沖縄県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【沖縄県編】

全47都道府県を網羅 掲載市町村区630以上


四輪自動車の地方版図柄入りナンバープレートはコチラ「地方版図柄入りナンバープレート 一覧 (四輪自動車)」または 地方版図柄入りナンバープレート 九州 (四輪自動車)

沖縄県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

当サイトの画像は、日本経済研究所さんの承諾を貰って使用しています。コピー・転載は禁止されています。

原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

原付のご当地ナンバー市町村区別目次はコチラ


石垣市(いしがきし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

沖縄県石垣市 おーりとーり「日本最南端の自然文化都市」へ 人口49,400人

石垣島の朝焼けをモチーフにした背景に、野底マーペー(野底岳)やカンムリワシなどがシルエットで描かれています。市制70周年記念として、2017年にミニバイク50cc以下~125cc以下、小型特殊車両を対象に交付されています。

石垣市は沖縄本島と西表島に次ぐ広さの石垣島ほか魚釣島など尖閣諸島を市域とする市です(尖閣諸島は現在は無人なので、実質的に1市1島)。沖縄本島から南西側に410kmほど離れた場所にあります。この石垣島は南西が頭、北東が尾のおたまじゃくし型の島で、南部のユーグレナ石垣港離島ターミナル周辺と北側の艀海(ふかい)周辺が市街地、北部は於茂登岳やビーチ、マングローブ林といった自然が広がっています。また、島東部には新石垣空港があります。手つかずの自然が残り、観光業が盛んな地域ですが、広大な耕地を有し農業(主として肉用牛・パイナップル・シークワーサー・さとうきびなど)も盛んに行われています。また、国・琉球大学・市、NPO法人などで共同運営される国立天文台石垣島観測鏡があります。

石垣やいま村(旧八重山民俗園、名蔵ドライブイン併設)は石垣島西部の名蔵川北岸にある古民家を主とした野外博物館です。日本最南端かつ最西端のテーマパークであり、ラムサール条約湿地の名蔵アンパルに隣接しています。移築復元された古民家では水牛に木臼を引かせる伝統的なサトウキビの絞り出し法の展示や三線の演奏、サータアンダギー作りの体験などがあります。リスザル園を併設していて、カンムリワシの保護も行う施設です。

バンナ公園は石垣市街から北方4kmにそびえる(標高230mほど)バンナ岳の周辺を整備した県営の広域公園です。熱帯果樹園やお祭り広場、渡り鳥の観測所などを園路で繋いだもので、広さは約290haにも及びます。西口と北口の中間あたりにふれあい子ども広場があり、遊具が揃っています。また、北口駐車場のあたりに世界の昆虫館がはいっています。

石垣島鍾乳洞は石垣市石垣にある鍾乳洞です。石垣島にあるいくつかある鍾乳洞の一つで、全長3.2km(公開されているのは660m)と最大のものです。こちらと伊間原のサビチ洞(全長324mで日本では珍しい「海に抜ける鍾乳洞」として知られる)が観光地として整備されています。また、付近には龍神鍾乳洞・八重山鍾乳洞があります(これらは無人でガイドなどは無し)。

白保海岸は石垣島南東部の海岸線で遠浅のビーチになっています。シュノーケリングの定番スポットとして知られています。同海岸は120種ほどのサンゴが生息するサンゴの楽園で、大規模なアオサンゴの群落があります。グラスボート(底が透明な遊覧船)が島北部の川平湾やユーグレナ石谷島離島ターミナルから出ています。WWFジャパンのサンゴ礁研究センターが運営する施設でしらほサンゴ村という施設があり、サンゴ礁に関する資料の展示などを行っています。

具志堅用高記念館は石垣市新川にある同名のプロボクサーを記念する施設です。氏は元WBAライトフライ級王者で、世界ジュニアフライ級王座を13度防衛(世界記録)し、最優秀選手に5度選ばれています。チャンピオンベルトや当時の新聞の切り抜き、当時のビデオなどの資料が見られますが、以前に盗難にあったため展示品は少なめとなっています。また、通りのはす向いに八重山平和祈念館があります。


北谷町(ちゃたんちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

沖縄県中頭郡北谷町 夢つながる人つながる共に生きる ニライの都市 人口28,227人

「CHATAN TOWN」の文字とご当地キャラ「ちーたん」がサーフィンをしている図柄です。2018年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

北谷町は沖縄本島中部の中頭郡(なかがみぐん)にある町です。沖縄市の西側に隣接し、東シナ海に沿った海岸低地と40m~120mほどの緩やかな丘陵地で構成される町域を有しています。キャンプ・フォスター、キャンプ桑江(キャンプ・レスター)、嘉手納飛行場、陸軍貯油施設の4つの米軍関連施設があり、町域の51.6%を占め、上記の人口に加えて約1万人の米軍居住者が暮らしています。第一次産業はほとんど行われず、卸売・小売業やサービス業、宿泊・飲食業などが主要な産業となっています。沖縄戦以降、住民と米軍が共に自然を切り開いたため植生がほとんど残っておらず、海岸も多くが造成地となっています。泡盛や地ビール、塩、月桃(サンニン)の加工品などを特産品としています。

美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジ(デポアイランド)は、北谷町美浜にあるショッピング・エンターテイメントエリアです。1981年に返還された在日米軍施設のキャンプ・フォスターにあったハンビー飛行場と隣接する埋立地に建設されたもので、1997年にオープンしています。名称通りアメリカンな雰囲気の施設で、ホテル、飲食店、イオン北谷店、映画館などがあります。

北谷町運動公園はデポアイランド(アメリカンビレッジ~北谷フィッシャリーナまでをいう)の南側に隣接する公園です。約20haの広さがあり、陸上競技場や野球場、サンセットビーチ(海水浴場)、ちゃたん恵み温泉(テルメヴィラちゅらーゆ)などがあります。また、風力発電施設近くにヤギ小屋や猫の道(野良猫が多い海岸の道)があり、当地の癒やしスポットになっています。

安良波公園(あらはこうえん)は北谷町北谷にある公園です。北谷沖で座礁して沈没した英国の帆船「インディアン・オーク号」を模した複合遊具と、アラハビーチと呼ばれる600mほどの砂浜、バーベキュー施設などがあり、当地の観光名所の一つとなっています。

砂辺馬場公園は北谷町砂辺にある公園です。コンビネーション遊具やスケートパーク、バスケットコートなどがある公園で、砂辺海岸の砂浜に隣接しています。1945年の沖縄戦で米軍が上陸した地点であり、「当時200隻を超える軍艦から艦砲射撃を受け、その後上陸戦が行われた」といった旨が書かれたモニュメントが設置されています。


与那原町(よなばるちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

沖縄県与島尻郡那原町 太陽とみどりと伝統とやさしさを未来へつなぐ海辺の町 人口20,071人

「大綱曳のまち」の文字と大綱曳(おおつなひき)の大綱、旗頭の「花」が描かれています。2018年からミニバイク50cc以下~125cc以下、ミニカーを対象に交付されています。

与那原町は沖縄本島南部の町で、島尻郡に属しています。面積5.18k㎡の沖縄本島では最も小さい自治体で、町の北西の運玉森と南東部の雨乞森という丘陵・森林地に挟まれた平地上に市街をなしています。町の東側に中城湾(なかぐすくわん)があり、波の静かな天然の良港として、第二次世界大戦までは港町・沖縄本島東部の海上交通の要衝となっていました。現在の与那原町は商業が主要な産業で、製造業の窯業(瓦やシーサーなど陶器)を地場産業としています。1980年代から緩やかな人口増加を続け、令和2年に人口2万人を達成しています。

与那原大綱曳まつりは尚永王時代に始まった豊作祈願のまつりであり、現在まで440年ほどの歴史を有するまつりです。旧暦6月26日以後の日曜に行われるまつりで、町内各区でもやわれる綱は重さ5t、長さ90mほどにもなり、県内では那覇綱、糸満綱と並んで三大綱の一つとされています。綱を運ぶ行事「道ジュネー」は観光客でも参加できます。

与那古浜公園は与那原町東浜にある公園です。遊具はありませんが、広い芝生や運動場、陸上競技用のトラックなどがある公園です。周辺はあがり浜市場(農産物直売所)、カインズなどがある商業地で便利がよく、交番もあるので夜間まで利用されています。また、前述与那原大綱曳まつりが行われる期間にはステージのパフォーマンスや出店などが出ています。

与那原町立軽便与那原駅舎・展示資料館は与那原町の市街にある資料館です。戦前に沖縄を走っていた軽便鉄道(沖縄県営鉄道)の与那原駅舎を復元した施設で、内部は鉄道博物館になっています(入館料金100円、町内及び小学生以下は無料。入場券は切符になっている)。周辺の国道331号沿いに昭和博物館~私はレトロ~という個人で運営している資料館があり、アンティーク・レトロ好きに人気があります(入館料:大人500円、小人300円。ドリンク付き)。

奥原製陶所は与那原町上与那原の国道331号沿いにある焼き物の工房です。シーサーの展示販売を行っているほか、シーサー作りの体験を各種行っています。

カトリック与那原教会(聖クララ教会)と聖クララ修道院は与那原町与那原にある教会です。1958年に竣工したもので名建築と評判高く、「DOCOMOMO JAPAN選定日本におけるモダン・ムーブメントの建築」(日本の近代建築100選)に選ばれています。教会の方は信者でなくても見学可能です。


宜野座村(ぎのざそん)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

沖縄県国頭郡宜野座村 水と緑と太陽の里 人口6,227人

ガラマン岳をイメージした緑の縁取りのプレートに、「水と緑と太陽の里」の文字とマスコットキャラクター「ぎーのくん」が描かれています。2014年からミニバイク50cc以下~125以下を対象に交付されています。

宜野座村は沖縄県本当の中央部、国頭郡の太平洋側にある村です。内陸側はキャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブの米軍施設があり、村域の50%強が米軍の中部訓練地域によって占められるため、集落は沿岸部に集中しています。基幹産業は農業で、もともとサトウキビやパイナップル、野菜といった農業と漁業が行われていましたが、1980年ごろから緩やかな人口増加が続いているため、商業も盛んに行われています。大型施設に乏しいため、観光地としてはあまり知られていませんでしたが、近年は観光業も盛んに行われるようになっています。阪神タイガースの一軍のキャンプ地として知られる地域で、グスク時代(琉球王国以前)の遺跡がいくつか残っています。

道の駅ぎのざは、宜野座村漢那にある国道329号沿いの小規模の道の駅です。漢那ダムの人造湖 かんな湖から流れる漢那福地川の河口部にあります。もともと物産館「未来ぎのざ」として運営していたもので、2014年に道の駅として登録されています。周辺にぎ~のくんランド(大型アスレチックと親水施設がある公園)、園芸センター、阪神タイガースのグッズショップ、コンビニやレストランなどがあります。

宜野座村農村公園は宜野座総合運動公園(阪神タイガースの春季キャンプが行われる宜野座球場がある)の中にある公園です。2016に複合遊具などが設置されています。また、同公園内に村立博物館(郷土の芸能・歴史・考古を主に扱う博物館で、村立としては充実している)があります。

漢那漁港は前述の道の駅ぎのざから東300mくらいのところにある漁港です。第1種漁港(地元の漁業での利用を主とする。漁港は第1>第3と数字が大きいほど規模が大きい)なので、小さい施設ですが、牡蠣や伊勢海老など海鮮が網焼きで食べられる施設があります。また、児童公園を挟んで漢那ビーチに隣接しています。

松田鍾乳洞は宜野座村松田にある鍾乳洞群をいいます。メーガー洞、ウーヌメー洞、イヌジー洞などがあり、周辺の松田地区体験交流センターで各鍾乳洞のツアーが予約できます。メーガー洞の入り口付近では、ツアーに参加しなくてもつらら石や石柱が見られます。

宜野座村にはいちご狩りを行っているいちご農園がいくつかあり、収穫体験で観光客を集めています(県内では宜野座村に集中している)。たくさんありますし所在地も分散しているので、興味のある方はリンク先でご確認ください。


西原町(にしはらちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

沖縄県中頭郡西原町 文教のまち 人口35,582人

左側に町花のブーゲンビリアと右側に町の花木サワフジ(サガリバナ)が描かれています。2013年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています(従来様式の選択可)。

西原町は沖縄県本島南部にある町で中頭郡に属しています。那覇市の北東10kmほどのところにあり、漢字では「西原」と書きますが、沖縄の言葉でニシは「北」を指すため、かつての琉球王国の首里の北に位置していたことに由来します。全域が緩やかな丘陵地、ないし海岸沿いの低地で占められています。戦後サトウキビの栽培が盛んに行われましたが、現在の西原町は卸売・小売業を主な産業ですが、一方で県内の製造業の中核を担う工業都市でもあります。また、町内に琉球大学・沖縄キリスト教学院大学・沖縄キリスト教短期大学があるため、教育・学習支援業も比率としては高めです。第二次世界大戦末期に行われた沖縄戦では住民の47%が死亡するなど甚大な被害を受けた地域とされています。

クリード西原マリンパークは西原町東崎にある海浜公園です。中城湾の埋立地に設置された施設で、長さ550mにも及ぶ西原きらきらビーチやバーベキュー施設、遊具、バナナボートの貸出や水上バイクの体験などを行う施設などがあります。周辺にはイルカ公園やあがりはまティーダ公園(こちらもビーチ)、隣接する与那原町川に与那原マリーナや与那古浜公園などがあり、中城湾を見渡す景勝地・観光地となっています。

西原さわふじマルシェは西原町小波津にある複合商業施設です。2020年にオープンしたもので、地場産の野菜や果物、惣菜などを扱うJAおきなわファーマーズマーケット西原うんたま市場や、地域の歴史文化・観光情報の発信を行う西原劇場、軽食やテイクアウトができるまちスタンドなどがあります。

空手博物館は西原町上原にある空手の資料館・道場です。黄色と青のとかく目立つ外観の施設で、館長の外間哲弘(ほかま てつひろ)氏は空手学博士、沖縄の剛柔流・琉球古武術を伝える達人でもあります。館内の博物館には琉球古武術で用いる武器や修行用の石や鉄下駄、書やポスターなど空手関係の資料が所狭しと並んでいます(入館料300円)。

内間御殿(うちまうどぅん)は西原町嘉手苅(かでかる)にある史跡・祭祀場です。1666年に国相・向象賢(羽地朝秀)の進言によって創建されたもので、後に尚円王(琉球王国の国王)となる金丸が当地の地頭に任ぜられた際の旧宅跡地に建っています。国の史跡に指定され、沖縄戦で損害を受けたものの石垣が良く残っています。樹齢400年といわれるサワフジと周辺のコスモス畑で知られており、花の名所でもあります。


南風原町(はえばるちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

沖縄県島尻郡南風原町 ともにつくる黄金南風(こがねはえ)の平和郷(さと) 人口40,808人

南風原の「H」を模したプレートに沖縄の石造りの伝統をモチーフとした「南風原高架橋」のシルエット、PRキャラクターの「はえるん」、琉球かすりでよく使われる「トゥイグワー(鳥柄)」が描かれています。2013年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

南風原町は沖縄本島南部にある町で、島尻郡に属しています。那覇市の東側に隣接し、沖縄では唯一海に接していない自治体です。町域全体が緩やかな丘陵地と低地で構成され、字新川あたりでは標高100mを超えます。国道329号、507号、那覇空港自動車道と県道が走る交通の便が良い地域で、近年は人口増加が目立ちます(県内の町では一番人口が多い)。戦前戦後ともに米やサトウキビの栽培など農業を基幹産業としていましたが、現在は卸売・小売業、サービス業など第三次産業中心の産業構造ににシフトしています。また、本部・照屋・喜屋武(きゃん)地区は琉球王国時代から琉球絣の産地として知られています。国道沿いを中心にロードサイド店舗や個人の飲食店が多く見られ、全体としてベッドタウンの様相を呈しています。

黄金森公園(こがねもりこうえん。那覇市のものとは別)は南風原町喜屋武にある公園です。陸上競技場や野球場、散歩ができる遊歩道などがあります。公民館や文化センターの裏手の森林・丘陵地を公園としたもので、旧陸軍病院壕など戦跡のほか拝所があります。

沖縄県公文書館は南風原町新川にある公文書館です。1995年に開設されたもので、沖縄県の公文書だけでなく琉球王国や琉球王国米国民政府の文書を扱っています。カフェなどは併設されておらず、観光目的で行くような施設ではないですが、沖縄県の歴史に興味のある方にとっては宝の山であるほか、時折企画展もやっています。

琉球かすり会館は南風原町元部にある琉球絣事業協同組合の施設です。織り機や琉球絣製品の販売などがあり、体験コーナーでは手織り体験も行っています。

金城哲夫資料館は南風原町津嘉山にある資料館です。脚本家・金城哲夫は第一期ウルトラシリーズを企画し、円谷プロ初期の特撮番組のメインライターとして知られる人です。料亭の松風苑の敷地内にあり、当時利用された金城哲夫の書斎が公開されています(入館無料)。


沖縄市(おきなわし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

沖縄県沖縄市 国際文化観光都市 人口142,678人

「エイサーのまち」の文字とPRキャラクターの「エイ坊」が描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

沖縄市は沖縄本島中部に位置する市です。1974年にコザ市と美里村が合併して生まれた市で、那覇市に次いで第二位の人口を誇ります。地勢市北部から北西部の丘陵地から市南東部の中城湾いたるまで緩やかな傾斜地となり、概ね標高100m以下の地域です。嘉手納基地の飛行場と弾薬庫地区、キャンプ・シールズなどの米軍基地によって市域の17.3%が占められているため、国際色豊かな地域です。主要な産業は卸売・小売業やサービス業で、農業や漁業も行われています。コザゲート通りからコザ十字路(国道329号・330号・県道75号の十字路)にかけて商店街や繁華街が発達していますが、近年は国道330号沿いに商業の中心が移動したため、コザ十字路付近のの活性化の試みが行われています。

コザゲート通り(旧称:空港通り)は米軍基地のゲートを起点とする通りで、県道20号が国道330号と交差する交差点までをいいます。外国人向けの店が多く並び、異国情緒がある通りで、国道330号交差点付近にコザミュージックタウン(館内にエイサー会館を含む)があります。

沖縄こどもの国は沖縄市胡屋と北中城村にまたがるこどもの国(児童厚生施設)です。県内で初めて設置された動物園、子供向けのミュージアム「ワンダーミュージアム」、ボランティアの活動拠点及びレストラン・沖縄県環境センターなどを含むチルドレンズセンターで構成されています。ほかに古民家の展示やつりぼり、ミニカーやミニSLなどのアクティビティがあります。

美らヤシパークオキナワ・東南植物楽園は沖縄市知花にある植物園(博物館相当施設)です。1968年に大林農園として開設されたもので、ヒスイカズラ・ハイビスカス・トックリヤシの並木などがある日本最大級の屋外植物園で、約45,000坪(東京ドーム3個)の広さに熱帯~亜熱帯植物1,300種類が植栽されています。また、ヤギやカピバラなども飼育されており、エサを与えることができます。

泡瀬漁港は沖縄市泡瀬にある第一種漁港(地域の小漁港)です。沖縄市漁業協同組合パヤオ直売店という店舗が出ています。パヤオというのは浮魚礁のことでブイのように海に浮かべる漁礁です。同漁港から片道2時間ほどのところにあるこの漁礁で採れた魚や料理が販売されているほか、観光用に中城湾の沖合に浮かぶ津堅島まで行く遊覧船も出ています。漁港の南側の海は泡瀬干潟という南西諸島では最大級の浅海域で、潮干狩りや釣り、バードウォッチングなどに利用されています。

沖縄県総合運動公園は沖縄市比屋根と北中城村にまたがる運動公園です。東側すぐに前述の泡瀬干潟をのぞむ公園で、70.4haの敷地を有し、県内最大の陸上競技場やプール、キャンプ場、ドッグランなどがあります。園内にレストランがあったり、キッチンカーが出ていたりするほか、周辺に入浴・サウナ施設(沖縄健康サウナ)もあり、地域のレクリエーション施設として親しまれています。


南城市(なんじょうし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

沖縄県南城市 海と緑と光あふれる 人口45,207人

ハートを模した形状のプレートに公認キャラクターの「なんじぃ」が描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています(50cc以下のみ下部の左右両端が水色、ハート部の背景色で種別を表す)。

南城市は沖縄県本島南部にある市です。2006年に島尻郡佐敷町、知念村、玉城村、大里村が合併して生まれた市で、沖縄本島南東部の一部と久高島・奥武島で構成されます。起伏に富んだ地形で、海岸部の低地と内陸部の丘陵地がはっきりと分かれています。沖縄の歴史・信仰に深く関わる地域で、琉球で初の統一王朝を建てた尚巴志王(しょうはしおう)の出生地、及び沖合に浮かぶ久高島(くだかじま)は琉球神話のくにづくりの地とされます。卸売・小売業やサービス業など第三次産業が主要な産業ですが、農業の割合が多く畜産風景や畑が見られます。玉城の玉泉洞とガンガラーの谷、知念岬公園や斎場御嶽(せーふぁうたき)などの自然景観、史跡が観光資源となっています。

おきなわワールドは南城市玉城前川にあるテーマパークです。鍾乳洞の玉泉洞を中心にハブの博物館、琉球王国時代の古民家、熱帯フルーツ園などがあります。また、西側にガンガラーの谷(こちらも元は鍾乳洞で、今は崩壊して森林になっている)があり、人気の観光スポットとなっています(カフェを併設)。

斎場御嶽は南城市知念久手堅にある御嶽(祭祀場)です。15-16世紀の琉球王国尚真王時代に用いられたもので、琉球創生の神アマミキヨが作ったとされる沖縄七御嶽の中でも最高の御嶽とされました。2000年に首里城跡などとともにユネスコの世界遺産に登録されています。周囲の森林は沖縄県でも優れた植生をもつされ、シダ植物やラン科植物などに珍しいものがあります。また、艦砲弾の着弾跡がありうち一つは見学可能です。

知念岬公園は南城市知念久手堅にある公園です。景観で知られる公園で、高所から海と彼方の久高島・コマカ島を見渡すことができます。遊具などはないものの、多くの観光客が訪れるためがんじゅう駅・南城(観光案内所)、南城市地域物産館が併設されています。

久高島は知念岬の東5.3kmの海上にある島です。世帯数150ほど、人口200人強が住む島で、安座真港からフェリーが出ています。観光施設は無く、農業と漁業が行われるだけの島ですが、琉球神話の創世神アマミキヨがこの地に降りてくにづくりを始めたとされる聖地です。イラブウミヘビの燻製を煮たイラブー汁やノニ(ヤエヤマアオキ)の葉を用いたぷっかかー茶などが名物です。また、日本における鰹節の歴史とも深い関わりがある地域です。

天然温泉さしき猿人の湯はユインチホテル南城に併設されている入浴施設です。日帰り入浴が可能で、源泉かけ流しの温泉であり、オーシャンビューの景観もあって人気があります。値段は高いですが、沖縄には温泉入浴施設が少ないため希少な施設です。泉質は海水の8割程度の塩分を含むアルカリ性単純温泉で、明るい褐色をしています。※現在はタオル持ち込みで入浴料の割引があるようだ。


浦添市(うらそえし)

浦添市ホームページより

 沖縄県浦添市 太陽とみどりにあふれた国際性ゆたかな文化都市 人口115,703人

丸みを帯びたプレートに市の花オオバナアリアケカズラ(右上)と「てだこのまちURASOE」の文字、太陽をイメージしたロゴマークが描かれています。市制施行50周年記念として、2020年にミニバイク50cc以下500枚、90cc以下50枚、125cc以下300枚が交付されています。

浦添市は沖縄本島南部と中部の境目にある市です。那覇市の北東側に隣接し、県内では那覇、沖縄、うるま市に次ぐ4番目の規模のまちです。市域の東側を標高60~140mほどの丘陵が走り、西側は段丘面が海岸の低地まで続いています。琉球王国成立以前の三山時代にそのうちの一国、中山王国の首都として栄えた地域です。現在の浦添市は商業・サービス業が多い沖縄県内でもひときわ卸売・小売業が盛んで県内の第3次産業の核の一つであるほか、那覇市に次ぐ県下第2位の製造品出荷額を誇ります。一方、農業・漁業はわずかに行われるのみで山林や海岸を含めて自然はほとんど残っていません。沖縄方言では「ウラシー」と呼ばれ、ハンドボールが盛んな地域です。海岸沿いに米軍の平坦施設 牧港補給地区(キャンプ・キンザー)があります。

浦添大公園は浦添市伊祖にある公園です。面積は37.4ha、芝生や多目的広場、遊具といった通常の公園の施設のほかに、浦添城跡や浦添ようどれ(琉球王国の陵墓)、ハクソー・リッジなどがある公園で日本の歴史公園100選に選ばれています。第二次世界大戦末期の沖縄戦において激戦地となった場所で、浦添グスク・ようどれ館というガイダンス施設・資料館があります。

浦添カルチャーパークは前述の浦添大公園の西側にある総合公園です。コンサートホールや図書館、プールや市民球場などがある公園で、八角形のドーム屋根と塔が印象的な浦添市美術館(漆芸品を専門とする。ほかに絵画、焼き物などを所蔵)がはいっています。また、美術館の近くにオオゴマダラ(沖縄県の蝶)が飼育されています。

バークレーズコートは浦添市当山にあるショッピングセンターです。2002年に返還された米陸軍工兵隊事務所跡地にできたもので、2005年にオープンしています。ゲオやダイソー、スタバ、ほっともっと、スシローなど約20店舗ほどがはいっています。在沖縄アメリカ総領事館が同地にはいっているため、バス停も「総領事館前」になっています。

国立劇場おきなわは浦添市勢理客にある組踊公園内にある国立劇場です。国立劇場としては国内5番目の施設で、1972年に国の重要無形文化財に指定された組踊(音楽・踊り・せりふなどによって構成される琉球王国の宮廷芸能)や琉球舞踊などを保存し、上演しています。


那覇市(なはし)

那覇市ホームページより

沖縄県那覇市 夢をかたちに、笑顔をくらしに、元気をまちに。 なはが好き!みんなで創ろう 子どもの笑顔が輝くまち 人口316,771人

市制100周年記念のロゴと市の花ブーゲンビリア、市の蝶オオゴマダラが描かれています。ナンバーは「78」から始まります。2021年2月から12月にかけて市制施行100周年記念として交付されたもので、ミニバイク50cc以下190枚、90cc以下10枚、125cc以下100枚が交付されています。

那覇市は沖縄本島南部にある市で沖縄県の県庁所在地です。市域西側で東シナ海と接し、東側は小高い丘陵が市街を取り巻いています。39.98k㎡の面積は全国の県庁所在地のなかで最も小さく、海岸線に沖縄県の玄関口として那覇空港と那覇港があり、国内有数の人口密集地域となっています。卸売業・小売業や宿泊・飲食サービス業が産業従事者の90%を占める商業・観光都市である一方で、沖縄県の工業の主要な部分を担っています(食料品加工・石油製品など)。水産業の従事率は0.1%程度に過ぎませんが、マグロの水揚げ量は全国の10%ほどを占めるため、市の魚としてマグロが制定されています。

首里城公園は那覇市首里にある公園・史跡です。首里城は琉球王国の王城で、14世紀末(推定)に築城されたものと考えられています。1945年の沖縄戦と琉球大学の建造によってほとんどが破壊されましたが、1980年代から正殿などが復元されて沖縄観光には欠かせない名所となりました。2019年の大規模火災を受け歴史上5度目の消失となりましたが、2021年11月には2026年の完成を目指して再興が進められています。また、近くに第二尚氏王統が葬られた陵墓 玉陵(たまうどぅん。国宝、世界遺産)があります。

国際通りは沖縄県町北口交差点から安里三叉路までの長さ1.6kmの通りをいいます。那覇市最大の繁華街であり、全国的にも有名な商店街です。1933年に県道の一部として整備されたもので、当時は周辺に人は少なかったようです。沖縄戦で周辺が焦土になったものの、この通りやガープ川一帯に闇市がたち、1948年には「アーニー・パイル国際劇場」という映画館ができて大変な賑わいをみせたといいます。現在も飲食店、衣料品店、土産屋などが立ち並ぶ活気ある商店街で、沖縄復興のシンボルになっています。

沖縄県立博物館・美術館(愛称:おきみゅー)は那覇市おもろまちにある複合文化施設です。2007年に博物館と美術館の両機能をあわせ持つ施設として開館したもので、博物館では沖縄の歴史・風俗やリュウキュウジカ、ヤンバルクイナなどの化石、万国津梁の鐘(重要文化財。首里城正殿前に掛けられていたもの)などが展示されています。また、屋外展示では彫刻のほか古民家も展示されています。

壺屋やちむん通りは那覇市壺屋1丁目にある通りです。「やちむん」は焼き物のことで、同地や読谷村(やちむんの里)で作られる焼き物 壺屋焼を主として45ほどの窯元が店舗を出しています。また、陶器の店のほかにカフェや那覇市立壺屋焼博物館があります。

識名園(しきなえん)は那覇市真地にある琉球庭園です。首里城の南にあることから南苑ともいい、琉球の第二尚氏王朝尚穆王(しょうぼくおう、1752-1794年)の頃に冊封使(中国の使節)を歓待するために造園されたとされています(完成は1799年頃)。また、那覇市久米に福州園という中国式庭園がありますが、こちらは那覇市70周年と中国福州市との友好都市締結10周年を記念して造園されたもので、1992年に開園した庭園です。

波の上ビーチは那覇市若狭にある人口のビーチです。海岸線の少し先に道路の高架がかかり、長さ300mほどとあまり開放感がありませんが、同市の海岸線は那覇空港・那覇港が殆どを占めるため唯一の海水浴場となっています。周辺は波の上うみそら公園(海浜公園)、旭ヶ丘公園(対馬丸記念館)、波上宮(岬に建つ神社、琉球八社の一つ)などがあります。


原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

鹿児島県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【鹿児島県編】

全47都道府県を網羅 掲載市町村区630以上


四輪自動車の地方版図柄入りナンバープレートはコチラ「地方版図柄入りナンバープレート 一覧 (四輪自動車)」または 地方版図柄入りナンバープレート 九州 (四輪自動車)

鹿児島県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

当サイトの画像は、日本経済研究所さんの承諾を貰って使用しています。コピー・転載は禁止されています。

原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

原付のご当地ナンバー市町村区別目次はコチラ


志布志市(しぶしし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

鹿児島県志布志市 やすらぎとにぎわいの輪が協奏するまち 人口28,384人

「志のあふれるまち」の文字と公式キャラクターの「志武士ししまるとトン助」、特産品の鰻と景勝地のダグリ岬、枇榔島(びろうじま)が描かれています。市制施行10周年記念として、2016年からミニバイク50cc以下844枚、90cc以下78枚、125cc以下78枚が交付されています。

志布志市は鹿児島県東部の大隅地域にある市です。2006年に曽於郡志布志町・有明町・松山町が合併してできた市で、大隅半島の付け根、宮崎県と接するあたりにあります。おおむね市域南側の志布志港周辺に市街を成し、市域北部から東部にかけては市域の50%強を占める傾斜の多い森林地となっています。古代から漁業が盛んだったらしく、平安時代にはすでに日向・大隅・薩摩国にまたがる島津荘の水門(水運の玄関口)として機能していたようです。現在の志布志市は卸売・小売業や運輸業など第三次産業を主要な産業とする一方で、農業が盛んに行われており、茶・焼酎・黒豚・メロン・いちご・ちりめんじゃこなどを特産品としています。

志布志港は志布志市の南側にある重要港湾・中核国際港湾です。南九州エリア一円の流通にかかわる港で、国内および中国・台湾・韓国など外国ともつながりがあります。国内の原木の輸出量のうち3割を占め、海外からは主に畜産用の飼料が輸入されています。また、「さんふらわぁ さつま」「さんふらわぁ きりしま」が定期航路として大阪南港と連絡しています。

ダグリ岬遊園地は志布志市志布志町夏井にある遊園地です。観覧車や子供向けの定番乗り物などがあるレトロな施設で、鹿児島県唯一の遊園地です。周辺にダグリ岬展望台や国民宿舎 ボルベリアダグリ、ダグリ岬海水浴場や志布志湾大黒イルカランド(宮崎県串間市)などがあり観光地になっています。

うなぎの駅は志布志市志布志町志布志にある鰻専門のレストランです。当地で鰻の養殖を行う山田水産株式会社が運営するもので、普通車90台・大型バス10台対応の駐車場がある大規模の店舗となっています。「オーガニックうな重」や「うなぎカレー」、「うなぎラーメン」などを提供するほか、直売店では鰻の加工品やししゃも、さんまなどが販売されています。

かごしま黒豚は土着の豚とイギリス産バークシャー種をかけ合わせ改良を重ねた豚で、口当たりが柔らかくアミノ酸含有量が高い(旨みが強い)のが特徴です。かごしま黒豚を使った志布志市のご当地グルメ「志布志発かごしま黒豚三昧」は、全国ご当地どんぶり選手権で、2016年・2017年に2年連続準グランプリを獲得、2018年「グランプリ・観光庁長官賞」に輝きました。


鹿児島市(かごしまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

鹿児島県鹿児島市 人・まち・みどり みんなで創る“豊かさ”実感都市・かごしま 人口597,115人

桜島とその火口から上る噴煙を「薩摩切子」(薩摩ビードロ)風に表しています。2018年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています(従来様式と選択性)。

鹿児島市は鹿児島県の中部にある市です。同県の県庁所在地であり、南九州の政治や文化、経済の主要都市です。薩摩半島と大隅半島に挟まれた鹿児島湾(錦江湾)の薩摩半島側に市街を成し、対岸には活火山の桜島があります。薩摩・日向・大隅の3国を治めた島津氏の居城 鹿児島城の城下町として発達した地域です。現在の鹿児島市は卸売・小売業やサービス業など第三次産業が主要な産業となっていて、観光都市(年間観光客入込数1千万ほど)の特徴を示しています。また、沿岸部に南北20kmに及ぶ鹿児島港(重要港湾)を有し、奄美大島・屋久島などの離島部や対岸の桜島や垂水市の垂水港にフェリーが出ています。火山が近いため市内に200以上の温泉の泉源を有し、公衆浴場の殆どが温泉です。

天文館は鹿児島市の市街中心にある繁華街・歓楽街をいいます(「ここからここまで」といった明確な規定は無い)。この名称は島津家第25代当主の島津重豪が天体観測や暦の研究施設として建設した明時館(天文館)に由来し、多くのアーケード商店街が網の目状に広がっています。地元有力百貨店の山形屋、センテラス天文館(ショッピングモール)などがあり、南西側の鹿児島中央駅の間に流れる甲突川(こうつきがわ)の畔に鹿児島市ふるさと維新館があります。

仙巌園(せんがんえん、別名磯庭園)は鹿児島市吉野町にある大名庭園です。350年ほど前に島津家19代当主 島津光久によって別邸の庭として造園されたもので、5haほどの広さを有し、奇岩と灯籠が特徴の庭と明治時代には迎賓館としても利用された御殿、薩摩切子の工房などがあります。また、同地区は集成館というアジア初の近代的西洋式工場群が設置された場所であり、集成館機械工場(現在は尚古集成館という博物館・観光案内所になっている)や反射炉跡などが世界文化遺産に認定されています。

いおワールドかごしま水族館は、鹿児島市本港新町の桜島フェリーターミナル・北埠頭フェリーターミナルの近くにある市立の水族館です。1997年に開館したもので、鹿児島湾・鹿児島沿岸の海洋生物をメインに、ジンベイザメ(代々「ユウユウ」と呼ばれている)・サツマハオリムシ・マンボウやピラルクーなどの生物が展示されています。イルカや電気ウナギの放電ショーがあるほか、希少種の鯨 タイヘイヨウアカボウモドキの全身骨格標本があります。

鹿児島城(鶴丸城)は鹿児島市城山町にある城跡です。江戸時代が始まる直前の1601-1602年に築かれたもので、石垣・堀などの遺構があるほか、2階建ての御楼門が復元されています。本丸や二の丸跡などは城山公園として整備されており、本丸跡には鹿児島県歴史・美術センター黎明館、二の丸跡には県立図書館・県立博物館、市立美術館などが建っています。周辺に西郷隆盛洞窟(1877年の西南戦争で西郷隆盛が最後の指揮をとった洞窟)や西郷隆盛終焉の地、天然温泉湯乃山(入浴施設)などがあります。

桜島は東西約12km、南北約10km、標高1,117mの火山です。桜「島」といいますが、1914年の大正大噴火で大隅半島と陸続きになっています。島の北西部と南西部には平らな土地があり、農地や港などとして利用されています。鹿児島港からフェリーで3.5km、約15分ほどで桜島に渡ることができます。島内には道の駅 桜島や桜島ビジターセンター(火山のミニ博物館)、湯之平展望所、桜島溶岩なぎさ公園&足湯、入浴施設などがあり、登山や温泉目当ての観光客が訪れる観光地となっています。また、桜島小みかん(世界一小さいみかんで、袋は堅いが甘みが強い)や桜島大根、ビワなどが島の特産品となっています。


