーク、道の駅 奄美大島住用、奄美大島世界遺産センターや展望台などがあり、奄美大島の自然を活かした観光地になっています。

奄美観光ハブセンターは名瀬港のフェリーターミナルの北側にある私立の施設です。ハブ取り名人の中本英一氏(和歌山県出身でハブ研究の第一人者)が設立したレトロな感じの建物で、1階がハブ革の財布やハブ酒・ハブ油など土産物を売る店舗、地下がハブの展示室、2階でハブvsマングースのDVDを上映しています。奄美群島や沖縄県ではハブの捕獲に需要があり、ハブ取りが生業になっていますが、現在ではハブが減少し、専門職とする人はほとんど残っていません。

奄美市大浜海浜公園は奄美市名瀬にある公園です。奄美群島国立公園内に位置し、海水浴場、キャンプ場、奄美海洋展示館(水族館)、タラソ奄美の竜宮(海水温浴施設)などがあります。市街地から20分ほどで行けてきれいな夕陽が見られるため人気の観光地になっています。


知名町(ちなちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

鹿児島県大島郡知名町 花ひらく夢ひらくまち フローラル知名 ずっと住み続けたい 誇りと自信溢れるまちだから 人口5,623人

海と白い雲と青い空、町花のハイビスカス、海中には白抜きでウミガメやサンゴが描かれています。2014年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

知名町は九州南部と沖縄の間にある奄美群島南西部の沖永良部島(おきのえらぶじま、口語では単に「えらぶ」という)にある町で、大島郡に属しています。沖永良部島はサンゴ礁が隆起してできた島で面積93.65k㎡、知名町と和泊町の2つの自治体からなり、そのうち知名町は島の西部にあります。知名町は戦後にアメリカ合衆国の統治下に入りましたが、1953年に日本に復帰しています。基幹産業はサトウキビや畜産、馬鈴薯や花卉といった農業と観光業で、漁業も行われています。2000ha以上の広さの耕地を有していますが、水田はほとんどみられません。沖永良部島は鍾乳洞が豊富で、知名町には国内二番目の規模の大山水鏡洞や昇竜洞(一部が一般公開されている)があります。

昇竜洞は知名町住吉にの大山山麓にある鍾乳洞です。沖永良部島は鍾乳洞が200~300ほどあり、島の地下はほとんどが鍾乳洞でできているなどと言われています。昇竜洞は1963年に発見されたもので全長3,500m、鹿児島県の天然記念物に指定されるとともに、600mが公開され観光地化しています。周辺にカフェや庭園などがあります。

田皆岬は沖永良部島の北西にある東シナ海に突き出た岬です。海までの断崖は高さ51mあり、奄美十景に名を連ねる島内屈指の景勝地になります。運が良ければウミガメが見えるようです。ヤクニヤ埼灯台という白い灯台があり、当地のシンボルになっています。岬のカフェという喫茶店があり、テイクアウトに対応しています。

大山植物公園は知名町上城にある公園です。大山の山頂近く、標高240mのところににある公園で、キャンプ場や展望台、遊歩道が整備されています。近くに航空自衛隊の基地があります。

一般社団法人おきのえらぶ島観光協会(エラブココ)は知名町屋者にある観光案内所です。保育園をリノベーションしたもので、コワーキングスペース・シェアオフィス・温水シャワーなどがまとまった施設です。沖永良部島のお土産を売るスペースがあります。

ジッキョヌホーは知名町瀬利覚にある湧水です。水道が整備されるまでは野菜を洗ったり洗濯をするほか、灌漑用水などに利用されていました。一日に1,900tほどの水が湧き出しており、平成の名水百選の一つとなっています。また、知名町住吉に住吉暗川(クラゴー)という洞窟があり、地底30mほどのところから湧き出る水を生活用水として汲んでいたそうです。


