「さくらんぼ」にかける情熱も生産量も日本一!-山形県東根市-


さくらんぼの都道府県別生産量は山形県がトップで、約7割を占めます。市区町村別では東根市がトップで、全国の約2割の生産量を誇ります。
東根市はいたる所で「さくらんぼ」をPRしています。
・山形新幹線の開通に伴い東根市に新駅が開業、「さくらんぼ東根駅」と命名される。
・あたたまりの湯と言われる東根温泉は、観光パンフレット等では「さくらんぼ東根温泉」と表記される。
・2005年 総合保険福祉施設「さくらんぼタントクルセンター」開館
・さくらんぼ東根駅内にある、観光物産多目的施設「さくらんぼタント館」
・市民バス「タントくん号」には、さくらんぼのラッピングが。
・「さくらんぼマラソン大会」や「さくらんぼ種飛ばしワールドグランプリ」などのイベント。
・きらやか銀行には「さくらんぼ東根支店」とインターネット専用の「ネットきらやかさくらんぼ支店」があります。
・その他、まなびあテラスと統合された今は無き「さくらんぼ図書館」や民間の「さくらんぼ保育所」などがあります。
※余談ですが東根市にある山形空港は「おいしい山形空港」と言われています。
東根市観光果樹園MAPはコチラ

画像出典元 東根市ホームページより引用

山形県で生産されるさくらんぼの約8割は、さくらんぼの王様と言われる「佐藤錦」です。「佐藤錦」は、約100年ほど前に東根市で作出された品種で、甘く、日持ちがよく、運搬に適しているのが特徴です。1928年新品種を作り出した「佐藤栄助」氏の名を取って「佐藤錦」と名付けられ世に送り出されました。


能勢町は本気だ!「お浄&るりりん」のゴミ収集車が走る-大阪府能勢町-


2018年12月ついに「お浄&るりりん」のゴミ収集車が、大阪のてっぺん能勢町を走り出しました。
「お浄&るりりん」は「能勢の人形浄瑠璃」のPRキャラクターとして、2014年に誕生しました。「能勢の浄瑠璃」は200年の伝統があり、国の選択無形民俗文化財にもなっています。最近では伝統にとらわれない新しい表現も取り入れ、お浄&るりりんの人形が登場することもあります。能勢人形浄瑠璃について、詳しくはコチラ「鹿角座」まで。

画像出典元 能勢町ホームページより引用

2015年4月「お浄&るりりん」が能勢町公認キャラクターになり、様々な分野で能勢町をPRしています。
・能勢町PRムービー ユーチューブ
・能勢人形浄瑠璃PRムービー ユーチューブ
・レンタサイクル・ふるさと納税のキャラクター
・こちらが全国初、萌キャラゴミ収集車です。
 (ごみはちいさく、ゆめはおおきく)


M78星雲光の国と姉妹都市を提携している街-福島県須賀川市-


須賀川市は、特撮の神様、ウルトラマン・ゴジラの生みの親「円谷英二」の出生地です。
2013年5月5日には、ウルトラマンの故郷「M78星雲光の国」と姉妹都市の提携が行なわれました。須賀川市の街中には、光の国からやってきた「ウルトラの一族」や「怪獣」たちが数多く住み着いています。また姉妹都市の提携をきっかけに誕生したのが、仮想都市「すかがわ市M78光の町」です。「すかがわ市M78光の町」では、誰でも住民登録(無料)が行え、住民票の発行(300円)もできます。
とりあえず住民登録をする。

画像出典元 須賀川市ホームページより引用

2017年には東日本大震災で被災し、建て替え工事が進められていた新市庁舎が完成。庁舎前の光の広場には「ウルトラの父」モニュメントが、2Fにはウルトラマンデザインの「ウルトラ会議室」、3Fにはウルトラマンデザインの「光の会議室」、6F展望室はウルトラフロアと名付けられています。
また2019年1月には、円谷英二を顕彰する「円谷英二 ミュージアム」も完成しました。