奄美市(あまみし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

鹿児島県奄美市 自然・ひと・文化が共につくるきょらの郷(しま)~太陽(てぃだ)の恵みのもとで、ゆったりとくらす人々が、自然の声を伝えていくまち~ 人口41,543人

「世界自然遺産へGO!!」の文字とてぃだ(太陽)と海、アマミノクロウサギとヘゴ(木性のシダ植物)が描かれています。2013年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

奄美市は九州の南方、沖縄県と九州の中間あたりにある奄美大島にある市です(2006年に名瀬市・笠利町・住用村が合併して発足)。奄美大島は奄美群島の主要な島で面積712.35k㎡(本土4島を除く離島で国内5位)、奄美市・龍郷町・大和村・宇検村・瀬戸内町の一部からなり、奄美市が人口・経済規模で最大の自治体となっています。また、市域中央北側には名瀬港(鹿児島港からトカラ列島、沖縄県の本島と離島地域などを結ぶ)、市域北東側に奄美空港があり、奄美大島の海・空の玄関口になっています。主要な産業は卸売・小売業など第三次産業で、サトウキビやたんかんなど柑橘類を主とする農業や漁業も行われています。黒糖と黒糖焼酎などその加工品、大島紬、たんかん・びわ・パッションフルーツなど果実類などを特産品としています。※一般に「島唄」というとTHE BOOMのイメージが強く琉球民謡と思われがちだが、奄美群島が発祥。奄美市街の酒場に演奏がある店舗がいくつかある。

奄美空港は奄美市笠利町にある地方管理空港で、年間およそ60万~80万人が利用しています。1988年に旧奄美空港から現在の形になり、2016年に奄美大島・徳之島・沖縄北部及び西表島の世界自然遺産登録に対応した形でターミナルビルが増設され、コロナ禍以前には利用客数が伸びていました。周辺に奄美パーク(観光拠点施設、美術館・展示ホール・イベント広場などを有す)、あやまる岬観光公園などがあり、奄美大島観光の玄関口となっています。

住用(すみよう)マングローブ林は奄美市住用町の住用川・役勝川の河口付近にあります。奄美群島国立公園のなかでも大変人気がある場所で、マングローブ林としては国内で2位の広さを誇ります。周辺に黒潮の森マングローブパーク、道の駅 奄美大島住用、奄美大島世界遺産センターや展望台などがあり、奄美大島の自然を活かした観光地になっています。

奄美観光ハブセンターは名瀬港のフェリーターミナルの北側にある私立の施設です。ハブ取り名人の中本英一氏(和歌山県出身でハブ研究の第一人者)が設立したレトロな感じの建物で、1階がハブ革の財布やハブ酒・ハブ油など土産物を売る店舗、地下がハブの展示室、2階でハブvsマングースのDVDを上映しています。奄美群島や沖縄県ではハブの捕獲に需要があり、ハブ取りが生業になっていますが、現在ではハブが減少し、専門職とする人はほとんど残っていません。

奄美市大浜海浜公園は奄美市名瀬にある公園です。奄美群島国立公園内に位置し、海水浴場、キャンプ場、奄美海洋展示館(水族館)、タラソ奄美の竜宮(海水温浴施設)などがあります。市街地から20分ほどで行けてきれいな夕陽が見られるため人気の観光地になっています。


知名町(ちなちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

鹿児島県大島郡知名町 花ひらく夢ひらくまち フローラル知名 ずっと住み続けたい 誇りと自信溢れるまちだから 人口5,623人

海と白い雲と青い空、町花のハイビスカス、海中には白抜きでウミガメやサンゴが描かれています。2014年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

知名町は九州南部と沖縄の間にある奄美群島南西部の沖永良部島(おきのえらぶじま、口語では単に「えらぶ」という)にある町で、大島郡に属しています。沖永良部島はサンゴ礁が隆起してできた島で面積93.65k㎡、知名町と和泊町の2つの自治体からなり、そのうち知名町は島の西部にあります。知名町は戦後にアメリカ合衆国の統治下に入りましたが、1953年に日本に復帰しています。基幹産業はサトウキビや畜産、馬鈴薯や花卉といった農業と観光業で、漁業も行われています。2000ha以上の広さの耕地を有していますが、水田はほとんどみられません。沖永良部島は鍾乳洞が豊富で、知名町には国内二番目の規模の大山水鏡洞や昇竜洞(一部が一般公開されている)があります。

昇竜洞は知名町住吉にの大山山麓にある鍾乳洞です。沖永良部島は鍾乳洞が200~300ほどあり、島の地下はほとんどが鍾乳洞でできているなどと言われています。昇竜洞は1963年に発見されたもので全長3,500m、鹿児島県の天然記念物に指定されるとともに、600mが公開され観光地化しています。周辺にカフェや庭園などがあります。

田皆岬は沖永良部島の北西にある東シナ海に突き出た岬です。海までの断崖は高さ51mあり、奄美十景に名を連ねる島内屈指の景勝地になります。運が良ければウミガメが見えるようです。ヤクニヤ埼灯台という白い灯台があり、当地のシンボルになっています。岬のカフェという喫茶店があり、テイクアウトに対応しています。

大山植物公園は知名町上城にある公園です。大山の山頂近く、標高240mのところににある公園で、キャンプ場や展望台、遊歩道が整備されています。近くに航空自衛隊の基地があります。

一般社団法人おきのえらぶ島観光協会(エラブココ)は知名町屋者にある観光案内所です。保育園をリノベーションしたもので、コワーキングスペース・シェアオフィス・温水シャワーなどがまとまった施設です。沖永良部島のお土産を売るスペースがあります。

ジッキョヌホーは知名町瀬利覚にある湧水です。水道が整備されるまでは野菜を洗ったり洗濯をするほか、灌漑用水などに利用されていました。一日に1,900tほどの水が湧き出しており、平成の名水百選の一つとなっています。また、知名町住吉に住吉暗川(クラゴー)という洞窟があり、地底30mほどのところから湧き出る水を生活用水として汲んでいたそうです。


南大隅町(みなみおおすみちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

鹿児島県肝属郡南大隅町 温故創新 北緯31度線のまち 人口5,978人

佐多岬灯台と黒潮をイメージした海原、PRキャラクター「みさきちゃん」が描かれています。2014年にミニバイク50cc以下を対象に500枚が交付されています。

南大隅町は鹿児島湾東側の大隅半島南部にある町で、肝属郡(きもつきぐん)に属しています。2005年に根占町と佐多町が合併してできたもので、三方を海に囲まれた半島の町です。町域の多くを標高900m前後の山々からなる肝属山地が占め、雄川の河口部や沿岸に集落を成しています。畜産主体の農業と林業と、卸売・小売業など商業を主要な産業としています。高齢化率が約49.3%(2020年)と住民のほぼ半数が高齢者です。馬鈴薯・びわ茶・黒豚などを特産品としています。

佐多岬は大隅半島の先端にある岬です。九州本島の最南端に位置し、霧島錦江湾国立公園に含まれています。宗谷岬・納沙布岬・神埼鼻・佐多岬を「本土4極」(島しょ部を除く北海道・本州・四国・九州における東西南北の極)といい、そのうち最南端にあたる岬で、売店で最南端到達証明書がもらえます。もともとは佐多ロードパークという名称で、岩崎産業(いわさきグループ傘下)が道路を建設した有料の観光地となっていましたが、現在では町が所有しているため無料となっています。佐多岬の付け根を東側に行くと田尻漁港(海中展望船の「さたでい号」が発着する)、ソテツ自生地(国の天然記念物)があります。

根占港(ねじめこう)は大隅町根占川南にある港です。同港からフェリーなんきゅうが出て指宿市の山川港と結ばれています(所要時間約50分)。観光地としてはあまり栄えていませんが、根占温泉ネッピー館(ホテル、日帰り入浴可能)やなんたん市場(スーパー)、西郷南洲翁宿泊の家(西郷隆盛が狩猟の際に宿泊した家)などがあります。

雄川の滝(おがわのたき)は南大隅町根占川南にある落差46m、幅60mの滝です。駐車場と1,200mの遊歩道が整備されていますが、駐車場からは滝を上から見ることになりますので、滝壺正面に出るには少し歩く必要があります。薩摩藩によって編纂された「三国名勝図会」でも紹介されており、古くから景勝地として親しまれています。

道の駅 根占は、南大隅町根占山本にある国道269号沿いの小規模の道の駅です。ゴールドビーチ大浜海水浴場に面した高台にあり、売店・レストラン・トイレのシンプルな構成です。佐多岬の方まで行くと店舗が少ないので、ここに立ち寄る人が多いようです。

佐多旧薬園は南大隅町佐多伊座敷にある史跡です。薩摩藩直営の薬草園で、宝暦年間(1751-1764年)に開設されたものと考えられています(詳しい設立年はわかっていない)。山川薬園・吉野薬園とともに「三薬園」と呼ばれていましたが、現在薬園の姿を留めるのはこの佐多旧薬園のみです。近くにAコープ佐多店があり佐多岬に一番近いスーパーとなっています。


天城町(あまぎちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

鹿児島県大島郡天城町 スポーツ愛ランド あまぎ 人口5,586人

観光イメージキャラクターの「あまぎくん」が描かれています。2011年にミニバイク50cc以下を対象に100枚が交付されました。

天城町は鹿児島県奄美群島のほぼ中央、徳之島にある自治体です。徳之島は奄美大島と加計呂麻島の南西にある面積247.77k㎡(周囲84km)の島で、天城町・徳之島町・伊仙町の3つの自治体で構成されています。このうち天城町は島の西側を占め、平土野港(へとのこう)と徳之島空港が玄関口になります。さとうきびや馬鈴薯、畜産を主体とする農業が主要な産業で、林業や漁業、観光業も行われています。島内奥地には自然が残り、オビトカゲモドキやトクノシマトゲネズミなど徳之島固有の動物が生息しています。闘牛やトライアスロンin徳之島大会でしられる地域です。

徳之島空港(徳之島子宝空港)は天城町浅間にある地方管理空港です。ターミナルビルが平屋建てで、年間利用客数は20万人程度という小さな空港で徳之島の西海岸リーフを埋め立てて建設されています。徳之島は豊かな森と優れた海岸の景観を有しますが、あまり店舗は多くないためお土産は空港が一番揃っているようです。空港から出てすぐのところにウンブキと呼ばれる海とつながった鍾乳洞があり、ここから「ウンブキアナゴ」という稀種のアナゴが発見され、町の天然記念物になっています。

天城町立ユイの館は天城町天城の平土野港の北側にある歴史民俗資料館です。徳之島の産業や歴史、小型船などを展示する施設で、当地では「南洲翁」として知られる西郷隆盛と徳之島の関係を記したコーナーもあります。南側に平土野港のフェリーターミナルや当地の商業区があり、商店街や海岸の防波堤に徳之島の動物や自然の絵が描かれています。

犬の門蓋(いんのじょうふた)は、天城町兼久の海岸沿いにある奇岩と断崖が連なる景観をいいます。隆起サンゴ礁が長年海によって侵食されてできた景観で、特に古代の水道橋のようなメガネ岩が有名です。かつて大飢饉のおりに人畜を襲う野犬を捕えて海に投じたことからこの名称で呼ばれています。

アマミノクロウサギ観察小屋は天城町当部にある施設です。アマミノクロウサギは夜行性の動物で奄美大島と徳之島の固有種、絶滅危惧種です。小さな施設ですが小屋内に剥製や関連書籍、小屋外に餌となる植物の食菜園などを有し、町内でライブカメラの映像を放送していたりします(見学には予約が必要)。

ムシロ瀬は徳之島の北側、天城町与名間の海岸線をいいます。サンゴ礁性の徳之島では珍しい花崗岩が連なる海岸で、岩に入るひび割れがむしろ(い草や藁などを編んで作る敷物)のように見えるということからムシロ瀬と呼びます。遊歩道や展望台、トイレが整備されています。これらの岩が冷え固まったときに縦横にひび割れがはいったとされ、奄美十景の一つとなっています。


肝付町(きもつきちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

鹿児島県肝属郡肝付町 やぶさめと、はやぶさの町 人と地域の個性が輝く 創造と協働のまちづくり 人口14,200人

自治体名の上に「KIMOTSUKI TOWN」の文字、右側に小惑星探査機「はやぶさ」、背景には日本とカプセル回収地点になったオーストラリア周辺の地図が描かれています。2012年からミニバイク50cc以下と小型特殊車両を対象に交付されています。

肝付町は鹿児島湾の東岸、大隅半島の東側にある町で肝属郡に属しています。2005年に高山町(こうやまちょう)と内之浦町が合併してできた町で、平坦地が少なく町域の8割を山林が占め、鹿屋市に隣接する町域北西部、高山の方に人口が集中しています。第1次産業~第3次産業の比率が概ね平衡していて、農業・製造業・卸売・小売業の就業率がそれぞれ10~14%ほどです(それぞれの出荷額、商品販売額を比較するとやや商業より)。やぶさめやロケット発射場のJAXA内之浦宇宙空間があることで知られる地域で、観測所黒豚・黒牛や芋類、マンゴーやダイダイといった果物、伊勢海老(えっがね)・うなぎなどを特産品としています。妖怪「一反木綿」(当地ではいったんもんめと呼ばれる)の伝承地です。

内之浦宇宙空間観測所は旧内之浦町の市街南方にあるロケット打ち上げ施設です。種子島宇宙センターと並ぶ施設で、1963年の開所以来日本初の人工衛星「おおすみ」など大小400機あまりのロケットや人工衛星などを打ち上げてきました。宇宙科学資料館を有し(入場無料)、ロケットや科学衛星のモデル、機器などを展示しています。同観測所は山の中にありますが、周辺に宇宙グッズや宇宙食などを販売する店舗があります。

二階堂家住宅(二階堂屋敷)は肝付町新富にある古民家です(国の重要文化財)。1810年頃に建てられたとされる茅葺きの建物で、オモテとナカエと呼ばれる2つの棟が雁行型の寄棟を形成しています。政治家 二階堂進(内閣官房長官、科学技術長官、北海道開発庁長官などを歴任し、新日本プロレスコミッショナーとしてもたびたびテレビに登場した)の生家です。

肝付町立歴史民俗資料館は肝付町野崎にある資料館です。古い農具や同資料館の向かいにある塚崎古墳群の出土品、石棺などが展示されています(入場無料)。また、塚崎古墳群は前方後円墳5基、円墳39基、地下の横穴墓29基で構成される古墳群で、日本最南端の前方後円墳を含んでいます。

高山城跡は肝付町新富本城にある城跡です。平安時代の末期に島津庄の荘園監督管に任じられた平兼定という人の子孫が築いたもので、その子孫は肝付氏を名乗り長らく大隅国の最大領主でした。本城川・栗山川・高山川に三方を囲まれた崖の上にあり、本丸の曲輪がほぼ現存しています。また、周辺に道隆寺跡があり、五輪塔や仁王像、灯籠などが残っています。

岸良海岸(きしらかいがん)は肝付町岸良のビーチです。内之浦の市街から国道448号を16kmほど南下したところにあります。釣りやサーフィン、ボルダリングなどで親しまれているほか、夏には近くの平田神社の夏越祭(ナゴシドン)という祭りが行われています。また、県道542号に入って山の方へ行くと湯の谷温泉があります。


南種子町(みなみたねちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

鹿児島県熊毛郡南種子町 鉄砲伝来とロケットのまち 人口5,217人

「ロケットの町」の文字と発射されたロケットのイラストが描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下と小型特殊車両を対象に交付されています。

南種子町は鹿児島県の種子島南部にある町で、熊毛郡に属しています。種子島は鹿児島県南部の大隅半島の南側にあり、西隣が屋久島です(アクセスは鹿児島空港ー種子島空港、鹿児島本港ー西之表港ないし指宿港ー西之表港)。町域は起伏が多く、大半が丘陵地で河川が多く、流域には水田が広がっています。1543年にポルトガル人が乗った明国船が漂着し、鉄砲伝来の地とされています。産業は農業・畜産が主であり、若干ですが漁業も行われています。また、国内唯一の商業ロケット打ち上げ施設JAXA種子島宇宙センターがあるため学術研究・技術サービス業の従事者が多く、日本の最先端技術を支えています。コシヒカリ・インギー地鶏・安納芋・トビウオなどを特産品としています。※県外への人口流出ではつくば市がトップ。

JAXA種子島宇宙センター 宇宙科学技術館は南種子町茎永にあります。1979年に我が国はじめての宇宙開発技術の展示館として開設されたもので、ロケットや人工衛星の仕組み、打ち上げと追跡管制の状況、実物大の模型などが展示されています。また、国際宇宙ステーション計画を構成する「きぼう」日本実験棟の実物大模型があり、無重力体験ができます(入館無料)。

トンミー市場は南種子町中之上にある物産館/土産屋です。安納芋といった野菜やパパイヤなど果物、宇宙食など宇宙グッズなどを販売しています。当地の中心市街にあり、周辺に河内温泉センターがあります。

千座の岩屋(ちくらのいわや)は中種子町と南種子町にまたがる熊野浦の南岸にある海蝕洞です。「内部が千人座れるほど広い」ということから千座の岩屋と名付けられた洞窟で、岩屋内部からの浜島、竹島の眺めや砂浜の眺めで知られる景勝地です。年に一回3日間程度岩屋内部でプラネタリウムが開催されています。

種子島マングローブパークは南種子町平山の大浦川流域にあります。種子島はマングローブ(メヒルギ)の自生地としては北限で、西之表市の湊川のマングローブとともに日本の重要湿地500に選ばれています。ボードウォークが整備されて散策ができるほか、カヤックでの探検も行われています。西之表南種子線から東へ海岸の方まで行くと「はまだの湯」という温泉入浴施設があります。この施設は内風呂一つのシンプルな入浴場ですが、地元では長く親しまれている鉱泉を沸かしたものです。

たねがしま赤米館は南種子町茎永にある資料館です。全国で少量が栽培されるもので、タンニンによる赤みがあり、稲穂が赤く見えるため装飾用としても用います。食味は渋みが強く、食用としてはあまり人気がありません。当地でははるか昔に南方から伝わったとされ、豊作を祈願する農耕行事や神事には赤米が用いられます。明治時代以降ほとんど栽培されなくなりましたが、岡山県総社市、長崎県津島市、南種子町では神社を中心に栽培が残ったようです。※「古代米」という呼び方は語弊があるようだ。


指宿市(いぶすきし)

指宿市ホームページより

鹿児島県指宿市 豊かな自然が織りなす 食と健康のまち 人口37,594人

自治体名の上に「いぶすき」のルビ、指宿市のシンボル開聞岳(かいもんだけ、標高924m)と砂蒸し風呂のイラストです。2020年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

指宿市は鹿児島湾の西岸、薩摩半島の先端にある市です。2006年に旧指宿市・山川町・開聞町が新設合併してできた市で、全体に起伏に富み、市域中央部に九州最大の池田湖、第2位の鰻池があり、市域南西側に火山の開聞岳があります。全国的に有名な指宿温泉を有し、観光・農業・漁業を主要な産業とするまちで、九州屈指の観光地です。また、地方港湾の指宿港と山川漁港を有し、フェリーが鹿児島港や対岸にあたる大隅半島の根占港、屋久島の宮之浦港、種子島の西之表港など離島地域などと連絡しています。一方で少子高齢化を要因とする人口減少が顕著であり、2045年に2.5万人程度まで減少する見込みとなっています。そらまめやオクラ、黒牛・黒豚、さつまいもやカツオ、焼酎などを特産品としています。

指宿温泉は指宿市東部の温泉群を総称するものです(摺ヶ浜温泉、弥次ヶ湯温泉、二月田温泉など)。年間250万人ほどが訪れる有名な温泉地で、江戸時代以前から麻の加熱処理・炊事・浴用などに用いられてきたようです。また、当地の地名「指宿」は「湯豊宿(ゆぶしゅく)」が転訛したものと考えられています。とりわけ摺ヶ浜温泉の砂蒸し風呂は世界的にも珍しいものです。温泉のほか、指宿市十二町に指宿市考古博物館、指宿市東方に薩摩伝承館(美術館。薩摩焼など工芸品を中心に展示)などがあります。

道の駅 山川港活お海道(やまがわみなといおかいどう)は、指宿市山川金生町にある国道269号の小規模の道の駅です。朝市直売エリアがあり、カツオやカンパチ、鰹節、さつま揚げなどを売っています。山川漁港に隣接していて、ここから対岸の大隅半島根占港までフェリーなんきゅうが出ています。

道の駅いぶすきは、指宿市小牧にある国道226号の小規模の道の駅です。特産物販売所・レストラン・トイレなど通常の道の駅の施設のほか、公園と展望所があり、天気が良ければうっすらと桜島が見えます。オクラ・スナップエンドウ・バラの花・錦江湾の魚などを販売していて、ソフトクリームもオクラ味です。

長崎鼻(鹿児島)は薩摩半島最南端に突き出た岬です。霧島錦江湾国立公園に含まれる岬で、別名を竜宮鼻といい、竜宮神社という浦島太郎を祀った神社があります。人気のある観光地で、周辺にカフェや開聞温泉(小さな入浴施設)、フラワーパークかごしま(植物園)があります。

開聞岳は薩摩半島の南端にある標高924mの活火山です(日本百名山の一つ)。南西部は海に面し、円錐状の独立峰であることから「薩摩富士」と呼ばれることがあります。足場は整備されているますし、日本百名山のなかでは筑波山に次ぐ標高の低さから3時間ほどで登頂できますが、途中はしごがあったりするので雨の日と次の日の登山は足元に気をつける必要があります。


原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

宮崎県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【宮崎県編】

全47都道府県を網羅 掲載市町村区630以上


四輪自動車の地方版図柄入りナンバープレートはコチラ「地方版図柄入りナンバープレート 一覧 (四輪自動車)」または 地方版図柄入りナンバープレート 九州 (四輪自動車)

宮崎県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

当サイトの画像は、日本経済研究所さんの承諾を貰って使用しています。コピー・転載は禁止されています。

原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

原付のご当地ナンバー市町村区別目次はコチラ


門川町(かどがわちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

宮崎県東臼杵郡門川町 日本一住みよい門川町 人口16,867人

「KADOGAWA TOWN」の文字と海に浮かぶ乙島、PRキャラクターの「かどっぴー」が描かれています。調整80周年記念として、2015年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

門川町は宮崎県北部にある町で、東臼杵郡(ひがしうすきぐん)に属しています。西部は山岳や丘陵地帯で町域8割強が山林、東部の門川湾沿岸及び五十鈴川の河口周辺低地に市街をなしています。古くから漁業や水産加工が得意で、戦後の復興期に女性がブリキ缶に魚を詰め、宮崎市など人口が多い地域まで行商に出たことから「魚のまち」として知られています。また、沖合の枇榔島(びろうじま)はカンムリウミスズメの繁殖地として知られます。同町は製造業・商業のバランスが良く、畜産主体の農業も行われており、門川金鱧などの鮮魚やトマト、へべすと呼ばれる柑橘(当地と日向市でのみ栽培されている)を使ったへべ塩やポン酢などを特産品としています。松野工業(株)宮崎 門川工場という国内唯一のビー玉を製造する工場があります(店舗を併設している)。

桃源郷岬は門川町庵川にある私設庭園です。日向湾をのぞむ20haの広さの自然園で、当地のアジサイの名所とされています(80種2万株ほど、入園料1,000円)。アジサイの名所は日本各地にありますが、海と一緒に見られる場所は多くありません。

枇榔島(宮崎県)は門川町の沖合6kmほどのところに浮かぶ周囲1.5kmほどの島です。カンムリウミスズメ(絶滅危惧種、国の天然記念物)の世界最大の繁殖地で、「神武天皇が一頭の鯨を仕留めようとすると、鯨は美女に変身して助けを求めた」とする伝説が残っています。門川港から渡船で20分ほどで渡れ、釣りのメッカでもあります。

門川温泉 心の杜は門川町庵川にある温泉入浴施設です。1階はレストランや売店と浴室、2回は体育館になっています。泉質は塩化物ーナトリウム線でしょっぱいお風呂で、内湯のほか、薬湯・露天風呂・サウナなどがあります(入浴料:大人520円、中学生・障がい者310円、4歳~小学生200円)。

門川海浜総合公園は門川町加草にある公園です。運動競技場やソフトボール場、テニスコートなどを備える海沿いの公園で、流水プールやスライダーがあるプール設備があります。また、当地のかどがわ納涼花火大会の開催地でもあります。


国富町(くにとみちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

宮崎県東諸県郡国富町 情熱・創造・躍動みなぎる健康田園都市 iハートくにとみ 人口17,952人

町名上に「iハートくにとみ」の文字、町の花コスモスの縁取りと白玉まんじゅうのPRキャラクター「しらたマン」が描かれています。2015年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

国富町は宮崎県中部にある町で東諸県郡(ひがしもろかたぐん)に属しています。宮崎市の北西部に隣接する町で、町域の北西部から中部にかけては山岳・丘陵地、おおむね町域の南東側本庄台地上に市街をなしています。かつては本庄川の水運による物資の集散地として栄えたといいます。現在の国富町は耕地面積が2割弱を占め、農業従事者も多いため、水田が目立つ一方で、宮崎市のベッドタウンとしても機能しています。千切り大根・富有柿・たばこ・茶・白玉まんじゅうなどを特産品としています。一時期はプラズマディスプレイの生産が行われていましたが、現在は世界最大級のソーラーパネルの生産工場となっています。

法華嶽公園(ほけだけこうえん)は国富町深年にある公園です。キャンプ場や水遊び馬、グラススキー場、ドッグラン、日本庭園などがあるほか、薩摩藩の三薬師の一つ法華獄薬師寺があります。公園の奥まで行くと釈迦ヶ岳(標高830.6m)の登山道の入口があります。

白玉まんじゅうは、今から150年ほど前に誕生したと言われている国富町に伝わるお菓子です。米粉を練った生地で甘さ控えめのこしあんを包み蒸し上げます。国富町の白玉まんじゅうはうるち米(一般的なお米)を用いたあっさりした食感が特徴です。よもぎ味の白玉まんじゅうを扱う店舗もあるようです。

大坪の一本桜は国富町大字八代南俣にある一本桜(ヤマザクラ)です。高さ15m、幹周り3.17mの見事な桜で、樹齢150年ほどといわれています。川上神社のある川上地区を西進した畑にあり、根本付近に1673年に建てられた庚申塔があります。


宮崎市(みやざきし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

宮崎県宮崎市 活力と緑あふれる太陽都市 人口398,447人

サーフボードの形をしたプレートに南国のリゾートを連想させる青い海と空・フェニックス(カナリーヤシ)、自治体名の上に「SINCE1924」の文字が描かれています。2014年にミニバイク50cc以下を対象に2,500枚が交付されました。

宮崎市は宮崎県南東部にある市です。宮崎県の県庁所在地及び最大規模の都市で、東側で36kmの長さに渡って日向灘に接し、中部を宮崎県を代表する河川 大淀川が流れています。また、市域西部はおおむね丘陵地になっています。1873年に設立した宮崎県(初代)の県庁が置かれ、その後も最置された宮崎県の行政の中心地として発展した地域です。主要な産業は卸売・小売業やサービス業など第三次産業で、年間600万人ほどの観光客が訪れる観光地として知られています。ほかに8,200haほどの広大な耕地を有し、日向夏や宮崎牛、マンゴーなどを特産品としています。

道の駅フェニックスは宮崎市内海にある宮崎県道377号沿いの中規模の道の駅です。1965年に開業したフェニックスドライブインをもとにした施設で、2005年に自治体が管理する道の駅として整備されています。日南海岸沿いにあり、海側は鬼の洗濯板と呼ばれる階段状の岩が青島海岸まで続いています。周辺に堀切峠(名勝地)や青島があります。宮崎市内にはほかにも道の駅 高岡と田野(どちらも小規模)があり、道の駅フェニックスの南方2kmほどのところにデモン・デ・マルシェという複合商業施設があります(2019年に閉店がアナウンスされたが、一部店舗が営業中)。

宮崎神宮は宮崎市神宮にある神社です(創建年不明)。古くは「神武天皇宮」や「神武天皇御廟」と呼ばれたもので、神武天皇(天皇初代)が東征以前に宮を営んだ地に健磐龍命(=タケイワタツノミコト。神武天皇の孫、阿蘇山の火山神として祀られる)が創祀したものとされています。国の天然記念物のオオシラフジやノダフジなどがあり、藤の名所とされるほか、周辺には宮崎県総合博物館や県立美術館があります。

青島は宮崎市の南東部の沖合800mくらいのところにある周囲860mほどの島です。市街から徒歩で渡ることができ、周辺の浜は鬼の洗濯岩になっています。島全体が熱帯・亜熱帯植物の群生地として国の天然記念物になっていて、青島神社という小さな神社があります。青島の対岸は観光地となっていて、青島海水浴場や宮交ボタニックガーデン青島(熱帯・亜熱帯植物を展示する植物園)などがあります。

宮崎市フェニックス自然動物園はフェニックス・シーガイア・リゾートに隣接する動物園です。1971年にフェニックス自然動物園として開園、現在は市が所管する施設で、動物園のほかに小遊園地を兼ねています。1974年に日本初のダチョウの人工孵化に成功し、フラミンゴのショーで知られる動物園です。

宮崎中央公園(文化の森)は宮崎市宮崎駅東にある公園です。駅から徒歩2分、広さ5.1haほどの公園で市立総合体育館やテニスコートといった運動施設のほか遊具や噴水が整備され、ホテルニューウェルシティ宮崎や宮崎科学技術館がはいっています。


高原町(たかはるちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

宮崎県西諸県郡高原町 元気で豊かな笑顔あふれるまちづくり 神武の里 たかはる 人口8,297人

自治体名の左に「神武の里」の文字、霧島連山の高千穂峰(たかちほのみね)山頂にある天の逆鉾、町鳥のブッポウソウのイラストが描かれています。町制80周年記念として2014年にミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

高原町は宮崎県の南西部にある町で、西諸県郡に属しています。県庁所在地の宮崎市から西へ40km、都城市の北側に隣接する自治体で、西側で火山群である霧島連山に接し、平均標高200mほどの丘陵のまちです。畜産主体の農業や林業を基幹産業とする町で、霧島連山から川、地下水が流れ、水資源が豊富です。現在、高齢化率が40%を越えており、今後も少子高齢化が進むと考えられています。消滅可能性都市の一つとなっていますが、近年の社会増・社会減は均衡しています。宮崎牛・茶・椎茸・熟成たかはる灰干し(牛・豚・鶏の肉を火山灰で熟成させたもの)などを特産品としています。

高千穂峰(1,574m)は鹿児島県と宮崎県の境にある火山です(日本二百名山)。錦江湾国立公園内にあり、宮崎県小林市、高原町、都城市と鹿児島県霧島市にまたがっていますが、山頂部は高原町内にあります。九州随一の霊峰で、天照大神の孫にあたるニニギノミコトが天下った場所とされています。山頂には青銅の天逆鉾(あまのさかほこ。日本三奇の一つ)が立っています。一説には大国主を通じてニニギに譲り渡された後、国家の安定を願って二度と振るわれることのないように山に突き立てたといわれており、奈良時代には山頂に立っていたといわれています(火山の噴火で折れてしまったため、現在のものはレプリカ)。東麓にある霧島東神社の社宝となっています。

皇子原公園(おうじばるこうえん)は高原町蒲牟田(かまむた)にある公園です。高原町西側の町を見下ろす高台にある公園で、神武天皇(初代の天皇)が生まれた地とされています。古墳群や遊歩道、キャンプ場、ゴーカート乗り場、ニジマスの釣り堀、たかはる清流ランド(親水公園)があります。彼岸花の名所とされるほか温泉入浴施設もあり公園で、広域観光ルートのひむか神話街道の終点にあたります。

高原町のトトロは高原町蒲牟田753にあります。当地のトトロはコンクリート製の像で、70歳になる夫婦が古希の祝いに子供や孫たちに何かをプレゼントしようと思い、50年の左官技術を活かして作られたものでかなり再現性が高いです。皇子原公園に向かう県道413号沿いに駐車場があります。また、周辺に湯之元温泉や古民家カフェがありちょっとした観光名所になっています。

祓川湧水園は高原町蒲牟田642にある公園・湧水です。国道223号を御池から北上したあたりにあり、祓川神楽が行われる神楽殿の裏手にあり、「九州の美味しい水」に選ばれています。神武天皇(初代天皇)が生まれたときに体を清めたといわれる湧水で、地元の人々がよく訪れる水汲み場です。近くに「みやなが」というこの湧水を利用した蕎麦屋があります。


都城市(みやこのじょうし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

宮崎県都城市 幸せ上々、みやこのじょう 日本一の肉と焼酎、とっておきの自然と伝統 人口158,334人

霧島山を背景にしてPRキャラクターの「ぼんちくん」と「幸せ上々、みやこのじょう」の文字が描かれています。2016にミニバイク50cc以下を対象に1,000枚が交付されています。

都城市は宮崎県南西部にある市です。2006年に旧都城市・山之口町・高城町・山田町・高崎町が合併して新都城市としています。県庁所在地の宮崎市から西南西に50kmほどのところにあり、西を霧島山地、東を鰐塚山地に挟まれた都城盆地に位置していて、北郷氏(=ほんごうし。都城島津家とも)という島津家の有力分家が築いた都之城から市名をとっています。1871年の廃藩置県後、1年と2ヶ月の間でしたが都城県の県庁所在地でした。畜産主体の農業を基幹産業とする全国屈指の農業地域で、令和元年・2年の農業産出額が全国の自治体で1位となっています。牛・豚・鶏といった畜産物、茶やらっきょうのほか木刀や和弓といった木工品を特産品としています。また、市内に焼酎で知られる霧島酒造の本社工場があります。

高千穂牧場は都城市吉之元町にある観光牧場です。霧島連山の麓にある牧場で、乳牛や羊、ポニーが飼育され、ヨーグルトやカフェオレ、ソフトクリームなど乳製品を売る店舗とレストランがあり、乗馬・牛の乳搾り・ソーセージ加工などの体験を行っています。※ソーセージ・アイスクリーム作りの体験は休止中。周辺に霧島たまご牧場というヤギやウサギのふれあい体験ができる養鶏場・レストランがあり、そちらも人気があります。

焼酎の里 霧島ファクトリーガーデンは都城市志比田町にある工場見学施設です。霧島酒造志比田工場(本社工場ではない)に併設されたもので、焼酎の工場や焼酎粕リサイクルプラント、霧の蔵ブルワリーの見学ができます。また、直営店のレストランやショップ、霧の蔵ミュージアム、霧島焼酎神社、霧島創業記念館「吉助」(女流将棋の「霧島酒造杯女流王将戦 三番勝負」の第一局が行われる)などがあり、当地の観光地となっています。

神柱公園(かんばしらこうえん)は都之城市街にあり、JR九州都城駅の南側にあります。神柱宮という神社を中心に整備された公園で、この神社は1026年に伊勢神宮から勧請され、以降島津荘総鎮守として崇敬を受けてきたものです(1873年に現在地に移転)。もともと松原御茶屋という都城島津家の別荘があったあたりです。

都之城は都城市都島町にある日本の城跡(山城)です。都城盆地一帯を守る要衝として1375年、島津氏の氏族 北郷氏によって築かれたもので、当地の市名の由来になっています。大淀川に突き出す台地上にあり、曲輪や水堀などが残っています。周辺は城山公園として整備され、本丸跡には城郭風の都城歴史資料館があります。

母智丘・関之尾県立自然公園(もちお・せきのおけんりつしぜんこうえん)は都城市外の西側、関之尾町にある公園です。母智丘公園(日本のさくら名所100選)と公園内の母智丘神社(境内に巨石群がある)、関之尾滝(日本の滝百選)、くまそ広場などが含まれています。


原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

大分県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【大分県編】

全47都道府県を網羅 掲載市町村区630以上


四輪自動車の地方版図柄入りナンバープレートはコチラ「地方版図柄入りナンバープレート 一覧 (四輪自動車)」または 地方版図柄入りナンバープレート 九州 (四輪自動車)

大分県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

当サイトの画像は、日本経済研究所さんの承諾を貰って使用しています。コピー・転載は禁止されています。

原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

原付のご当地ナンバー市町村区別目次はコチラ


臼杵市(うすきし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

大分県臼杵市 日本の心が育つまち ~たくましさと温もりをめざして~ 人口34,507人

右側背景に三重塔、PRキャラクター「ほっとさん」が石畳の上をバイクで走っているイラストが描かれています。合併10周年記念として、2015年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