南大隅町(みなみおおすみちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

鹿児島県肝属郡南大隅町 温故創新 北緯31度線のまち 人口5,978人

佐多岬灯台と黒潮をイメージした海原、PRキャラクター「みさきちゃん」が描かれています。2014年にミニバイク50cc以下を対象に500枚が交付されています。

南大隅町は鹿児島湾東側の大隅半島南部にある町で、肝属郡(きもつきぐん)に属しています。2005年に根占町と佐多町が合併してできたもので、三方を海に囲まれた半島の町です。町域の多くを標高900m前後の山々からなる肝属山地が占め、雄川の河口部や沿岸に集落を成しています。畜産主体の農業と林業と、卸売・小売業など商業を主要な産業としています。高齢化率が約49.3%(2020年)と住民のほぼ半数が高齢者です。馬鈴薯・びわ茶・黒豚などを特産品としています。

佐多岬は大隅半島の先端にある岬です。九州本島の最南端に位置し、霧島錦江湾国立公園に含まれています。宗谷岬・納沙布岬・神埼鼻・佐多岬を「本土4極」(島しょ部を除く北海道・本州・四国・九州における東西南北の極)といい、そのうち最南端にあたる岬で、売店で最南端到達証明書がもらえます。もともとは佐多ロードパークという名称で、岩崎産業(いわさきグループ傘下)が道路を建設した有料の観光地となっていましたが、現在では町が所有しているため無料となっています。佐多岬の付け根を東側に行くと田尻漁港(海中展望船の「さたでい号」が発着する)、ソテツ自生地(国の天然記念物)があります。

根占港(ねじめこう)は大隅町根占川南にある港です。同港からフェリーなんきゅうが出て指宿市の山川港と結ばれています(所要時間約50分)。観光地としてはあまり栄えていませんが、根占温泉ネッピー館(ホテル、日帰り入浴可能)やなんたん市場(スーパー)、西郷南洲翁宿泊の家(西郷隆盛が狩猟の際に宿泊した家)などがあります。

雄川の滝(おがわのたき)は南大隅町根占川南にある落差46m、幅60mの滝です。駐車場と1,200mの遊歩道が整備されていますが、駐車場からは滝を上から見ることになりますので、滝壺正面に出るには少し歩く必要があります。薩摩藩によって編纂された「三国名勝図会」でも紹介されており、古くから景勝地として親しまれています。

道の駅 根占は、南大隅町根占山本にある国道269号沿いの小規模の道の駅です。ゴールドビーチ大浜海水浴場に面した高台にあり、売店・レストラン・トイレのシンプルな構成です。佐多岬の方まで行くと店舗が少ないので、ここに立ち寄る人が多いようです。

佐多旧薬園は南大隅町佐多伊座敷にある史跡です。薩摩藩直営の薬草園で、宝暦年間(1751-1764年)に開設されたものと考えられています(詳しい設立年はわかっていない)。山川薬園・吉野薬園とともに「三薬園」と呼ばれていましたが、現在薬園の姿を留めるのはこの佐多旧薬園のみです。近くにAコープ佐多店があり佐多岬に一番近いスーパーとなっています。


天城町(あまぎちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

鹿児島県大島郡天城町 スポーツ愛ランド あまぎ 人口5,586人

観光イメージキャラクターの「あまぎくん」が描かれています。2011年にミニバイク50cc以下を対象に100枚が交付されました。

天城町は鹿児島県奄美群島のほぼ中央、徳之島にある自治体です。徳之島は奄美大島と加計呂麻島の南西にある面積247.77k㎡(周囲84km)の島で、天城町・徳之島町・伊仙町の3つの自治体で構成されています。このうち天城町は島の西側を占め、平土野港(へとのこう)と徳之島空港が玄関口になります。さとうきびや馬鈴薯、畜産を主体とする農業が主要な産業で、林業や漁業、観光業も行われています。島内奥地には自然が残り、オビトカゲモドキやトクノシマトゲネズミなど徳之島固有の動物が生息しています。闘牛やトライアスロンin徳之島大会でしられる地域です。

