国の重要文化財で1854年に架けられた「通潤橋」は、石造りのアーチ橋ですが、主な目的は人を渡す事ではなく、水(農業用水)を流すために造られました。(人も渡ることはできます。)
通潤橋の南に広がる白糸台地は、周りの河川から20~100m高い位置にあり、水の確保が難しく稲作には適さない土地でした。当時の惣庄屋(村長)布田保之助は、白糸台地に灌漑用水を引くことを計画。標高の高い阿蘇の外輪山を流れる笹川から取水し、約3kmの用水路を建設します。
最大の難関は「五老ヶ滝川の谷をどのようにして越えるか?」で、そのために造られたのが「通潤橋」です。通潤橋は前後の用水路より低い位置にあるため、石で作られた導水管を繋ぎ合わせ、特殊な漆喰で漏れを防ぎ密封し、逆サイフォンの原理で用水を押し上げています。
現在でも通潤橋を渡る水は農業用水として利用されています。また中央部には、通水管に詰まった堆積物を取り除くための放水口があり、ダイナミックな景観が観光資源にもなっています。
2016年4月の熊本地震で、外観は大きな損傷を受けませんでしたが、石管の接合部より漏水が発生し、当時の漆喰を再現し復旧作業を行っています。また2018年5月の大雨で、石垣の一部が崩れました。2019年3月現在、通潤橋周辺は一部立ち入りが制限され、放水も休止中です。