臼杵市は大分県の南東部にある市です。2005年に旧臼杵市と大野郡野津町(とんち話の吉四六さんの里として知られる)と合併し、新臼杵市としています。大分市の南東側に隣接する自治体で、市域南西部は山岳や丘陵地、おおむね市域東部の臼杵湾沿岸の臼杵港と臼杵川・熊崎川・末広川の河口部周辺に市街を成しています。造船や醤油・味噌など醸造業を主要な産業とする製造業主体のまちで、農業や漁業も行われています。また、国宝の臼杵石仏や臼杵城城下町の街並みは知名度があり、商業・観光業も盛んです。現在は大分県を代表する特産品、カボスの元祖とされる古木があります。地場産業と観光資源、交通アクセスに恵まれた地域ですが、2000年に45,486人が2020年には36,158人(約9500人減)となるなど人口減少に歯止めがかかっていません。

臼杵石仏(臼杵磨崖仏)は臼杵市深田にある石仏群です。「磨崖仏(まがいぶつ)」と呼ばれる崖の岩を彫って浮き彫りにした仏像全4群61体で構成され、そのうち59体が国宝に指定されています。造営の詳しい時期や事情などは判明しておらず、作風から平安時代後期~鎌倉時代に作られたものと推定されています(拝観料:大人550円、小中学生270円、臼杵市民は無料)。周辺に臼杵石仏公園(芝桜、蓮が有名、友好都市の敦煌市から贈られた石碑50基が並ぶ)、レストラン、和菓子屋や温泉の入浴施設などがあり、当地の観光名所になっています。

臼杵城(丹生島城、亀城)はJR九州臼杵駅の北側にある城跡です。1562年に大友宗麟によって築かれた海城で、当時の丹生島は干潮時のみ干潟の陸地で行き来ができる天然の要害でした。現在は本丸と二の丸の跡が臼杵公園内として整備され、2つの櫓と書院の庭園の一部、石垣などが残っています。公園内に1586年に島津軍の侵攻に対して用いたフランキ砲(国崩しとも。ポルトガルから輸入された日本初の大砲)と呼ばれる大砲のレプリカが展示されています。城跡西側に臼杵市観光交流プラザがあり、臼杵市の紹介・自転車のレンタルなどを行っています。

また、臼杵城周辺の城下町は江戸時代の風情を残す町並みとして近年注目を浴びています。旧藩主稲葉家下屋敷・旧平井家住宅(武家屋敷。戦後料亭として利用されていたものを市が買い取って公開している)、二王座歴史の道(「切通し」と呼ばれる石畳の坂道で、西側が寺町、東側が侍町)、久家の大蔵と野上弥生子文学記念館、小手川酒造と商店(フンドーキン醤油の前身)などがあります。

風連鍾乳洞(ふうれんしょうにゅうどう)は臼杵市野津町にある鍾乳洞です。1926年に発見され、翌年に国の天然記念物に指定されたもので、奥行き500mほどの旧洞と82mの新洞の2つの洞窟からなります。出入り口が一方しかないため風化作用が抑えられ、光沢がよく白色に近い鍾乳石を見ることができます。とくに旧洞の奥のホール(東西30m、南北20m、高さ14m)は、「竜宮城(競秀峰)」と呼ばれる広い空間に鍾乳石が並び、荘厳な景観を呈しています。


杵築市(きつきし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

大分県杵築市 歴史と文化の薫り高き 豊かな感性があふれるまち 人口27,198人

自治体名上に「歴史と文化の薫る町」の文字、杵築城の模擬天守と着物姿の女性が酢屋の坂の石畳を歩く様子のイラストが描かれています。合併10周年記念として2015年にミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

杵築市は大分県の北東部国東半島の付け根にある市です。2005年に旧杵築市速見郡山香町、西国東郡大田村が新設合併して新杵築市としています。別府市・日の出町とともに「別杵速見」と呼ばれる地域を構成する自治体で、江戸時代に杵築松平藩3万2千石の城下町として発展した地域になります。現在の杵築市は半導体や飲料・たばこ・飼料製造などが得意な製造業のまちですが、農業従事者の比率もそこそこに高いです。「◯◯の坂」などと呼ばれる城下町の通りの景観が有名で、観光業や商業も盛んです。茶、みかんなど柑橘類、牛肉、茶を使った石鹸、鯛茶漬け「うれしの」などを特産としています。なお、当地の名前の由来は元の「木付」を、幕府が1712年に藩主 松平重休に与えた朱印状が「杵築」と誤ったためとされています。*2007-2008年のリーマンショックの影響で大分キャノンなど誘致企業が軒並み企業活動を縮小、正規・非正規職員を減少させた結果空き家が増え、現在は家賃の安さで知られている。

杵築城(木付城、勝山城、臥牛城)は杵築市杵築の八坂川北岸の台山にあります。戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの場になり、江戸時代には杵築藩の藩庁が置かれていた場所で、土塁・石垣・庭園の遺構などが残っています。周辺が城山公園として整備され、模擬天守内は資料館になっています。城のすぐ下までカブトガニの生息地として知られる守江湾が迫っており、たいへん景観の良い城です。

杵築城周辺には藩主御殿跡、西側には酢屋の坂、塩屋の坂、飴屋の坂などと呼ばれる坂と城下町が広がっていて、城の南北に大原邸などいくつかの武家屋敷が残るほか、きつき城下町資料館や杵築ふるさと産業館、綾部味噌醸造元や和菓子屋などがあります。杵築市は「きつき和服応援宣言」を行っていて、和服で訪れると公共観光文化施設が無料になります。

大分農業文化公園(るるパーク)は宇佐市と杵築市山香町にまたがる農業公園です。2001年に開園した広さ120ha(うちダム湖37ha)の公園で、豊の国物産館、屋内つばき園、花昆虫館を中心施設とし、周辺にあじさい園とハーブ園、ミニ動物園、花木園、キャンプ場などがあります。また、体験農園や研修室を有し、農業体験と自然観察会や陶芸教室などの体験が行われています。

山香温泉は杵築市山香町にある温泉です。杵築市街地から15kmほどのところに杵築市山香温泉センターがあります(ナトリウムー塩化物強塩泉で、肌がピリピリするお湯。九州八十八湯めぐりの一つ)。日帰り入浴も行っていた宿泊施設「山香温泉 風の郷」は2022年1月から休業しています。


由布市(ゆふし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

大分県由布市 地域自治を大切にした 住み良さ日本一のまち・由布市 人口33,811人

由布岳と金鱗湖、由布院の朝霧を背景にPRキャラクター「ゆーふー」が描かれています。合併による市制施行10周年記念として、2015年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

由布市は大分県の中央部にある市です。2005年に大分郡狭間町・庄内町・湯布院町が合併してできた市で、この合併により大分郡は消滅しています。三日月型の市域を有し、由布岳・黒岳など1,500mを超える山々に囲まれた起伏に富んだ地域で、おおむね湯布院盆地と大分川の河岸段丘にそって市街を成しています。温泉地として知られる由布院温泉を要する観光都市である一方、大分市のベッドタウンの性格も有しています。農業・商業・観光業を基幹産業とする自治体で、とりわけ飲食・宿泊サービス業と卸売・小売業従事者が多いことが特色となっています。梨・牛肉・由布院の温泉水・蜂蜜などを特産品としています。※町名とインターチェンジが「湯布院」、温泉名・駅名・市名・川が「由布」の方。近年は「ゆふいん」という表記も使われている。

由布院温泉は由布岳の山麓、湯布院町川上・川南・川北・中川・川西にまたがる温泉地をいいます(実質旧由布院町の市街のほぼ全域)。源泉数852本は別府温泉に次ぐ国内2位で、毎分38,600リットルの湯が湧出しています。概ね久大本線由布院駅から東側の金鱗湖(秋から冬にかけて朝霧がたつことで知られている)まで続く由布見通り・湯の坪街道周辺が主に商業地となっています。非常に有名な温泉保養地であるため、由布院フローラルビレッジ(イギリス・コッツウォルズ地方の村を再現した施設)、トリック3Dアート由布院、由布院昭和館、豆柴カフェや九州自動車歴史館といった観光客向けの施設が多くあります。

湯平温泉(ゆのひらおんせん)は由布市湯布院町湯平にある温泉です。史料では室町時代にあったことが確認される古湯で、共同浴場5軒とホテル・旅館などからなる温泉街になります。由布院温泉とは異なり、レトロな風情と石畳、大ソーメン流し大会で知られる温泉です。なお「由布院温泉郷」という場合には由布院温泉のほか、この湯平温泉、塚原温泉(強酸性の湯、火口乃泉一軒のみ)、庄内温泉(焼肉の韓国苑に隣接する庄内の里と旧庄内小学校を改装したほのぼの温泉館の2軒)、挾間温泉(おさるの湯、極楽温泉、やすらぎの湯 湯の杜竹泉など)の4つを含みます。市HPに市内の温泉のリストがあります。

由布岳は由布市の市域北側にある標高1,583mの活火山です(日本二百名山)。阿蘇くじゅう国立公園に指定されている山で、由布院温泉のシンボルでもあります。円錐形をしていることから「豊後富士」とも呼ばれ、由布市からは県道11号やまなみハイウェイが正面登山口、由布院温泉からは西登山口ルートが山頂まで続いています。また、別府市から熊本一宮町まで続くやまなみハイウェイは雄大な山地を縫うように走り、九州を代表するドライブスポットとして知られています。由布岳の山麓に狭霧台という展望台があり、雄大な山の眺望が得られます。とくに朝霧が盆地を包む光景は人気があり、由布院温泉周辺の名所の一つとされています。

男池湧水群(おいけゆうすいぐん)は由布市庄内町にある湧水群です(名水百選)。九重連山黒岳の中腹にある男池から湧き出して大分川水系阿蘇野川の源流となる湧水で、遊具やトイレ、駐車場などが整備されています。日当たり2万トンの水が湧いており、近年はミネラルウォーターとして商品化されているようです。また、東2kmほどのところに白水鉱泉(しらみずこうせん)という天然の炭酸水が湧き出しており、白水湿性花園というカタクリやミズバショウの名所があります。


国東市(くにさきし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

大分県国東市 いにしえの宝を未来につなぐ仏の里 人口26,117人

背景に国東半島の地図、市名上に「くにさきし」の読み仮名、PRキャラクター「さ吉くん」が描かれています。市制施行10周年記念として、2016に50cc以下のミニバイクを対象に1,000枚が交付されました。

国東市は大分県北東部にある国東半島の東部にある市です。2006年に東国東郡国見町・国東町・武蔵町・安岐町が合併して国東市としています。市域は国東半島の中央部に位置する両子山(ふたごやま、ふたごさん)、文珠山、伊美山を中心とする放射谷からなり、東部で瀬戸内海西部の伊予灘に広く接しています。市域南東側には大分空港があるほか、国東港からスオーナダフェリーが山口県周南市へ、姫島村営フェリーが姫島村(国東半島沖にある東国東郡の離島部)と連絡しています。奈良時代から多くの寺がひらかれ、六郷満山文化という独特の山岳宗教文化が栄えた地域で「仏の里」などと称します。現在の国東市は農業と製造業を主要な産業とし、情報通信機械、生産用機械、プラスチックの加工を得意としています。また、農業と漁業ではミニトマト・椎茸・みかんといった農産物やタコ・タチウオ・アカモクといった海産物を特産品としています。もともと人口が少ない地域のうえに人口減少が顕著であり、第一次産業の持続が難しくなっていきています。

大分空港は国東市安岐町の沿岸部にある空港です。旧大分空港が大分市の市街地に近く、立地的に滑走路の延伸が不可能だったため「新大分空港」として1971年に供用開始された空港で、大分県内に高速道路が整備される以前は高速交通といえば空路しかありませんでした。現在も東京・大阪・名古屋と当地を連絡するほか、大分宇宙港として小型の人工衛星の打ち上げやドリームチェイサー(ISSと地表とを連絡する乗員輸送のための宇宙船)の発着が行われています。JAXA関連のお土産を売る店や無料の足湯がある点が特徴となっています。

道の駅 くにさきは、国東市国東町にある国道213号沿いの小規模の道の駅です。大分空港の北側にある黒津崎海岸(南北2.2kmの白砂青松の海岸)に面しています。周辺に黒津崎があり、「おしり岩」という奇岩があります。サイクリングロードとして知られる大分県道413号杵築安岐国東自転車道線のサイクリングターミナルとしても機能しています。また、国東市国見町の国見海浜公園近くに道の駅 くにみ(こちらも小規模で同じく国道213号沿い)もあります。

両子寺(ふたごじ)は国東市安岐町の両子山中腹にある天台宗の寺院です。奈良時代の始め、718年に創建されたとされる六郷満山の中山本寺で、最盛期には65を数えたとされる当地の寺院の中心的な修行の場でした。また、江戸時代からは杵築藩の最高祈願所となっていました。仁王像をはじめとする石像群や紅葉の風景が特徴的で、当地の名所の一つとなっています。

文殊仙寺(もんじゅせんじ)は国東市国東町大恩寺にある天台宗の寺院です。伝承によると役小角によって648年に開かれたとされ、こちらは六郷満山の末山本寺として尊崇を受けてきました。一般に「日本三文殊」というと奈良の安倍文殊院、京都の知恩寺、山形の亀岡文殊ですが、同寺がしれっと入っていることがあります。周辺の自然林は春は桜、秋は紅葉で知られるため耶馬渓(大分県中津市の渓谷。日本三大奇勝)にみたてて「文殊耶馬」と呼ばれ、国の名勝となっています。

修正鬼会(しゅじょうおにえ)は、国東半島の六郷満山の寺院で旧正月に行われる火祭りです。旧正月に行われる修正会と大晦日の宮中行事の追儺式、火祭りが一体となったものと考えられ、鬼が身を清めた後に松明をもって周辺の家々を訪れ、無病息災を祈る祭祀です。国の重要無形文化財に指定され、日本遺産「鬼が仏になった里くにさき」の主要な位置を占めますが、現在では国東市岩戸寺・成仏寺と豊後高田市の天念寺でのみ行われています。


大分市(おおいたし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

大分県大分市 ともに築く 希望あふれる 元気都市 人口475,947人

2種類あり、どちらも観光地の高崎山と高崎山自然公園のニホンザルをテーマにしています。㊤はPRキャラクターの「たかもん」と大分市街の街並み、㊦はニホンザルやさるっこレール、特産のカボス、大分マリーンパレス「うみたまご」のイルカなどが描かれています。

大分市は大分県中部の別府湾南岸にある市です。大分県の県庁所在地ならびに大分県最大の都市で、2005年に北海部郡佐賀関町・大分郡野津原町を編入しています。中世に大友氏の城下町として発展した地域で、豊後国の国府として「府内」と呼ばれていました。高度経済成長期に発展した都市の中でもとりわけ大きな発展を遂げた地域です。鉄鋼、化学工業、石油・石炭製品、輸送用機械や電子部品など多様な製造業を主要な産業とし、臨海部の工業地帯を中心に医療用品や火薬など様々なモノが生産されています。また、従事率0.5%程度に過ぎませんが農業や漁業も行われており、米・みかん・カボス・関あじと関サバ、豊後牛などを特産品としています。あまり有名ではないですが酪農も盛んで、年間9,000tほどの生乳が生産されます。

高崎山(標高628.4m)は大分市西部にある山で、別府市および由布市との境界になっています。別府湾にせり出すような形の山で、現在は火山活動を終えた約50万年前の溶岩ドームです。1,000匹ほどの野生のニホンザルが生息しており、高崎山自然動物園という市立公園になっています。また、山麓の東側の海沿いに大分マリーンパレス水族館「うみたまご」や田ノ浦ビーチ(海水浴場。人造島の田ノ浦アイルがあり、恋人の聖地に認定)があり、当地の観光地になっています。

府内城(大分城、荷揚城とも。日本100名城)は大分市の市街の中心、荷揚町にある城跡(梯郭式平城)です。安土桃山時代に当地に入封した福原直高(石田三成の妹婿)が築いたもので、その後江戸時代に竹中重利によって九州随一の城として改修を受けたものです。現在は大分城址公園として整備されており桜の名所として知られるほか、史跡としても土塁・堀・天守台などのほか櫓2棟が残るため、優れたものです。また、南南東側に1kmほどのところに大友氏遺跡(庭園の跡が復元され、大友氏館跡庭園ともいう)があり、出土品の展示やガイダンスが併設された南蛮BVNGO交流館で行われています。

道の駅 さがのせき(佐賀関)は大分市大平にある国道197号の小規模の道の駅です。1997年に旧佐賀関町が県内4番目の道の駅として開設したもので、別府湾に面した高台にあり、海岸の眺望と関アジ、関サバ、クロメ(コンブ科の海藻の一種)などを売りにしています。

道の駅 のつはるは、大分市下原にある国道442号の小規模の道の駅です。2019年にできたまだ新しい道の駅で、2020年に供用開始されたななせダム(旧:大分川ダム)に面しています。ダム側の壁は一面ガラス張りで、ダム湖の眺めが良いテラスと施設外にななせダム第1・第2展望所など展望所を有しています。ななせ焼という鮎型のたいやきや柿とその加工品などを販売しています。

大分県立美術館OPAMは府内城から西500mほどのところにある美術館です。2015年に開館した施設で、2014-2015年に閉館した大分県立芸術館の収蔵品を引き継いでいます。大分県産の木材を使用した木組みをガラスで覆った箱型の特徴的な施設で、内部も明るく開放感のある造りになっています(コレクション展:一般 300円 大学生・高校生 200円、企画展は別料金)。

余談になりますが、当地では駅前市街地のホテル・スーパー銭湯、銭湯で温泉に浸かることができます。「山の中の温泉郷」はありませんが、料金や好みによって選ぶ程度には店舗があります。泉質は概ね「大深度地熱温泉」(大分市の深層熱水を利用した温泉をいう。商標登録されている)と呼ばれるモール泉です。


日田市(ひたし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

大分県日田市 人と自然が共生し、やすらぎ・活気・笑顔に満ちた交流都市 人口61,881人

市花のアヤメが描かれています。2018年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

日田市は大分県北西部にある市です。2005年に日田郡前津江村、中津江村、上津江村、大山町、天瀬町を編入して現在の市域(ほぼ旧日田郡)としています。ちょうど大分市と福岡市・久留米市の中間あたりにある市で、周囲を1,000m級の山々に囲まれた日田盆地に市街を成しています。盆地に流れ込む河川の多さから「水郷(すいきょう)」と呼ばれる地域で、江戸時代から河川を利用した林業や木工業が盛んです。昭和中期~平成初期ごろまで中小企業が中心の製造業のまちでしたが、近年は卸売・小売業など第3次産業従事者が増え、観光客数も伸びるなど商業都市の性格が強くなってきています。日田下駄など木や竹の工芸品と家具、小鹿田焼(おんたやき)と漆器、鮎、梨などを特産品としています。

天ヶ瀬温泉(あまがせおんせん)は日田市天瀬町にある温泉です。別府や由布院と並ぶ豊後三大温泉のひとつで、玖珠川(くすがわ)沿いに20軒ほどの旅館・民宿が並んでいます。共同の露天風呂として100円で利用できる野湯5つがあることが特徴的です。周辺に桜滝や山法師滝があり、JR九州杉河内駅の方まで行くと慈恩の滝や棚田があります(ともに玖珠町内)。

鯛生金山(たいおきんざん)は日田市中津江村にある金鉱山の跡です。明治時代に発見された小脈で1898年から1972年まで採掘が行われていました。現在は旧坑道の一部が地底博物館、周辺に道の駅 鯛生金山が整備され、当地の観光名所の一つとなっています。

豆田町(まめだまち。重伝建)は日田市役所の北側、花月川の南岸にあります。幕府直轄の天領として栄えた永山城下の趣を残す地区で、日田醤油ひな人形ミュージアムや天領日田はきもの資料館、日本丸館(古民家、薬屋)、和菓子屋などがあります。

高塚愛宕地蔵尊は日田市天瀬町の天ヶ瀬高塚ICあたりにあります。8世紀中頃に始まったとされる地蔵尊で、神仏混淆の信仰形態を残しており、地蔵菩薩を本尊としながら鳥居があったり天照大神が摂社に祀られていたりします。境内に子宝に恵まれ乳の出がよくなるとされる「乳銀杏」やお抱え地蔵、参拝トンネルや湧水などがあり、参拝客は年間200万人を超すといわれています。

小鹿田焼の里は日田市源栄町(もとえまち)皿山地区の窯元の集まる地域をいいます。小鹿田焼は江戸時代中期にはじまったものとされ、その陶芸技法は国の重要無形文化財、地区全体が池ノ鶴地区の棚田とともに重要文化的景観に選定されています。当地の粘土は瀬戸焼など他の陶土と比べると扱いづらいため、水車を利用した唐臼(からうす)でついて砕くのが特徴です。

道の駅水辺の郷おおやまは、日田市大山町にある国道212号沿いの中規模の道の駅です。レストラン「なごみ」、鮎の塩焼きや甘露煮を売る「川漁師の店えとう」、ファーマーズマーケットや進撃の巨人ミュージアムなどが一体になった施設です。大山町は梅が特産で、梅酒や梅干し、梅のソフトクリームなどを販売しています。また、日田市上津江町にも道の駅 せせらぎの郷かみつえ(小規模、国道387号沿い)があります。


佐伯市(さいきし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

大分県佐伯市 青い海 きらめく清流 豊かな緑。九州で一番広いまち 人口66,876人

「いざ、進水!」というテーマで、タンカーの上から殿様が紙吹雪を撒いているイラストが描かれています。2019年にミニバイク50cc以下を対象に500枚が交付されています。

佐伯市は大分県の南東にある市です。2005年に旧佐伯市と南海部郡(みなみあまべぐん)の5町3村が合併して新佐伯市としています。大分市南東60kmほどのところにある九州で一番広い自治体で、東部は豊後水道側にリアス式海岸を有し、内陸部は九州山地のうち祖母傾国定公園の山々となっています。おおむね一級河川番匠川(ばんじょうがわ)河口部の沖積平野を中心に市街が拓けています。戦後にいち早く工場や造船所の誘致を進め、工業都市として発展しました。現在の佐伯市は業務用冷蔵庫や医療機器、水産加工などの製造業と商業がバランスしています。市内各所に海岸の景観、内陸部の渓谷と滝、鍾乳洞など記念物や名勝を有しており、観光業が推進されていますが、あまり有名ではありません。イリコ(イワシ類)やヒラメといった海産物やみかん・レモン・ポンカンといった柑橘を特産品としています。*なお、市名の「さいき」は1916年に佐伯町会が読み方を訛音に合わせたもので、「さえき」も使用されている。

佐伯城は佐伯市字城山にある史跡です(大分百景、続日本100名城)。関ヶ原の戦いで東軍に降伏して当地に2万石の領地を安堵された毛利高政が築いたもので、総石垣の山城のうち三の丸付近の石垣と櫓門が残っています。現在は城山歴史公園として整備され、麓に佐伯市歴史資料館と城下町佐伯国木田独歩館があります。

鶴御崎(つるみさき)は佐伯市の鶴見半島の先端部をいいます。豊後水道に突き出したこの岬は昔から軍事の要衝にあたり、1894年には海軍の望楼が設けられ、1942年には15cmカノン砲4門からなる要塞が設けられました。また、1981年に点灯した比較的新しい灯台があります。アクセスはお世辞にも良いとはいえませんが、現在でも九州最東端の地および初日の出スポットとして親しまれています。

豊後二見ヶ浦は佐伯市上浦の日豊海岸国定公園内にある海岸です(佐伯市の名勝)。高さ17m、10mの夫婦岩が長さ65m、重さ2tに及ぶしめ縄で結ばれています。このしめ縄は1994年に世界最長としてギネスブックに載ったもので、毎年12月に有志によってかけ替えられています。

佐伯寿司海道は当地の中心市街、佐伯城と市役所の間あたりの寿司屋の集まりをいいます。もともと「黒潮の極 佐伯寿司海道」という地物の魚介を見直し、地産地消をすすめる計画から生まれたもので、現在はとくに「佐伯寿司」という言葉が定着しています。当地では50種以上に及ぶ魚が一年におよそ15,000tほど水揚げされています。

大入島(おおにゅうじま)は佐伯市の海岸から約700mほどのところにある周囲約17km、面積5.66kmほどの有人島です。佐伯港からカーフェリーで7分ほどで渡ることができます。水産業・水産加工業を主な産業とする島で、佐伯いりこや佐伯ちりめんが名産です。これといった大規模な施設はありませんが、海をわたる細い堤防「海の細道」や展望所、畑や神社など昔ながらの景観と海の幸があり、近年はトレッキングコースとして知られるようになっています。

佐伯市の道の駅は3つありそれぞれ特徴が異なります。①道の駅かまえは国道388号沿いの中規模の道の駅です。宮崎県との境にある佐伯市蒲江にあり、漁港に近く海鮮(とくにヒオウギ貝、ブリ)を名物としています。②道の駅 宇目は国道326号の中規模の道の駅です。こちらは山中にあるため唐揚げや栗、イノシシ肉を名物としています。③道の駅やよいは市街地近くの番匠川のほとりにあり、海鮮やとり天などを名物としています。また、「番匠おさかな館」という淡水魚専門の水族館と「やよいの湯」という入浴施設を併設しています(ロウリュウあり)。


宇佐市(うさし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

大分県宇佐市 彩りに満ちた暮らしの元気都市 人口51,012人

㊤「からあげ専門店発祥の地」の文字とPRキャラクター「うさからくん」㊦「世界農業遺産の里」の文字と宇佐神宮南中楼門、オオサンショウウオのイラスト。どちらも2014年から50cc以下のミニバイクを対象に交付されています。

宇佐市は大分県北部の国東半島の付け根にある市です。2005年に旧宇佐市・院内町・安心院町(あじむまち)が新設合併して新宇佐市となっています。市域南部は九州の屋根九重山系に続く1,000m級の山々があり、北に行くにつれて丘陵地>台地と標高が下がり、北部で周防灘に接しています。宇佐市の中心市街は宇佐神宮や本願寺別院の鳥居前町/門前町として発展してきたため、特に正月に参詣客で賑わいます。また、当地は県内屈指の穀倉地域であるため、郊外は水田や牧場が目立ちます。豊幸ガニ、からあげ、ぶどう、いちご、ねぎを特産品とするほか、酒造りが盛んで日本酒・焼酎・ワインなども有名です(特に焼酎「いいちこ」が全国区)。また、日本の文化として親しみのあるお神輿やからあげ専門店の発祥地です。

宇佐神宮は宇佐市南宇佐にある神社です。全国に44,000社ある八幡宮の総本社で、古代においては伊勢神宮と並び二所宗廟とされていました(日本三大八幡宮のひとつ)。御許山(標高647m)山麓の下宮と山頂の上宮で構成されています。年間150万人が参拝するといわれる神社で本殿3棟のほか、宝物殿の孔雀文磬(くじゃくもんけい)が国宝となっています。

宇佐市平和資料館は宇佐市閤(ごう)にある資料館です。宇佐市の柳ヶ浦地区に開設された宇佐海軍航空隊(パールハーバー攻撃や大戦末期の沖縄戦では特攻攻撃を実施)に関する資料や実物大の零戦の模型などを展示しています(入館無料)。資料館北側に行くと掩体壕がいくつか残っており、農家の倉庫などに利用されています。

道の駅 いんないは、宇佐市院内町にある国道387号(500号重複)沿いの小規模の道の駅です。院内町は75基もの石橋があることで知られる地域で、同道の駅内に「石橋ステーション」という石橋の模型や位置情報等を紹介するコーナーがあります。また、オオサンショウウオの生息地としても知られる地域ですので、ぬいぐるみなどオオサンショウウオグッズが売られています。

宇佐のマチュピチュ展望所は宇佐市院内町西椎屋の国道387号沿いにあります。地元の人が「秋葉様(火伏せの神様)」と呼ぶ円錐状の山の麓に広がる棚田の風景がペルーのマチュピチュに似ているということから注目を集め、2016年に展望所ができています。4~11月の毎週土日祝日に「天空の市」という農産物直売所を営業しています。

九州自然動物公園アフリカンサファリは、宇佐市安心院町にあるサファリパーク形式の動物園です。サファリ形式の動物園としては日本最大となる115haの敷地に約1,400頭の動物が飼育されています。また、周辺に東椎屋の滝や津房温泉(「老人憩の家」という施設名だが、年齢に関わらず入れる。入浴料300円でシンプルにお湯を楽しむ入浴施設)などがあります。


九重町(ここのえまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

大分県玖珠郡九重町 地熱と温泉と高原の町「九重町」 人口8,667人

九重連山と町花のミヤマキリシマ(ツツジの一種)、九重”夢”大吊橋、PRキャラクター「ミヤちゃん」が描かれています。2015年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

九重町は大分県中西部にある町で、玖珠郡(くすぐん)に属しています。町全域が山地で、多くが阿蘇くじゅう国立公園に指定されています。おおむね一級河川筑後川の上流域にあたる玖珠川の流域に集落を成し、町内を大分県由布市と熊本県阿蘇市を結ぶやまなみハイウェイが走るため、阿蘇くじゅう国立公園の大分側の玄関口となっています。農林業を主要な産業とする地域で、町域の約8割を占める森林のほか、標高350m~1050mの傾斜地に水田や果樹園、牧場などがみられる一方で、宿泊・飲食サービス業など観光業も行われています。また、くじゅう連山は火山群であるため、町域各地に温泉があるほか地熱発電が行われています。※全域が高地であるため年間平均気温は12度程度と低い。

九重”夢”大吊橋は九重町田野にある歩行者専用の吊橋です。鳴子川渓谷にかかる高さ173m、長さ390mの吊橋で、日本最高の吊橋となっています(長さ日本一は箱根西麓・三島大吊橋になった)。非常な高所から震動の滝(日本の滝百選)や九酔渓(鳴子川渓谷)を眺めることができます(通行料金:中学生以上500円、小学生200円で往復可能)。もともと1956年に吊橋架橋の発案があったときに「寝ぼけている」などと一蹴されたことから、「長年の夢」や「夢のような話」といった意味で”夢”と冠しています。現在では当地の観光名所として物産館や駐車場、バス停流所などが整備されるほか、吊橋を渡ったところに九重白蛇参拝所・龍昇院という施設があり、ここの白蛇は非常に大人しいので一緒に記念撮影したりできます。

九重”夢”温泉郷」とは九重町内にある温泉を総称するものです。当地の温泉は、もとは「九重九湯」と呼ばれていましたが、名前に反して町内の温泉は9つ以上あるため九重”夢”大吊橋が開通したおりに現在の呼び方になりました。宝泉寺温泉が主力ですが、近年ではやまなみハイウェイ周辺の星生温泉、牧の戸温泉なども知られるようになっています。

くじゅう自然動物園は九重町田野の飯田高原にある民営の動物園です。動物園というわりに施設はほとんど無く、ヤギやラマ、鹿、豚などの草食動物が単に放し飼いになっているというもので、各地にある「ふれあい動物園」をずっと大きくしたような独特な施設です。「服や靴の汚れ、においなどは気にならない」という純粋な動物好きはハマると思います。

八鹿酒造は九重町右田(久大本線恵良駅から徒歩3分)にある酒蔵です。1864年に創業しており、日本酒「八鹿」「笑門 八鹿」のほか焼酎「なしか!」やかぼすリキュールなどを取り扱っています。また、試飲ができる直営店「舟来蔵」を有しています(酒蔵見学は執筆現在は停止中)。


原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

熊本県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【熊本県編】

全47都道府県を網羅 掲載市町村区630以上


四輪自動車の地方版図柄入りナンバープレートはコチラ「地方版図柄入りナンバープレート 一覧 (四輪自動車)」または 地方版図柄入りナンバープレート 九州 (四輪自動車)

熊本県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

当サイトの画像は、日本経済研究所さんの承諾を貰って使用しています。コピー・転載は禁止されています。

原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

原付のご当地ナンバー市町村区別目次はコチラ


氷川町(ひかわちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

熊本県八代郡氷川町 大地の恵み 歴史の香り 人口11,149人

町花サクラと氷川、PRキャラクターの「ひかりん」が描かれています。合併10周年記念として、2015年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

氷川町は熊本県中部にある町で、八代郡(やつしろぐん)に属しています。2005年に竜北町と宮原町が合併してできた市で、熊本市から南27kmほどのところにあります。全域が八代平野に含まれ、おおむね平坦地ですが町域東部はなだらかな丘陵になっています。江戸時代から昭和にかけて干拓事業が行われており、町域の西部は干拓によって得られた土地です。現在の氷川町は農業を主要な産業とし、町域の4割以上が耕地で米やい草、梨や柑橘類などの栽培が盛んに行われているほか、近年は商業も町の財政を支える柱に成長しています。町域南東部に九州縦貫自動車道の宮原SAがあるため、「宮原」と憶えている人が多いのではないでしょうか。

立神峡里地公園は氷川町立神にある公園です。当地の自治体名にもなっている二級河川 氷川の立神あたりの渓谷のことを「立神峡(たてがみきょう)」といい、川が侵食してできた岸壁は高さ75mにも及びます。「肥後の空滝」「肥後の赤壁」などとも呼ばれる絶景で、夏は避暑地や釣り場、秋は紅葉の名所とされています。周辺にキャンプ場や火の国橋や竜神橋(吊橋)、立神峡五百羅漢などがあるほか。火之国屋という施設があり、キャニオニング(登山の沢登りとは逆に渓谷を下るアクティビティ)などのスポーツや忍術体験などの山のレジャーが行われています。

道の駅 竜北は氷川町吉野にある国道3号の中規模の道の駅です。レストランの男前チャンポンが有名で、物産館「ビストログリーン」では晩白柚(ばんぺいゆ)の加工品や吉野梨、不知火みかんやい草が入ったソフトクリームなどを売っています。道の駅の向かいは竜北公園という自然公園で、全長126mのローラーすべり台「レッドドラゴン」があります。

肥後高田焼伝七窯は氷川町今(いま)にある陶器製造業者/カフェです。高田焼(こうだやき)は1633年に現在の八代市において細川家の御用窯として始まったもので、「八代焼」ともいい、八代市および氷川町で製作されています。素地に磨きをかけてから白い陶土を埋め込むなど、焼き物としては珍しく象嵌を施すことが特徴的です。また、当地の窯は併設されたカフェのカレーが人気で、デリバリーにも対応しています(手びねりなど体験も可)。


山江村(やまえむら)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

熊本県山江村 山の香り豊かな、くりの里 人口3,276人

栗の木とPRキャラクター「やまえくり平」が描かれています。村制130周年記念として、2019年4月にミニバイク50cc以下で100枚、第二弾としてその後の8月に90cc以下、125cc以下20枚ずつが交付されています。

山江村は熊本県南部にある村で、球磨郡に属しています。人吉市に隣接する村域南側の人吉盆地あたりに人口が集中しており、中部~北部にかけては村域の9割を占める山林です。品質の高い栗を産出することで知られる地域であり、とくに「やまえ栗」などと呼びます。過疎地域に指定されていて、平成初期は農業と建設業、サービス業が主要な産業でしたが、第1次・第2次ともに従業者が減少しているため、現在は商業が村を支えています。少子高齢化により人口は減少しているものの、製造品出荷額や年間商品販売額などはむしろ増加しており、現在のところは活気を失っていません。栗・山菜・しいたけ・わさび・ヤマメなどを特産品としています。

山江温泉ほたるは山江村万江甲にある宿泊・日帰り入浴施設です。12種類の風呂が自慢の大浴場のほか、レストランと山江村物産館「ゆっくり」を併設しています。泉質はナトリウム炭酸水素塩泉で、無色透明のさらっとした湯です(入浴料:大人450円、3歳から300円、70歳以上350円)。

時代の駅むらやくば(ときのえきむらやくば)は山江村山田甲にある施設です。昭和12年に建てられた旧村役場を回収したもので、1階は地場の野菜などを利用した農家レストラン、2階が会議室・研修室(宿泊施設として利用可)になっています。

丸岡公園は山江村大字万江 甲にある公園です。桜やツツジの名所とされる場所で、人吉盆地をのぞむ高台にあります。ツツジの季節にはつつじ祭りとして物販やパフォーマンスなどが行われています。

地鶏ファーム自然の里は地鶏や卵を使った料理が食べられるレストランです。山江山田丙にあるレストランで、かなりな山奥にありますが「地鶏の炭焼き」と書かれた看板が出ています。老夫妻が営むお店で、「知る人ぞ知る地鶏がおいしいお店」として山江村公式HPで紹介されていたりします。


天草市(あまくさし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

熊本県天草市 “人”と“海”のふれあうまち 人口74,796人

天草灘に浮かぶ島とイルカのイラストに「TAKARAJIMA」の文字が描かれています。2014年からミニバイク50cc以下~125cc以下と小型特殊車両を対象に交付されています。