徳之島空港(徳之島子宝空港)は天城町浅間にある地方管理空港です。ターミナルビルが平屋建てで、年間利用客数は20万人程度という小さな空港で徳之島の西海岸リーフを埋め立てて建設されています。徳之島は豊かな森と優れた海岸の景観を有しますが、あまり店舗は多くないためお土産は空港が一番揃っているようです。空港から出てすぐのところにウンブキと呼ばれる海とつながった鍾乳洞があり、ここから「ウンブキアナゴ」という稀種のアナゴが発見され、町の天然記念物になっています。

天城町立ユイの館は天城町天城の平土野港の北側にある歴史民俗資料館です。徳之島の産業や歴史、小型船などを展示する施設で、当地では「南洲翁」として知られる西郷隆盛と徳之島の関係を記したコーナーもあります。南側に平土野港のフェリーターミナルや当地の商業区があり、商店街や海岸の防波堤に徳之島の動物や自然の絵が描かれています。

犬の門蓋(いんのじょうふた)は、天城町兼久の海岸沿いにある奇岩と断崖が連なる景観をいいます。隆起サンゴ礁が長年海によって侵食されてできた景観で、特に古代の水道橋のようなメガネ岩が有名です。かつて大飢饉のおりに人畜を襲う野犬を捕えて海に投じたことからこの名称で呼ばれています。

アマミノクロウサギ観察小屋は天城町当部にある施設です。アマミノクロウサギは夜行性の動物で奄美大島と徳之島の固有種、絶滅危惧種です。小さな施設ですが小屋内に剥製や関連書籍、小屋外に餌となる植物の食菜園などを有し、町内でライブカメラの映像を放送していたりします(見学には予約が必要)。

ムシロ瀬は徳之島の北側、天城町与名間の海岸線をいいます。サンゴ礁性の徳之島では珍しい花崗岩が連なる海岸で、岩に入るひび割れがむしろ(い草や藁などを編んで作る敷物)のように見えるということからムシロ瀬と呼びます。遊歩道や展望台、トイレが整備されています。これらの岩が冷え固まったときに縦横にひび割れがはいったとされ、奄美十景の一つとなっています。


肝付町(きもつきちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

鹿児島県肝属郡肝付町 やぶさめと、はやぶさの町 人と地域の個性が輝く 創造と協働のまちづくり 人口14,200人

自治体名の上に「KIMOTSUKI TOWN」の文字、右側に小惑星探査機「はやぶさ」、背景には日本とカプセル回収地点になったオーストラリア周辺の地図が描かれています。2012年からミニバイク50cc以下と小型特殊車両を対象に交付されています。

肝付町は鹿児島湾の東岸、大隅半島の東側にある町で肝属郡に属しています。2005年に高山町(こうやまちょう)と内之浦町が合併してできた町で、平坦地が少なく町域の8割を山林が占め、鹿屋市に隣接する町域北西部、高山の方に人口が集中しています。第1次産業~第3次産業の比率が概ね平衡していて、農業・製造業・卸売・小売業の就業率がそれぞれ10~14%ほどです(それぞれの出荷額、商品販売額を比較するとやや商業より)。やぶさめやロケット発射場のJAXA内之浦宇宙空間があることで知られる地域で、観測所黒豚・黒牛や芋類、マンゴーやダイダイといった果物、伊勢海老(えっがね)・うなぎなどを特産品としています。妖怪「一反木綿」(当地ではいったんもんめと呼ばれる)の伝承地です。

内之浦宇宙空間観測所は旧内之浦町の市街南方にあるロケット打ち上げ施設です。種子島宇宙センターと並ぶ施設で、1963年の開所以来日本初の人工衛星「おおすみ」など大小400機あまりのロケットや人工衛星などを打ち上げてきました。宇宙科学資料館を有し(入場無料)、ロケットや科学衛星のモデル、機器などを展示しています。同観測所は山の中にありますが、周辺に宇宙グッズや宇宙食などを販売する店舗があります。