全国一の生産量「五条の柿」-奈良県五條市-


奈良県五條市は市町村別で「柿の生産量 日本一」です。
奈良では大和朝廷のころから、柿が栽培されていたとされ、正岡子規の「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の俳句でも有名です。
代表産地の西吉野町(旧西吉野村)では、標高100~400mの中山間地で柿が栽培され、水はけがよく、昼夜の寒暖差が大きく、甘く品質の良い柿が実ります。
栽培される柿の品種は「富有」「刀根早生」「平核無」です。中でも有名なのが「五條の富有柿」で、果実が大きく、歯ごたえがあり、甘みが強いのが特徴です。

画像出典元 五條市ホームページより引用

五條市では「五條の柿」のPR・ブランド化に取り組んでいます。
・柿のことなら何でも解る「柿博物館
・柿の詰め放題が人気の「柿の里まつり
・全国物産展などでの「柿試食販売」など
・五條の柿について詳しく「日本一の柿/五條市


国の重要文化財「通潤橋」の復旧と保存-熊本県山都町-


国の重要文化財で1854年に架けられた「通潤橋」は、石造りのアーチ橋ですが、主な目的は人を渡す事ではなく、水(農業用水)を流すために造られました。(人も渡ることはできます。)
通潤橋の南に広がる白糸台地は、周りの河川から20~100m高い位置にあり、水の確保が難しく稲作には適さない土地でした。当時の惣庄屋(村長)布田保之助は、白糸台地に灌漑用水を引くことを計画。標高の高い阿蘇の外輪山を流れる笹川から取水し、約3kmの用水路を建設します。
最大の難関は「五老ヶ滝川の谷をどのようにして越えるか?」で、そのために造られたのが「通潤橋」です。通潤橋は前後の用水路より低い位置にあるため、石で作られた導水管を繋ぎ合わせ、特殊な漆喰で漏れを防ぎ密封し、逆サイフォンの原理で用水を押し上げています。

通潤橋の仕組み
画像出典元  熊本国府高等学校パソコン同好会 より引用
昭和35年頃の放水
画像出典元 山都町ホームページより引用

現在でも通潤橋を渡る水は農業用水として利用されています。また中央部には、通水管に詰まった堆積物を取り除くための放水口があり、ダイナミックな景観が観光資源にもなっています。
2016年4月の熊本地震で、外観は大きな損傷を受けませんでしたが、石管の接合部より漏水が発生し、当時の漆喰を再現し復旧作業を行っています。また2018年5月の大雨で、石垣の一部が崩れました。2019年3月現在、通潤橋周辺は一部立ち入りが制限され、放水も休止中です。


旧国立駅舎 解体・保管そして再築へ-東京都国立市-


JR中央本線連続立体交差事業で、国立駅は建て替えられ、旧駅舎は取り壊される事になりました。
1926年に開設された「国立駅」は、国分寺駅と立川駅の中間にあり、両駅から一文字づつ取って「国立駅」と名付けられました。(この事が後に国立市の市名の由来となります。)
国立市の主要道路は、国立駅から延びるように配され、国立駅を起点として街づくりが行なわれたことが窺えます。その国立市の目印・シンボルマークが「赤い三角屋根の旧国立駅舎」で、市民にとって無くてはならない建物です。
国立市は旧駅舎を、「ほぼ同じ場所に」、「ほぼ同じ姿形で」保存できるよう模索します。東京都、JR東日本、国立市で協議した結果、まず有形文化財の指定を受ける(文化財の指定を受けることにより、建築基準法の適用を免れ、木造での再築が可能)、丁寧に解体し部材を国立市が保管、2020年完成に向けて「ほぼ同じ場所に」再築工事を行う事になりました。

昭和の中頃
解体前
完成予想図
画像出典元 国立市ホームページより引用

再建された駅舎は、国立市の情報発信・情報交流の施設として、観光案内、展示スペース、文化交流の場として活躍が期待されています。


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