天草市は熊本県南部沖合に浮かぶ天草諸島(天草地域)にある市です。2006年に本渡市・牛深市など2市8町が合併して生まれた市で、県内では熊本市、八代市に次いで人口3位、日本の離島自治体では最も人口が多い地域になっています。広さ683.86k㎡は八代市を越え、県内最大ですが、その多くは山林が占めます。本土とは国道266号(324号と一部重複、「天草5橋」という)、天草飛行場、フェリーなどで連絡しています。年中楽しめるイルカウォッチングなどシークルーズや南蛮文化・キリシタンの歴史を伝える施設などがあり、観光業を主要な産業としています。また、農業や漁業も行われており、米・牛肉・南蛮柿(いちじく)、みかん・ポンカンなどの柑橘類のほか、いわし・鯛・とらふぐなどの海産物を特産品としています。少子高齢化に加えて転出に歯止めがかかっておらず、県内でも顕著な人口減を示しています。

崎津天主堂(カトリック崎津教会)は天草市河浦町にある教会です。ユネスコ世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する要素の一つ、崎津集落にあります。隠れキリシタンの里として知られる同集落はルイス・フロイスの「日本史」に「サキノツ」として紹介されるものですが、外界から隔絶されていたため島原・天草の乱に加わらなかったことで荒廃を免れました。天主堂は1873年に禁教令が解かれた後に建てられたもので、キリスト教弾圧として厳しい絵踏みが行われた吉田庄屋役跡になります。ガイダンス施設として周辺に道の駅 崎津があります。

大江天主堂は天草市天草町にある教会です。こちらも禁教令が解除された後に建てられたもので、1892年に当地に赴任してきたフランス人宣教師のガルニエ神父が私財を投じて建設したものとされています。白亜のロマネスク様式の建造物で、前述の津崎天主堂に並びこちらも人気のある教会です。また、大江地区には隠れキリシタンの隠れ部屋がある邸宅があり、国内唯一の現存物であると考えられています。

道の駅 天草市イルカセンターは天草市五和町ニ江にある国道324号沿いの小規模の道の駅です。当地のイルカウォッチングの受付を行う場所の一つで、レストランとお土産コーナー、イルカウォッチングの情報発信コーナーがあります。レストランの刺身定食や海鮮丼など海産物が売りの道の駅で、近くの海岸に触ると「胸が大きくなる」「乳がよく出る」とされるおっぱい岩があります。

道の駅 有明(愛称:リップルランド)は、天草市有明町にある国道324号沿いの小~中規模の道の駅です。有明町はタコが特産であるためタコのモニュメントが点在し、「たこ飯のリップルランド」と称しています。レストランのタコのステーキが名物で、その他たこ飯、チャンポンなどが提供されています。また、温泉入浴施設を併設しています。

天草市天草キリシタン館は天草市船之尾町にある資料館です。1966年に開設された施設で、天草切支丹の歴史を伝来、南蛮文化、弾圧、天草・島原の乱などのテーマに基づいて資料を展示・紹介しています。2010年にリニューアルされて、天草切支丹館から天草キリシタン館に名称変更とともに施設が新しくなっています。市内にはほかに天草コレジヨ館、天草ロザリオ館があり、同様に地域の歴史を紹介しています。


長洲町(ながすまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

長洲町ホームページより

熊本県玉名郡長洲町 金魚と鯉の郷 人口14,914人

㊤有明海に沈む夕日を背景に破魔弓祭(的ばかい)、マスコットキャラクターの「ふれきんちゃん」のイラスト。2014年から50cc以下のミニバイクを対象に交付。㊦ひらがなで「ながす」の表記、左側にくまもん、右側に合併65周年記念のロゴ(町の木クロガネモチ、町の花キンギョソウ、有明海などをイメージ)、背景に造船所の町。2022年10月からミニバイク50cc以下を対象に500枚が交付された。

長洲町は熊本県北西部にある町で、玉名郡に属しています。熊本市から北西40km、福岡市から南80kmほどのところにあり、地方港湾の長洲港を有し熊本県北部の海の玄関口となっています。町域西側から南側にかけて有明海に接し、東側は小高い丘陵地帯です。もともとは有明海に突出した細長い州で、漁業を中心に発展してきた地域です。海苔や金魚の養殖などで知られる地域で、耕地面積率・水田率が共に県の平均より高く、稲作が盛んに行われています。一方主要な産業は製造業で、造船やサッシなど金属製品が製造されています。新高(ジャンボ梨)・トマト・みかん・海苔・アミの塩漬けなどを特産品としています。

金魚と鯉の郷広場は長洲町大字長洲にある公園です。広さ8.4haではらっぱ広場、多目的広場などの広場と修景池、せせらぎ、噴水などの親水施設があります。金魚の水族館・コミニティ施設の「金魚の館」(金魚すくい・スーパーボールすくいができる)があります。また、毎月第四日曜に軽トラ市が行われています。

長洲港は長洲町の西側、浦川の河口部の南側にある地方港湾です。県内では熊本港、三角港に次ぐ貨物取扱量を誇る港で、有明フェリーとして対岸の島原半島にある多比良港と同港をフェリーが繋いでいます(所要時間45分、年間90万人ほどが利用している)。

長洲の金魚養殖は寛永・正保・慶安年間に記録が残っていることからおよそ350年ほどの歴史があります。現在は14軒ほどの金魚・鯉の養殖事業者があり、国内有数の金魚の産地の一つです。昔は「ふれ売り」といって天秤棒の両端に金魚がはいった桶を下げたふれ売り師が「きんぎょ~えっ、きんぎょっ」と声を出して金魚が売られていました。

四王子神社は長洲町長洲の前述の長洲港の北側にある神社です。当地の祭り破魔弓祭(的ばかい)で知られる神社で、日本武尊・大碓命・景行天皇・御刀姫を祀っています。あまり大きな神社ではないですが、時折花手水を行ったり、保護猫がいたりして町民に親しまれています。周辺に駄菓子屋さんがあります。


和水町(なごみまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

熊本県玉名郡和水町 ほっと一息、なごみの時間 希望(ゆめ)あふれ、人と地域が輝くまち  人口9,212人

「なごみまち」の読み仮名と町花のひまわりが描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

和水町は熊本県北西部にある町で玉名郡に属しています。2006年に菊水町・三加和町(みかわまち)が合併し新たに「和水町」としています。福岡県との県境となる町で、九州縦貫自動車道の菊水ICあたりとなります。町域は南北に細長く、北部では階段状に耕地が広がり、稲作・果樹作・畜産など農業を主要な産業とする自治体です。南部には装飾古墳が点在しており、特に江田船山古墳が歴史教科書に記載されることが多く有名です。米・野菜・豆腐・日本酒などを特産品としています。※一部農家で炭素循環農法の試みが行われている。微生物・常在菌を活用するもので、結果的にほぼ無施肥・無農薬で収量・質が維持できるようになる農法。

道の駅 きくすいは和水町江田にある県道16号沿いの中規模の道の駅です。物産館「ロマン館」、レストラン、日帰り入浴施設「光明石温泉」を有しています。また、キャンプ場とカヌーの体験を行うカヌー館が併設されています。周辺には江田船山古墳(5-6世紀頃の前方後円墳。75文字の銀象嵌がなされた直刀が出土していて、これは日本最古の本格的記録文書とされる)、トンカラリン(全長464.6mのトンネル状の遺構。いつ何のために作られたのか判っていない)、肥後民家村など歴史関連の見どころがあります。

三加和温泉(みかわおんせん)は和水町大田黒にある温泉郷です(国道443号南側)。三加和温泉なごみの湯(ふるさと交流センター)、「栗山温泉 紅さんざし」、「湯亭 上弦の月」、「美感遊創」の4つの入浴施設があり、なごみの湯が普通のスパ、残り3つは貸し切り湯です。美感遊創の入り口はコンビニ内にあり、部屋の名前も「カレーパン」など商品にちなんだものになっています。

金栗四三(かなくりしそう。従五位)の生家は和水町中林にあります。金栗四三は「日本のマラソンの父」と称される人物で、1891年に生まれ、オリンピックの日本代表選手として数々の大会に参加し、箱根駅伝の創設や高地トレーニングの導入を行うなどした人物です。この家は築200年を超える古民家としても古いもので、2019年に放送されたNHK連続ドラマ「いだてん」では実際にロケ地として使われました。また、隣接する玉名市に金栗四三の住家・資料館や墓などがあります。


水上村(みずかみむら)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

熊本県球磨郡水上村 人と自然を活かして・みずかみ 人口2,024人

日本三大急流河川のひとつ 球磨川と市房山、桜が描かれています。2013年にミニバイク50cc以下を対象に50枚が交付されています。

水上村は熊本県の南東部にある村で、球磨郡に属しています。九州山地に抱かれた山の村で、全域190.96k㎡のうち可住地面積は10%以下の8.8%に過ぎません。おおむね球磨川上流の市房ダムに注ぐ湯山川や大平川沿いに居住地があります。米・茶・栗や肉牛などの農業を主な産業とする村で、市房ダム周辺の景観や湯山温泉といった観光資源があるため、観光業も産業の柱になっています。森林浴用のウォーキングロードを有し、林野庁による「森林セラピー基地」に認定されています。若年女性の減少率が2010-2040年で60%を超えると推計されており、消滅の可能性が高いです。

市房ダムは水上村油山にあるダムで、球磨川の洪水を防ぎ、あわせて灌漑や発電を行う多目的ダムです(重力式コンクリートダム)。1960年に完成したもので、周囲13.4kmのダム湖を市房湖と呼びます。市房湖周辺に桜が植栽され、「1万本桜」と呼ばれる県下屈指の桜の名所となっています。また、高さ80mにもおよぶ噴水があります(有料:500円で10分ほど稼働)。周辺に水の上の市場という物産館があり、土産物や軽食などを売っています。

湯山温泉は市房ダムの東側、水上湯山にある温泉です。歴史は定かではないですが、古くから知られていたようで、いくつかの旅館や民宿などが出ています。共同浴場として湯山温泉元湯(内風呂と露天風呂。サウナなし)があります。泉質は単純硫黄泉、ぬるっとするアルカリ性の湯でph9.66を誇ります。

生善院(=しょうぜんいん。猫寺とも)は水上村岩野にある真言宗智山派の寺院です。人吉・球磨地域を治めた相良藩内で起きた化け猫の祟りを鎮めるために創建されたものとされ、通称を「猫寺」といいます。山門脇に狛犬ならぬ狛猫がおいてある一風変わった寺で、現在は猫の置物や猫襖などがあり猫好きの聖地となっています。「おたけさん」と呼ばれて親しまれる寺院で、人吉・球磨地域では有名な場所です。


湯前町(ゆのまえまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

熊本県球磨郡湯前町 活き活きと輝き、誇れる町、ゆのまえ 人口3,563人

PRキャラクターの「ゆっくん」が描かれています。町制施行75周年記念として、2013年にミニバイク50cc以下を対象に75枚が交付されました。

湯前町は熊本県の南東部にある町で、球磨郡に属しています。球磨川流域の人吉盆地の東端(「奥球磨」ともいう)に位置し、熊本市~宮崎市を結ぶ国道219号が走るため県の陸の玄関口の一つとなっています。歴史的には鎌倉期~明治維新までの700年ほど相良氏が統治し、日本遺産『「相良700年が生んだ保守と進取の文化」~日本でもっとも豊かな隠れ里-人吉球磨~』の一角をなす地域です。人吉盆地は県内有数の米どころであるため、農業を主要な産業とし、米・米焼酎・打刃物・市房漬・もち麦などを特産品とするほかゆのまえ温泉の入浴施設があります。

ゆのまえグリーンパレスは湯前町の国道219号の南側にあるキャンプ場です。標高250mほどの高台にあり、グラウンドゴルフ・パターゴルフ場やゴーカート乗り場なども整備されています。また「ゆのまえ温泉 湯楽里」という入浴施設があり、海から遠く離れた当地で塩湯に浸かることができます。キャンプ場の南方に潮神社と賽神社いう一対の神社があり、潮神社は名称通り塩水が湧くことから生命の源とされる神社です(乳がよく出る、安産祈願の神社でおっぱい型のものを奉納するいわれがあることから「おっぱい神社ともいう」)。賽神社は塞の神、つまり一般には道案内の神様を祀るものですが、(男性の方の)生殖器崇拝と関係があり、子孫繁栄の神様でもあるため男性の神様としても祀られています。両社をあわせて参拝すると「夫婦円満」というわけです。

湯前まんが美術館(那須良輔記念館)は湯前町上里にある漫画を専門とする美術館です。1992年に当地出身の那須良輔(自動漫画家・政治風刺漫画家・エッセイスト)を記念する施設で、当地で11月に行われる「ゆのまえ漫画フェスタ」の開催地になっています(入館料:一般300円、小中学生100円、町民は無料)。湯前駅周辺のみどころとして市房山里宮神社(湯前城跡にある。市房山を神体とする市房山神宮の下宮)、庄籠製菓舗(「奥くま巻き」という長さ50cmほどのロールケーキで知られる菓子屋)などがあります。

湯前駅から県道43号錦湯前線を南下していくとくまモン太陽光発電所があります。これは太陽光発電所の中央区画にくまモンの顔をデザインしたもので、くまモン部分は発電を行わないダミーパネルです。太陽光発電所は20年ほど残るため、地域の人が親しみやすいようにキャラクター化したそうです。また、川辺製菓舗(焼酎ケーキが地元で有名)や城泉寺(県内最古の木造建築)などがあります。


大津町(おおづまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

熊本県菊池郡大津町 みんなでつくろう 元気 大津 人と自然にやさしい 心かよいあうまち  人口35,843人

PRキャラクターの「からいもくん」が描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下、ミニカー・小型特殊車両を対象に交付されています。

大津町は熊本県北部の菊池郡にある町で、菊池郡に属しています。熊本市と阿蘇山の中間に位置し、町域の東側が阿蘇の外輪山に接しています。江戸時代に肥後~豊後を結ぶ豊後街道(肥後街道)が拓かれ、宿場町として発達した地域です。現在の大津町の主要な産業は製造業で、熊本市のベッドタウンないし本田技研のオートバイの製造拠点として機能していますが、近年は国道沿いの商業の集積が目に付きます。農業は畜産(肉用牛)の比率が高く、くまもとあか牛や黒毛和牛、乳牛などが育てられています。さつまいも・芋焼酎、茶、豚肉などを特産品としています。国道325号(久留米~阿蘇~延岡)と国道57号(長崎~雲仙~大分)が縦横に走り、交通条件に恵まれているため住宅開発が行われ、人口増加が続く地域です。

道の駅 大津は、大津町大字引水にある国道57号沿いの中規模の道の駅です。レストラン・物産館のほか、鶴屋百貨店 大津店、工芸館・陶芸工房・インテリアグッズ専門店などがはいっています。また、熊本市内からの阿蘇山と外輪山の玄関口/観光拠点施設として機能しています。あか牛や馬刺しのほか、からし蓮根も人気のようです。

大津中央公園は大津町大津の市街地にある公園です。幼児向けの遊具や芝生広場のある公園ですが、漫画「ワンピース」のキャラクターの銅像(ロロノア・ゾロ)ができて、当地の観光名所になっています。マスことキャラクターの「からいもくん」の像もあり、多数の方が写真を撮っているようです。周辺に「キムチの里」という手作り漬物屋があり、80種以上の漬物を扱っています。

昭和園は大津町室にある公園です。山の傾斜を利用した公園で、テニスコートや児童広場のほか約4万株のつつじ園があり、ツツジの名所とされています。また、つつじ園ですと大津町杉内にも大津つつじ園という施設があります(入園無料)。


菊池市(きくちし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

熊本県菊池市 癒しの里 人口47,034人

丸みを帯びた形状のプレートに菊池川の流れと木の葉が描かれています。2011年からミニバイク50cc以下~125cc以下、ミニカー、小型特車両を対象に交付されています。

https://youtu.be/0_X3e56E97Q

菊池市は熊本県北部(県北、熊本地域)にある市です。2005年に旧菊池市・菊池郡七城町・旭志村・泗水村が新設合併し、菊池市としています。市域東側は一級河川菊池川の上流部で、菊池渓谷(日本名水百選)や菊池温泉がある山間部、市域西側や南側の菊池平野を中心に市街を成しています。平安時代より栄えた豪族菊池氏が戦国時代まで支配し、多くの城を築いた地域です。その後江戸時代から米作りが盛んに行われるようになりました。現在の菊池市は米、しいたけ、ごぼうや畜産(旭志牛)など第一次産業と食料品製造、電子部品・電子回路などの製造業を主要な産業としています。1954年に菊池温泉が湧出してからは宿泊業などの観光業も盛んに行われるようになり、「熊本の奥座敷」と呼ばれるほどになりました。

菊池渓谷は菊池川上流部の水源あたり、阿蘇市と菊池市またがる渓谷です。全長4kmほどのかなり長い区間をいいます。当地の市街地から東へ17kmほどのところにあり、夏は避暑地、秋は紅葉の名所として知られ、標高500~800m、1,193haほどの自然休養林(憩いの場)となっています。水の駅プレジャーパーク(アウトドアレジャー施設)や菊池渓谷温泉 岩蔵があり、2023年4月にビジターセンターがオープンしています。

菊池公園は菊池市隅府にある公園です。菊池市の市街の北東側の小高い丘の上にあり、大型アスレチックや芝生広場、菊池武光の騎馬像があります。当地の桜の名所として親しまれる同公園ですが、菊池城の城山公園でもあり、南北朝時代に南朝について戦った菊池氏3代をはじめ、菊池氏一族を祀る菊池神社が隣接しています。

道の駅 七城メロンドームは、菊池市七代町にある国道325号沿いの大規模の道の駅です。名称通りメロンの形の屋根をもち、メロンパンやメロンジュースを名物にしています。アイス・だんご・ハム・雑貨コーナーを備え、併設のレストランはデリカスタイルで好きな小鉢を取ることができます。なお、西600mほどの山鹿市にはいったあたりに道の駅 水辺プラザかもとがあり、道の駅のはしごができます(こちらは宿泊・温泉施設を併設)。

有明の里 泗水孔子公園は平成4年に完成した中国宮廷建築様式の公園です。1889年に発足した旧泗水町の名称の由来は、郡名の「合志(こうし)郡」と孔子の生誕地、山東省泗水県とをかけたダジャレからと言われます。また、同県とは1994年から友好都市提携しています。回廊には三国志や中国の花鳥風月をテーマにした絵画が描かれ、元町立の施設としてはかなり本格的です。道の駅 泗水 養生市場という国道387号の道の駅が併設されています。

道の駅 旭志(きょくし)は菊池市旭志川辺にある国道325号の中~大規模の道の駅です。旧旭志村は県内有数の畜産地帯であることから、旭志牛の肉を名物としています。レストランと物産館にコスモス園が併設されています。また、旭志村はホタルの里としても有名で、初夏には道の駅周辺の二鹿来川・渡瀬川でホタルが見られます。


玉名市(たまなし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

熊本県玉名市 人と自然がひびきあう 県北の都 玉名 人口64,066人

PRキャラクターの「タマにゃん」と黄緑色のラインに音符が描かれています。2015年にミニバイク50c以下を対象に1,000枚が交付されています。

玉名市は熊本県北部の沿岸部にある市です。もともと熊本県北部の中心的な都市でしたが、2005年に玉名郡岱明町・横島町・雨水町と合併し「新玉名市」としています。熊本市の北東に隣接し有明海に面した自治体で、有明海苔養殖の発祥地として知られています。主要な産業は卸売・小売業など商業ですが、県庁所在地に隣接する自治体としては農業の比率が多く、水田や畑が目立ちます。少子高齢化による自然減と社会減が両方みられ、2040年あたりで人口5万ほどになると推計されています。トマト・みかん・有明海苔・あさり・シャコなどを特産品とするほか、中心市街に玉名温泉、市域南側に小天温泉を有しています。

玉名温泉は玉名市の中心市街、岩崎と立願寺あたりにある温泉です。1300年ほど前から知られ、古くは立願寺温泉と呼ばれたもので旅館・ホテル11軒、スパが5軒ほどあります。「炭鉱の街」として知られる福岡県大牟田市に近いことから「三井の奥座敷」などと呼ばれていましたが、炭鉱業の衰退と共に寂れつつあります。温泉大通り沿いの立願寺公園内にせせらぎ風の足湯があります。泉質は単純温泉、単純弱放射能温泉、塩化物泉で、無色透明のサラサラとした湯です。

小天温泉(おあまおんせん)は玉名市南部の小天にある温泉です。現在は那古井館と草枕温泉 てんすいの2軒の温泉施設で構成されています。夏目漱石の小説「草枕」の舞台「那古井温泉」のモチーフになった場所とされています。周辺に夏目漱石が宿泊した前田家別邸、玉名市草枕交流館(観光案内所)などがあります。また、玉名市岱明町の鍋松原海水浴場のそばに「潮湯」という温浴施設がありますが、これは温泉ではなく海水を沸かしたものです。

蓮華院誕生寺は玉名市築地にある真言律宗の寺院(別格本山)です。皇円大菩薩(当地が出身、浄土宗の開祖 法然の師)を祀るもので、戦国時代に焼失した浄光寺蓮華院の跡地に1930年に中興されたものです。創建されてからまだ新しいため歴史的風情はありませんが、直径2.88m、高さ4.55mの世界一の大梵鐘や木造5重等などがあることで知られる大規模な寺院で、本院から3kmほど市街から北側に離れた場所に奥之院を有しています。

高瀬裏川水際緑地公園は玉名市高瀬にある公園です。県指定文化財の高瀬眼鏡橋など一群の石橋があり、周辺は湊町として栄えたため、大八車が脱輪しないようわだちが設けられているなど独特の歴史的景観となっています。肥後しょうぶ6,300株が植えられており、6月に花菖蒲の名所として花しょうぶ祭りが行われています。


南関町(なんかんまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

熊本県玉名郡南関町 緑にいきづく関所の里 人口8,942人

自治体名の前に「南」をデザイン化した町章が描かれています。九州では最も早く導入されたもので、2012年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

南関町は熊本県北西部にある町で、玉名郡に属しています。熊本市の北西50km、福岡市から南へ70km、熊本県と福岡県との県境となるあたりに位置しており、平安時代から官道に宿場や関所が開かれ交通の要衝として発展した地域で、現在に至るも九州自動車道が通り玉名PA、南関ICがあります。生産用機械や食品加工など製造業を主要な産業としていますが、人口減少が顕著であるため、各産業とも衰退傾向にあります。米・南関そうめん・南関あげ・栗・竹細工などを特産品とするほか、小代焼の11の窯元のうち1つがあります。

豊前街道南関御茶屋跡は南関町関町にある国指定の史跡です。古代に官道が通り、町名の由来である「みなみのせき」という呼び名が定着したあたりで、現在みられる御茶屋は1852年に建てられたものを修復したものです。参勤交代時に藩主が休憩・宿泊施設として利用したものですが、明治時代には個人所有となり、民家や料亭としても利用されていました。周辺に南関城跡があります。また、南の関うから館(温泉入浴施設/会議場などコミュニティ施設)という温泉入浴ができる施設がありましたが、閉館しています。

大津山自然公園は南関町関東にある公園です。南関ICの近くにある公園で、大津山一帯が公園となっているため150haの広さを誇ります。駐車場の冠木門が印象的な公園で、当地の花見スポットであるため、近くに特産品センターなんかんいきいき村、いきいき村工芸館という物産館があります。また、大津山阿蘇神社があります。

南関町ふるさとセンターは南関町上長田にある複合施設です。県道29号に面して関所村(物産館)、関所亭(レストラン)があります。南関あげを使ったきつねうどんやだご汁、南関そうめんや小代焼などを売っています。

古小代の里公園は南関町宮尾にある公園です。小岱山(筒ヶ岳、観音岳など複数の山々で構成、玉名市・荒尾市・南関町にまたがる)の山麓で作られる小代焼(=しょうだいやき。国指定伝統的工芸品)の古窯を中心に整備された公園で、梅の名所とされています。3月中旬にこの地方の窯元が集い、陶器・梅まつりが行われています。


人吉市(ひとよしし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

熊本県人吉市 物語都市ひとよし ~いで湯と球磨焼酎・笑顔の里~ 人口30,655人

人吉市の伝統工芸品「花手箱」をイメージし、黒縁に椿の花をあしらったたナンバープレートです。2012年にミニバイク50cc以下を対象に500枚が交付されました。

人吉市は熊本県南部にある市です。日本三大急流の一つ、球磨川が流れる人吉盆地にありかつては人吉藩相良氏の城下町として栄えました。現在でも熊本県の南東部を構成する人吉・球磨地域の中心都市です。卸売・小売業や観光業などの第3次産業を主要な産業とする地域で、ほかに飲料・たばこ・飼料、金属製品の製造などが行われるほか、木工(きじ車や花手箱)や酒造といった伝統的な工業も行われています。また、球磨川下りや城下町の古い街並み、人吉温泉などの観光資源を有しています。焼酎や鮎、包丁など鍛冶製品(現在鍛冶製品の生産は終了しているが、研ぎは行っている)、味噌・醤油などを特産品としています。熊本駅ー人吉駅間にSLが走ることでも知られていましたが、部品調達や技術者の確保が難しくなったため、2024年3月をもって運行終了予定となっています。

人吉駅は人吉市青井町にある九州旅客鉄道の駅です。くま川鉄道との共同使用駅ですから、人吉温泉駅も含まれます。駅前には観光案内所のほかにお城のモニュメントやからくり時計(こちらも城の形)が置かれています。また、駅の西側に人吉鉄道ミュージアムMOZOCA(モゾカ)ステーション868という鉄道博物館があり、昔の駅舎や蒸気機関車の転車台などがあります。

人吉城は人吉駅の南西側の球磨川を渡ったところにある城跡です。鎌倉時代に相良氏が築いたものとされ、本丸には天守は築かれず、護摩堂があったといわれています。市内を見渡す高台にあり、現在は人吉城公園として櫓や塀が復元されています。また、小規模ながら庭園も残っています。城の麓に人吉城歴史館がありますが、令和2年の集中豪雨で被害を受けたため休館しています。

青井阿蘇神社は人吉駅の南側にある神社です。健磐龍命(=タケイワタツノミコト。「阿蘇大明神」などとも。初代天皇の神武天皇の孫にあたる)とその后神である阿蘇津媛命、子の國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)を祀る神社で、当地では「青井さん」とも呼ばれます。社伝によれば806年に創建されたもので、本殿など5棟が国宝に指定されています(茅葺きの社寺では初の国宝指定、また県内初の国宝)。

道の駅 人吉/人吉クラフトパーク石野公園は人吉市赤池原町の鳩胸川の屈曲部にある公園です。国道219号の道の駅ですが鳩胸川が間に挟まるので、少し国道からは離れています。人吉市の伝統文化・伝統工芸・球磨焼酎をテーマにした施設があり、物産館やレストランのほかに木工・硝子・鍛冶・陶芸・革小物などの工房があり、体験ができるようになっています。また、キャンプ場を併設しています。


山都町(やまとちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

熊本県上益城郡山都町 風かおる、文楽と石橋の郷 人口13,503人

人形浄瑠璃の一種、清和文楽の人形と水を通す石橋「通潤橋」、特産品のブルーベリーが描かれたナンバープレートです。合併10周年記念として、2015年にミニバイク50cc以下を対象に500枚が交付されています。

山都町は熊本県東部にある町で、上益城郡(かみましきぐん)に属しています。2005年に矢部町・清和村・蘇陽町が合併して誕生した町で、九州の中央部に位置することから「九州のへそ」を商標登録しています。北側は阿蘇カルデラの南外輪山、南側は熊本県と宮城県に跨る九州脊梁山地に挟まれた格好の山間の町で、その町域は544.67k㎡と広く県内の自治体では3位、全国の町で54位ほどです。主要な産業は農林業で、米・酒・高原野菜(トマト・きゅうり・ピーマンなど)・柚子・唐辛子などを特産品としています。江戸時代末期に作られた通潤橋(水路橋)や毎年9月の第1土曜・日曜に行われる八朔祭りで知られています。

通潤橋(つうじゅんきょう)は山都町長原と下市の間、老ヶ滝川にかかる石造りの単アーチ橋です。水利に恵まれなかった白糸台地一帯に水を送るために造られたもので、長さ78m、幅員6.3m、高さ20m余の水路石橋です。当地の観光名所として、灌漑用水の利用が少ない農閑期には15分おきに放水が行われています。また、周辺に道の駅 通潤橋(県道320号沿い、小~中規模、通潤橋の資料館を併設)があります。

道の駅 清和文楽邑(せいわぶんらくむら)は、山都町大平の国道215号沿いにある小規模の道の駅です。レストラン、物産館のほか地元に伝わる清和文楽(人形浄瑠璃の一種)の紹介をする博物館施設と劇場を併設しています。こちらの施設はくまもとアートポリス(1988年から行われている県の事業)に関係するもので、特徴的な建物が目に付きます。矢部茶・栗・ジビエを使った食材などが人気です。

幣立神社(へいたてじんじゃ)は山都町大野にある神社です。「九州のヘソ」や「日本最古の神社」として紹介される有名な神社で、健磐龍命(=たけいわたつのみこと、神武天皇の孫にあたる。阿蘇神社の祭神)が阿蘇に下向した折に、幣帛(=へいはく、神道で神に奉るもののうち、神饌を除いたものをいう)を立てて天神地祇を祀ったことが始まりとされています。天孫降臨の伝承を持つ高千穂にも近く、様々な神話や伝承を受け継いでいます。近くにパン屋やカフェがあります。

清和高原天文台は山都町井無田(いむた)にある天文台です。阿蘇山の南外輪山に位置し、標高700mの空気の澄んだ場所にあります。天文台にレストラン「星座の森」と宿泊棟が併設されています(観望会参加費:高校生以上510円、小中学生300円、未就学児無料)。

道の駅 そよ風パークは山都町今にある国道265号沿いの大型の道の駅です。施設自体は1996年にオープン、2012年に道の駅に登録されています。2020年に運営会社が経営破綻し、コロナ禍の影響もありしばらく営業していませんでした。同年10月末から指定管理者を変えてリニューアルオープンしています。物産館、レストランのほか宿泊施設が併設され、ブルーベリーの収穫体験やジャム作りなど体験を行っています。周辺に蘇陽峡(そようきょう)という景勝地があります。


相良村(さがらむら)

相良村ホームページより

熊本県球磨郡相良村 相性が良くなる村 人口4,070人

自治体名上に水色で「SAGARA」の文字、下部に川辺川の流れと鮎、左側にPRキャラクター「サガラッパ」が描かれています。村誕生60周年を記念し、2016年にミニバイク50cc以下を対象に60枚が交付されました(実物はカラー)。

相良村は熊本県南部にある村で、球磨郡に属しています。人吉・球磨地域を構成する自治体の一つで、村域南部で球磨川に接し、中部から北側にかけては丘陵や山岳地帯になります。村を南北に流れる川辺川(一級河川、球磨川に注ぐ)沿いに集落を成しています。農業を主要な産業とする村で、特に相良茶の産地として知られ茶畑の風景が特徴的です。令和2年7月の集中豪雨により川辺川・球磨川が共に氾濫し、広範囲が浸水するなど被害を受けていますが、現在復興が進められています。米・茶・葉たばこ・あか牛・馬刺し・鮎などを特産品としています。

さがら温泉 茶湯里は相良村深水にある温泉入浴・宿泊施設です。入浴・宿泊施設のほか、レストランと売店、温水プールなどが併設された複合施設になっています。国道からははずれますが人吉ICから車で8分ほどのところにあり、当地の観光施設になっています。

雨宮神社(永江雨宮神社とも)は相良村川辺にある神社で、国道445号から石段を112段登ったところにあります。小さな無人の神社と巨石のトンネルがあり、熊本水と緑の百景に選ばれています。周辺のこんもり茂った森は近年では「トトロの森」と呼ばれています。

相良村の茶の生産量は熊本県内1位を誇り、「さがら茶」としてブランド化されています。この茶はさっぱりした味わいが特徴で、最高級の茶として知られています。農林水産大臣賞、日本茶Award2019審査員奨励賞など様々な賞、品評会1位などに選ばれています。


原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

長崎県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【長崎県編】

全47都道府県を網羅 掲載市町村区630以上


四輪自動車の地方版図柄入りナンバープレートはコチラ「地方版図柄入りナンバープレート 一覧 (四輪自動車)」または 地方版図柄入りナンバープレート 九州 (四輪自動車)

長崎県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

当サイトの画像は、日本経済研究所さんの承諾を貰って使用しています。コピー・転載は禁止されています。

原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

原付のご当地ナンバー市町村区別目次はコチラ


波佐見町(はさみちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

長崎県東彼杵郡波佐見町 やきものの里 活力と潤いにみちた陶磁と緑のまち・波佐見 人口14,225人

コンプラ瓶と呼ばれる陶器の容れ物のイラストを中心に、左側に登り窯とPRキャラクターの「はちゃまる」、右側に鬼木の棚田が描かれています。町政60周年記念として、2016年にミニバイク50cc以下を対象に100枚が交付されています。

波佐見町は長崎県の中央東側にある町で、東彼杵郡(ひがしそのぎぐん)に属しています。長崎県内では唯一の内陸の自治体で、周囲を100~500mほどの山々に囲まれた盆地の町です。江戸時代前期から「波佐見焼」と呼ばれる焼き物で知られ、この波佐見焼は丈夫な日用品が多く、手頃でしかも良質な食器を造るという姿勢は今も受け継がれています。主要な産業はやはり製造業で陶器の製造を得意としていますが、近年は製造品出荷額が減少傾向にあります。

波佐見焼は波佐見町付近で作られる陶磁器のことで、1592-1593年の文禄・慶長の役から大村藩主が帰国するときに朝鮮の陶工を連れ帰ったことに始まります。丈夫で大量生産に向くことが特徴で、江戸時代には庶民用の茶碗や(木樽では風味が落ちるため)酒や醤油の輸出用の瓶として利用されていました。一般的、庶民的な焼物であり、現在はシェアが低くなりましたが、いまだに全国の焼き物の15%ほどがこの波佐見焼です。当地の特産品かつ主要な産業であり、波佐見町自体が「焼き物の里」として知られるため、商業や観光面でも中心を占めます。余談ですが、同町は県境をまたいで同じく焼き物で有名な佐賀県有田町と隣接しています。

波佐見やきもの公園は波佐見町井石郷にある公園です。「世界の窯広場」といって、古代から近世にかけての窯の野外博物館(12基)がある公園で、絵付けやろくろ体験ができる波佐見陶芸の館(観光交流施設、歴史的資料なども展示)があります。毎年ゴールデンウィークに波佐見陶器まつりという大規模な陶器市が行われています。

鬼木の棚田は波佐見町鬼木郷(おにぎごう)にある棚田です。棚田百選に選ばれているもので、散策路や展望台があります。22haほどの広さに400枚ほどの田んぼがあります。当地を代表する名所・風景で、9月には鬼木棚田まつりとしてウォークラリーや案山子コンテストなどが行われるほか、彼岸花の名所でもあります。

波佐見温泉は波佐見町長野郷の川棚川沿岸にある温泉地です。弘法大師が錫杖を地に立てて湧出させたという伝説が残る温泉で、1200年ほどの歴史があると考えられています。ホテルが1軒、温泉宿2軒のほか、日帰り入浴施設としてはさみ温泉 湯治楼(ゆうじろう)があります。


島原市(しまばらし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

長崎県島原市 有明海にひらく湧水あふれる火山と歴史の田園都市 人口41,881人

PRキャラクターの「しまばらん」と島原城が描かれています。50cc以下と90cc以下・1255cc以下は意匠が異なり、50cc以下では城にかかる虹が描かれています。2017年から交付されています。

島原市は長崎県南東部の島原半島の東側にある市です。江戸時代初期に島原城が築城され、以来島原半島の政治や商業の中心として機能しています。島原城の城下町や湧水群、雲仙・普賢岳の景観や温泉で知られる観光都市で、卸売・小売業やサービス業など観光業を主要な産業としています。市域の西側の一部が雲仙天草国定公園に含まれ、市街は雲仙岳の東麓に海岸沿いまで拓けています。また、有明海を通じて熊本県熊本市・福岡県大牟田市とフェリーや高速船で連絡しています。豚肉やそうめん、海苔・イイダコ・ふぐなどの水産品、かんざらし(白玉団子)などを特産品としています。

島原城(森岳城、高来城とも)跡は島原市城内にある史跡です。島原鉄道島原駅の西側すぐにあり、同駅舎は島原城の大手門をモチーフにしたものです。1624年に当地に入封した松倉重政が築城した城で高い石垣が特徴、もともと本丸と二の丸が廊下橋という木橋一本で繋がれていたそうです。石垣を巡る水濠にはれんこんが根付いており、秋には地元商店街の主催でれんこん掘り大会が行われています。現在みられる天守は復興されたもので、内部はキリシタンや武具などの資料を展示する資料館になっています。この島原城の北西側には武家屋敷群、南側に商業地区があり、こちらは街路脇に湧水が流れ「鯉の泳ぐまち」として観光名所になっています。

https://youtu.be/ZwiieqZywjg

平成新山は島原市と小浜町の境界にある山(溶岩ドーム)です。平成2年から始まった5年にわたり続いた噴火活動では9432回の火砕流が観測され、被災家屋251棟にも及び、大規模火砕流で死者が出るなどしました。これを記念するために同溶岩ドームを「平成新山」と名付けたといいます。この溶岩ドームは普賢岳の主峰よりも高い1,483mで県内最高峰となっています。

雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)は島原市平成町の有明海に面したところにある施設です。火山活動や噴火災害をテーマにした学習施設で、様々な体験学習プログラムを行っています。また、カフェやこどものための遊び場が併設されています。

しまばら火張山公園は島原市上折橋町にある公園です。もともと雲仙普賢岳噴火災害時に市民を守るための防砂指定地を活用したもので、桜・菜の花・ポピーやコスモスなどが植栽されています。2012年につくられたもので、2018年に「しまばら芝桜公園」から現在の名称に変更になっています。また、園内にヤギやポニー、うさぎなどが飼育されています(入園料:維持管理協力金として大人300円、高校生以下無料)。


川棚町(かわたなちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

長崎県東彼杵郡川棚町 自然を愛し くらし輝くまち 人口13,295人

プレート下部に虚空蔵山(こくぞうさん)のシルエット、左上と右下にインドクジャクが描かれています。2014年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

川棚町は長崎県の本土側中央部にある町で、東彼杵郡(ひがしそのぎぐん)に属しています。概ね町域を北から南に流れる川棚川に沿って市街を成しており、南側で長崎の中央を占める大村湾に接しています。この大村湾に突き出た半島部を大崎半島といい、県立大崎自然公園に指定されています。歴史的には一農村または漁村でしたが、太平洋戦争中には海軍工廠が設置され一時的に人口が急増していました。現在の川棚町は食料品加工や石英製品、コンクリートなどの製造業を主要な産業としていますが、ハウステンボスがある佐世保市と隣接しているため、商業やサービス業なども盛んに行われています。平成12年から人口減少が始まっていますが、将来の推計人口の減少は緩やかです。

大崎半島は川棚町の南側、大村湾に突き出た半島です。全域が県立大崎自然公園にしていされています。入場無料のくじゃく園が有名で、約200羽の孔雀やフラミンゴ、ポニーやうさぎなどが飼育されています。ゴーカート乗り場などこどもの遊び場があり、毎年5月5日にくじゃく祭りというイベントが行われています。また大崎半島北西部には川棚大崎海水浴場や温泉(しおさいの湯、オーシャンビューの天然温泉入浴施設)があります。

魚雷発射試験場跡は川棚町三越郷にある戦時遺構です。片島公園という公園の中に魚雷試験場、組み立て工場、空気圧縮ポンプ室などの跡があり廃墟が残っています。佐世保海軍工廠や川棚海軍工廠で作られた魚雷の性能テストが行われていた場所で、トイレ・自販機・駐車場などが整備されています。2015年に公開された映画「バケモノの子」のロケ地として知られているため、周辺に土産屋や飲食店などが出ています。

特攻殉国の碑は川棚町新谷郷にある記念碑です。特攻艇「震洋」(ベニヤ板製のモーターボート)や人間魚雷「回天」、伏龍隊(潜水士に棒付き機雷を持たせて敵を攻撃するもの)などで亡くなった3,511名の名前が刻まれています。また、小さな展示室を併設しており震洋艇の3~4分の1の模型が展示されています。


長崎市(ながさきし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

長崎県長崎市 活力と潤いにあふれ、歴史がいきづく交流拠点都市・長崎 人口395,591人

出島の形状のプレートです。2013年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

長崎市は長崎県南部にある市です。西彼杵半島の南部と長崎半島及び島嶼部で構成される市で、埋立地などを合わせて面積406k㎡となります。五島灘、天草灘、大村湾と三方を海に囲まれており、長崎港に注ぐ浦上川・中島川沿い及び長崎港周辺に市街をなしています。鎖国体制であった江戸時代に出島があったことから、現在に至るも異国情緒が感じられる街として知られています。産業は第三次産業が主体で卸売・小売業やサービス業などが行われるほか、漁業が盛んです。県庁所在地かつ歴史的にも大変価値のある地域ですが、昭和60年頃から人口減少が始まっていて、最盛期50万余の人口が39万人に減っています。

グラバー園は長崎市南山手町にある観光施設です。イギリス商人グラバー、リンガー、オルトの邸宅があった場所に、さらに旧長崎地方裁判所庁舎や旧三菱第2ドッグハウスなどの建造物を移築し、歴史的建造物の野外博物館となっています。同園に隣接して大浦天主堂(国宝建造物及びユネスコ世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一つ)があり、当地の代表的な観光ルートになっています。また、グラバー園北側には端島(軍艦島)の紹介を行う軍艦島デジタルミュージアムがあります。

長崎市出島は長崎港の南側にある地域です。1634年に築造された日本初の本格的な人工島で、幕府が鎖国を行っていた頃の日本で唯一西洋に開かれた貿易の窓口でした。最初はポルトガル人が、ついでオランダ人が当地を訪れて貿易を行っていました。現在の出島は当初の扇形を失っていますが、現在までに16棟の建物が復興されており、内部には当時の生活をしのばせる資料が展示されています。また、沿岸部は商業地区になっていて出島ワーフという複合商業施設があります。

長崎新地中華街は前述の出島の東側にある中華街です。横浜、南京町の中華街とともに日本三大中華街の一つとされるもので、40軒ほどの中華料理店や中華雑貨店が軒を連ねています。長崎は鎖国時代でも対中貿易港として認められていたため、唐人屋敷という中国人の住居がありました。この人々が開国時に沿岸部に移り住み、中華街として発達したといわれています。旧暦の正月にあたる春節期には隣接する湊公園がランタンフェスティバルの会場となり、清朝をイメージした皇帝のパレードや中国雑技団の公演などが行われます。

稲佐山公園は長崎市街の西側、長崎市稲佐町にある公演です。標高333mの稲佐山山頂に長崎の市街と長崎港を見下ろす展望台や猿舎、鹿の放牧場などがあり、当地のランドマークの一つとして親しまれています。山頂までロープウェイとスロープカーが出ており、当地の夜景の名所とされています。

平和公園は長崎市松山町にある公園です。1955年に世界恒久平和を祈念して開設されたもので、長崎原爆の落下中心地の北側の丘を中心に5つのゾーンで構成されています。祈りのゾーン(爆心地公園)には爆弾落下中心地の碑が建ち、旧浦上天主堂の遺壁(原爆により破壊された同天主堂の壁のうち、残った南側の一部)が展示されています。また、同園内に長崎原爆資料館があり「ファットマン」の模型が展示されています。


大村市(おおむらし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

長崎県大村市 花と歴史につつまれた 未来にはばたく 産業・交流都市 人口96,287人

PRキャラクターの「おむらんちゃん」とオオムラザクラが描かれています。また、自治体名がひらがなの「おおむら」になっています。2012年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

大村市は長崎県の中央にある大村湾の東岸、県央地域にある市です。県内では人口第4位の規模のまちで、西側は大村湾、東側で標高1,000m級の多良岳山系を挟んで佐賀県と隣接しています。長崎県の陸・空の玄関口であり、人口が密集する長崎・佐世保市とのアクセスも良いことから高度経済成長期からずっと毎年500~1,000人程度人口が増えていましたが、現在は増加数が鈍化しています。卸売・小売業やサービス業など商業を主要な産業とし、また長崎空港や大村駐屯地がある関係で国の出先機関が多く、公務員が多いです。黒田五寸人参やゆでピーナッツ、ナマコやイイダコなど水産品、三彩焼などを特産品としています。また、大村氏12代当主大村純忠が日本初のキリシタン大名であったため、市内にキリシタン関連の史跡が残っています。

長崎空港は大村市の市街西側、大村湾に浮かぶ空港です。1975年に世界初の海上空港として整備されたもので、もとは箕島(みしま)という有人島でした。地方空港としては珍しく上海と香港への国際線があるほか、対馬や壱岐など県内の離島地域とも連絡しています。本土側には長崎空港以前に使用されていた旧大村空港(防衛省に移管)、森園公園、温泉入浴施設などがあります。

大村公園は大村市玖島(くしま)にある市立の都市公園です。市名の由来でもある大村氏が築いた玖島城跡を整備したもので、野球場・テニスコートなど運動施設のほか、大村神社や大村藩時代の船着き場、花菖蒲園などがあります。とりわけ大村神社のオオムラザクラは国の天然記念物であり、二段咲きで花弁・がく片が多いことが特徴で、多いものでは200枚に達するとされる名桜です。

長崎スコーコーヒーパークは大村市寿古町(すこまち)にある観光コーヒー園です。日本初の観光コーヒー園であり、300坪の温室でコーヒーを栽培しています。温室の見学は無料で、レストランやコーヒーの直売コーナー、資料の展示などありコーヒーのテーマパークとなっています。

旧楠本正隆屋敷は大村市玖島にある旧家です。明治3年に建築されたもので、かつては城下町として栄えた当地の武家屋敷の流れを汲む貴重な遺構となっています。楠本正隆(政治家・男爵)という人は幕末に大久保利通の腹心として活躍し、明治維新後には東京都府知事として道路橋梁の改修などに尽力した人で、大久保から「天下随一の県令」と称されています。屋敷・庭園ともによく整備されて座敷が一般公開されています。


佐世保市(させぼし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

長崎県佐世保市 ひと・まち・育む“キラっ都”佐世保 ~自然とともに 市民の元気で輝くまち~ 人口235,956人

当地を代表する景観 九十九島とカモメが描かれています。自治体名が左上側、右上側に「kujyukushima」の文字が入っています。2013年にミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

佐世保市は長崎県北部にある市です。県内2位の規模を誇る長崎県北部の中心都市で、九十九島やハウステンボスがあることなどで知られています。江戸時代まではひなびた郊外地域でしたが、天然の良港として佐世保湾に目をつけた明治政府が軍港と鎮守府を開いたため、海軍のまちとして大きく発展しました。現在に至るもアメリカ海軍ならびに海上自衛隊の基地が置かれ、日本の海上防衛の要また海上交通の要衝となっています。昭和20年6月の佐世保大空襲により市街が一度失われていますが、現在は造船業や商業、観光業などが盛んに行われています。ただ、全体に人口減少が大きい長崎県において佐世保市も例外ではなく、2040年には21万人程度と推計されています。

ハウステンボスは佐世保市ハウステンボス町にあるテーマパークです。オランダの街並みを再現したもので東京ディズニーランドの1.5倍の敷地を有し、単独のテーマパークとしては日本最大の施設です。アムステルダムの街並みを再現したアムステルダムシティやパレスハウステンボス、アドベンチャーパークといった区画に分かれており、ゴンドラやカナルクルーザー、海上アスレチックなど多数のアトラクションと四季折々の花々で親しまれています。

九十九島(くじゅうくしま)は佐世保市から平戸市にかけて広がるリアス式海岸に点在する島々で、実際には200以上の島が有るとされています(有人島は4つ)。リアス式海岸と大小さまざまの島が織りなす美しい自然景観は観光客・カメラマンに人気があります。西海国立公園内に九十九島パールシーリゾート(遊覧船、九十九島水族館海きらら、商業施設がある市営の複合施設)があります。

九十九島動植物園(愛称:森きらら)は佐世保市船越町にある市営の動物・植物園です。1961年に旧海軍の工員の宿舎跡に開設されたもので、当時は石岳動植物園と呼ばれていました(その後佐世保市亜熱帯動植物園を経て現在にいたる)。動物251点、植物21,000点を有し、ペンギンの足裏や歩く様子を下から観察する極浅水槽やツシマヤマネコの展示があります。また、同園のある地域は九十九島のビューポイントが多く、周辺に石岳展望台園地や船越展望所などがあります。

海上自衛隊佐世保史料館(愛称:セイルタワー)は佐世保市上町にある海上自衛隊及び大日本帝国海軍に関する史料館です。7階建ての施設で、7階から順番に降りていくと長崎海軍伝習所から現在の海上自衛隊の活動までを順番に見ていくことができます(入館無料)。

無窮洞(むきゅうどう)は佐世保市城間町にある第二次世界大戦期の防空壕です。当時の宮村国民学校の教師と小学生が2年にわたり掘ったもので、奥行き20m幅5mほどあります。内部には避難中でも授業ができるように教室やトイレ、炊事場などが設けてあります。


対馬市(つしまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

長崎県対馬市 アジアに発信する歴史海道都市 対馬 !(おっ)な島です。対馬 人口27,854人

対馬海峡に浮かぶ対馬の全景と対馬海流をイメージした水色のライン、海の幸とツシマヤマネコのキャラクター「コージー」が描かれています。2013年に対馬のPRと交通安全の啓発のために、ミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

対馬市は長崎県北部にある市です。2004年に対馬島内の厳原町・美津島町・豊玉町・峰町・上県町・上対馬町が合併(新設合併)し市制施行たもので、九州と朝鮮半島のちょうど中間あたりにある対馬島全域と有人・無人含めて100以上の島を市域としています。古代から本土と大陸を結ぶ国境の島で軍事的な価値が高く、白村江の戦い・元寇・豊臣秀吉の朝鮮出兵など歴史的事実に関連するほか、明治時代から昭和の前期にかけて対馬要塞という一群の砲台・堡塁群が建造されています。産業面では第一次産業の比率が高く、特に漁業が盛んでアナゴの水揚げで全国一を誇ります。そのほかイカ・ブリ・海藻類などの海産物やはちみつ、しいたけなどを特産品としています。観光地としても知られる地域で、土地柄韓国人が主体でしたが、近年は離島や歴史に魅力を見出す日本人観光客が増えています。

厳原港(いずはらこう)は対馬島の南東側にある港で、福岡市博多港・壱岐市とフェリーやジェットフォイルが連絡しています。こちらは対馬市の市街に近い島の表玄関になります。島の北側に比田勝港という港湾があり、厳原港と同じく福岡市博多港や釜山と連絡していますが、こちらはどちらかというと釜山から/釜山行きの利用が多いようです。また、対馬中央部の上島・下島の間には対馬空港(対馬やまねこ空港)という地方管理空港があり、長崎空港や福岡空港と連絡しています。なお厳原港の近くに対馬藩お船江跡という対馬藩時代の船渠が残っており、原型をよく保っています。

対馬博物館は対馬市厳原町にある博物館です。2022年に開館したもので、対馬藩主宗家の関連資料を主として島内の遺跡の出土品や朝鮮通信使の資料、自然に関する資料など対馬全域を網羅する資料11万余を収蔵しています。また、同博物館周辺には宗家の居城であった金石城(厳原城)の庭園や対馬朝鮮通信使歴史館、宗家の菩提である万松院などがあります。

韓国展望所は対馬島北側の上対馬町にある展望台です。韓国まで50kmほどのところにあり、晴れた日には対岸の釜山市が望める人気の観光スポットで、周辺にはヒトツバタゴの自生地(国の天然記念物、ナンジャモンジャの木ともいう)や、1934年に造られた豊砲台跡(対馬要塞の一角を成す。当時世界最大の戦艦主砲40.6cm砲が据えられたという)があります。

和多都美神社(わだづみじんじゃ)は対馬市豊玉町にある神社です。神代の昔、海神であるワタツミ・ワダツミが当地に宮殿を築いたとされる場所で、本殿正面の5つの鳥居のうち2つは海中に立っています。海の満ち引きにより様相を変える幻想的な神社で、当地の観光名所になっています。また、全国的にも珍しい三柱鳥居が2基あります。

ツシマヤマネコは対馬にのみ生息する野生の猫でベンガルヤマネコの亜種とされています。約10万年前に当時は陸続きだった大陸から渡ってきたものとされ、戦前には当地の山に入れば必ず見つかるもので、1971年に国の天然記念物にしていされています。現在は100頭ほどに減少し、絶滅危惧種になっています。数が少ないため、島内でみられることはほとんどありませんが、佐世保市の九十九島動植物園森きららで飼育されているものを見ることができます。


長与町(ながよちょう)

長与町ホームページより

長崎県西彼杵郡長与町 緑・やすらぎ・活力あふれる ながよ 人口39,763人

中尾城公園の「エアロブリッジ」と街並み、PRキャラクターの「ながよミックン」が描かれています。2023年1月から50cc以下のミニバイクを対象に交付されています。

長与町は長崎県長崎市の北側に隣接する町で、西彼杵郡(にしそのぎぐん)に属しています。町域東側は琴ノ尾岳(451.4m)を中心に300~400m級の丘陵地、町域北側で長崎県の中央に位置する大村湾に接し、町域に清水島と二島という島を含みますがこれらは無人島です。1960年代の高度経済成長期から長崎市のベッドタウンとして継続して開発され、町としては県内で最も人口が多い地域となっています。2010年頃まで人口が継続して増加し、一時期4万を超えていましたが現在は減少局面に転じています。主要な産業は卸売・小売業や各種サービス業など第三次産業で、長らく住宅地として開発が進んだため、業種別では不動産業と教育の従事率が高くなっています。みかん・いちじく・ブルーベリーやオリーブオイルなどを特産品としているほか、比率としてはわずかですが漁業も行われています。

中尾城公園は、JR九州長崎本線の長与駅から町内を流れる長与川を渡ったところにある公園です。広さ9.4haの傾斜地にあり、中世~戦国期に渡って築城された山城 中尾城の跡地を利用しています(比高60m)。文化ホールや展望台などがある公園で、エアロブリッジという赤い橋の上をモノレール(往復110円)が走っています。*エアロブリッジ下のスパイラルスライダーは小学生が骨折するなどしたため現在休止中、再運転の見込みは無いようだ。

堂崎ノ鼻(どうざきのはな)は長与町北端の大村湾に突き出た岬です。青い海とゴツゴツした岩肌のコントラストが美しい景勝地で、県立堂崎ノ鼻自然公園として整備されています(駐車場・トイレなど有り)。また、旧石器時代のナイフ・台形石器などが出土した堂崎遺跡があります。堂崎ノ鼻~長与港までは海岸線沿いに国道207号が走り、カフェや公園、長崎温泉 喜道庵(オーシャンビューの温泉)などがあります。

長与港は長与町の北西側、斎藤郷と岡郷にまたがる港です。観光漁港ではありませんが、周辺は長与総合公園や長与シーサイドーパークなど緑地があるほか、大村市のボートレース場までフェリーが出ています。以前は長崎空港まで行く定期船がありました。港近くに岩崎本舗の本社(グラバー園や長崎空港、ハウステンボスなどに店舗を有する食品会社。同社の角煮まんじゅうが長崎名物となっている)があり、工場直売店を出しています。また、同港ではペーロン保存会がペーロンの漕艇の体験(漕手20名~30名ほどのドラゴンボートの一種、長崎ではペーロンと呼ぶ)を行っています。


原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

佐賀県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【佐賀県編】

全47都道府県を網羅 掲載市町村区630以上


四輪自動車の地方版図柄入りナンバープレートはコチラ「地方版図柄入りナンバープレート 一覧 (四輪自動車)」または 地方版図柄入りナンバープレート 九州 (四輪自動車)

佐賀県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

当サイトの画像は、日本経済研究所さんの承諾を貰って使用しています。コピー・転載は禁止されています。

原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

原付のご当地ナンバー市町村区別目次はコチラ


唐津市(からつし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

佐賀県唐津市 自然と歴史と文化が織りなす 心の散歩道 唐津 人口116,323人

唐津くんちの曳山が描かれたもので、2017年にミニバイク50cc以下を対象に2,000枚が交付されています。また、2021年には佐賀市・伊万里市・鳥栖市などとともにTVアニメ「ゾンビランドサガ」のオリジナルプレートが交付されています(画像。市公式HPより)。このプレートはミニバイク50cc以下が対象で、500枚の交付となりました。市の歴史民俗資料館の屋根で同アニメのキャラクターがまったりしている様子が描かれています。

唐津市は佐賀県の北西部にある市です。北部と西部で玄界灘に接し、市北部に唐津湾がひらけています。2005年に旧唐津市と東松浦郡浜玉町・厳木町・相知町・北波多村・肥前町・鎮西町・呼子町が合併し、新唐津市となり更に2006年には七山村を編入しています。当地は江戸時代には唐津藩の中心地であり、廃藩置県後には短期的に唐津県が置かれていました。現在の唐津市は就業者や販売額ともに商業が中心となっていて、ついで食料品や化学工業など製造業が盛んです。また、虹の松原(特別名勝)や呼子朝市、唐津くんちなどが有名で、観光資源も豊富です。牛肉・豚肉など畜産物とハウスみかん、イカ・牡蠣・車海老などの海産物、唐津焼などを特産品としています。

唐津城は唐津市東城内にある史跡です。1608年に当地に入封した豊臣秀吉の家臣 寺沢広高が築いたもので、唐津湾に面した砂州が東西に広がる様子が鶴が羽根を広げたようにみえるということから舞鶴城という異名をもちます。現存する遺構は石垣や堀ですが、天守や櫓、門などが復興されています(ただし、築城当初に天守があったかどうかは不明)。城の東側に幅500m、長さ4.5kmに渡って広がる虹の松原は、もともと唐津藩の初代藩主となった寺沢広高が新田開発のため、防砂林/防風林として植樹を行ったものです。また、松原の東側浜玉町のあたりに当地の土産物「けえらん(けいらん)」の発祥地 諏訪神社があります。

屋形石の七ツ釜(国の天然記念物)は唐津市の北西側、唐津市屋形石にあります。東松浦半島を構成する上場大地が玄界灘に落ち込む場所で、7つの海蝕洞があることから「七ツ釜」といいますが、実際にはもっとたくさんありなかには遊覧船がまるごと入れる広さのものがあります。また、岬全体が七ツ釜園地として遊歩道などが整備されており、展望台からは天気の良い日には壱岐や対馬が見えることがあるようです。

唐津くんちは毎年11月2日から11月4日までの3日間、唐津神社で行われる秋季例大祭です。くんちは「おくんち」「宮日」「供日」とも書き、収穫を祝う行事です。当地の祭りは日本三大くんちの一つで、独特の漆の技法で飾られた14台の豪華な曳山が街を巡ります。昭和55年「国の重要無形民俗文化財」に指定され、平成27年には「ユネスコ無形文化遺産」に登録されました。

名護屋城は唐津市鎮西町(ちんぜいちょう)にある史跡です。1591年に豊臣秀吉が朝鮮出兵に際し拠点として築城させたもので、当時8ヶ月の突貫工事で5重7階の天守が築かれたものとされ、近隣からは金箔を施した瓦が出土しています。史跡の近くにある佐賀県立名護屋城博物館では黄金の茶室が復元・公開されているほか、道の駅 桃山天下市があります。

唐津市の産物で全国的に有名なものが唐津焼です。市内に約70ほどの窯元があり、土の素朴さ、力強さから「用の美」を湛え茶器として好まれました。現在では釉薬や技法による種類も豊富で、普段使いのマグカップや茶碗などにも人気があります。


嬉野市(うれしのし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

佐賀県嬉野市 歓声が聞こえる嬉野市 -お茶と温泉のまち、佐賀のほっとスポットうれしの  人口24,912人

嬉野温泉をイメージしたもので、ひらがな表記「ゆ」のナンバープレートです。2013年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。また、2021年にはアニメ作品「ゾンビランドサガ」のオリジナルナンバーも交付されており、同作品の主要キャラが足湯でまったりしている様子が描かれています。こちらのナンバーも50cc以下のミニバイクが対象で、200枚が交付されています。

嬉野市は佐賀県の南西部にある市です。2006年に嬉野町と塩田町が合併してできた市で、県内9番目の市となっています。市域全体を300~800mほどの山に囲まれた盆地のまちで、嬉野温泉や塩田津(しおたつ)の古い町並み、嬉野茶の生産などで知られています。産業は商工業のバランスが取れており、農林業や宿泊・サービス業などが比率としては大きいです。3世紀頃とされる三韓征伐の帰途に神功皇后(天皇14代。各地の八幡宮で祀られる誉田別命の母)が立ち寄り、鶴が湯浴みをして傷を癒やした様子を見て「あなうれしや」と言ったことから「嬉野」になったと言われています(人物の部分は諸説あり)。緑茶、紅茶、温泉豆腐やきゅうりなどを特産品としています。

嬉野温泉は嬉野市嬉野町にある温泉地です。県内では武雄温泉と並ぶ二大温泉地で、塩田川沿いに50軒ほどのホテルや温泉宿が出ています。泉質はナトリウムを含む重曹泉(弱アルカリ性)であり、入浴後にツルツル感があることから「日本三大美肌の湯」のうちの一つとなっています。また、この温泉水を使った湯豆腐を「嬉野温泉湯どうふ」といい、温泉水に含まれる重曹によって豆腐がとろとろになります。また、嬉野温泉南側に九州忍者保存協会の本拠施設で「肥前夢街道」というテーマパークがあり、忍者服のレンタルやアスレチック、手裏剣打ちの体験や忍者ショーなどを行っています。

塩田津は嬉野市塩田町にある街区で、重伝建に指定されています。もともと江戸時代初期に長崎街道の塩田宿として整備されたもので、当時の地割りや水路が残っています。「居蔵屋」と呼ばれる大型の白漆喰の大型町家が特徴で、国の重要文化財 西岡家住宅のほかいくつかの旧家が残ります。また町の各所に当地の石で造られた石像が見られ、どれも重厚な雰囲気があります。

轟の滝は嬉野市嬉野町にある塩田川の滝です。嬉野温泉の温泉街から1kmほどのところにあり、山間ではなく平坦部にある珍しい滝です。平坦部の滝ということで高さは11mくらいと低く、水墨画の滝のような様とはかけ離れていますが、滝壺は2,500㎡ほどあり流量は立派です。周辺が轟の滝公園として整備されており桜の名所とされるほか、近くに嬉野茶交流館「チャオシル」という嬉野茶の広報施設(入館無料で茶の歴史や製造工程など資料を展示、喫茶コーナーや体験コーナーもあり)があります。


白石町(しろいしちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

佐賀県杵島郡白石町 人と大地が うるおい 輝く 豊穣のまち 人口21,138人

白石平野、有明海、杵島山とPRキャラクター「しろいしみのりちゃん」が描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下、ミニカー・小型特殊車両を対象に交付されています(ミニバイクとミニカーは従来様式と選択可、小型特殊はご当地ナンバーのみ)。

白石町は佐賀県の中南部にある町で、杵島郡に属しています。2005年に旧白石町、福富町、有明町が合併して新白石町としています。町域東部から南部にかけて広く有明海に面し、干潟や干拓地で知られています。概ね土壌は粘土質で農業好適地となっており、農業や海苔養殖が盛んに行われています。「ゆといもち」と呼ばれる餅を噛まずに飲み込む風習が残っている(保存会の会員のみ、危険なので一般の参加は不可)ほか、県内のレンコン生産のほとんどを占める名産地でもあります。

肥前犬山城展望台は白石町堤にある展望台です。白石平野の西部に連なる杵島山の犬山岳(標高342m)にあり、城の天守を模した展望台になっています(史跡ではない)。この杵島山は「歌垣」という古代歌を掛け合う集会(老若男女の娯楽や求愛の場であった)が催されていたことで知られているため、周辺は歌垣公園という公園になっており、八重桜やツツジの名所とされています。

道の駅 しろいしは、白石町福富下分にある県道36号の中規模の道の駅です。地場産品を売る「もんごもんご市場」、レストラン、レンタル自転車、加工場などで構成されています。また、隣に「いちごの駅(岸川農園)」という観光農園があり、シーズンにはいちご狩りを行っています。

縫ノ池(ぬいのいけ)は白石町湯崎にある池です。湧水による池で、「金妙水」と呼ばれる湧き水が汲めるようになっています。この池は800年以上当地にあり、住民に親しまれてきた池ですが、1958年に干上がってしまい無くなってしまいました。その後40年以上経た2001年に再び湧出し、水をたたえるようになったといいます。この池の北側に須古城跡、杵島城跡が残っています。


基山町(きやまちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

佐賀県三養基郡基山町 ~集い ふれあい 助け合い~「みんなで創る 人と自然が輝くまち きやま」 人口17,363人

隣接する鳥栖市のものと同じデザインです。基山町イメージキャラクター「きやまん」と鳥栖市イメージキャラクター「とっとちゃん」、「なかよく まちづくり」の文字が描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています(従来様式と選択性)。

基山町は佐賀県の東端にある町で、三養基郡(みやきぐん)に属しています。同町は佐賀県にありますが、福岡都市圏の一角であり福岡市や久留米市のベッドタウンにもなっています。また、九州自動車道と長崎自動車道が通り隣接する鳥栖市とともに九州の自動車交通の要でもあります。おおむね町域の西側は脊振山地(せふりさんち)及び丘陵地帯で、東側の平地に市街を成しています。宝満川の支流がいくつか流れるため水利に恵まれており、戦前までは農業のまちでしたが、戦後には交通の便を活かして工場の誘致をすすめました。現在では第三次産業及び製造業が主要な産業となっています。2014年の日本創成会議において、2010-2040年の若年女性の変化率が-62.1%と推計されたため消滅可能性都市の指摘をされていますが、現在はやや持ち直しているようです。茶・みかん・ぶどう・ハム・エミューの肉や羽根(縁起物とされる)・酒などを特産品としています・

大興善寺は基山町大字園部にある天台宗の寺院です。寺伝によれば、聖武天皇の勅願により717年に行基によって創建されたものとされています。ヒラドツツジを主としてツツジ5万株が植栽されており、春には「つつじ寺」として親しまれる寺院で、木造の広目天・多聞天立像2躯が重要文化財(旧国宝)に指定されています。また、モミジも多いため秋には紅葉の名所となります。

基肄城(きいじょう/きいのき)は福岡県筑紫野市と基山町にまたがる古代山城です。665年、白村江の戦いで敗れた大和朝廷が太宰府の南の守りとして築いたものとされています。当時は長さ4kmにもわたる土塁や石積みがあったようですが、現在は多くが流失しています。このほか水門や通水溝などの遺構が残っており、学術的な価値が高い史跡です。また、史跡の中部は史跡巡りができるよう歩道が整備されています。

基山ラジウム温泉は基山町小倉にある入浴施設です。一般の銭湯にかなり近いレトロかつ小さな施設で、お湯は単純放射能泉で無色透明無臭、温度はぬるめです。関節痛や筋肉痛に効能が高いといわれています。

本福寺(基山町)は基山町宮浦にある真言宗系(光明念佛身語聖宗)の寺院です。前述の基肄城は894年の遣唐使の廃止の後、軍事的な意味合いが薄れ仏教の修行場となっていきました。同寺院はいわゆる観光寺として知られていて、写経や座禅(阿字観)、茶道や生花、滝行といった豊富なお寺体験とお寺カフェがあります。また、同寺院に向かう道路の脇に当地の特産品の一つであるエミューが飼育されている飼育園があります。これは観光施設ではないですが、国内での飼育は珍しいエミューが見られます。


鳥栖市(とすし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

佐賀県鳥栖市 住みたくなるまち 鳥栖 -“鳥栖スタイルの確立”- 人口74,229人

隣接する基山町と同じデザインです。基山町イメージキャラクター「きやまん」と鳥栖市イメージキャラクター「とっとちゃん」、「なかよく まちづくり」の文字が描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています(従来様式と選択性)。また、2021年からはアニメ「ゾンビランドサガ」のオリジナルプレートも交付されており、こちらは同アニメの主要キャラクターが駅前不動産スタジアムで観戦している様子が描かれています(ミニバイク50cc以下が対象で400枚の交付)。

鳥栖市は佐賀県の東端にある市です。県内3位の規模を誇る自治体で、九州縦貫自動車道、国道3号など南北の交通軸と九州横断自動車道、国道34号など東西の交通軸が交わる交通の要衝にあります。歴史は古く、ヤマト王権時代(2~3世紀頃)には「鳥巣」と呼ばれており、これが現在の地名「鳥栖」になったとされています。現在の鳥栖市は製造業を主な産業としていて、化学工業や食品の加工を得意としています。福岡都市圏との近さや企業立地などを背景に人口が増加していますが現在は鈍化しており、令和12年くらいから減少傾向に転じると推計されています。

駅前不動産スタジアム(略称:駅スタ)は鳥栖市京町にある球技場です。もともとJR鳥栖駅構内にあった機関区や操車場跡に1996年に造られたもので、サッカー・ラグビー・グランドゴルフ等に利用されています。特にサッカーが有名で、当地のサッカークラブ サガン鳥栖のホームグラウンドとなっています。

中冨記念くすり博物館は鳥栖市神辺町にある歴史民俗博物館です。「田代売薬」といって、18世紀中頃には薬売りが当地の産業となっていたようです。当地に本拠をおく製薬会社 久光製薬もこの田代売薬の係累であり、同博物館は久光製薬の創業145周年を記念して建造されたものです。現代の薬と昔の薬に関する展示を行っているほか、年間を通じ350種の薬草がみられる薬草園が併設されています(大人300円、高・大生200円、小・中生100円)。

御手水の滝(おちょうずのたき)は鳥栖市立石町の九千部山南麓にある滝です。高さ22m、幅6mあり、名称は室町時代から霊場として知られ、修験者がこの滝で手を洗い身を清めたという伝説によります。周辺に遊歩道やキャンプ場、無料の河川プールなどが整備されていて、夏場は涼を求めて多くのファミリーが利用しています。

朝日山公園はJR九州新鳥栖駅の南西側にある公園です。高さ133mほどの朝日山城跡(肥前国、14世紀頃の山城)の城郭一帯が公園として整備されたもので、芝生広場や遊具、あずまやなどがあります。当地の桜の名所として知られるほか、サガン鳥栖が階段トレーニングで利用している290段の階段があります。


神埼市(かんざきし)

神埼市ホームページより

佐賀県神埼市 自然と歴史と人が輝く未来都市 人口30,884人

日の隈山と川、七色の虹を背景に吉野ケ里遺跡のやぐらやハンギー(木製のたらい)にのったPRキャラクター「くねんワン・くねんニャン」が描かれています。合併10周年記念の2016年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

神埼市は佐賀県東部にある市です。2006年に神崎町・千代田町・脊振村が合併して発足したもので、佐賀県10番目の市となっています。市域は南北に長く、北部は脊振山(標高1055m)を中心とした山地、南部が佐賀平野で南に行くほど標高が下がります。神埼市と東側で隣接する吉野ヶ里町にまたがる特別史跡 吉野ヶ里遺跡が有名です。小売・卸売業など第三次産業を主要な産業としています。また市域の1/4程度が耕地で、米・菱の実と菱焼酎・そうめん・アスパラガスなどを特産品としています。

吉野ヶ里遺跡は、神埼市と吉野ヶ里町にまたがって存在する弥生時代の大規模な環濠集落(周囲に堀を巡らせた集落)です。およそ117haの広さにわたる遺跡であり、ガラス製の管玉や銅剣、銅鏡、鉄器などが多数出土している遺跡で、1970年代に一部が破壊されましたが(当時はもっと小さい遺跡だと考えられていた)、現在は田手川東岸と西岸に吉野ヶ里歴史公園が整備され環濠・高床倉庫・竪穴建物・物見櫓などが復元されています。

九年庵(国の名勝)は神埼市神崎町にある邸宅及び日本庭園です。1892年に佐賀県佐賀市出身の実業家 伊丹弥太郎が別邸として築いたもので、9年の歳月をかけて完成したことから「九年庵」と称します。現在は佐賀県が管理運営しており、春と秋に期日を設けて公開されています。佐賀県を代表する紅葉の名所とされています。

水車の里遊学館は神埼市神崎町にある水車に関する資料館・観光施設です。明治30年代の同地区にはおよそ60台の水車があったそうで、現在水車5基と水車小屋2棟が復元されています(実際に製粉・精米が可能)。また、近場の観光スポットを紹介する観光案内所の役割があります。

佐賀のエッフェル塔は神崎市神崎町の県道48号沿いにあります。近くの板金塗装会社の社長が20代の頃に訪れたパリのエッフェル塔の景観に惚れ込んで、5年の歳月をかけて建造したものです(ただし高さは22m)。テレビなどで紹介されたため、当地のB級観光スポットになっています。


江北町(こうほくまち)

江北町ホームページより

佐賀県杵島郡江北町 子や孫に誇れる郷土 江北 人口9,575人

PRキャラクターのビッキーファミリーと稲穂が描かれています。2019年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されていましたが、2022年に追加でミニカー用の水色ナンバーが交付されています(画像はミニカー用)。

江北町は佐賀県の中央部にある町です。かつては長崎街道の宿場町、戦後は石炭の町として栄えた歴史を有する地域で、現在は国道34号と207号、JR九州の佐世保線と長崎本線が分岐するあたりで交通の要衝として栄えています。町域の40%が耕地であり全般に田んぼが目立ちますが、町の北部に工業団地を有し、食品加工(切り餅)や電子部品・デバイスなどの製造業を得意としています。全国的に人口減少が続いているなか人口に大きな増減はなく近年はほぼ横ばいとなっています。米・餅・レンコン・佐賀牛・いちごなどを特産品としています。2022年に当地の中心駅の名称が「肥前山口駅」から「江北駅」に変わっています。