二階堂家住宅(二階堂屋敷)は肝付町新富にある古民家です(国の重要文化財)。1810年頃に建てられたとされる茅葺きの建物で、オモテとナカエと呼ばれる2つの棟が雁行型の寄棟を形成しています。政治家 二階堂進(内閣官房長官、科学技術長官、北海道開発庁長官などを歴任し、新日本プロレスコミッショナーとしてもたびたびテレビに登場した)の生家です。

肝付町立歴史民俗資料館は肝付町野崎にある資料館です。古い農具や同資料館の向かいにある塚崎古墳群の出土品、石棺などが展示されています(入場無料)。また、塚崎古墳群は前方後円墳5基、円墳39基、地下の横穴墓29基で構成される古墳群で、日本最南端の前方後円墳を含んでいます。

高山城跡は肝付町新富本城にある城跡です。平安時代の末期に島津庄の荘園監督管に任じられた平兼定という人の子孫が築いたもので、その子孫は肝付氏を名乗り長らく大隅国の最大領主でした。本城川・栗山川・高山川に三方を囲まれた崖の上にあり、本丸の曲輪がほぼ現存しています。また、周辺に道隆寺跡があり、五輪塔や仁王像、灯籠などが残っています。

岸良海岸(きしらかいがん)は肝付町岸良のビーチです。内之浦の市街から国道448号を16kmほど南下したところにあります。釣りやサーフィン、ボルダリングなどで親しまれているほか、夏には近くの平田神社の夏越祭(ナゴシドン)という祭りが行われています。また、県道542号に入って山の方へ行くと湯の谷温泉があります。


南種子町(みなみたねちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

鹿児島県熊毛郡南種子町 鉄砲伝来とロケットのまち 人口5,217人

「ロケットの町」の文字と発射されたロケットのイラストが描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下と小型特殊車両を対象に交付されています。

南種子町は鹿児島県の種子島南部にある町で、熊毛郡に属しています。種子島は鹿児島県南部の大隅半島の南側にあり、西隣が屋久島です(アクセスは鹿児島空港ー種子島空港、鹿児島本港ー西之表港ないし指宿港ー西之表港)。町域は起伏が多く、大半が丘陵地で河川が多く、流域には水田が広がっています。1543年にポルトガル人が乗った明国船が漂着し、鉄砲伝来の地とされています。産業は農業・畜産が主であり、若干ですが漁業も行われています。また、国内唯一の商業ロケット打ち上げ施設JAXA種子島宇宙センターがあるため学術研究・技術サービス業の従事者が多く、日本の最先端技術を支えています。コシヒカリ・インギー地鶏・安納芋・トビウオなどを特産品としています。※県外への人口流出ではつくば市がトップ。

JAXA種子島宇宙センター 宇宙科学技術館は南種子町茎永にあります。1979年に我が国はじめての宇宙開発技術の展示館として開設されたもので、ロケットや人工衛星の仕組み、打ち上げと追跡管制の状況、実物大の模型などが展示されています。また、国際宇宙ステーション計画を構成する「きぼう」日本実験棟の実物大模型があり、無重力体験ができます(入館無料)。

トンミー市場は南種子町中之上にある物産館/土産屋です。安納芋といった野菜やパパイヤなど果物、宇宙食など宇宙グッズなどを販売しています。当地の中心市街にあり、周辺に河内温泉センターがあります。

千座の岩屋(ちくらのいわや)は中種子町と南種子町にまたがる熊野浦の南岸にある海蝕洞です。「内部が千人座れるほど広い」ということから千座の岩屋と名付けられた洞窟で、岩屋内部からの浜島、竹島の眺めや砂浜の眺めで知られる景勝地です。年に一回3日間程度岩屋内部でプラネタリウムが開催されています。

種子島マングローブパークは南種子町平山の大浦川流域にあります。種子島はマングローブ(メヒルギ)の自生地としては北限で、西之表市の湊川のマングローブとともに日本の重要湿地500に選ばれています。ボードウォークが整備されて散策ができるほか、カヤックでの探検も行われています。西之表南種子線から東へ海岸の方まで行くと「はまだの湯」という温泉入浴施設があります。この施設は内風呂一つのシンプルな入浴場ですが、地元では長く親しまれている鉱泉を沸かしたものです。