白木パノラマ孔園は江北町山口にある公園です。白石平野と有明海を見渡す高台にあり、アスレチックやターザンロープなどの遊具のほか、キャンプ場が併設されています。無料駐車場があり、有料キャンプ場としては料金が安め(デイ300円、宿泊600円、町内は半額)ということもあり、町内・町外問わず憩いの場として利用されています。近くに白木聖廟という孔子廟があり、1700年頃に日本に渡ったとされる孔子像が祀られています(年に一回、4月に行われる祭りで公開されている)。

花祭いちごの谷は江北町山口にある観光農園です。おおむね1月から5月にかけていちご狩りを行っていて、「いちごさん」(果肉が赤いまだ新しい品種)、「さがほのか」「よつぼし」といった品種のいちごが食べられます。このあたりは田園風景が広がるのどかな地域で、近くに約20万本の彼岸花が群生している場所があり、9月下旬に彼岸花祭りが行われています。

カンカン石は江北町惣領分の国道207号沿いにある石です。讃岐岩(サヌカイト)という岩石で、名称通り香川県坂出市周辺や、大阪~奈良間にある二上山あたりで採れる安山岩です。非常に固く、叩くとカンカンと音がするのでこのように呼ばれます。当地のものは江北町がかつて長崎街道の宿場であった頃、旅人が訪れる名所であったそうです。


原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

福岡県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【福岡県編】

全47都道府県を網羅 掲載市町村区630以上


四輪自動車の地方版図柄入りナンバープレートはコチラ「地方版図柄入りナンバープレート 一覧 (四輪自動車)」または 地方版図柄入りナンバープレート 九州 (四輪自動車)

福岡県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

当サイトの画像は、日本経済研究所さんの承諾を貰って使用しています。コピー・転載は禁止されています。

原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

原付のご当地ナンバー市町村区別目次はコチラ


新宮町(しんぐうまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県糟屋郡新宮町 人が輝き 快適に暮らせる 元気なまち 新宮 人口33,317人

合併60周年記念のロゴマークと立花山・みかん・町営渡船「しんぐう」(右側)、めがね岩(左側)が描かれています。新宮町・立花村の合併60週年記念事業の一環として制作されたもので、2015年に50cc以下200枚が交付されています。

新宮町は福岡県北西部にある町で、糟屋郡(かすやぐん)に属しています。福岡市の北東側に隣接し、東部は立花山(標高367.1m)をはじめとする山地で、西に行くほど標高が下がります。また、西部で玄界灘に面し、相島という面積1.25k㎡ほどの有人島を有しています。現在は福岡市のベッドタウンとして発達していますが、1990年代までは人口増加は緩やかでした。2010年代に駅周辺やNTT社宅跡地など大規模な開発を受け、2010年-2015年で人口増加率22.9%を記録しています。小売業・卸売業や運輸といった第三次産業を主要な産業としていて、国道3号沿いや駅周辺にカインズ、IKEA、ニトリなど大型の郊外型店舗が多く立地しているほか、うどん店の激戦区でもあります。

立花山は福岡市東区・久山町・新宮町にまたがる山です。「筑前名山」と呼ばれる山々の一つで、市街地に近くそれほど険しくないことから、南にある三日月山と同様にハイキングコースとして親しまれています。山頂には1330年に立花氏(大友氏6代大友貞宗の3男、大友貞載を祖とする)が築いた立花山城の石垣が残っています。クスノキの原生林があることで知られる山で、国の特別天然記念物に指定されており巨木が多く見られます。

https://youtu.be/3c2kg9JqJcA

横大路家住宅(国の重要文化財)は新宮町上府にある旧家です。17世紀半ばに建造されたという茅ぶき屋根の曲家で、九州では最も古い民家とされています。805年に唐での留学を終えた最澄(天台宗の開祖)が当地に上陸し、法火と毘沙門天像を授けたとされており、これらを長い間守り続けたことから通称を「千年家」といいます。

相島(あいのしま/あいしま)は新宮海岸から約8kmほど沖合にある有人島です。周囲8kmほどの島で、海岸の一部には海食崖が見られます。新宮漁港から町営の渡船「しんぐう」が出ており、約20分ほどで渡ることができます。この途中で鼻栗瀬(通称:めがね岩)と呼ばれる真ん中にポッカリ穴が空いた高さ20mほどの玄武岩が海上に立つ様子が見えます。また、同島は同じく福岡県にある藍島(こちらも「あいのしま」と読む)と同様「猫の島」(海外テレビで「世界6大猫スポット」として紹介された)として知られていて、猫好きが訪れる観光スポットでもあります。


嘉麻市(かまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県嘉麻市 -母なる遠賀川源流の恵みに満ちたふれあいと安心のまちー遠賀川ハートフル嘉麻の里の創造 人口33,722人

プレート上部に嘉穂三山(馬見山、屏山、古処山をいう。嘉穂アルプスとも)、右側にPRキャラクターの「かまししちゃん」と特産のりんごが描かれています。2016年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

嘉麻市は福岡県中部、筑豊地方の南部にある市で、2006年に旧山田市、稲築町、碓井町、嘉穂町の1市3町が合併してできたものです。歴史的には戦国時代後期までは秋月氏の支配を受け、その後秋月藩(福岡藩の支藩)ができると黒田氏の所領となっています。他の地区法地域と同じく明治から昭和前期まで石炭産業で大いに栄えたため、いくつかの炭鉱の遺構が残っています。現在は製造業を主要な産業としていますが、市域の72%程度が山林や耕作地で、比較的に農林業と畜産が盛んな土地柄です。牛肉・牛乳・いちご・ぶどう・りんご・梨などを特産品としています。

道の駅 うすいは嘉麻市上臼井の福岡県道90号穂波嘉穂線沿いにある中型の道の駅です。国道に面しているわけでもなく、登録日も2005年と道の駅としては古い部類ですが、レストラン・菓子屋・パン屋・たこ焼き屋など一通りそろった施設になっています。当地は内陸部なのですが、鮮魚の品揃えが良いようです。周辺に当地出身の画家 織田廣喜(おだ ひろき)の作品を展示する織田廣喜美術館があります。

嘉麻市梅林公園は嘉麻市下山田の安国寺の裏山にある公園です。400本ほどの梅が植栽されていて、鹿児島紅梅・豊後梅・南高梅・林州梅・信濃小梅・信濃大梅・鶯宿梅といった多様な梅が見られます。花期の早春には接待所が出てお茶がふるまわれたり、甘酒や梅もち、梅干しなどが販売されています。

九州りんご村は嘉麻市の南部の馬見山中腹あたりをいいます。当地の農家が減農薬栽培で果樹(梨・りんご)を育てている地域で、りんご狩りを行っている果樹園もあります。カフェや菓子屋も出ていて、当地のちょっとした名所といったところです。


赤村(あかむら)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県田川郡赤村 英彦山の清流と緑豊かな山々に囲まれた村 DO YOU 農? 緑と清流とほたるの里 人口2,627人

夕日を背景に森の主「源じいさん」が運転するトロッコ列車が描かれています。2016年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

赤村は福岡県東部筑豊地域にある村で、田川郡に属しています。福岡市から東40km、北九州市から南30kmほどのところにある村で、英彦山(1,199m)付近を源流とする今川(2級河川)流域や山間部を村域としています。1960年まで筑豊炭田からの石炭積み出しを行った田川線(現:平成筑豊鉄道田川線)が走り、この鉄道は九州最古の鉄道トンネルなど貴重な構造物を有しています。産業は農業が主体ですが、観光鉄道のトロッコ列車や岩石山(=がんじゃくやま、古来からの修験者の修行場で奇岩が多いことで知られる)への登山口であるため、第三次産業も主要な産業となっています。また、春と秋に「DO YOU 農?」という農村体験が行われているほか、ホタルの生息地としても知られています。

源じいの森は赤村赤の平成筑豊鉄道田川線源じいの森駅周辺をいいます。宿泊・研修施設・レストランが入る「ほたる館」にキャンプ場と温泉入浴施設が併設されています(泉質はアルカリ性単純泉)。

赤村のトロッコ列車「赤村トロッコ油須原線」は、炭坑用に建設が開始されたものの、石炭需要の低下により開業することの無かった幻の鉄路を復元したものです。現在は観光鉄道として冬季を除く日曜日に月1回程度運行しています。炭坑時代の面影や赤村に残る大自然を満喫できます


広川町(ひろかわまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県八女郡広川町 古から受け継がれる文化と 豊かな環境が心を癒すまち いまこそ集い 未来へつなごう 人と笑顔とふれあいのまち 広川 人口19,339人

広川町商工会青年部のまちおこしキャラクター「広川まち子ちゃん」が描かれています。また、下側藍色のラインの内側に60周年記念を祝う文言が英語で入っています。2017年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

広川町は福岡県南部にある町で、八女郡(やめぐん)に属しています。同じ書き文字で「広川町」は和歌山県有田郡にも存在しますが、そちらは「ひろがわちょう」と読みます。福岡県と佐賀県にまたがる広大な筑後平野の東端部にあたり、町の東部は山地、西部に国道3号と九州自動車道が南北に走るため西側に市街が集中しています。主要な産業は製造業で、広川中核工業団地や広川IC近くに久留米・広川新産業団地を有しています。また、交通の要衝ということもあり運輸業も多いです。そのほか、町域のおおむね2割弱が耕地でいちご・梨・ぶどう・八女茶やガーベラや電照菊など花卉が生産されています。

太原のイチョウ(たいばるのいちょう)は広川町久泉にあるイチョウ林(いわゆる「イチョウ並木」ではない)です。ぶどう園の周辺に100本ほどのイチョウがあり、県内では非常に有名な紅葉スポットとなっています。当該地区は私有地ということですが、所有者が好意で開放しています。紅葉というとモミジの赤い色合いが思い浮かぶと思いますが、あたりを黄金色に染めるイチョウの紅葉もなかなかのものです。

広川町古墳公園資料館(こふんピア広川)は広川町一條の広川町古墳公園内にある石人山古墳と弘化谷古墳についての資料・遺物を展示、解説する資料館です。この石人山古墳には石人(武装した凝灰岩製の石像)や石棺があります。古くから知られていたようで「石人を撫でると体の痛みがとれる」とされ、長らく撫でたり打ったりされてきたために石人の表情や上半身の装飾などが不鮮明になっています。

逆瀬ゴットン館は広川町水原にある施設です。1995年に「水車と青石垣の里」としてオープンしたもので、直径7mの水車がゆったりと回っています。現在はつき臼4基、挽き臼1基が稼働しておりそばや米をついています。また、この水車で挽いたそばが食べられるそば屋が併設されています。


北九州市(きたきゅうしゅうし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県北九州市 みらい つなぐ 北九州 人口922,762人

市の花のひまわりと環境マスコットキャラクターの「ていたん&ブラックていたん」が描かれています。2018年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

北九州市は福岡県北部にある市です。本州の下関まで約650mまで迫る九州の入り口であり、約93万人が住む九州第2位の規模を誇る市です。歴史的には九州の玄関口として栄えた背景があり、かつては「四大工業地帯」と呼ばれた北九州工業地帯の中核地域です(現在はシェア・出荷額の低下により外れている)。1901年に設置された官営八幡製鉄所を皮切りに製鉄・造船・重化学工業など重厚長大の工業が発達しましたが、同時に公害と長らく戦ってきた歴史をもちます。現在の北九州市は第3次産業が主体の商業都市ですが、いまもなお製造業が比率としては大きな割合を占めます。また、藍島・馬島・白島(男島・女島の両島をいう)などの有人島を有しています。

小倉城(勝山城、続・日本百名城181番)は北九州市小倉北区にある城跡です。1569年に毛利氏によって築かれたもので、その後の江戸時代前期に初代小倉藩主になった細川忠興によって大規模な改修を受けています。現在は復興された天守や庭園に松本清張記念館などがあり、隣接する勝山公園(桜の名所とされるほか図書館がある)ともども市のシンボルとして親しまれています。

旦過市場(たんがいちば)は前述小倉城の東側にある市場です。「北九州の台所」とも呼ばれるほどの大規模な市場で、青果・鮮魚・惣菜・精肉店など200店舗以上が集積しています。もともと大正期に神嶽川(かんたけがわ)の魚の荷揚げ場として成立したもので、昭和30年ごろの木造建築が多く見られます。

門司港レトロは北九州市門司区にある観光スポットです。1995年にオープンしたもので、かつて横浜・神戸と並び国際貿易港として栄えた門司港の周辺を大正時代調に整備したものです。また、実際にJR門司港駅(1914年築、国の重要文化財)や北九州市旧大阪商船(国の登録有形文化財)などが残っています。また、九州鉄道記念館や関門海峡ミュージアムといった文化施設があります。

河内藤園(かわちふじえん)は北九州市八幡東区にある私営の植物園です。春の藤の時期と秋の紅葉期にのみ営業している植物園で、3,000坪の敷地を有し110mの藤のトンネル、藤のドームなどがあります。以前は「多くの観光客が来ると藤を痛める」ということでCMなどは行っておらず知る人ぞ知る名所でしたが、2012年に海外インターネットサイトで「実在する世界の美しい場所10」「世界の絶景10」として紹介され、一躍有名になりました。全22種の藤を有し樹齢100年を越えるものもあるなど、大変貴重な場所です。

藍島(あいのしま)は北九州市小倉北区の北西12kmほどのところに浮かぶ有人島です。小倉北区3丁目にある小倉渡場から小倉航路という市営の渡船(こくら丸、小倉-藍島-馬島)が出ています。主に漁業を中心産業とする島で、ウニやアワビ、サザエなどが水揚げされているほか、多くの地域猫が暮らす「猫の島」としても有名で猫好きや釣り客が訪れる島です。


福津市(ふくつし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県福津市 人を、明日を、誇るまち。福津。 人口68,473人

2017年にユネスコ世界遺産登録された「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産のPRのためのもので、構成遺産である新原・奴山(しんばる・ぬやま)古墳群とPRキャラクターの「ふんちゃん」、「オーロ君」という馬が引く馬車が描かれています。2018年からミニバイク50ccを対象に交付されています。

福津市は福岡県北部の宗像地域にある市です。およそ北九州市と福岡市の中間に位置し、東に山地、西側を玄界灘に挟まれた恰好になっています。もともと1961年に八幡製鐵(現:日本製鉄)の社員団地が建造されて以来、高度経済成長期にベッドタウンとして規模を拡大してきました。2000年あたりに人口減少に一度転じていますが、2012年頃から再び人口が増加傾向を示しています。海岸線に福間海岸や海水浴場を有し、「九州の湘南」といわれるほどの風光明媚な土地柄です。卸売・小売業や運輸、宿泊・飲食サービスなど第三次産業を主要な産業とする一方で、農林業や漁業も行われています。あんずやミニトマトを特産品としています。

宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)は福津市宮司元町にある神社です。およそ1700年前に神功皇后が朝鮮半島に渡る際に当地に祭壇を設け、船旅の安全を祈願したことが始まりとされる神社です。一年に2回、参道の男坂と夕日がまっすぐに並ぶ様子を「光の道」といい、2016年に放送された日本航空のCMで大変有名になりました。現在も光の道が現れる2月下旬・10月下旬に「夕日のまつり」が開催され、年間200万以上の参拝客が訪れています。また、境内に移築した古民家群や菖蒲園を有しています。

新原・奴山古墳群(国の史跡)は福津市奴山にある5世紀後半~6世紀後半の古墳群です。東西800mほどの丘陵地に前方後円墳5基、方墳1基、円墳41基が現存しています(田圃開発によって18基が失われたことが確認されている)。古代の海洋豪族 宗像氏の関係者が埋葬されていると考えられています。観光地としては開発されておらず、だだっ広い丘という様相ですが、菜の花・ひまわり・コスモスなどが植栽されており、当地の花の名所として親しまれています。

大峰山自然公園(東郷公園ともいう)は福津市渡(わたり)にある展望公園です。玄界灘にせり出した渡半島にあり、晴れた日には沖ノ島・小呂島・壱岐の島などの島々を見渡すことができます。また、対馬沖で行われた日本海海戦(1905年、大日本帝国海軍連合軍-ロシア帝国海軍)の記念碑と、戦艦三笠(大日本帝国海軍連合軍の旗艦であった)の砲弾、主砲先端がある東郷神社があります。自然公園北側には恋の浦海岸(県の天然記念物)という海岸があり、動植物の化石が多く埋まっていることで知られています。


糸島市(いとしまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県糸島市 古代都市「伊都国」 人も元気 まちも元気 新鮮都市いとしま 人口98,877人

(左から)市花のハマボウ、桜井二見ケ浦の夫婦岩、国宝の内行花文鏡とPRキャラクター「いとゴン」が描かれています。2015年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

糸島市は福岡県西部にある市です。2006年に前原市、二丈町、志摩町が合併して発足した市で、福岡市の西側、佐賀市の北側に隣接します。北部は玄界灘に突き出た糸島半島、南部は佐賀県との県境となる脊振山地の山塊となっています。2つの県庁所在地に隣接することから住宅地や商業地が開発されており、緩やかに人口増加を続けています。「魏志倭人伝」に登場する「伊都国(いとのくに)」があった場所と考えられており、「万葉集」や「和名抄」に怡土郡(いとぐん)として登場するなど古墳が多い地域です。現在の主要な産業は第三次産業になっていますが、比較的に漁業が盛んで、志摩テクノパークという工業団地も有しています。牡蠣、牛肉・豚肉・鶏肉・卵や生乳といった畜産物、あまおうなどを特産品としています。また、有人島の姫島(人口147人)を有し、市営渡船で連絡しています。

桜井二見ヶ浦の夫婦岩(筑前二見ヶ浦とも)は糸島市志摩の福岡市との境あたりにあるもので、海岸から150mほど離れた位置に高さ11~12mほどの夫婦岩が立っています。これらは当地の櫻井神社の社地であり、イザナギとイザナミを祀るものとされています。三重県伊勢の二見ヶ浦が「朝日の二見ヶ浦」と呼ばれるのに対し、こちらは「夕日の二見ヶ浦」として知られおり、夏至頃になると夫婦岩の間に夕日が沈む光景がみられ、絶景と評されています。

白糸の滝(糸島市)は羽金山の中腹にある滝です。全国にある同名の滝と同じく岩肌を白い糸のように流れる繊細な滝で幅12m、高さ24mあります。周辺には約10万株のあじさいが植栽されており、駐車場・レストラン・トイレなどが整備されているほか、5月~9月にはヤマメ釣りやそうめん流しが行われています。

雷山千如寺大悲王院(せんにょじだいひおういん)は糸島市雷山にある真言宗大覚寺派の寺院です。この寺が建つ雷山(らいざん、標高954.5m)は古来より雷神が鎮座する山と考えられ、最盛期には300もの僧坊が建っていたそうです。同寺は樹齢400年の大楓(県の天然記念物)で知られ、木造千手観音立像と木造清賀上人坐像(ともに国の重要文化財)を有しています。

芥屋海水浴場は糸島市芥屋(けや)にある砂浜です。水の透明度が高く「快水浴場100選」に選ばれているほか、近くに芥屋の大門(けやのおおと、国の天然記念物)と呼ばれる日本最大の玄武岩洞があり、遊覧船も出ています。また、近年では芥屋の大門公園内の遊覧船乗り場北側にある小道の続く樹林地が「糸島トトロの森」と呼ばれて人気が出ています。

伊都国歴史博物館は糸島市井原にある博物館です。市内の平原遺跡をはじめとする8つの遺跡から発掘された出土品を展示しています。平原遺跡の出土品のうち銅鏡40、内行花文鏡2、玉や鉄鍬などは国宝に指定されており、とりわけ直径46.5cmの大型の内行花文鏡が有名で、三種の神器の一つ、八咫鏡(伊勢神宮内宮に奉安されている)との関連性が指摘されています。


岡垣町(おかがきまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県遠賀郡岡垣町 住みたい・住み続けたい みんなが輝く 元気なまち 岡垣 人口30,865人

プレート右側に三里松原の海岸と特産品のびわをモチーフにしたイメージキャラクター「びわりんとびわすけ」やフルーツ、ウミガメが描かれています。2014年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

岡垣町は福岡県北部にある町で、遠賀郡(おんがぐん)に属しています。北九州地域を構成する自治体の一つで、北九州市小倉地区に30km、福岡市に40kmと比較的近い位置にあるため両市のベッドタウンとして開発が進み、昭和初期から平成にかけて人口増加を続けて発展してきましたが、現在は減少傾向に転じています。卸売・小売業など第三次産業を主要な産業としているほか果樹の栽培が盛んで、とくにびわ(「高倉びわ」という)の生産量では県下1位を誇ります。町内の水道の85%ほどを天然の地下水で補っていることが自慢です。

三里松原は岡垣町と隣接する芦屋町にまたがる海岸線にある松原で、玄海国定公園内にあります。全長6km、幅は最大で1.3km(430ha)に及ぶ広大な松原で、江戸時代前期から砂や塩から農作物を守るために植樹が続けられてきたと考えられています。砂浜にはアカウミガメが産卵に訪れることがあるほか、ハマグリの生息地(現在ハマグリが住む海岸は減少しつつあり、流通する3/4ほどがチョウセンハマグリ)でもあります。

ゆうれい坂は岡垣町内浦にある成田山不動寺の桜並木の間にある坂です。全国各地にある同名ないし「お化け坂」などといわれるものの一つで、実際は上り坂ですが奥に急勾配の上り坂があるため、目の錯覚により下り坂のように見えるという現象が起きます。

波津港は岡垣市波津にある漁港です。いわゆる「観光漁港」というものではないのですが、キス、チヌ、メバルなど豊富な魚種が釣れ、足場も良いため宗像地域では人気の釣りスポットとなっています。波津海水浴場に隣接しており、フェミリー向けの釣りスポットとして利用されることが多いです。


みやこ町(みやこまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県京都郡みやこ町 交流と連携により ともに夢を描く 共生・協働のまち 京都地域の明るい未来を目指して 人口17,869人

桃色の丘を背景にPRキャラクターの「みやっこ君」と町花のサクラ(右側)が描かれています。2013年からミニバイク50cc以下を対象に2,000枚が交付されています。

みやこ町は福岡県北東部にある町で、京都郡(みやこぐん)に属しています。2006年に豊津町・犀川町・勝山町が合併したもので、北は北九州市小倉南区、南は大分県と接する南北に細長い町域を有しています。およそ京都平野と呼ばれる平野部と山地で構成されており、筑豊地域(福岡県の中央部)と京都地域を結ぶ峠が2つあるため、交通の要衝となっています。製造業を主要な産業とするほか、平野部では農業が盛んに行われており、勝山米やたけのこを特産品としています。律令時代の豊前国の国府ならびに国分寺・国分尼寺があった地域とされています。

豊前国分寺三重塔はみやこ町国分にある三重塔です。律令時代に全国の国府に建設された国立寺院のシンボルであり、このような三重塔は現在日本に13塔が残ります。当地のものは戦国時代に戦火によって失われ、現在建っているのは明治29年に再建されたものです。高さ23.5mと三重塔としては奈良法起寺に次ぐ高さを誇る大きな塔で、外壁面には12星座が彫刻されています。

みやこ町国府跡公園はみやこ町国作(こくさく)にある公園です。奈良時代に置かれた国の役所跡を歴史公園としたもので、遊具のほかに復元した講堂基壇跡(僧侶が行事を行ったり、経典を講義するための場所の基となる部分)があります。また、周辺にみやこ町国分の郷という農産物直売所があり、地場産品を販売しています。

よってこ四季犀館はみやこ町犀川生立(さいがわおいたつ)にある農産物直売所です。四季折々の果実、野菜(赤村と旧犀川町柳瀬でとれる柳瀬ごぼうが有名)、高冷地米のほかイノシシ肉や鹿肉といったジビエの加工品(レトルトカレーなど)を販売しています。


宗像市(むなかたし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県宗像市 海・山・川に育まれ、教育・文化と歴史がいきるコミュニティのまち宗像 人口97,079人

プレート上部に水平線と沖ノ島、右下側に宗像大社の屋根が描かれています。2013年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

宗像市は福岡県北部宗像地域にある市です。おおむね福岡市と北九州市の中間に位置し、交通アクセスが良いため両市のベッドタウンとして発展してきた地域です。古代には宗像氏という海洋豪族が統治した地域で、朝鮮半島や中国との貿易で栄えたといいます。また、九州本土から60kmほど離れた沖ノ島(ユネスコ世界文化遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産の構成要素の一つ)、2005年に編入した大島といった島嶼部を有します。おおむね卸売・小売業など第三次産業を主要な産業としていますが、釣川(二級河川、藁人形が河童に変じたという伝説があり、「まんが日本昔ばなし」で紹介された)周辺では農業が盛んに行われています。

宗像大社は宗像市にある宗像三女神(『古事記』や『日本書紀』に登場する航海の安全や交通安全などを祈願する神様)を祀る神社です。沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮で構成されています(沖津宮と辺津宮は直線で49km離れている)。主に本土側にある辺津宮が知られており、周辺にレストランや海の道むなかた館(世界遺産「沖ノ島」宗像と関連遺産群のガイダンス施設)などがあります。

沖ノ島は九州本土から北北西60kmほど離れた場所に浮かぶ周囲4kmほどの島です。島全体が神領とされており女人禁制、男性でも一般人は5月27日の大祭以外は基本的に上陸が認められていません。古墳時代前期の4世紀頃からヤマト国の国家的な祭祀が行われてきたとされており、古代の祭祀跡22箇所から約8万点と大量の出土品があったため、「海の正倉院」とも呼ばれています。

道の駅 むなかたは宗像氏江口にある国道495号の道の駅です。2008年に開業したもので、駐車場500台と超大規模の施設になっており、九州の道の駅では最大の売上を誇ります(2017年時点)。物産館・レストラン・ソフトクリームやからあげなどを提供するテイクアウトの店・パン屋・観光案内所・展望デッキなどで構成されていて、「ここしかない」という施設は有していません。玄界灘の海産物や野菜など純粋に地場産品の良さで業績をあげていると考えられます。

大島(「筑前大島」とも)は宗像氏神湊港から北西6.5kmに浮かぶ有人島です。神湊港からフェリーが出ています。宗像大社中津宮や展望所、牧場、御嶽山展望台、沖津宮遥拝所、海洋体験施設うみんぐ大島(釣り用の防波堤やヨット・クルーザーなどの停泊所、釣り堀を有する)などがあります。


芦屋町(あしやまち)

芦屋町

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県遠賀郡芦屋町 魅力を活かし みんなでつくる 元気なあしや 人口12,987人

背景に洞山、右部に芦屋釜をモチーフにしたPRキャラクター「アッシー」が描かれています。2015年からミニバイク50cc以下~125cc以下、ミニカー・小型特殊車両を対象に交付されています。

芦屋町は福岡県北部にある町で、遠賀郡(おんがぐん)に属しています。一級河川 遠賀川の河口に位置し、町域の真ん中をこの川が通るため、町の東部と西部がなみかけ大橋や芦屋橋によって繋がれています。また、航空自衛隊の芦屋基地が町域の大部分を占めます。卸売・小売業など第3次産業を主要な産業とする町で、比率としては低いものの農業や漁業も行われています。2002年に過疎地域に指定されていますが、近年は北九州市若松区と隣接する遠賀川東岸で宅地開発が行われつつ、商業地区や公園なども整備されてベッドタウンの様相を強めています。一方で、交通の便が悪い西岸地区では人口減少が続いています。

芦屋海浜公園は遠賀川西岸の芦屋海水浴場に隣接する総合公園です。遊具や水泳用のプール、バーベキュー場などがある公園で、毎年砂像展が行われています。また、観光協会の建物が園内にあり、自転車のレンタルを行っています。

洞山(どうやま)は芦屋町山鹿の海岸にある島です。芦屋町山鹿の沿岸部から堂山(どうやま)>洞山と2つの島が陸続きになっていて(満潮時以外は歩いて渡れる)、全体に半島のようになっています。この洞山には高さ10m、幅12m、奥行き30mの穴がポッカリとあいており、神功皇后(14代天皇)が戦の折に必勝を祈願して矢を射ると島を貫通し、これが長年のうちに大きな穴となったとされています。また、手前の堂山に平家一門の追悼のため造られたとされる石塔群が残っています。

芦屋釜は、14世紀頃から16世紀にかけて遠賀川河口付近で造られた鋳鉄製の茶の湯の釜です。端整な形と優美な文様が特徴で、現在国の重要文化財指定されている茶の湯釜9点のうち8点が芦屋釜です。江戸時代初期に一度製作が途絶えましたが、当地に芦屋釜の復興に取り組む施設「芦屋釜の里」があり、芦屋釜復興工房、芦屋釜の資料館のほか、日本庭園や大小の茶室が設けられています(入園料大人200円、呈茶300円)


大任町(おおとうまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県田川郡大任町 花としじみの里 人口4,911人

町の中心部を流れる彦山川と桜、町花の椿と菜の花、しじみをモチーフにしたPRキャラクター「しじみの大ちゃん」が描かれています。2016年からミニバイク50cc以下と90cc以下を対象に交付されています。

大任町は福岡県中央部にある町で、田川郡に属しています。筑豊地域を構成する自治体の一つでかつては石炭の産出地として栄えていましたが、現在では過疎化が進行しています。彦山川で採れるしじみや町おこしの一環として整備されている桜並木で知られています。国道や鉄道からは離れた全体に田んぼが目立つ田園地域で、おおむね商業が主要な産業になっています。また近年、町政の場において不祥事がたびたび発生しています。

道の駅 おおとう桜街道は大任町今任原(いまとうばる)にある県道52号沿いの道の駅です。37,000㎡の敷地面積を有する大型の道の駅で、物産館、温泉入浴施設(薬石湯や直径3ミクロンの気泡の浴槽が自慢、含弱放射能-ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉)、レストランで構成されています。また、「一億円トイレ」と呼ばれる豪奢なトイレがあります。

https://youtu.be/1pGj1KmHsVE

サボテンハウスは大任町今任原にある温室・植物園です。規模は大きなものではないですが、サボテンなど多肉植物が約100種・500点ほどが展示されており、希少種を含みます(入館無料)。また、同施設の向かいが公園になっており「レインボーの滝」という人工の滝があります。

彦山川にはシジミが自生しており、同町では「しじみ育成保護条例」が制定されています。毎年10月の最終日曜日に彦山川河川敷の水辺公園で「しじみ祭り」が開催され、この日のみシジミを採ることが出来ます。


大野城市(おおのじょうし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県大野城市 歴史を受け継ぎ 未来へつなげる まどかな市 人口102,796人

市名の由来でもある大野城の石垣とPRキャラクターの「大野ジョー」、「古代の歴史息づく町」の文字、市花のキキョウが描かれています。2012年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

大野城市は福岡県中西部にある市です。福岡市の南側に隣接し、同市のベッドタウンとして人口増加が続いています。市域は市としてはあまり大きなものではなく、南北に細長いひょうたん型で東西の幅1kmほどしかありません。近代においては県の養蚕産業の指導の中核であり、第2次世界大戦中に博多から疎開する人が増えて、博多の下町や米軍の町として大きく発展しました。現在でも第3次産業、とりわけ卸売・小売業の比率が高く商業都市の様相が強いです。

大野城(おおのじょう/おおのき、日本100名城86番)は大野城市・宇美町・太宰府市にまたがる全長約8kmに及ぶ広大な古代山城で、665年に白村江の戦いで大敗した大和朝廷が、唐・新羅連合軍の日本侵攻に備えて築いたものです。現在でも土塁や石垣、城門跡などが残り、国指定の特別史跡に指定されています。この史跡は現在残っているものとしては日本最古の山城といわれています。

大野城市心のふるさと館は大野城市曙町にある地域歴史博物館です。「歴史・こども・にぎわい」をテーマに、大野城跡の百間石垣の高さを体感できる7mのウォールクライミングや滑り台、ボールプール、昭和の暮らしコーナーといった設備があります。また、体験工房では折り紙や昔の遊びのワークショップを行っています。「ミュージアム」という括りになりますが、こどもの遊び場としての機能が充実しています(入館無料、企画展は有料)。

牛頸ダム(うしくびだむ)は市内を流れる牛頸川(2級河川)に設置された県営のダム(ロックフィルダム)です。ダム周辺に豊かな自然が残されおり、ダムを囲むように「大野城いこいの森 」(キャンプ場併設の公園)があり、夏季にはゲンジボタルの名所とされています。周辺の福岡都市圏は水資源に恵まれておらず、同ダムが水源の一つとして大きな役割を果たしています。


遠賀町(おんがちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県遠賀郡遠賀町 水と緑の町 おんが の~んびり遠賀 ~豊かな故郷をめざして~ 人口18,587人

豊かな水と緑をイメージした背景に、虹とPRキャラクターの「おんがっぴー」が描かれています。2014年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

遠賀町は福岡県北部にある町で、遠賀郡に属しています。九州北部を流れる一級河川 遠賀川の河口に近いところにあり、北九州市と福岡市の中間辺りになります。かつては「古遠賀潟」と呼ばれる内海が川の沖積により干潟となり、さらには江戸時代に盛んに埋め立てが行われたたことで、町域は肥沃な田園地帯となっています。現在でも比較的に農業が盛んではありますが、主要な産業は製造業と商業に移っています。夢れんげ(米)・ふき・いちじく・赤しそといった農産物を特産品とし、おおむね国道3号沿い沿いにあるゆめタウン遠賀(ショッピングモール)を中心に発展していますが、近年は人口増加はなくほぼ横ばいとなっています。

遠賀川温泉は遠賀町浅木にある温泉です(塩化物泉)。九州八十八湯めぐりのひとつで、遠賀川にほど近い田んぼの中に入浴施設があります。湯は赤茶色でやや鉄の臭いがするもので、鉄分・ナトリウム・マンガンなどを豊富に含んでいます。

九州北部は弥生時代に本格的な水田による稲作が始まった場所です。このとき貯蔵道具として使われていた「遠賀川式土器」も全国へと伝播します。この土器の出土した場所や年代を調べることにより水田稲作の広がりの様子がわかります。当地には古墳も多く残されていて、島津・丸山古墳群という5基の古墳群があり、史跡公園「島津・丸山歴史自然公園」として整備されています。


添田町(そえだまち)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県田川郡添田町 豊かな自然と歴史のこころがつくる活力のあるまち 自然と文化の融合 悠久の時の流れる中で 人口8,121人

PRキャラクターの「ひこちゃん・ゆずちゃん」と町花のシャクナゲ、「歴史と文化の町」の文字が描かれています。2014年から50cc以下のミニバイクを対象に500枚が交付されています。

添田町は福岡県の中央東部にある町で、田川郡に属しています。北部九州の最高峰 英彦山(ひこさん、標高1,199m)を境に大分県と接し、森林が83%ほどを占める山間部の町です。他の筑豊地域の例に漏れず、石炭産業が栄えた1955年ごろには28,000人ほどが住んでいましたが、現在は過疎化が進行しています。このため、農業など第一次産業はもとより木材・食品の加工など第二次、第三次産業の全面で就業者が減少しつつあり活気を失いつつあります。ゆず胡椒・こんにゃく・いちじく・飲料水(英彦山サイダー)などを特産品としています。

英彦山は、山形県の羽黒山、奈良県の大峰山と共に日本三大修験山に数えられる山です。古来から山伏が修行を行う霊場で、勾配がきつく300段以上の石階段が続きますが、スロープカーがあり英彦山神宮まで気軽に参拝できるようになっています。

道の駅 歓遊舎ひこさん(かんゆうしゃひこさん)は、添田町野田にある県道52号の小規模の道の駅です。JR九州の歓遊舎ひこさん駅に隣接するもので、レストラン(和食・韓国料理)・物産館・餅屋と駐車場のシンプルな構成です。また、「こどもわくわくパーク」という遊具が多い公園を有しています。

岩石城(がんじゃくじょう)は添田町と隣接する赤村の境あたりにある城跡です。平清盛が1158年に大庭景親に築かせたとされる城で、石垣や堀、井戸の跡などが残っています。この城は「豊前一の堅城」「難攻不落」といわれるほどの堅守の城であったようですが、菊池氏・大友氏・大内氏・秋月氏・豊臣秀吉に攻め落とされています。山麓には模擬天守が建築されており(実際の史跡とは位置が異なる)、一階が美術館になっています(入館無料)。


筑後市(ちくごし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県筑後市 みどりと文化の市民都市、市民が主役のまち 緑に恵まれ、活力と笑顔あふれる協働のまち 筑後市 人口48,535人

九州新幹線とPRキャラクター「はね丸」(電車先頭)と、「パネコ・ポネコ」姉妹が描かれています。また、市名の左側に市政60周年記念と「恋のくに」の文字が入っています。このデザインプレートは2014年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付され、現在は交付が終了しています。

筑後市は福岡県南部にある市です。筑後平野の中央に位置する田園都市・平野の都市であり、市域の5割弱が耕地です。また、当地には羽根の生えた犬(豊臣秀吉の愛犬とも、天下統一を目指す秀吉の道行きを阻んだともいわれる)の伝説が残ることから、JR九州羽犬塚駅(はいぬづかえき)が市の中心部となります。河川が多く、水利に恵まれているため古くから米・麦・い草などが生産されています。また、交通の利便性を活かして製造業が盛んに行われており、現在の主要な産業となっています。戦後~1970年まで人口減少を続け、それ以降は人口が増加しています。現在はほぼ横ばいとなっており、将来の推計も大きな減少は予測されていません。

筑後広域公園は筑後市とみやま市の矢部川右岸にある県営の公園です。192.8haと広大な敷地を有し、ホテル・芸術文化交流施設・バーベキュー広場・プールやテニスコートなど運動施設・水路などを有しています。また、公園内に九州新幹線筑後船小屋駅、HAWKSベースボールパーク筑後(福岡ソフトバンクホークスの二軍・三軍が利用)が開設されています。

水田天満宮は筑後市水田にある神社です。当地に太宰府天満宮の荘園で菅原一族の大鳥居氏が支配する水田荘があったことから、1226年に鎮守として創建されたものとされています。境内末社に恋木神社(こいのきじんじゃ)という全国では唯一恋命(こいのみこと)という神様を祀るものがあり、縁結びの神様として有名です。

船小屋温泉は矢部川の右岸と対岸のみやま市にあるもので、筑後市側を船小屋温泉郷、みやま市側を新船小屋温泉と呼びます。全体でホテル・旅館など10軒ほどがあり、温泉とはいうものの冷鉱泉(含鉄炭酸泉)であるため加温して浴場としています。また、飲泉にも向くため飲泉場があります(鉄臭くてあんまり美味しくないとのこと)。


那珂川市(なかがわし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県 筑紫郡那珂川町 水と緑、暮らしがとけあう町 なかがわ~キラリと光るまちづくり~  人口49,561人

那珂川の流れに町の花・木・鳥をあしらったもので、筑紫シャクナゲ、ヤマモモ、カワセミが描かれています。那珂川町時代に交付されたもので2013年から2018年にミニバイク50cc以下を対象に交付されました。

那珂川市は福岡県中西部、筑紫地域にある市です。もともと那珂川町という筑紫郡に属する町でしたが、2010年に人口5万を突破し、2018年に市に格上げとなりました。福岡市の南側、春日市の西側に隣接し、福岡都市圏を構成する自治体の一つです。市の中心を市名の由来にもなった那珂川(二級河川、那珂川水系の本流)が南北に貫流し、「筑紫耶馬溪」と呼ばれる南畑ダム周辺や中之島公園があるなど水に恵まれた土地柄です。産業は卸売・小売業など商業が中心ですが個人店舗が主体であり、大型複合商業施設と呼べるものはありません。また、工業もさほど盛んではないうえ耕地面積・農業従事者も一貫して減少傾向にあります。おおむね福岡市のベッドタウン化が進んでいる地域と考えられます。ヤーコン(「アンデス・ポテト」などともいう。健康食品として知られる野菜だが、調理法はあまり知られていない)という根菜とその加工品を特産品としています。

中ノ島公園は那珂川市市ノ瀬の国道385号沿いにある公園です。那珂川上流の川辺、及び中洲を整備したもので、周辺地域では川遊びや森林浴などで大変有名な公園となっています。「かわせみの里」という農産物直売所、農産物加工所、コミュニティスペースを有し、夏場はホタルの名所とされるなどたくさんの観光客が訪れます。

裂田の溝(さくたのうなで、疏水百選)は那珂川市にある灌漑用の用水路です。日本最古の農業用水路として知られるもので、長さ5.6kmにわたって水路が続きます(現在でも農業用水が取水されている)。いつ頃のものかは判然としませんが、「日本書紀」に記載されており最低でも1300年以上前のものであろうとされています。用水路周辺に散策路や裂田溝公園が整備されており、11月中旬に夜間ライトアップが行われています。

源泉野天風呂 那珂川清滝は那珂川市南面里(なめり)にある日帰り温泉施設です。那珂川上流に湧き出る温泉(単純温泉)であり、滝見露天風呂や備長炭風呂、桧風呂など高規格の浴槽を多数有しています(その分お値段高め)。


みやま市

出典元「日経研調べ ご当地プレート

福岡県みやま市 幸せ創る晴れのまち みやま 人口34,482人

みやま市の四季をイメージした桜・紅葉・山並みとPRキャラクターの「くすっぴー」が描かれています。2012年から50cc以下のミニバイクを対象に交付されています。

みやま市は福岡県南部にある市です。2007年に瀬高町、高田町、山川町の3町が合併してできた市で、面積105,21k㎡、市の南西部は有明海に面しており、このあたりは干拓によってできた土地です。また、北部~西部を矢部川が流れており、古くはこの流れを用いた舟運で発展した地域で、現在でも酒造りが行われています。農業を基幹産業とし市域の4割弱が耕地ですが、人口減少が続いているため耕地の維持が難しくなってきています。2013年に市内の商工業者に呼びかけ、自治体自ら出資をすることで自治体新電力の会社を初めて設置した自治体で、ゼロ・ウェイスト、ゼロカーボン宣言を行っています。

清水寺(きよみずでら)はみやま市の山手、瀬高町本吉にある天台宗の寺院です。平安時代の初め頃、唐から帰国して間もない最澄が一羽の雉に導かれて合歓(ねむ)の霊木を見つけ、千手観音の木像を作ったことから開山したとされています。また、周辺ではこの故事にちなんだ郷土玩具 きじ車が作られています。室町時代に雪舟によって作庭されたとされる本坊庭園があり、紅葉の名所とされています。

道の駅 みやまは国道443号の中~大型の道の駅です。海苔・野菜(セロリが特産)・みかん・牛肉・酒・鮮魚など地物が販売されています。観光案内所を併設していてフードコートもカレーやピザ、ソフトクリームや鯛焼きなど選ぶ程度には店舗があります。

大力うどんは、みやま市瀬高町坂田の国道209号沿いにあるうどん屋です。とかく安いことで有名な店舗で、肉うどんで390円、月見やきつねうどんは260円という安さです(これでも2020年に値上げした)。大人気店舗なので平日でも行列ができますが、回転がよいためさほど長く待たされず、「安い・早い・うまい」を実現しています。

新船小屋温泉はみやま市瀬高町長田にある冷鉱泉です。おおむね矢部川対岸の船小屋温泉と同じもので、長田鉱泉場という施設があり、鉱泉を汲むことができます。20円で5リットル程度の冷泉が汲めます(施設の様子がわかる動画)。これは炭酸水であり、焼酎やカルピスなどを割るのに用います。週末には鉱泉の駅という販売所が出ています。


宇美町(うみまち)

宇美町ホームページより

福岡県糟屋郡宇美町 いきいき のびのび 誇れるまちづくり 自然と歴史をまもり、みんなが安心して暮らせるまち・宇美町 人口37,403人

町制百周年記念のデザインナンバープレートです。町章と百周年記念ロゴ、宇美八幡宮と大野城跡の百間石垣、町花ツクシシャクナゲが描かれています。2021年にミニバイク50cc以下を対象に300枚が交付されており、うち245枚が交付済みとなっています(2023年1月6日時点)。

宇美町は福岡県中西部にある町で、糟屋郡(かすやぐん)に属しています。福岡市に近く同市のベッドタウンとして開発が進んだため、1990年に人口3万人を越えるなど人口増加が続いていましたが、現在はほぼ横ばいで推移しています。かなり歴史が古い地域で、「魏志倭人伝」に「不弥国(ふみこく)」として記載された地ではないかという説や、日本最古の古代山城 大野城(665年)などがあります。おおむね製造業と卸売・小売業など商業のバランスがとれた町ですが、第一次産業は従事者数や耕地面積など減少傾向にあります。また、都市開発が盛んに行われた経緯から建設業が比率としては多いです。

宇美八幡宮(うみはちまんぐう)は宇美町宇美にある神社で、神功皇后(第14代天皇 仲哀天皇の正妃)が三韓征伐の帰途にこの地で応仁天皇を産んだことから、「うみ」という地名になったようです。その後の鎌倉時代初期あたりから安産の神として信仰されるようになりました。境内には応神天皇が浸かったという「産湯の水」や「子安の石」と呼ばれる安産祈願の石、湯蓋の森(ゆふたのもり、国の天然記念物)という樹齢二千年以上と推定される大楠や、「子安の木」として知られる槐(エンジュ)があります。また、周辺に宇美町立歴史民族資料館や醤油や日本酒の醸造所などがあります。

大野城は福岡県宇美町、太宰府市、大野城市にまたがる全長8kmにも及ぶ古代山城です。近世の天守を持つ城と違い山を土塁や石垣で囲んだもので、石垣のなかでも最大の百間石垣(長さ150m以上)は大野城を代表する遺構です。

一本松公園(昭和の森)は宇美町の東部一本松林道沿いにある公園です。一本松池と池にそそぐ宇美川の支流を中心に川遊び場やアスレチック・キャンプ場などがあります。春~夏はバーベキューや川遊びに、冬は河原谷(難所ヶ滝)の大つららを見るための登山道の拠点となっています。


大牟田市(おおむたし)

大牟田市ホームページより

福岡県大牟田市 やさしさとエネルギーあふれるまち・おおむた 人口106,660人

三井三池炭鉱の宮原立坑の櫓とPRキャラクター「ジャー坊」が描かれています。2017年の市制100周年を記念したもので、同年からミニバイク50cc以下を対象に1,000枚が交付されました。現在は交付終了となっています。

大牟田市は福岡県の南端にある市です。東部に三池山・大間山など200~300mほどの小高い山々が並び、西部で有明海に面しています。かつては三井三池炭鉱の石炭資源を背景にした石炭化学工業の都市として栄えましたが、1997年に同炭鉱が閉山したため現在は往時の半分程度の10万人都市となっています。現在の産業は卸売・小売業や観光業などに推移しつつありますが、主要な産業は製造業となっています。また、夏祭りの「おおむた『大蛇山』まつり」という催事が有名で、毎年40万人ほどが観覧に訪れています。

三井三池炭鉱と三池港は、当時の石炭産業を代表するものとしてUNESCOの世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成要素になっています。三池炭鉱は1997年に閉山しましたが、宮原(みやのはら)立坑の櫓は国の重要文化財及び史跡として残っており、ビデオやボランティアの方々による当時の解説が行われています。

大牟田市石炭産業科学館は大牟田市岬町のイオンモール大牟田の隣接地にある、エネルギー資源に関する科学館です。当地が石炭産業で栄えた歴史をもつため、概ね石炭の炭鉱や暮らしに関する石炭化学製品といった展示を行っています。また、屋外展示場で石炭や作業員を運搬した貨車や電車も展示されています(観覧料:高校生以上420円、中学生以下無料)。

大牟田市動物園は大牟田市昭和町にある動物園です。「動物福祉を伝える動物園」というテーマの動物園で、2019年の映画「いのちスケッチ」のロケ地であることから、「延命動物園(映画に登場した動物園の名)」という呼び方をされることが多いです(入園料:高校生以上500円 小・中学生100円)。園内に大牟田市ともだちや絵本美術館や子供向けの遊園地などがあります。

大牟田市天然温泉 最高の湯は大牟田市新勝立町(しんかつだちまち)にある温泉入浴施設です。市内初となる100%天然温泉の入浴施設で、館外にトレーラーハウスの宿泊施設を有しています。泉質はPH9.8のアルカリ性単純温泉で無色透明、16種類の浴槽とサウナがあります。


太宰府市(だざいふし)

太宰府市ホームページより

福岡県太宰府市 歴史とみどり豊かな文化のまち 人口72,580人

「令和発祥の都」の文字と市花の梅、PRキャラクター「旅人たびと、れいわ姫、おとものタビット」のイラストが描かれています。2021年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

太宰府市は福岡県中西部筑紫地域にある市です。福岡市の南東16kmほどのところにあり、市域北部に四王寺山脈、東部に愛嶽山~宝満山に連なる三郡山地、南西に大佐野山などがあり起伏豊かな地域です。7世紀後半に九州一円の統治・軍事・外交機関として大宰府が置かれていたあたりで、その後は大宰府天満宮の門前町として発達、戦後の高度経済成長期には福岡都市圏のベッドタウンとして開発されたため人口が増加しています。現在の太宰府市は卸売・小売など商業・サービス業が主要な産業であり、太宰府天満宮や大宰府政庁跡など特別史跡・史跡を有するため、年間に800~1000万人の観光客が訪れる観光都市/福岡都市圏のベッドタウンとなっています。

太宰府天満宮は太宰府市宰府(さいふ)にある神社です。903年に大宰府で没した菅原道真を祀るために創建されたもので、神仏分離までは安楽寺天満宮といいました。現在は京都の北野天満宮とともに全国の天満社の総本社・菅原道真の霊廟として親しまれています。菅原道真が梅を好んだ人であったことで、当地も梅の名所とされ神木の飛梅は樹齢1000年を超えるといわれています。周辺は門前町が発達し、梅ヶ枝餅など菓子やファーストフードが販売されているほか、境内東側にだざいふ遊園地があります。

九州国立博物館(九博)は太宰府市石坂にある博物館です。前述の太宰府天満宮裏の丘陵地に建っています。2005年に開館した歴史系博物館で、30,085㎡の延床面積をもつ九州最大の博物館です。旧石器時代から近世末期までの歴史資料を幅広くあつかうほか、アジア地方各地との文化交流を推進する拠点としての役割をもっています。

大宰府政庁跡は太宰府市観世音寺にある特別史跡です。大宰府は奈良・平安時代には九州全体の統治機関として機能していたようで、現在の太宰府市・筑紫野市あたりが想定されています。この大宰府(筑紫大宰府)の中心的な場所として都の宮殿のような政庁が建っていたと考えられています。公園入口に大宰府展示館、正殿跡の北西側に元号の「令和」の発祥の地となった坂本八幡宮があります。

宝満宮竈門神社(かまどじんじゃ)は上宮は宝満山の山頂(829.6m)、下宮は宝満山の麓にある神社です。673年に創建されたと伝えられる神社で、大宰府の東北にあることから大宰府の鬼門封じとして崇敬を受けていました。また、神仏習合が進んだ平安期以降は西国の天台宗寺院を代表するものとなり、宝満山全体が修験の道場であったようです。紅葉の名所でもあり、もみじが色づく時期になると境内のライトアップが行われています。


原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

高知県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【高知県編】

全47都道府県を網羅 掲載市町村区630以上


四輪自動車の地方版図柄入りナンバープレートはコチラ「地方版図柄入りナンバープレート 一覧 (四輪自動車)」または 地方版図柄入りナンバープレート 四国 (四輪自動車)

高知県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

当サイトの画像は、日本経済研究所さんの承諾を貰って使用しています。コピー・転載は禁止されています。

原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

原付のご当地ナンバー市町村区別目次はコチラ


土佐清水市(とさしみずし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県土佐清水市 愛と自然に満ちた活力あるまち 人口11,506人

自治体名上に「さかなのまち」の文字、足摺岬灯台とサバを釣り上げる漁師が描かれています。2016年から50cc以下のミニバイクを対象に400枚が交付されています。

土佐清水市は高知県南西部にある市です。高速道路や鉄道が通っておらず、移住キャッチフレーズに「遠いだけのことはある!」を採用するなど大消費地からは遠く、東京から移動に最も時間がかかる場所とされていします。市域は東部から南部にかけて広く太平洋に接し、南東部に足摺岬があります。土地柄漁業が盛んですが、近年は海岸線の風景や歴史を背景に宿泊・飲食サービス業など観光業も行われており、産業は第3次産業が主体になっています。交通の便が悪いことから急速に少子高齢化が進んでおり、現時点では高齢者が半数以上を占めます。ぽんかんや小夏など柑橘と鮮魚を特産品としており、特に清水サバが有名です。

足摺岬は土佐清水市の南東部の太平洋に突き出た岬です。足摺宇和海国立公園の一部で、太平洋に落ち込む断崖は高さおよそ80mほどです。足摺岬灯台周辺は公園として整備されていて、中浜万次郎(ジョン万次郎)の銅像があるほかレストランや鮮魚店などが出ています。また、周辺に四国八十八ヶ所38番の金剛福寺や白山洞門(海蝕洞)があるほか、温泉地でもあり万次郎足湯や「足摺温泉郷」と呼ばれるホテル・温泉宿群ながあります。

足摺海洋館SATOUMIは土佐清水市三崎の竜串海岸近くにある県立の水族館です。「土佐の海と黒潮の魚たち」をテーマに1975年に開館したもので、2020年にリニューアルされています。周辺の竜串海岸は砂岩や泥岩が重なったものが波や風に洗われたことによってできた景勝地で、底面がガラスで珊瑚や魚が見れるグラスボートや観光汽船などが出ているほか、足摺海底館があります。

道の駅 めじかの里 土佐清水は土佐清水市三崎にある国道321号の小規模の道の駅です。駐車場とトイレに鮮魚店・レストラン・カフェといった施設で構成されています。また、公園と水産加工の工場を有しています。2023年4月29日に指定管理者が変わり、新店舗でリニューアルオープンしています。

ジョン万次郎資料館は土佐清水市養老にある資料館です。当地で生まれたジョン万次郎(日本人としては初めて米国を訪れたうちの一人で、通訳・土佐藩藩校の教授などを通じ、日米の通商や坂本龍馬など多くの藩士に影響を与えた)の生涯や捕鯨に関する資料などを展示しています。また、土佐清水市中浜にジョン万次郎生家(茅葺き木造平屋)が復元されています。


越知町(おちちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県高岡郡越知町 コスモスのまちへようこそ 人口4,819人

自治体名上に「コスモスと仁淀ブルーのまち」の文字、横倉山と仁淀川、PRキャラクターの「よこジロー」が描かれています。2016年からミニバイク50cc以下を対象に300枚が交付されました。

越知町は高知県中西部にある町で、高岡郡に属しています。標高300m~1,000mほどの石鎚山系(四国最高峰の石槌山を主要な峰とする山脈)に囲まれた中山間の地域で、愛媛県と高知県を流れる1級河川 仁淀川が町域の中央北よりを流れています。農業や林業を基幹産業とする町ですが、過疎化が深刻であるため活気を失いつつあります(平均年齢62.9歳で町民の5割弱が高齢者)。「仁淀ブルー」と呼ばれる仁淀川の滝壺や淵、牧野富太郎(植物学者)がよく訪れたといわれる横倉山県立自然公園など豊かな自然が残るほか、「壇ノ浦の戦いから当地に安徳天皇が逃れてきた」という伝説があります。

仁淀川は愛媛県・高知県を流れる1級河川で、流域面積1,560km、日本一の水質を誇る川です。その水の青さを「仁淀ブルー」と呼びます。ラフティングやカヌー、キャンプなど夏場の水遊び場として知られる川です。また、この川には多くの沈下橋が架かっており、越知町には浅尾沈下橋・片岡沈下橋・中仁淀橋があり、観光スポットになっています。

宮の前公園は越知町越知丙にある公園です。キャンプ場を併設した施設で、夏には当地の夏祭り/花火大会の「によどかあにばる」が行われるほか、町花のコスモス150万株が植栽されているため、秋にはコスモスの名所となります。また、西側に横倉山自然博物館という博物館があり、横倉山の地質・歴史・植生など生態系についての展示を行っています。


梼原町(ゆすはらちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県高岡郡梼原町 雲の上の町 人口3,233人

ナンバープレートの白地を雲に見立て、雲海に浮かぶ山なみと風力発電の風車が描かれています。また、ひらがなの「ゆすはら町」を採用しています。町制50周年を記念したもので、2016年から50cc以下のミニバイクを対象に交付されています。

梼原町は高知県西部にある町で、高岡郡に属しています。町北部に日本三大カルストの一つ四国カルスト高原を有し、町域全体が標高220m~1,455mと高地の町で、町域の9割強が森林地、残りを居住地や耕地としています。主要な産業は農業と林業で、牧場や棚田が目立ちます。米・しいたけ、鮎・アメゴといった川魚を特産品とし、近年ではイタドリの葉を茶などに加工してこれも特産品としているようです。また、文化的景観として「四万十川流域の文化的景観 上流域の山村と棚田」に神在居(かんざいこ)の千枚田が選ばれています(日本の棚田百選)。

梼原町は建築家/デザイナーの隈 研吾氏(くま けんご、木材を多く利用し「和の大家」として知られる)が設計した建築物が多く建っています。梼原町総合庁舎・まちの駅ゆすはら・雲の上のギャラリー・雲の上のホテル ・雲の上のレストランなどです。どの建物も木の温もりを重視した建築となっています。

道の駅 ゆすはらは国道197号沿いにある中型の道の駅です。レストランや売店など通常の道の駅の施設のほか、温泉の入浴施設やホテル、温水プール、ギャラリーなどが併設されたものとなっています。レストランにキジ肉やイノシシ肉といったジビエを使ったメニューがあります。

維新の門(群像)は梼原町川西路の和田城跡近くにある銅像群です。梼原町にゆかりのある6名の志士の像に坂本龍馬と沢村惣之丞の二名をあわせた8つの銅像が建っています。当地の中心地にある観光交流案内所・町立歴史民族資料館から歩いて5分ほどのところにあります。


芸西村(げいせいむら)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県安芸郡芸西村 小さくても元気で輝くむら・園芸の村 人口3,603人

「小さくても元気で輝く村」の文字とPRキャラクターの「よカッパ」、「COCOROちゃん」などが描かれています。2016年から50cc以下のミニバイクを対象に交付されています(下一桁4,9下二桁42番は欠番)。

芸西村は高知県南東部にある村で、安芸郡に属しています。北部が山地、南部で土佐湾に面する村で、主要な産業は農林漁業といった第一次産業ですが、林業や漁業は過疎や高齢化が激しく衰退傾向にあります。ピーマンやナス、華みょうがなどを特産とするほか、花卉園芸が盛んで、スターチス、ブルースターの品種「ピュアブルー」、トルコギキョウといった主に切り花用の花が生産されています。2002年に土佐くろしお鉄道のごめん・なはり線が開業し、当地には西分駅・和食駅が開設されました。

琴ヶ浜(芸西村)は当地の太平洋沿岸、西分駅-和食駅の間あたりにある長さ4kmほどの白砂青松の海岸です。同名の砂浜では島根県の鳴き砂の琴ヶ浜が有名で、こちらはあまり知られていませんが、夏場は海水浴場が設置されたり和食川河口部に「琴ヶ浜かっぱ市」という直売所があったりします。また、琴ヶ浜西側の西分海岸周辺に太平洋を一望できる「シーハウス」というレストランがあり、四国八十八景の一つとなっています。

よさこい温泉は芸西村西分甲にある温泉です。一軒宿の「ロイヤルホテル土佐」で利用されています(日帰り入浴可)。地下1,000mから湧出するナトリウムー塩化物泉(無色透明)で、洞窟湯やつぼ湯、海洋深層水を利用した露天風呂などがあります。


室戸市(むろとし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県室戸市 うるおいと活力に満ちた海洋文化都市 土佐の東の最先端、光輝く海の恵み。空海、海洋深層水の町 人口10,853人

室戸岬灯台とだるま太陽、海と特産品のビワが描かれています。2018年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています(下一桁4は欠番)。

室戸市は高知県の東側にある市です。53kmに及ぶ海岸線を有し、市全域が室戸ユネスコ世界ジオパークであり、室戸岬(室戸半島)やホエールウォッチング、水産業などで知られる自治体です。漁業の衰退とともに人口流出に歯止めがかかっておらず、昭和30年代には3万を越えていた人口が現在は1万強と大幅に減少しています。また、黒耳地区は日本一早い露地びわが採れるビワの産地として知られており、このビワを「黒耳びわ」といいます。

室戸岬は室戸市岬町の室戸半島の先端部をいいます。紀伊水道と土佐湾を分ける岬で、小高い海岸段丘と海食によって生じた様々な奇岩があるため、観光名所になっています。この岬に室戸岬灯台という白亜の鉄製灯台があり、これは明治32年に初点灯し現在も現役の灯台で、11月上旬に室戸岬灯台まつりというイベントが行われています。

むろと廃校水族館は室戸市岬町にある水族館です。名称通り廃校になった椎名小学校を水族館としたもので、屋外プールや各教室に当地の定置網などにかかった魚やウミガメを展示しています。規模の大きい水族館とはいえませんし辺鄙な場所にありますが、跳び箱やAEDのケースなどを水槽に改造したものなどがあり独特の雰囲気があるため、当地の名所の一つになっています(入館料:大人600円 小中学生300円)。

室戸世界ジオパークセンターは室戸市岬町にあるビジターセンターです。2015年に設置されたもので、室戸ユネスコ世界ジオパークの紹介をするシアターのほかカフェやおみやげ・ソフトクリームなどを売るショップを有する施設で、自転車の貸出も行っています。

道の駅 キラメッセ室戸は室戸市吉良川町丙にある国道55号の小規模の道の駅です。物産館・レストランといった通常の施設のほか「キラメッセ室戸鯨館」という捕鯨に関する資料館を併設しています(入館料:大人500円、小~高校生100円)。また、当地は広く海に接することもあり室戸ドルフィンセンターの近くに海の駅 とろむという船舶係留所・レストランなどを備える施設があります(2021年に一旦閉店したが、市が買い取って再開している)。


黒潮町(くろしおちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県幡多郡黒潮町 人が元気、自然が元気、地域が元気 -黒潮町- 人口10,322人

自治体名上に町のキャッチフレーズの文字が入り、背景に入野海岸をプリントしたものです。2018年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

黒潮町は高知県南西部にある町で、幡多郡(はたぐん)に属しています。自治体名通り広く太平洋に面した地域で、塩屋の浜・入野海岸・浮津海水浴場など海岸の景観やマリンアクティビティで知られています。町域の3/4ほどを林野が占め、おおむね海岸線沿いに市街をなしています。第一次産業を基幹産業としており、農業・漁業ともに盛んに行われています。1980年をピークに人口が減少傾向にありますが、交通の便を考慮すると比較的緩やかといっていいでしょう。カツオとその加工品である缶詰、らっきょう、黒砂糖や天日塩などを特産品としています。

入野海岸(いりのかいがん)は黒潮町入野の海岸をいいます。長さ4kmほどの砂浜で「月見ヶ浜」という別名でも呼ばれています。海水が砂の上に薄く膜のように広がるため、水が鏡のように空を映す「リフレクション(リンク先はリフレクション写真の撮り方の動画)」などと呼ばれる写真が撮れることで知られています。また、5月上旬にはTシャツアート展という全国から送られたTシャツを風にはためかせる催し、9月にはキルト展が行われています。

道の駅 なぶら土佐佐賀は黒潮町佐賀にある国道56号の小~中規模の道の駅です。海岸線ではなく伊与木川の河畔にある道の駅で、当地ではカツオの一本釣りが盛んに行われているためカツオのたたきが名物です。また、同道の駅から北側2kmほどの旧中村街道沿いに熊井隧道(選奨土木遺産)という1905年開通の延長95.6mの自然石とレンガでできたトンネルがあります。

道の駅 ビオスおおがたは黒潮町浮鞭(うきぶち)にある国道56号の小規模の道の駅です。物産館/レストランと周辺の土佐西南大規模公園(前述の入野海岸・入野松原なども含む)の情報を発信する情報館で構成されています。こちらの道の駅もやはりカツオを使った料理で知られていて、メニューにカツオバーガーなどがあります。


南国市(なんこくし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県南国市 土佐のまほろば/土佐の玄関交流都市 みんなで築く 健康で安心な いきいき文化交流・産業拠点のまち 人口45,921人

市鳥の長尾鶏(オナガドリ)をあしらったものです。市制60周年記念として2019年にミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に300枚が交付されています(下一桁4,9は欠番)。

南国市は高知県中東部にある市です。高知市の東に隣接する自治体で、県内では2番めの規模を誇ります。もともと律令時代の土佐国府が置かれていたあたりで、かつては土佐の中心地でした。現在の南国市は卸売・小売業など第3次産業を主要な産業としていますが、県庁所在地に隣接する地域としては農業が盛んに行われています。高知空港(高知龍馬空港)を有するほか、国道32号・55号・195号や鉄道が通り、高知県内の交通の要衝となっています。シャモ・葉ニンニク・トマト・ナス・四方竹(切り口が四角形の筍)などを特産品としています。

高知空港(高知龍馬空港)は南国市の南東部、物部川河口周辺の田園の中にある地方空港です。1944年に旧日本海軍の高知海軍航空隊の基地として建設されたもので、戦後の接収と接収解除を受けて1954年から民間機が就航しています。年間利用客数140~150万人(全国27位くらい)ほど、滑走路(2,500m)一本の小規模な空港ですが、高知県は全体として交通アクセスに恵まれていないことがあり、同県の空の玄関口として親しまれています。

道の駅南国風良里(なんこくふらり)は南国市左右山にある国道32号の中規模の道の駅です。レストランやJA高知の直売所のほか、観光案内所やシンボルのからくり時計などで構成されています。おおむね地場産品だけでなく、四国全体ないし高知県全体の土産物を販売しているほか、土地柄カツオのたたきやたこ焼きなどが人気のようです。

西島園芸団地は南国市廿枝(はたえだ)にある果樹園です。600坪の規模を誇る施設で、いちご・トマト・メロンといった作物のほか、熱帯植物・多肉植物類・洋蘭・ハーブ類など200種ほどの花が育てられており、いちご狩りなど観光農園としての機能と植物園としての機能を併せ持っています。また、園内にカフェや園芸店を併設しています。

土佐国分寺(国の史跡)は南国市国府にある真言宗智山派の寺院です。四国八十八ヶ所霊場の二十九番札所であり、奈良時代に聖武天皇の勅令で、全国の国分寺の一つとして建立されたもので、こけら葺の金堂と梵鐘や木像薬師如来立像などが重要文化財に指定されています。また、美しく手入れされた庭園を有し、桜や紫陽花、牡丹、萩といった四季折々の花が見られるため「土佐の苔寺」とも呼ばれています。


日高村(ひだかむら)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県高岡郡日高村 日本の高知のほどよい田舎/歴史とメダカの里 人口4,632人

右側にPRキャラクターの「もへいくん」、左側に山並みとコスモスが描かれています。当地出身の漫画家がデザインしたもので、2013年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

日高村は高知県の中央部にある村で、高岡郡に属しています。高知市から西に16kmほどのところにあり、水質の良さで知られる四国の1級水系 仁淀川の右岸にあります。山がちな高知県全体からすると比較的傾斜が緩やかな地域で、農業が盛んに行われておりフルーツトマトや茶、米、しょうが、芋けんぴなどを特産品としています。仁淀川観光の屋形船が出ているほか、日下川調整池(めだかが多いことから「めだか池」ともいう)という県内最大となる湿地帯があるため、水生植物や渡り鳥の宝庫として知られています。

村の駅ひだかは日高村本郷にあるサービスエリアです。「村の駅さんさん市」、カフェ、レストラン、観光案内所などで構成される道の駅的施設で、国道33号沿いにあります。大規模な道の駅と比べると小さく感じますが、リニューアル時に物販スペースを2倍近くに広げたこともあり商品は豊富です。また、併設のレストランではトマトが特産品ということでオムライスを提供しています。

猿田洞は日高村沖名にある洞窟です。全長1,420mあり、そのうち200mほどがケイビング用に開放されています。村のPRキャラのモデルとなった日下茂平(豪商・豪農から金品や米を盗んで貧しい人に分け与えたため「土佐のねずみ小僧」ともいう)という人物がここで修行を行い、法術を会得したという伝説が残っています。


香美市(かみし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県香美市 輝き・やすらぎ・賑わいをみんなで築くまちづくり 人口25,236人

全て故やなせたかし(アンパンマンの生みの親)が描いたもので、㊤龍河洞と「龍河洞リューくん」㊥特産品のゆずと「ゆずぼうや」㊦桜と「さくらてんし」のデザインになっています。2014年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

香美市は高知県北東部にある市です。2006年に香美郡香北町・土佐山田町・物部村が合併して発足した自治体で、県内の市としては唯一海に面していない内陸の自治体です。高知県の7.6%に及ぶ広い市域を有しますが、土地の9割弱が森林であるため南西部の南国市側にある平野部に人口が集中しています。農林業を基幹産業として発展し、木材の加工や土佐打刃物と呼ばれる鍛造品の製作、「フラフ」という鯉のぼりと共に揚げる幟(のぼり)の製作が地場産業として根付いています。また、アンパンマンの生みの親として知られる故やなせたかしの父方の実家があることから、市立やなせたかし記念館(アンパンマンミュージアム)があります。

龍河洞(国の天然記念物、史跡)は香美市土佐山田町にある鍾乳洞です。日本三大鍾乳洞の一つとして知られるもので、全長4kmのうち約1kmが開放されています。約1億7500万年の歳月が多くの鍾乳石を作り出しているほか、弥生土器や炉端跡などが発見されて考古学的にも重要な洞窟です。とくに「神の壺」と呼ばれる2000年の歳月により弥生土器と鍾乳洞が一体化した景観が知られています。また、周辺に龍河洞博物館や珍鳥センター、龍河洞情報館(案内所)が併設されています。

香美市立やなせたかし記念館は香美市香北町美良布にある美術館です。1996年に開館したもので、アンパンマンミュージアム、詩とメルヘン絵本館、別館で構成されるアンパンマンの世界や絵本・漫画、おもちゃなどを展示/紹介する施設です。おおむね当地の中心市街地にあり、道の駅 美良布(国道195号沿い)とやなせたかし記念公園が隣接しています。

べふ峡温泉は香美市物部町にある温泉です。一軒宿の「べふ峡温泉」があり、日帰り入浴もやっています(一般800円 小人400円、香美市民は半額)。泉質は炭酸水素塩泉で、冷鉱泉を沸かしたものになります。また、剣山国定公園内にあり近くに景勝地として知られるべふ峡があります。


高知市(こうちし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県高知市 森・里・海と人の環 自由と創造の共生都市 高知 人口318,859人

㊤鳴子とはりまや橋が描かれたもの。㊦桂浜と坂本龍馬のイラスト。共に2013年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

高知市は高知県中部にある市です。市域は北側で急峻な四国山地、南側で浦戸湾、土佐湾など太平洋に面しています。高知県では人口の一極集中化が起きており、同市が県全体の半分弱の人口を占めます。2005年に土佐山村・鏡村、2008年に春野町を併合しているものの、現在は人口が減少傾向にあります。歴史的には江戸時代に土佐藩の藩庁であった高知城の城下町として発展した地域で、現在も城下に中心市街地や商業地区がありますが、商業は郊外化が進んでいます。県庁所在地としては野菜や果樹など農業が盛んに行われる地域です。

高知城(鷹城)は高知市丸の内にある日本の城・史跡です(日本百名城、現存天守十二城の一つ)。高知平野の中心にある大高坂山(標高45m)の上に築かれた典型的な平山城であり、長曾我部元親、山内一豊、山内豊敷らによって改修を受けています。明治維新まで土佐藩の藩庁として機能していました。域内は高知公園として整備されており無料で見学できますが、天守及び本丸御殿の入館は有料です。また、濠の外側に高知県立高知城歴史博物館が隣接しています。

はりまや橋(播磨屋橋)は高知市はりまや町にある長さ20mほどの桁橋です。前述の高知城の東側にある橋で、高知市内の観光名所として知られている一方あまり立派なものではないため「日本三大がっかり名所」の一つなどとされています。この橋は何度も架け変わっていることから、明治・大正期を再現したものなど同名の橋が市内に合計4つあります。「よさこい節」に「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た」とあり、悲恋の物語で知られています。

ひろめ市場は高知市帯屋町にある屋台村です。60店舗ほどの店舗数を有し、和食にとどまらず中華・イタリアン・インド料理といった店舗もあり、「お酒が飲めるフードコート」や「酒呑みの楽園」といった呼び方をされる施設で、当地を代表する観光名所の一つでとなっています。

高知市立坂本龍馬の生まれたまち記念館は高知市上町にある博物館です。幕末の英傑坂本龍馬の生涯や彼が生まれ育った当地の歴史と文化、高知城についての資料を展示しています(入館料:一般300円、高校生以下無料)。また、同記念館の近くに坂本龍馬誕生地の記念碑があります。


四万十市(しまんとし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県四万十市 川とともに生きるまち 人口31,501人

四万十川に架かる沈下橋とサイクリングを楽しむ人のシルエット、うなぎが描かれています。このうなぎは汗をかいており、これは2013年に当地が「暑さ日本一」となったことを表しています。市制施行・合併10周年を記念して作られたもので、2015年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