たねがしま赤米館は南種子町茎永にある資料館です。全国で少量が栽培されるもので、タンニンによる赤みがあり、稲穂が赤く見えるため装飾用としても用います。食味は渋みが強く、食用としてはあまり人気がありません。当地でははるか昔に南方から伝わったとされ、豊作を祈願する農耕行事や神事には赤米が用いられます。明治時代以降ほとんど栽培されなくなりましたが、岡山県総社市、長崎県津島市、南種子町では神社を中心に栽培が残ったようです。※「古代米」という呼び方は語弊があるようだ。


指宿市(いぶすきし)

指宿市ホームページより

鹿児島県指宿市 豊かな自然が織りなす 食と健康のまち 人口37,594人

自治体名の上に「いぶすき」のルビ、指宿市のシンボル開聞岳(かいもんだけ、標高924m)と砂蒸し風呂のイラストです。2020年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

指宿市は鹿児島湾の西岸、薩摩半島の先端にある市です。2006年に旧指宿市・山川町・開聞町が新設合併してできた市で、全体に起伏に富み、市域中央部に九州最大の池田湖、第2位の鰻池があり、市域南西側に火山の開聞岳があります。全国的に有名な指宿温泉を有し、観光・農業・漁業を主要な産業とするまちで、九州屈指の観光地です。また、地方港湾の指宿港と山川漁港を有し、フェリーが鹿児島港や対岸にあたる大隅半島の根占港、屋久島の宮之浦港、種子島の西之表港など離島地域などと連絡しています。一方で少子高齢化を要因とする人口減少が顕著であり、2045年に2.5万人程度まで減少する見込みとなっています。そらまめやオクラ、黒牛・黒豚、さつまいもやカツオ、焼酎などを特産品としています。

指宿温泉は指宿市東部の温泉群を総称するものです(摺ヶ浜温泉、弥次ヶ湯温泉、二月田温泉など)。年間250万人ほどが訪れる有名な温泉地で、江戸時代以前から麻の加熱処理・炊事・浴用などに用いられてきたようです。また、当地の地名「指宿」は「湯豊宿(ゆぶしゅく)」が転訛したものと考えられています。とりわけ摺ヶ浜温泉の砂蒸し風呂は世界的にも珍しいものです。温泉のほか、指宿市十二町に指宿市考古博物館、指宿市東方に薩摩伝承館(美術館。薩摩焼など工芸品を中心に展示)などがあります。

道の駅 山川港活お海道(やまがわみなといおかいどう)は、指宿市山川金生町にある国道269号の小規模の道の駅です。朝市直売エリアがあり、カツオやカンパチ、鰹節、さつま揚げなどを売っています。山川漁港に隣接していて、ここから対岸の大隅半島根占港までフェリーなんきゅうが出ています。

道の駅いぶすきは、指宿市小牧にある国道226号の小規模の道の駅です。特産物販売所・レストラン・トイレなど通常の道の駅の施設のほか、公園と展望所があり、天気が良ければうっすらと桜島が見えます。オクラ・スナップエンドウ・バラの花・錦江湾の魚などを販売していて、ソフトクリームもオクラ味です。

長崎鼻(鹿児島)は薩摩半島最南端に突き出た岬です。霧島錦江湾国立公園に含まれる岬で、別名を竜宮鼻といい、竜宮神社という浦島太郎を祀った神社があります。人気のある観光地で、周辺にカフェや開聞温泉(小さな入浴施設)、フラワーパークかごしま(植物園)があります。

開聞岳は薩摩半島の南端にある標高924mの活火山です(日本百名山の一つ)。南西部は海に面し、円錐状の独立峰であることから「薩摩富士」と呼ばれることがあります。足場は整備されているますし、日本百名山のなかでは筑波山に次ぐ標高の低さから3時間ほどで登頂できますが、途中はしごがあったりするので雨の日と次の日の登山は足元に気をつける必要があります。


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