四万十市は高知県南西部にある市です。2005年に中村市・西土佐村が合併して発足した自治体で、もともと高知県の南西部を占める幡多郡の中心地域です。また、旧中村市は550年ほど前に一条教房(室町~戦国時代の公卿)によって京都を模した町づくりが行われたため、「土佐の小京都」とも呼ばれます。卸売・小売業など商業と農林業を主要な産業としていて、第2次産業の方はあまり元気がありません。また、市域を流れる四万十川の水産と沿岸部に漁港を有していますが、水産業は比率としては少ないです。米・ヒノキ・栗・鮎・川えび、文旦等柑橘などを特産品とするほか、四万十川にそって屋形船など遊覧船の乗り場があります。

道の駅 よって西土佐は四万十市西土佐江川崎にある国道441号の小規模の道の駅です。2015年に道の駅に登録、2016年に開駅となった比較的新しい道の駅で、食堂と地場産品の売り場、ケーキ屋のほか、当地の漁協が「鮎市場」という鮎・うなぎ・つがに・川えびといった水産物を売るスペースを有しています。また、四万十川を挟んで四万十・川の駅 カヌー館(カヌーツアーや体験などを行う施設でキャンプ場を併設)があります。

佐田沈下橋(今成橋)は四万十市佐多にある四万十川に架かる沈下橋です。沈下橋(全国的には「潜水橋」という)とは、あえて増水時に水に浸かることで流木などの衝突によって橋が破壊されないように工夫されたもので、欄干をもたないか非常に低いものになっています。四万十川流域でよく見られ、当地では佐田沈下橋以外に市内に8つの沈下橋を有しています。

安並水車の里は四万十市安並にある水車群です。「四ヶ村溝」(しかむらみぞ)という4つの村に水を分ける目的で堰や溝が造られており、かつては多数の水車が働くさまが見られたといいます。現在15基が復元されており、周辺に公園を整備、また水路に沿って紫陽花が植栽されています。

四万十市トンボ自然公園は四万十市具同にある自然公園です。1985年に開設されたもので、世界初のトンボ保護区として社団法人トンボと自然を考える会が休耕田を利用しています。昔ながらの田園風景を模した園内では、ギンヤンマやチョウトンボといった様々なトンボが見られるほか、「四万十川遊学館 あきついお」という四万十川流域の昆虫や川魚を展示する昆虫館/水族館があります。


土佐市(とさし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県土佐市 自然と文化が息づくまち 人口25,134人

背景に弧を描く水平線、PRキャラクターの「とさごん」と「お竜」が、当地の大綱まつりをイメージした綱を引き合うイラストが描かれています。2015年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています(画像は50cc以下、水平線と空の間の色で種別を表す)。

土佐市は高知県の中部にある市です。愛媛県・高知県を流れる一級河川 仁淀川河口部にある自治体で、同河川の右岸に市街を成しています。また、高知市とは仁淀川を挟んで隣接しています。おおむね第3次産業が主要な産業となっていますが、比率としては農林業が多いです。一方で、漁業は浦戸湾や沖合での海面と仁淀川の内水面にわたりますが、共に衰退傾向にあり現在では川漁師はみられません。和紙・鰹節・竹細工作りなどが伝統的な地場産業となっていおり、特に鰹節(改良土佐節)は土佐市宇佐町が発祥の地と言われています。2023年5月に、市が管理する観光交流施設「南風」において同施設を管理するNPO法人理事が施設内のカフェのオーナーに退去を迫り、市が部分的に責任を認めるなど不祥事が発覚しています。

ドラゴン広場は土佐市高岡にある複合施設(ファーマーズマーケット)です。名称から公園のようなものを連想しがちですが商業施設であり、JAの農産物直売所や鮮魚屋、そば屋、食堂に観光案内所が併設されたまちの駅的な施設になっています。

新居緑地公園は仁淀川河口にある公園です。県内最大のふわふわドームなど遊具が充実した公園で、ヤシやハイビスカスが植栽されているため全体に南国ムードが漂っています。道路を挟んで新居海岸があり、公園側がちょっとした高台になっているため土佐湾が一望できます。また、周辺に海鮮BBQができる店やカフェなどがあります。

青龍寺(しょうりゅうじ、独鈷山伊舎那院青龍寺と称す)は土佐市宇佐町竜にある真言宗豊山派の寺院です。寺伝によれば弘仁年間(810-824年)に空海によって創建されたもので、本尊の波切不動明王は空海の入唐時に遣唐使船が暴風雨に遭った際に、不動明王が現れ波を切って船を救ったとされ、その後空海がその姿を刻んだものであると伝えられています。四国八十八ヶ所霊場の第三十六番札所であり、大相撲力士 朝青龍の四股名の由来にもなっています。

酔鯨酒造(株)土佐蔵は2018年に竣工した同名の日本酒メーカーの製造工場・酒蔵です(土佐市甲原にある)。同社は高知県の酒造メーカーで「酔鯨(すいげい)」などを生産しています。試飲付きの酒蔵見学(一名500円、無料試飲二杯つき)を行っていて、カフェも併設しています。


土佐町(とさちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

高知県土佐郡土佐町 おいでよ、森と水の早明浦へ 人口3,517人

特産品の土佐あかうしのイラストと自治体名上にオレンジ色の文字で「土佐あかうし」と描かれています。2015年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

土佐町は高知県中央北部(嶺北地域)にある町です。森林が86.7%を占める山間部の町で、徳島県と高知県を流れる1級水系 吉野川の源流域にあります。農林業を主要な産業とし、特に畜産が盛んに行われています。また、「四国のみずがめ」と呼ばれる早明浦ダム(さめうらだむ)を有しています。米、杉、土佐あか牛、ゆずの加工品や日本酒などを特産品としており、特に土佐あかうし(土佐褐毛牛)は和牛4品種のうち高知県でしか改良されていないもので、年間300~400頭(肉牛全体の0.1%)ほどしか出荷されていません。

早明浦ダムは土佐町と本山町にまたがる高さ106mの多目的ダムです。吉野川の治水や四国全域にわたる利水を目的に建設されたもので、四国地方最大のダムであり「四国のいのち」とも呼ばれます。右岸・左岸にそれぞれ展望台を有し、土佐町側にキャンプ場が開設されています。もともと記念碑に「四国はひとつ」と刻まれる予定でしたが、当時の高知県知事が「水は一つになったが、他のことはまだ一つになっていない」として「四国のいのち」に変えたというエピソードが残っています。

道の駅 土佐さめうらは国道439号沿いにある小規模の道の駅です。辣油、土佐酒造「桂月」、土佐あかうしを用いたハンバーグ、コロッケ、アイスクリームなどの販売のほか、3月~11月にかけて土佐あかうしのBBQが楽しめるテラスがあります。また、近くに高知の地酒「桂月」を生産する土佐酒造株式会社があります(直売所を併設)。


須崎市(すさきし)

須崎市ホームページより

高知県須崎市 安心で住み心地のよい海洋都市 人口19,505人

かまぼこ型のプレートに、新荘川(しんじょうがわ)をイメージした波とPRキャラクターの「しんじょう君」が描かれています。2018年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています(末尾4,9が欠番)。

須崎市は高知県中央部西側よりにある市です。高知市からは西方37kmほどのところにある太平洋に面した地域で、市内を流れる新荘川はニホンカワウソ(絶滅指定)が最後に確認された川として知られています。製造業や建設業など第2次産業を主要な産業とする一方で、温暖で雨量も多いため農業従事者の比率が多いです。また、市域の3/4ほどが森林ですが人工林が多く林業が盛んに行われています。木製品・竹細工・かまぼこ・ししとう・ピーマン・魚貝類などを特産品としています。沿岸部にリアス式海岸を有し、なかなかに風光明媚な地域ですが観光地としてはあまり知られていません。

道の駅 かわうその里すさきは須崎市下分甲にある国道56号の中規模の道の駅です。レストラン・地場産品の販売所・観光案内所のほか、新荘川河川公園で構成される複合施設で、施設内にあるレストランではカツオのたたきやウツボ料理などを提供しています。また、近くにローソン須崎かわうその里店があり、しんじょう君の巨大なバルーンが立っています。

鳴無神社(おとなしじんじゃ)は須崎市浦ノ内東分にある神社です。ヒトコトヌシを祀る神社で、浦ノ内湾の最奥部にあり、参道が海に向かって伸びているため「土佐の宮島」などと呼ばれることがあります。本殿・幣殿・拝殿が国の重要文化財に指定されています。

高知県水産試験場は須崎市浦ノ内灰方にある水産試験場です。魚類・貝類などの養殖実験を行ったり、指導を行っている施設ですが、一般見学が可能なエリアがあり、海洋ジオラマやパネルの展示を行っている展示コーナーがあります。

土佐黒潮牧場は須崎市浦ノ内出見にある牧場です。中央または地方競馬で功労のあった競走馬を繁養する施設で、現役競走馬の休養も受け入れています。この施設は競馬ファンの個人により開設されたもので、現在は一般の小口支援を受けながら牧場を続けています。午前9~12時まで一般の見学を受け付けており、間近で競走馬を見ることができます。


原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

愛媛県ご当地ナンバープレート紹介・一覧

原付・小型バイクのご当地ナンバー

【愛媛県編】

全47都道府県を網羅 掲載市町村区630以上


四輪自動車の地方版図柄入りナンバープレートはコチラ「地方版図柄入りナンバープレート 一覧 (四輪自動車)」または 地方版図柄入りナンバープレート 四国 (四輪自動車)

愛媛県ご当地ナンバープレートの紹介です。地域の観光・グルメ・道の駅情報なども少し扱っています。

当サイトの画像は、日本経済研究所さんの承諾を貰って使用しています。コピー・転載は禁止されています。

原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

原付のご当地ナンバー市町村区別目次はコチラ


松野町(まつのちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県北宇和郡松野町 森の国 人口3,659人

町のロゴマーク(左上)と桃のイラストが散りばめられたデザインです。2016年から50cc以下のミニバイクを対象に交付されています。

松野町は愛媛県南部の南予地域にある町で、北宇和郡に属しています。周辺地域の中心市街である宇和島市街までおよそ30kmほどのところにある、山林・原野が84%を占める自治体です。町域中心部を広見川、南部を目黒川(双方とも四万十川の支流)が流れ、河岸段丘と渓谷が形成されています。愛媛県の自治体のなかでも少子高齢化が著しい地域で、第1次産業・第2次産業共に衰退傾向にありますが、桃やゆずなどの特産物や足摺宇和海国立公園の滑床渓谷、温泉など観光資源はそこそこあるため観光業が営まれています。

虹の森公園は松野町延野々にある公園です。広見川沿いにある公園を中心に、四万十川学習センターおさかな館、地域物産センターや軽食などがあり、全体が「道の駅 虹の森公園まつの」として国道381合の道の駅に認定されています。また、同公園内にパン屋やガラス製品の体験ができる工房があります。

滑床渓谷(なめとこけいこく)は四万十川の支流 目黒川の渓谷で、愛媛県宇和島市と松野町にまたがっています。12kmにもおよぶ長大な渓谷のうちほとんどは宇和島市になりますが、松野町が観光資源として開発を主導しています。名称通り侵食によるなめらかな川床が特徴の渓谷で、足摺宇和海国立公園の一角を成しています。同渓谷内にある雪輪の滝(ゆきわのたき)が日本の滝100選に選ばれています。

森の国ぽっぽ温泉はJR予土線松丸駅にある温泉施設です。全国でも珍しい鉄道駅舎内にある温泉入浴施設で、足湯や大樽形の露天風呂を有しています(大人520円、中学生320円、小学生160円、65歳以上420円)。泉質は単純温泉(低張性弱アルカリ性冷鉱泉)で、冷鉱泉を地元で採った間伐材をボイラーで燃やして沸かしています。


八幡浜市(やわたはまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県八幡浜市 いま共に育む進取のまちづくり 風とらえ風おこす 人口30,887人

みかんと魚が大きく描かれたデザインプレートです。2016年にからミニバイク50cc以下を対象に各500枚が交付されています(下一桁4,9及び下二桁42が欠番)。

八幡浜市は愛媛県西部にある市です。2005年に旧八幡浜市・保内町が合併して新八幡浜市としています。豊後水道に大きくせり出す佐田岬半島の基部にあたる地域で、北部は瀬戸内海、西部で豊後水道に面し、温暖で斜面が多いことから温州みかんの全国有数の産地となっています。また、フェリーによって大分県別府市・臼杵市と結ばれており、愛媛県の水上交通の玄関口でもあります。耕地面積率25%程度と農業が盛んですが土地柄田んぼは少なく、ほとんどが果樹園です。かつては一大トロール漁業の基地であり、漁業とともに水産加工業が発達しましたが現在は2隻のみが操業しています。また、西部の真穴地区は座敷雛の発祥地とされています。

道の駅 八幡浜みなっとは八幡浜市沖新田にある県道27号沿いにある大規模の道の駅です。みなとオアシスとしても登録されており、地域特産品販売所、鮮魚店、フードコート、パン屋、カフェなど様々な店舗と交流館で構成されています。フェリーターミナルのある八幡浜港と隣接しており、ここから眺める「向灘の段々畑」が四国八十八景に選定されています。

八幡浜黒湯温泉 みなと湯は八幡浜市北浜の北浜公園に隣接する温泉です。名称通り黒褐色のモール泉(低張性アルカリ性冷鉱泉)で、露天風呂・サウナ・檜風呂・岩風呂など多彩な浴槽を有しています。露天風呂の方は塩分を含んだ地下水を利用した塩湯となっています。

八幡浜市は日本での飛行機開発の祖である二宮忠八(明治-昭和期の軍人・飛行研究者)という人の故郷です。この人は陸軍従事中の1889年にゴム動力による「模型飛行器」を製作し、ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物として紹介される人物です。当地に記念館などはありませんが、矢野町に「二宮忠八翁生誕の地」の標石が立っているほか、4月に二宮忠八翁飛行記念大会という飛行機にちなんだ催しが行われています。また、京都府八幡市には二宮忠八が建てた飛行神社があります。


鬼北町(きほくちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県北宇和郡鬼北町 鬼の棲むまち 人口9,162人

PRキャラクターの「鬼王丸」が右側に描かれています。2017年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

鬼北町は愛媛県南部南予地域にある町で、北宇和郡に属しています。2005年に広見町・日吉村が合併して発足した自治体で、鬼ヶ城山系(おにがじょうやま、愛媛県)の北にあることから全国で唯一「鬼」を冠する名称の自治体となっています。農林業を主要な産業とする山間の町ですが、林業は衰退傾向にあります。域内では四万十川の最大の支流 広見川はじめ多くの川が流れるため渓谷が多くみられます。ゆず・きじ・しいたけなどを特産品としています。

道の駅 広見森の三角ぼうしは鬼北町永野市にある国道320号の道の駅です(国道320号と国道381号の交差点付近にある)。小~中規模の道の駅であり、特産品販売所と食堂、青空市で構成されるシンプルな道の駅ですが、海洋堂が制作した鬼王丸像という高さ5mほどの鬼のモニュメントがシンボルとなっています。また、当地はきじ肉が特産ということもあり食堂では熟成きじ肉入りのきじカレーがメニューにあったりします。

道の駅 日吉夢産地は鬼北町下鍵山にある国道320号の道の駅です。前述の広見森の三角ぼうしから20kmほどのところにある道の駅で、規模もおおよそ同じです。また、こちらは柚鬼媛(ゆきひめ)母子像という母子像がシンボルになっています。

安森洞は鬼北町小松にある洞窟です。昔から風穴として知られていた小規模な鍾乳洞で、昭和34年に調査が行われ、30万年前のニホンムカシジカや新種のタヌキの化石など31種の動物の化石が発見されました。現在は観光スポットとなっており、この洞窟から湧き出る水を利用したそうめん流しやニジマスの釣り堀などがあります。


松前町(まさきちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県伊予郡松前町 生きる喜び あふれる まち まさき 人口29,489人

特産品のはだか麦のイラストが描かれています。また、漢字の「松前町」の表記と同時にひらがなで「まさき」と表示しています。2019年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

松前町(愛媛県)は愛媛県西部にある町で、伊予郡に属しています。西側で伊予灘に接し、愛媛県内では唯一山がない全域が平野部の自治体です。かつては漁業が中心的な産業でしたが現在は廃れており、化学繊維や水産加工など加工・製造業が主要な産業となっています。また、農業も盛んではだか麦、たまねぎ、レタス、いちごなどが生産されています。隣接する松山市のベッドタウンとして開発を受けて2005年まで人口が増加傾向にありましたが、現在は減少傾向に転じています。とはいえ、面積が狭い一方で高度に都市化しているため人口密度は四国内では非常に高い水準となっています。義農 作兵衛(伊予の三農とされる農民のうちの一人)の出身地であるため、町内では「義農」とつく事物がいろいろとみられます(義農味噌など)。

エミフルMASAKIは松前町大字筒井にあるショッピングセンターです。2008年に開業した施設で204店舗のテナントを誇り、映画館・銀行・託児所・郵便局なども含まれています(当初の計画では温浴施設が建設される予定だったが、現時点では存在しない)。隣接地に多目的グラウンドや多くの遊具を備える松前公園があります。

塩谷海岸は松前町北川原にある海岸です。松前市と松前町の間を流れる重信川の河口にある干潟から続く海岸線で、従来は2km近くの長さがあったようですが、現在は埋め立てによって半分ほどが消滅し、長さ900mほどになっています。工業団地に隣接していますが、塩性湿地植物やシオマネキなどのカニ、渡り鳥や一年草・多年草の宝庫であるため保全活動が行われています。

ひょこたん池公園は松前町中川原にある公園です。重信川の堤防の下を通る伏流水を利用したひょうたん型の池を中心に屋根付きベンチや遊具などを整備したもので、水生植物を積極的に取り入れています。鯉や鴨、亀などがいるほか桜やひまわりが植栽されており、地域住民に親しまれています。


四国中央市(しこくちゅうおうし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県四国中央市 日本一の紙のまち 人口82,898人

PRキャラクターの「しこちゅ~」(左下)のほか、山、川、花など当地の自然を表すイラストが描かれています。2014年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

四国中央市は愛媛県の東部にある市です。2004年に川之江市・伊予三島市・土居町・新宮村が合併して発足したもので、四国の他の3県と接する地域にあたり交通の要衝となっています。もともと江戸時代から和紙の生産が地場産業として根付いていましたが、篠原朔太郎(1865-1952年。和紙製造功労者。機械製紙の第一人者)の出身地となり、現在でも全国1~2の紙の産出量を誇ります(静岡県富士市がライバルで、この2自治体の産出量は飛び抜けている)。しかしながら人口減少が顕著であり、基幹産業の製紙業においても働き手不足が懸念されています。水引細工など紙加工品とともに里芋・煮干しいりこ・みかん・茶などを特産品としています。

川之江城(仏殿城)は四国中央市川之江町にある日本の城です。遺構として石垣や堀切が残っていますが、現在みられる天守や櫓、塀などは昭和59年に旧川之江市市制施行30周年記念として復元されたもので、江戸時代初期に廃城になっていることから、当時の資料に乏しいため正確な復元とはいいがたいものになっていると思われます。周辺が城山公園として桜やつつじなどが植栽されているほか、模擬天守内部は資料館になっています(入館料:100円)。

紙のまち資料館は四国中央市川之江町にある資料館です。当地が「紙幣、切手、収入印紙以外ならなんでも作れる」と言われるに至った当地の製紙の歴史や製造工程をわかりやすく紹介しているほか、紙製の工芸品を展示しています。また、手すき和紙が作れる体験コーナーがあったり、旧日本陸軍が開発した風船爆弾が保管されていたりします(入館無料)。

道の駅 霧の森は四国中央市新宮町馬立にある県道5号の小~中規模の道の駅です。国道に面しているわけではありませんが、2004年に通信販売で霧の森大福(中心が生クリームとこしあん、皮は抹茶を練り込んだ餅)という商品が通信販売で全国1位となり、全国ネットのテレビ番組で取り上げられたため一躍有名になりました。レストランや地場産品を売る売店のほかに、「新宮茶」と呼ばれる当地の茶を洋菓子などに加工する工場があり、ガラス越しに見学できます。また、「霧の森交湯~館」という温泉入浴施設を併設しています。

新宮あじさいの里は四国中央市新宮町上山にあるあじさいの名所です。約4haの山の斜面に2万株ほどのアジサイが植栽されており、6月中旬~下旬にはあじさい祭りが開かれています。あじさい祭りの期間中はモノレールが運行されていて、乗車しながらアジサイを観覧できます。


砥部町(とべちょう)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県伊予郡砥部町 清流とほたる 砥部焼とみかんの町 人口20,191人

どんぶり鉢の形をしたプレートで、自治体名左に「陶街道」の文字とPRキャラクター「とべっち」のイラスト、下に坂村真民の詩「念ずれば花ひらく」と文字が入っています。2012年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

砥部町は愛媛県中部にある町で、伊予郡に属しています。町内に80以上の窯元を有し、「砥部焼」と呼ばれる焼き物で知られる町で、隣接する松山市のベッドタウンとして発展しています。町域北部が平野、南部は山で傾斜地が多く、焼き物に適した土と大量に採れる燃料としての赤松があり、焼き物づくりに適した環境になっています。現在では卸売業・小売業など第3次産業が主要な産業になっていますが、一方で農業も盛んであり、柑橘類や七折小梅、高原野菜などを特産品としています。

とべ動物園は砥部町上原町にある県立の動物園です。170種1,000頭ほどの動物を飼育しており、敷地面積・飼育数ともに西日本有数の規模を誇る施設です。ゾウの餌やり、小動物やヤギとのふれあい体験、ポニーの乗馬などができます。また、通谷池を挟んでえひめこどもの城(児童館、こどもの遊び場)があります(入園料:大人500円、高齢者・高校生200円、小中学生100円)。

道の駅 ひろた 峡の館は砥部町総津にある国道379号の中規模の道の駅です。物産館・工芸館・研修センターなどで構成されています。道の駅登録が1994年と作りは古いのですが、自然薯や薪など林産物、アマゴの塩焼きなどを販売しており、ご当地感があります。近くに吊り橋があります。

権現山休憩所は砥部町総津にある施設です。権現山(ごんげんさん、標高440m)の麓にあり、毎年7月~9月にかけて流しそうめんが行われており、30年以上続く当地の恒例行事となっています。


今治市(いまばりし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県今治市 サイクリストの聖地 人口145,544人

しまなみ海道の波と島をモチーフにした形状のプレートで、自治体名右に青文字で「しまなみ」と書かれています。2011年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。

今治市は愛媛県北東部にある市です。高縄半島の北東部を占める陸地と島嶼地域からなる自治体で、古くから瀬戸内海の海上交通の要衝となっています。また、市の中心部は江戸時代に今治藩今治城の城下町として発展してきた地域です。現在は造船やタオルといった製造業が盛んな工業都市であり、日本最大の海事都市でもあります。また、ご当地名物としては焼き鳥が有名で、日本三大焼き鳥のうち一つ「今治焼き鳥」などといいます。愛媛県内では県庁所在地の松山市に次いで2位の規模を誇りますが、人口減少が顕著であり2045年あたりで約10万人になると推計されています。

今治城(吹揚城、日本百名城、日本三大水城の一つ)今治市通町にある日本の城・県指定史跡です。1602年に藤堂高虎によって築城されたものとされています。いわゆる海城というもので、海水を堀に引き込んだ構造です。遺構として石垣や堀が残っているほか、5層6階の天守(そもそも天守が存在していたことを示す一次資料がないため、これは模擬天守)や東櫓が復元されており、模擬天守の内部は甲冑や武具、今治城の調度や過去の写真などを展示する資料館/展望台、多門櫓の内部が自然科学館(牧野富太郎コーナーや生物の標本などを展示)になっています。

亀老山展望公園は吉海町南浦にある公園です。来島海峡大橋(世界初の三連吊橋)や来島海峡が望めるしまなみ海道随一のビュースポットとして知られています。また、周辺の沿岸部に道の駅 よしうみいきいき館(地場産品の販売のほか、海鮮BBQができる)があります。

来島海峡展望館は今治市小浦町(四国本土側)にある展望台です。瀬戸内海の島々や往来する船舶などが展望できる施設で、観光案内のほか来島大橋の架橋技術や村上海賊に関する資料の展示があります。また、観光協会直営の土産屋や軽食の売店を有しています。

村上海賊ミュージアムは今治市宮窪町にある博物館です。中世に芸予諸島周辺の制海権を握り、通行料を徴収や海上警護、水先案内などを行っていた村上水軍(村上海賊、2016年に日本遺産に指定)に関する資料を展示しています。また、カフェやお土産のコーナーなどもあるほか同博物館前から潮流の体験船が出ています。


宇和島市(うわじまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県宇和島市 ココロまじわうトコロ 人口69,186人

当地の牛鬼まつりの主役 牛鬼が描かれています。2012年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています(下一桁4,9及び下二桁42が欠番)。

宇和島市は愛媛県南部の南予地域にある市です。2005年に旧宇和島市・宇和郡吉田町・三間町・対馬町が合併して新宇和島市としています。南予地域の中心都市であり、真珠や柑橘類の生産や、日本では珍しく闘牛がみられる地域として知られています。また、市域西側は宇和海に面したリアス式海岸と離島になっており、多数の漁港と宇和島港(重要港湾)を有しています。当地の和霊神社で行われる夏祭りは同神社の例祭とうわじまガイヤカーニバル、牛鬼パレード、花火大会などが一挙に行われる大規模なもので、3日に渡って行われてており、知名度も高いです。しかしながら、人口減少と高齢化が顕著であり2045年に人口4万を下回ると推計されています。

宇和島城(鶴島城)は宇和島市丸之内にある日本の城(国の史跡)です。天守が現存しており、国内の現存十二天守の一つ、また日本百名城にも選定されています。戦国時代から江戸時代の初期にかけて藤堂高虎らによって築城されたいわゆる海城で、水濠には海水を引き込んでいます。周囲は城山公園として整備されており、城山郷土館という資料館があります(入館無料だが、刀剣甲冑類の展示は無し)。

天赦園(てんしゃえん)は宇和島市天赦公園にある日本庭園です。宇和島城の南西側にあり、宇和島藩7代藩主の伊達宗紀(宇和島伊達家)が隠居の場として作庭したものとされています。伊達家の家紋「笹に雀」にちなんで竹・笹が多数植栽されていることが特徴です。また、周辺に宇和島市立伊達博物館があります。

遊子水荷浦の段畑は宇和島市遊子(ゆす)にある階段状の畑です(国の重要文化的景観)。高さおよそ80mほどの非常な急斜面に積み石をして土を留め、一段の幅1~2mの畑としたもので、多いところでは60段もの石積みが連なっています。このような極めて珍しい景観となった理由として、江戸時代に領民にイワシ漁を強制する代わりに山の開墾は勝手次第としたため、耕地の少ない当地ではこのような開墾が行われてきたとされています。

当地の道の駅は3つあります。①道の駅 うわじまさきいや広場は、国道320号沿いにある大型の道の駅です。宇和島内港と隣接しておりみなとオアシスでもあります。②道の駅 みまは愛媛県道31号沿いの中規模の道の駅です(畦地梅太郎記念美術館・井関邦三郎記念館を併設)。③道の駅 津島やすらぎの里は、愛媛県道4号沿いの小規模の道の駅です。こちらは日帰り温泉施設の熱田温泉が核となっていましたが、2020年から閉鎖されています。


西条市(さいじょうし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県西条市 人がつどい、まちが輝く 快適環境実感都市 人口101,384人

楕円形のプレートに、川の流れをイメージした青いラインと西条まつりのだんじり(右部)が描かれています。2014年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています。

西条市は愛媛県東部の東予地方にある市です。2004年に旧西条市・東予市・小松町・丹原町が合併して新西条市としています。臨海部に四国最大規模の工業地帯を有する製造業のまちで、鉄鋼・生産用機械器具・輸送用機械器具といった重厚長大の工業が発達しており、かつては四国最大の製造品出荷額を誇っていましたが、現在は今治市や坂出市に抜かれています。一方で、市中央部の西条平野は穀倉地帯としても知られています。被圧地下水が市域の地下の広範囲を流れており、「うちぬき」と呼ばれる自噴水(名水百選)が当地のシンボルです。七草・あたご柿・バラ・ほうれん草・海苔などを特産品としています。

石鎚山は西条市と久万高原町にまたがる四国山地西部の山です。標高1,982mあり、西日本最高峰です。古くから修験道の修行場として知られており、日本百名山ならびに日本七霊山の一つとなっています。山麓の石槌山温泉からロープウェイが出ており、最高地点の天狗岳に多人数がとどまることができるスペースが無いこともあって、弥山にある石鎚神社頂上社までの登山コースを利用する人が多いようです。

石鎚山サービスエリア(上り下り)は西条市小松新屋敷乙にある松山自動車道のサービスエリアです。同自動車道のサービスエリアとしては最大級のものであり、高速道路と一般道路のどちらからでも利用可能な石鎚山ハイウェイオアシス(道の駅 小松オアシス、国道11号の道の駅)を併設しています。この道の駅はモンベルストアを中心にキャンプ場・特産物販売所・カフェレスト・温泉入浴施設などで構成されています。

鉄道歴史パーク in SAIJOは西条市大町にある鉄道保存展示施設です。JR四国伊予西条駅の周辺に北館・南館・十河信二記念館(第四代の日本国有鉄道総裁で「新幹線の父」と呼ばれる人物の記念館)に分かれてある施設で、日本ナショナルトラストがJR四国で利用されていた車両や新幹線0系やディーゼル機関車などを保存・展示しています(入館料:大人300円、小中学生100円)。


新居浜市(にいはまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県新居浜市 ーあかがねのまち、笑顔輝く― 産業・環境共生都市 人口114,675人

ふるさと観光大使の近藤勝也氏のデザインで、新居浜太鼓祭りの太鼓の幕に刺繍されている竜や太鼓房が描かれています。2015年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されています。夜間の安全対策としてライトを反射する加工が施されています。

新居浜市は愛媛県東部の東予地方にある市です。江戸時代に住友家が別子銅山(べっしどうざん)を開き、その後の住友財閥発展の礎となった地域であり、現在も瀬戸内有数の工業都市となっています。造船と鉄鋼を得意とする今治市とは対照的に、化学・非鉄金属製品の製造、加工を得意としています。同市は臨海工業都市である一方で、四国三大祭りや日本三大喧嘩祭りの一つとして知られる新居浜太鼓祭りやマイントピア別子など近代化産業遺産群、世界第2位の規模を誇るプラネタリウムがある愛媛県総合科学博物館など観光資源も豊富に有しています。また、沖合1.5kmのところに大島という有人島を有しています。

マイントピア別子は新居浜市立川町にある鉱山のテーマパークです。1973年に閉山した別子銅山の跡地を利用した施設で、観光坑道や砂金採り場、季節の花園、温泉入浴施設などを有し「東洋のマチュピチュ」を謳い文句にしています。また、道の駅 マイントピア別子(温泉入浴施設やキッズパーク、レストランなどがある)が併設されています。

愛媛県総合科学博物館は新居浜市大生院にある博物館です。1994年に開設されたもので当時世界最大となる直径30mプラネタリウムのドームを有しています(2010年に名古屋市科学館に抜かれ第2位になった)。常設展示は自然・科学技術・産業に分かれており、伊予鉄道1号機関車の複製やタオル自動織り機などが展示されています。

別子銅山記念館は新居浜市角野新田町の山根公園の近くにある博物館です。別子銅山や住友の歴史、地質や当時の生活などを紹介する施設で、マイントピア別子とはまた違った角度から別子銅山を知ることができるようになっています。また、同施設は半地下構造で屋上には約1万株のサツキが植栽されています(入館無料)。

あかがねミュージアムは、新居浜市坂井町のJR四国新居浜駅近くにある総合文化施設です。外壁に銅板を使用した特徴的な建物で、多目的ホール・美術館とギャラリー・カフェなどのほか、当地の太鼓祭りの太鼓台を展示しています(現役の太鼓台と昔の太鼓台があり、現役のものは2ヶ月ごとに入れ替えている)。


松山市(まつやまし)

出典元「日経研調べ ご当地プレート

愛媛県松山市 いで湯と城と文学のまち 人口503,432人

司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」をイメージしたプレートで、自治体名左に「道後」の文字が入っています。2007年からミニバイク50cc以下~125cc以下を対象に交付されており、原動機付自転車のデザインプレートとしては最初のものです。

松山市は愛媛県中部にある市です。愛媛県の県庁所在地であり、また四国最大の都市でもあります。松山城の旧城下町として発展した地域で、松山空港や港湾周辺には臨海工業地帯が広がっており、みかんの産地としても知られていますが、主要な産業は第3次産業でおおむね松山城の南側に松山三越・いよてつ高島屋・松山中央商店街など広い面積にわたり商業地域が広がっています。一方で日本最古の温泉として知られる道後温泉と石手寺(ミシュランガイド日本編のおいて一つ星に認定)などを有し、観光業も盛んに行われています。愛媛県と山口県の間にある忽那諸島(くつなしょとう)は2005年に松山市に編入されています。

松山城(伊予松山城、金亀城とも)は松山市丸の内にある日本の城・国の史跡です。現存十二天守の一つで、江戸時代後期に再建されたことから現存天守のなかでは最も新しいものとなっています。周辺は城山公園として整備されており、堀之内地区には美術館・図書館・市民会館といった地域住民のための施設、天守東側からは松山城ロープウェイが天守近くの長者ヶ平まで出ています。二之丸史跡庭園が「恋人の聖地」に認定されているほか、周辺に萬翠荘(国重要文化財)や坂の上の雲ミュージアムがあります。

道後温泉は松山市道後湯之町にある温泉です。よく知られるところでは夏目漱石の「坊つちゃん」のほか、「日本書紀」「万葉集」「源氏物語」といった日本の書籍に登場する日本三古湯の一つです。市営の道後温泉本館と別館、椿の湯(いずれも共同浴場)のほか多数のホテル・旅館からなる温泉街となっており、愛媛県を代表する観光地です。温泉街周辺には道後商店街、湯築城跡、寺社やセキ美術館、道後ぎやまんガラスミュージアムなどがあるほか、人力車での移動が可能です。

石手寺は松山市石手にある真言宗豊山派の寺院です。四国八十八ヶ所の51番札所であり、728年に熊野十二社権現を祀るものとして創建された後、空海が訪れて真言宗に改めたとされています。山門(仁王門)が国宝、本堂や三重塔などが重要文化財に指定されています。道後温泉から近いこともあり観光地としても有名で、本堂裏の山にマントラ洞窟と呼ばれる洞窟があります。観光色が強くややごちゃごちゃした印象ですが、見どころの多い寺です。


上島町(かみじまちょう)

上島町ホームページより

 

愛媛県越智郡上島町 海と緑と太陽と・笑顔でつながる上島町 新たな交流による人も自然も輝くまち・上島 人口6,190人

町内に架かる橋を背景に町花の桜の花と特産のレモン、PRキャラクターの「かみりん」が描かれています。2019年からミニバイク50cc以下を対象に交付されています(ピンクっぽく見えるが、画像は50cc以下のもの)。

上島町は愛媛県北部の瀬戸内海の25の島々(うち有人7、無人島18)で構成される町で、越智郡に属しています。2004年に弓削町・生名村・岩城村・魚島村が合併して発足した自治体です。もともとこのあたりは瀬戸内海でもとりわけ島が多く多数の村や町がありましたが、2004年~2005にかけて今治市・上島町・尾道市がそれぞれ編入・合併しています。柑橘類中心の農業、漁業、造船業を基幹産業とする地域で、海苔の養殖も盛んです。愛媛県内唯一の離島自治体ですが、ゆめしま海道(弓削大橋・生名橋・岩城橋)が架橋されたことで現在は主要な4島が繋がっています。今治市の今治港、広島県三原市の三原港から当地に向けてフェリーが出ています。

ゆめしま海道は岩城島・生名島・佐島・弓削島を結ぶ弓削大橋・生名橋・岩城橋の総称です。1996年に完成した弓削大橋と2011年に供用開始した生名橋に加えて、岩城橋が2022年に供用開始されたことで、観光誘致や自治体としてのアイデンティティの確立に一役買っています。地元では将来的に岩城島から伯方島まで架橋し、瀬戸内しまなみ海道との連絡が望まれているようです。地域住民の移動のほか、瀬戸内海の島々が望める絶景のサイクリングロードとしても知られており、観光客を集めています。

ゆげ海の駅舎ふらっとは上島町弓削にある海の駅舎です。全国初の海の駅であり、プレジャーボートやヨットなどの停泊スペースとシャワー・コインランドリー・トイレ・セルフのコーヒーやキッチンなどの共用スペースがあります。また、サイクリスト向けに自転車の空気入れが置いてあります。


原付のご当地ナンバー都道府県別目次はコチラ

コチラのページが便利です
市町村別の目次
コチラのページが便利です
市町村別の目次